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もともとそれでよかった♡

すべては自分の中にある

壁の突破:心(意識)の開放、真実も答えも救済も全て自分の中(160422fm)

2016-04-22 | 覚書

◆概念の壁◆

自分と言う壁を越える。

   ・

真実も、答えも、救済も全て自分の中に求めます。なぜならそこには既に、それが用意されているからです。

自分の壁をこれから越えよう、突破しようと言う方には楽な事では無いかもしれません。
その壁は見る事の出来ない意識の壁、概念の壁です。

宗教家の様に寒い冬、滝に打たれて苦行を行おうと、ご先祖様に献花や灯明を上げようと、賽銭箱に小銭を投げ込み手を合わせようと概念の壁は越える事は出来ません。

そして一人では超えられず答えが分からないからと外に答えを求め続けていては、スピリチュアル的放浪者となるだけで、それでは閉ざされた空間の中で右往左往するだけになりかねません。

自らの中に用意された答えに辿り着く、その道を開通させる。
これはハイヤーセルフとのコンタクト、統合を目指すと言う事でもあります。

   ・

想像してみます。

今自分は答えを求め彷徨う旅人です。
自分はこの広大な街(現実と思っている3次元的世界)で出口や答えを求めあらゆる所を探し回っていますが、何も見つける事が出来ません。
どこに向かってもこの街を囲むとても高い壁に出くわし引き返しています。

そして見上げる空にはいつもいつも厚い雲が高い壁より低くこの街を覆っています。
探しまわっている自分は、この閉ざされた街の中だけを彷徨い、やがて壁の前で膝を折り、壁に額を押しつけ深い溜め息を漏らす事になるかも知れません。
この街を取り囲む壁は(この世界の)果てで有り、その先には行ける事は出来ないと自分から制限を掛けてしまっているのかもしれません。

しかし、その高い壁の外には晴天の薫風香る美しい大地(高次元)が広がっているのに、未だその事を知りません。
生まれ育ったこの街(世界、社会)だけが世界であり、生きる場所と思い込んでいるからです。


心(意識)の解放が、壁の突破に繋がります。
曇天の3次元だけの中だけが生きる場所と限定して来た自分から、未だ見ぬ壁の外には遥かに広がる晴天の大地が広がる事を信じてみて下さい。

高次元への旅は既に始まっていますがその行程、スピード供に人それぞれ差があります。
既にゴールに到達しかかっている人も居れば、その入り口が見え始めたと言う人もいる事でしょう。
もちろん未だ高い壁の中に有っても希望を持ち、何としてでもその壁を越える意思を持ち続けている人もいます。

時に忍耐は真理かもしれません。
それこそ希望を失いかける程の時間を待てと突きつけられた思いをされている人も居るでしょう。

私達は13000年を超える間、その日(次元移行の始まる時)の到来を何度もの転生を繰り返し待ち続けて来ました。
とても長い忍耐の日々でした。

時には深く内観し、自分とは何かを求め、苦悶の時を少しの間過ごす事も必要であれば避ける事は出来ないかもしれません。
そして、その苦しみこそが、壁への挑戦となる人も決して少なくないでしょう。

既に覚醒を成した方の中には高い達観をし、日々緩やかに楽しげに過ごしている方も、間違いなく居られます。
その方々の多くが何故達観の中に居られるか、それは自分の中の高い壁を自分の力だけで超えて来た自負と強さが有るからです。

この挑戦は、数年前に終えた方もいれば、この人生で成し遂げたとは限らず、いくつか前の人生で既に完了している方も居られましょう。
そして、今回始めてその概念の壁に遭遇した方も居られる筈です。


私達の前世は、この地球を超え遥か遥か太古の昔から連綿と体験をし続けてきました。

既にその体験を成し遂げた方、この人生で始めてその壁に遭遇した方など様々です。
今その壁に遭遇しているからと言って、それが魂の上下、優劣を示す事では全く有りません。
単にどの体験を先にして来たかだけの事です。

しかし間違いなく、その体験を終了した人も、何れかの遠い時代にその苦悶の中に有り、そこから這い出し、晴天の大地が有る事を知った事に相違ありません。


しかし、今その壁に対峙していると言う事は、遠い時代に壁を超えた人より恵まれているかもしれません。
何故なら、遥か以前に超えた人達には高次元の到来はまだまだ幾世代も先、悠久と思われる時間の先に出会う事になっていたからです。
ただただ孤高の戦いの中に有り、古い時代には情報も少なく、多くの真実を知る術も限定されていた事でしょう。

