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STAP細胞「つくることに成功した」と若山教授が発言、共同研究者も「見た」と証言(160428)

2016-04-28 | 覚書

STAP細胞、「つくることに成功した」と若山教授が発言…共同研究者も「見た」と証言

株式会社サイゾー

一連のSTAP細胞論文問題をめぐり2014年12月に理化学研究所を退職した小保方晴子氏がその体験を綴った手記『あの日』(講談社)が1月に出版され、STAP細胞は再び世間の注目を浴びることとなった。そして先月、小保方氏がSTAP細胞のプロトコル(作製手順)をHP上で公開し、STAP細胞は科学的議論の場に戻った。

果たしてSTAP細胞は存在するのか、しないのか――。判断材料が少ないこともあり、その議論は尽きない。理研がSTAP細胞論文の不正を調査した「桂不正調査委員会」の調査報告書は、科学者の中でも細胞工学の専門家ではないと、どういう経緯で不正があり、STAP幹細胞とされていたものがES細胞だったと結論付けられたのか理解できない内容だ。

調査報告書は「調査には限界がある」と最終的な判断を曖昧にしている。「STAP幹細胞だとされたものを解析すると、それはES細胞に由来していた」とし、「STAP細胞の実験成果物は誰かがES細胞を故意に混入した疑いがあるが誰が混入したか特定できない」という「懐疑論」に終始している。理研はこの不正調査に総額8360万円をかけており、そのうち弁護士への相談費用が2820万円で、検証実験の1740万円より上回っている。 

●「STAP細胞を3回見た」

STAP細胞論文にはこの研究にかかわった科学者14人の名前が記載されており、そのうち小保方氏を含めた8人が主な実験や論文の執筆を担当している。論文には筆頭著者として小保方氏の名前があり、元理研CDB(旧発生・再生科学総合研究センター)副センター長の笹井芳樹氏、山梨大学教授の若山照彦氏、東京女子医大教授の大和雅之氏、元CDBで現在は熊本大学教授の丹羽仁史氏らが名前を連ねている。

なかでも丹羽氏は2014年4月1日から行われたSTAP細胞を再現させる検証実験の責任者を務めており、理研が開催した同7日の記者会見でSTAP細胞実験の疑義について記者から「STAP細胞になるまでの実験を逐一見たか」という質問に対して「STAP細胞を3回見た」と答えている。以下がその会見の内容である。

記者「STAP細胞ができていく様子をご覧になったと応答されていたと思うが、(中略)STAP細胞になるまでの一連の経過というのを、たとえば小保方博士の横で実験を逐一くまなくご覧になっていたわけではなくて、あくまでビデオでつくられていく過程を検証したのみに過ぎないのか」

丹羽「ライブイメージを見た時点では、その部分です。その後、小保方さん自身がリンパ球採取からSTAP細胞までの一連の流れというのは、もちろん自分の目で確認しています」

記者「それは何回くらいか」

丹羽「何回ありましたかね、3回とかでしょうか。(論文への)プロトコル・エクスチェンジ を書くにあたって逐一手順を確認する必要がありましたので、そういう作業を行いました」

さらに丹羽氏はこの会見で、STAP細胞がES細胞混入の結果なのかという質問に対し、「その仮説が真である確率は低いという位置付け。専門家からすると、そんな簡単な話ではない」と答えている。

この会見のメディアの取り扱いについてマスコミ誤報検証・報道被害救済サイト「GOHOO」が「ES細胞混入説に反論する研究者の証言を毎日新聞は伝えない」として批判している。

STAP細胞問題をまとめたノンフィクション『捏造の科学者』(文藝春秋)の著者でもある須田桃子記者は14年4月14日付毎日新聞朝刊で、丹羽氏の「小保方氏の横でSTAP細胞を3回見た」「ES細胞である確率は低い」とした回答を伝えず、「丹羽仁史プロジェクトリーダーが検証実験の実質責任者に就いた。だが、丹羽氏自らが作製に成功したことがないことを認めるなど、科学的証明がどこまでできるのか不透明だ」と解説。検証実験よりも残されたSTAP幹細胞の分析を優先しろ、と力説している。須田記者が、中身を調べることで真相のすべてがわかる、と最終結果を予見した解説をしているのは興味深い限りだ。

© Business Journal 提供

このように「STAP細胞はES細胞ではない」とする科学者の証言は一部のメディアや識者によって巧妙に切り取られ、真相を知る手がかりには「目隠し」がかけられていたのがSTAP細胞問題の実態だ。こうして目隠しを外すと、「STAP細胞はES細胞だった」とする理研の結論はにわかに受け入れがたくなり、「STAP細胞問題は何も決着していないのではないか」という疑問が浮かぶ。

さらに論文共著者のひとりで14年8月6日に亡くなった笹井氏も、14年4月16日の会見で「STAP現象を前提にしないと容易に説明できないデータがある」としてES細胞混入説を否定している。 

●論文の最終的責任者は誰か

実はSTAP細胞論文は2種類あり、2つの論文が英科学誌「ネイチャー」に掲載された。ひとつは「アーティクル」で、これはSTAP細胞の作製方法を紹介したもの。これが小保方氏の実験担当部分だ。もうひとつは「レター」で、これはSTAP幹細胞の能力を証明したもの。これは若山氏が担当した実験部分だ。

