津留晃一の世界 さんより
記憶
記憶があなたを規定し、
記憶が今のあなたを
縛っています。
家族、会社、友人、仕事、同僚、
全てあなたとは、
あなたの記憶のことです。
ではその記憶を書き換えた時、
あなたはどうなるのでしょう。
もちろん別人となる事でしょう。
「実は」と言って、
あなたは突然見知らぬ人の
来訪を受け、
全く予期しなかった
あなたの真実を
打ち明けられたとしましょう。
そしてそれが充分信じるに
値するような内容であったら、
あなたはきっと
その打ち明け話を受け取り、
昨日とは違った人間に
なることでしょう。
真実とは
あなたが信じたことに
他なりません。
あなたが別人になるのは、
それほど簡単なことなのです。
あなたが次の瞬間、
自分が天才であることを
信じられたら天才となるのです。
天才という物理的特性が
どこかにあって、
それによって
人が天才になるわけではありません。
打ち明け話を
あなたが受け取らなかったら、
その話はでたらめな話となりますが、
あなたの内側にはひょっとしてという、
疑いの根は残されるかもしれません。
私は今、
あなたに打ち明け話を
しようとしています。
それは、あなたは本当は、
あなたの世界の
創造主なのだという事です。
これまでの話で、
ひょっとしてそうかもしれないと
感じていらっしゃる方が
相当に増えていると思いますが、
これからもその証拠を
出し続けてゆくつもりです。
その証拠は
無限にありますから。
これから出し続けていく
あなたが創造主である
という証拠の数々の内、
あなたがどの辺で
そのことを事実として受け入れるか、
それは単に時期の問題でしょう。
それは今かもしれないし、
明日かもしれないし、
一万年後の事かもしれません。
それがいずれであっても
あなたの完全な選択の問題です。
先程の打ち明け話のたとえ同様に、
それは単に、
あなたが受け取ったときに、
あなたの認識上の別人、
全ての創造主となるのです。
決して努力した結果、
その報いとして
神になるわけではありません。
元々神であるあなたが
神以外の何者にもなることなど
出来ないのですから。
人は記憶を使い、
現実空間を生きられるよう
設計されています。
オギャーと
生まれ出た瞬間の状態が
人としての
記憶の初期状態です。
何の認識もない
完全ニュートラルな状態です。
キリストは赤子のようになれと
言われたようですが、
無垢であるニュートラルな状態の
素晴らしさへと戻れ
と言うことなのでしょう。
この心の位置では
過去の記憶により、
人の行動が
制限を受けることが
ないからです。
無分別の状態、
良いとか悪いとか、
比較判断の基準を
何も持っていない状態の事です。
成長し認識が入り、
分別がつくようになると、
人は絶えず過去に引っ張られ、
過去の認識から抜け出せません。
昨日のあなたの認識が、
今日の行動を決定している
といってもよいでしょう。
「彼は昨日あんなに怒っていた」
と思い出すと、
「彼に出合わないで済む方法はないか」
と逃避行動を考えるか、
「何とかなだめる方法はないだろうか」
と相手を何とかしようとし始めます。
記憶があなたの行動を
誘発しているわけですが、
そんなことには
全く気づいてもいません。
自分の行動が今、
記憶の奴隷と化しているとは
考えていないのです。
あなたが今
誰かに罵られたとします、
「お前はどうしていつもそうなのだ」と。
次の瞬間あなたは
どんな行動をとるでしょう。
そそくさと
逃げ出すかもしれません。
あるいは、自己弁護を始め、
自分を防衛しようと
するかもしれません。
自分の正しさを主張し、
大反撃に出る人もいるでしょう。
でも
この3つの行動パターンは
いずれにしても、
一瞬前の過去の記憶に対する
対処行動にすぎません。
これらの行為は
記憶からの自動ロボットである
といえるでしょう。
人は普段、
絶えず何かを記憶し、
その記憶に対処する
という行動様式をとっています。
もし自分が今、
過去の記憶からの対処行動を
とっているということに
気付いたとしたら、
その次には
違う選択を選ぶチャンス
となるでしょう。
あなたは対処行動を
採り続ける事も可能なわけですが、
たとえあなたが
相手の機嫌を回復させ、
その場はおさまったとしても、
それは単に
マイナスが元に戻っただけであり、
何のプラスも
産み出せなかったということです。
エネルギーの浪費です。
人はいつもいつも、
人の機嫌を回復するとか、
自分の信用を回復するとか、
そんなマイナスを
0に戻すという
非生産的なことにのみ
エネルギーを
消費し続けているわけです。
プラスは
生まれていないわけです。
あなたは毎瞬どの瞬間も、
源から宇宙の
エネルギーグリッドを介して
無限にエネルギーを
受け続けています。
そのエネルギーを
どう消費するか、
全てあなたの自由選択です。
そしてあなたは
人から罵られた次の瞬間でさえ、
あなたに注がれている
無限の愛のエネルギーを
そのまま変質させることなく
相手に与え続けることも
出来るのです。
こういう話をすると
「いや私には
そんな聖人みたいな事は
とてもできない」と、
これまでの記憶のパターンを
引っぱり出してきて
自分を評価し
判断を下してしまいますが、
私の言っていることは
そんなに難しいことでは
ないのです。
単にそのことに
気付いてさえいればいいのです。
誰にでも出来る
とても簡単なことなのです。
それはちょっとした訓練で
すぐに気付けるようになってきます。
単にあなたは
「これまでは出来なかった」
という過去の記憶に
条件反応している
にすぎないのですから、
これまで出来なかった
という理由だけで
簡単に片づけないでください。
太陽は
どの瞬間にも
光を放ち続けています。
たとえ今
地上が雲で覆われていた
としてもです。
太陽は地球に今、
雲がかかっているか否か、
判断をしていないのです。
すなわち光るのに
条件がないということです。
我々も常にこうすることが
可能です。
相手の状態に
条件をつけることなく、
光を放ち続けることが
出来るのです。
相手の機嫌を
判断する必要などないのです。
たとえ罵りの言葉を
聞いたとしても、
その言葉を
そう受け取る必要は
どこにもありません。
罵られたと
意味をつけたとき、
あなたは
輝けなくなってしまいます。
「イヤそうは言っても
現に次々と非難され続けている」
という思いが
出続けていると感じたら、
無理をすることはありません。
その場から可能な限り
早急に離れてみることです。
大切にすべきことは、
あなたが光り続けられるか
否かです。
そう出来なくなりそうなら、
その場を変えてしまうことです。
自己弁護を始める前に、
自己主張を始める前にです。
葛藤はあなたの内部にしか
実在していないのですから・・・。
他人を変えることに
意味はありません。
他人の説得には
何の意味もありません。
その場を離れてしまったら、
もう一瞬前のことは
手放しましょう。
あの人が怒っている
というのは過去の認識に
すぎません。
「でもきっとあの人は
まだ怒り続けているに違いない」と、
なかなか不安は去りませんが、
自分のそんな感情の動きを
出てくるにまかせ、
コントロールすることなく、
ただただ眺めていると、
やがてそんなに時をおくことなく
感情のエネルギーは
沈静化してしまいます。
そうしたら可能な限り
自分のハートのセンターに
意識を向け、
自分でそこに愛を贈ります。
相手が今どう思っているかに
意識をおくのではなく、
相手がどういう状態でいるかに
意識をおくのでもなく、
自分が輝けることに
意識の焦点を振り向け、
今そこで光るのです。
いつもあなたのすることは
それだけです。
どんな時も光続けることです。
それだけが
あなたの生きる
目的なのですから。
記憶に条件づけられた
自動ロボットからの離脱です。