しかし、今回の人生で壁に向かっている人は、その壁を越えればそこには既に高次元への凱旋門が到来を持っています。
しかもハイヤーセルフや守護聖人、スペースファミリーの慈愛あるバックアップも受けています。

壁を越えた人は、多くを語りません、苦しみの日々を口にしません。
今、口にするのは、穏やかにいる事、緩く楽しい時を過ごす事が重要ですと語る事だけです。
そして、そう言いながらも決して怯む事無く概念の道を進み続けている筈です。


苦しみの日々は語り誇るべき事では無く、それを超え閉ざされた高い絶望の城壁を出て、晴天の空の下に出て来れた喜びを語るだけです。

人々が未来を目指すと言う同じ目的を持って集ったところで、そこに答えは有りません。
何故なら全ての体験は皆一人一人様々な段階、スピードの中で進むからであり。また時間と言う答えは一つでは無く、その人だけにのみ対応するからです。

これから概念の扉に挑戦する方は、少しの勇気と覚悟を要求されるかもしれませんが、高次元への道はその先に開いている事を強く信じて下さい。

壁は概念の壁です、概念である以上時間も概念として存在するだけです。
自分がこれから必要とする時間が3日であろうと10年であろうと、概念の中の時間は同じ(無いに等しい)なのです。

ただ漫然と時を過ごすと、その時間は今まで通りの時間の進み方を示します。
しかし壁に挑むと覚悟すれば、概念時間は寛容に停止しあなたを待ってくれます。

そして一旦壁の外の存在を強く信じる事が出来れば、今度はそこから時間は加速度を増し早くなって行きます。
時間の経過が更に早く感じていると言う事は、少なくともその方は外に広がる高次元を感知し、そこに向かう決意を魂が下したと言う事に他なりません。


今、知らなかった事を知ったとしても、自分が見て来た事が別の方向だったと気が付いても、素直にそれを受け入れて下さい。
そして決して自己批判や、自責の念に入ってしまわないで下さい。

知らなかった自分の事等どんどんと棚に上げ、知る事の出来た「真実」にのみ焦点を当て続けて下さい。
自己批判も自責も、未来に進む為には特に必要としない古い美徳として脇に押しやってしまって下さい。

そして、既にその壁を越えた方は、今そこに集中しようとしている方のバックアップに回って頂けたらと思います。
しかしバックアップすると言うことは手を取り足を取りでは有りません。時に慈悲の目を持って静かに見守る事も必要になるでしょう。

私たちの力は決して小さなものでは有りません、今この時に必要不可欠なものとして地球も天も微笑みを持って待っています。
そして先を行く人は、後から来る人の為、その道に目印をつけて行って下さい。

これこそ日本の魅力..日本旅行から帰国した中国人が口をそろえて絶賛するものとは(160422)

2016-04-22 | 覚書

これこそ日本の魅力・・・日本旅行から帰国した中国人が口を揃えて絶賛するものとは

モーニングスター株式会社
日本旅行から帰国した中国人の多くが、日本には「風景や商品より魅力的に感じるものがあった」と口をそろえて言うものが存在するようだ。中国メディアの今日頭条はこのほど、中国人にとって評価が高い日本のものは「文化」であると説明している。(イメージ写真提供:123RF)© Searchina 提供 
日本旅行から帰国した中国人の多くが、日本には「風景や商品より魅力的に感じるものがあった」と口をそろえて言うものが存在するようだ。中国メディアの今日頭条はこのほど、中国人にとって評価が高い日本のものは「文化」であると説明している。

記事は、中国にはない優れた日本の文化として、「人びとが列に並ぶこと」、「みなが交通ルールを守ること」、「清潔であること」、「人びとが礼儀正しいこと」などを挙げている。こうした点に共通するのは、利己的ではなく、「利他的」な行動であるということではないだろうか。自分さえ良ければ良いという考えは日本社会のなかでは通用しないのだ。

例えば、交通ルールを例にすれば、日本であれば信号機が設置されていない場所でも歩行者が横断歩道を歩いているなら、車は横断歩道の手前で停止し、歩行者の横断を優先するだろう。しかし中国では歩行者が横断歩道を歩いていても、信号機がない以上は車は決して歩行者を優先するしない。中国で道を横断するときは慣れていないと恐怖を感じるほどだ。