STAP細胞実験は実験パートが分かれており、小保方氏が若山氏の指導に下でマウスの細胞を刺激してSTAP細胞をつくり、若山博士がそれを改変して増殖能力を持たせた「幹細胞」にして、STAP細胞がさまざまな身体の器官に分化する万能性があることを証明した。いわば、STAP細胞実験は若山氏が小保方氏を指導しながら一緒に行われたのだ。そしてその努力の結晶が、「アーティクル」と「レター」だった。

実は小保方氏は、この2つの論文の最終的な責任者ではない。小保方氏はSTAP細胞論文の「筆頭著者」で、論文にもっとも貢献したものが最初に名前を記載され「筆頭著者」になるが、最終的な責任者は共著者最後のラスト・オーサーになる。「アーティクル」のラスト・オーサーは米ハーバード大学病院「Brigham and Women's Hospital」の麻酔医を務めるチャールズ・バカンティ教授で、「レター」の責任者は若山氏だ。

小保方氏の代理人である三木秀夫弁護士も、「レター論文は若山照彦・山梨大教授が責任著者で、若山教授がすべて実験し、その指導のもとで小保方氏がつくったものだ」と責任の所在を明らかにしている。

●若山氏「STAP細胞をつくった」

若山氏はSTAP細胞実験について、アメリカの幹細胞生物学者、Dr.Knoepflerのインタビューに応じ、以下のとおり「STAP細胞をつくった」と話している。

「私が理研を去る前、私は脾臓からSTAP細胞をつくることに成功しました。でも一度だけです。その時は小保方博士がよく指導してくれました。海外の研究者がSTAP細胞の成功をメールで知らせてくれています。だから、私は一年以内に誰かがSTAP細胞の作製を発表するだろうと信じています」

つまり「STAP細胞はあります、誰かがきっとつくります」と宣言していたのだ。

若山氏は小保方氏がつくったSTAP細胞からSTAP幹細胞を多数作製したことも認め、実験が適正だという認識を持っていたようだ。以下は同インタビューでの若山氏の発言である。

「私はSTAPからSTAP幹細胞を複数回樹立しました。混入がそのたびに起こるなんてことは考えづらいです。さらに、私はSTAP幹細胞を129B6GFPマウスから樹立しました。その当時、我々はその系統のES細胞を持っていませんでした。私がSTAP幹細胞の樹立に成功した時、大元のSTAP細胞はOct4-GFPをよく発現していました」

「この状況ではSTAP幹細胞の樹立は胚盤胞からES細胞を樹立するより簡単なんです。さらに、包括的なmRNA発現データもSTAP幹細胞がES細胞でないことを示唆しています」

「私はそれぞれのステップを小保方博士に監督してもらった上で、100%自分の手で再現しました。ほぼ同様に、私の博士課程の学生もSTAP幹細胞の樹立に成功しています。これらの実験の初期段階では、我々はES細胞やiPS細胞を同時に培養していません。あとになって、対照群として時にES細胞を同時に培養していました」 

ちなみに若山氏は14年4月14日付けの朝日新聞朝刊で、「STAP細胞株」を「少なくとも43株つくった」とその実験成果の数を答えている。しかしその2年後、「週刊新潮」(新潮社/16年4月14日号で、小保方氏の手記やHPについて「一切関わりを持たないようにしております」とSTAP細胞問題とはあくまでも「無関係」だとする姿勢を貫いている。

●一様にSTAP細胞の存在を認める発言

小保方氏はSTAP細胞のプロトコルを公開したHP「STAP HOPE PAGE」で「STAPのアイデアは博士によって考案されたが、バカンティ博士、およびSTAP論文のためのすべての実用的な実験は、日本の理研CDBのDr.若山の研究室で行なわれ、予備的な研究が行なわれたハーバード大学にてバカンティ博士の研究室で生まれました」とSTAP細胞の実験結果は若山研究室の産物だったことを明かしている。

小保方氏は14年4月9日の記者会見において「STAP細胞はあります」と主張し、それは一貫して変わっていない。その一方、周囲の研究者たちはSTAP細胞への認識が同一人物とは思われないほど激変している。STAP細胞の実験、その論文にかかわった科学者たちは問題発覚直後、「STAP細胞はES細胞ではない」と口を揃えてSTAPの存在を肯定していた。これは紛れもない事実だ。

もし、STAP細胞が存在しないとすると、彼らは小保方氏に騙されて実験結果を誤認させられていたことになるが、「STAP細胞を3回見た」と証言した丹羽氏はES細胞研究25年のキャリアを持つ。小保方氏はSTAP細胞実験当時、博士になりたての科学者としては新人だった。STAP細胞事件を「すべて小保方氏が計略し、ねつ造した結果である」とする結論は、荒唐無稽で根拠が脆弱な「陰謀論」だ。

改めてこうして関係者たちの言質を羅列すると、道理に合わず、まさに怪誕不経(かいたんふけい)だ。STAP細胞問題の混乱したのは小保方氏からではなく、科学者がなんらかの真相を隠蔽したり、サイエンスジャーナリストが事実を歪曲して伝えていることから発生している。つまり、理研が「STAP細胞はES細胞だった」と発表した「裏」には発表されていない事実が潜んでいる可能性が高いのだ。

イギリスの偉大な文学者でノーベル文学賞を授与されたジョージ・バーナード・ショー(1950年11月2日没)はこんな格言を残している。

「When a thing is funny, search it carefully for a hidden truth.(何かがおかしい時は、真実が隠れていないか気をつけろ)」

小保方氏はHP上で、ついにSTAP細胞の存在を明らかにした。次回はそれについて解説したい。
(文=上田眞実/ジャーナリスト)


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