記事がこの歩行者優先の交通ルールを魅力的に感じる日本文化の1つとして紹介するのは明確な理由がある。2004年5月1日から施行されている中国の道路交通安全法によれば、車が横断歩道を通過するときは速度を落とさなければならず、また歩行者が横断歩道を渡っているときは車は停止して歩行者に道を譲らなければならないと定められている。

しかし、「車は歩行者を優先しない」のは中国における一般常識だ。信号機のない横断歩道を歩行者が渡っているとき、車は速度を落とさず横断歩道を通過していく。歩行者の命に対する配慮がまったく感じられない車社会と言えるかもしれない。

従って中国で生活したことのある日本人は、中国社会を「冷たい」と感じる人も多いのではないのだろうか。反対に中国から日本に来て、車が歩行者を優先する社会を経験すると、人の命を大切にする「温かさ」を感じるのだろう。速度や効率や強さを重視し過ぎる中国の社会にはない優れた文化が日本に存在しているのだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

 

「日本は理想郷」ネオ親日派は中国を変えるか

上海の徐匯区にある日本風居酒屋を訪れた。大漁旗が掲げられた店内には、短冊に書かれたメニューが壁一面に広がり、70年代のフォークソングが流れる。東京の下町の居酒屋をそのまま上海に持ってきたかのような空間だ。

この店の経営者は上海人で、お客さんも圧倒的に中国人が多い。かつて、上海の居酒屋といえば日本人駐在員のたまり場だったが、今では中国人プロデュースのこだわりの店で、地元の中国人が徳利を傾け居酒屋文化を楽しんでいる。

地下鉄2号線静安寺駅の百貨店では、特設コーナーを設けて“日本発のアイディア商品”が売られていた。かつて、こうした商品は上海在住の日本人が好んで消費していたが、今では地元の主婦らが手に取るようになった。

日本語学習も新たな世代を中心に熱を帯びる。筆者も「日本語、教えて」と言われることがにわかに増えた。

こんなこともあった。街中を歩いていると、たまたま中国人の女性営業社員のビラ配りに出くわした。そのうちのひとりが筆者を日本人だと見抜いた瞬間、こう奇声をあげたのである。

「わーっ、日本人なんですね~、私、日本語勉強中なんですぅ」

隣の女性社員が赤面しながらすかさず解説を加えた。

「この子は習いたての日本語をしゃべりたくてしょうがないんです。仕事中もわけのわからない日本語をひとりでつぶやいているんですから」

上海にはかつてから日本ファンも少なくなかったが、たとえ日本に関心があっても口にするのは憚られたものだった。最近は世代交代もあり、だいぶ自由な空気になったようだ。「日本が好き」「日本はいい」と、堂々と人前で言えるような雰囲気が醸成されつつある。

安徽省出身の李娜さん(仮名)は、昨年、初めて訪日旅行を計画した。だが、両親にはなかなか切り出せずにいた。勇気を出して父親に電話したのが出発の前日。日本行きを切り出すと父親は案の定、「日本に行くなどもってのほか。すぐに取り消せ!」と電話口で怒り出した。

最後は母親が仲裁に入り、その場をとりなした。翌日、彼女はなんとか上海発大阪行きの便に予定通り乗り込むことができた。「父親も自分の考えが古いことに気づいたようだ」と李 さんはいう。

訪日旅行は個人で行くのが上海スタイルだ。その個人旅行がブームになっている様子を、会社員の顧佳さん(仮名)は次のように語ってくれた。

「私のwechat(LINEのような中国のスマホアプリ)には100人ほどが登録されていますが、『モーメント』という機能を利用して、いつも誰かが日本で撮った画像を発信しているんです」

少なくとも顧さんの周りの友人は、年間通して日本を訪れているのだ。「今、××にいる」「今××を食べている」など、日本を体験する様子はスマートフォンを通してたちどころに広まる。

「民主」に目覚めた新世代にとって日本は「理想郷」

一方で、日本に駐在する上海人の沈蓉さん(仮名)は、こうした訪日旅行者たちのコメントを見て驚く。

「10人のうち9人が、日本をベタ褒めしているんです。警察官も駅員もみんなやさしい、区役所の公務員ですら親切。日本は国民を大事にする国だと。これはむしろ、中国社会に対する怒りの裏返しであり、中国政府へのあてつけだとも言えるでしょう」

なぜ中国人はこんなことに感心するのか。

中国では「公僕」という概念は薄く、一般市民にとって公務員とはまさに腐敗・堕落の象徴だからだ。公安(日本の警察官に相当)に至っては、良心に従い公平中正に職務を遂行するどころか、因縁をつけて金をせびる醜悪な存在というイメージが強い。中国には毛沢東時代の「人民のために尽くす」というスローガンがあるが、現代の社会において形骸化したこの言葉は一種のジョークとして使われるに過ぎない。

「こうした現実の中で生きる中国人にとって、日本は理想郷のように映る一面があります」と沈さんは話す。もちろん、日本も一皮めくれば矛盾だらけで課題山積みではあるが、「市民目線での制度設計や行政サービス」については、注目に値するのだという。

他方、衣食足りて「民主」の重要性に気づいた国民は、もはや黙ってはいられない。しかし、表立って政府を批判できないのが中国である。そこで日本を徹底的に褒めちぎろうというわけだ。中国政府に向け皮肉たっぷりの民意を伝える――、これが今、中国の国民のささやかなるレジスタンスなのである。

日本に学んだ清の留学生が革命を起こした

中国人が日本を批判することはあっても褒めることは少ない、というのが筆者のこれまでの実感である。「日本を褒める」というのはこれまでにもあるにはあったが、「やっぱり中国の方が優れている」と結論付けるのがお決まりのパターンだった。訪日観光においても「日本の観光地はスケールが小さい」「××文化は中国が起源」など、すぐに中国の優位性を主張するのが中国人観光客の癖でもあった。

中国は伝統文化における「絶対の自信」を持っている。その源流には印刷術や羅針盤、火薬の発明がある。さかのぼれば、明治時代、日本と中国は近代化において好対照を成した。明治維新において日本が必死に近代西洋文化の吸収に努めたのに対し、当時の清国は自国の文化を過信し、西洋文化には無関心だった。

実藤恵秀は著書「中国人日本留学史」の中で、中国の近代化の遅れの思想的原因はここにあると指摘する。西洋のもので優れたものがあれば(たとえば武器など)「起源は中国にある」とする「中国起源説」に置き換えることも行われた。ちなみに、中国を起源に求める発想はいまだにある。「真摯に相手を認め、そこから学ぶ」というのは得意でないようだ。

その相手が日本となれば、抵抗は増す。歴史的経緯があるためだということは言うまでもない。また、近年は日中の経済格差が縮まりバブル経済の高まりとともに「小日本(シャオリーベン)」と見下す態度が強まった。日本の製造技術が伝わり、アニメ文化が浸透しても、「日本の社会」に関心を寄せる市民はまだまだ少数に限られていた。

ところがここ数年、訪日旅行が復活し、一種のブームにもなった。昨年、中国からは500万人近い観光客が日本を訪れた。特に上海市民を中心に世代交代とマインドの切り替えが進み、虚心坦懐に「今の日本」を受け入れるようになった。そして日本を「いい」と言えるようになった。これは大きな変化である。

今からちょうど100年以上前には清国からの留学生─魯迅も含む─が日本に大挙して押し寄せた。彼らの中には祖国の革命に自らを賭した者もいる。そして時代は変わり、今は中国の民衆が訪れるようになった。その眼に映し出されたのは「民ありき」の日本社会である。果たして彼らは中国を変える原動力になれるだろうか。


熊本地震:TVでジャパネット高田前社長「できることを」(160422)

2016-04-22 | 教材

熊本地震:TVでジャパネット高田前社長「できることを」

ジャパネットたかた前社長の高田明さん=東京都港区で2016年3月22日、竹内幹撮影
© 毎日新聞 ジャパネットたかた前社長の高田明さん=東京都港区で2016年3月22日、竹内幹撮影

3カ月ぶりに同社通販番組に出演

 通信販売のジャパネットたかた(長崎県佐世保市)の創業者で、前社長の高田明さん(67)が21日、約3カ月ぶりに同社通販番組に出演した。同社はこの日紹介した防災関連商品の売り上げを熊本地震の被災者に送ろうと、高田さんの発信力に期待して出演依頼した。

 高田さんは番組冒頭で「私たちは熊本県、大分県、全国の人に支えられている。できることを一人一人がやることが支援になる」とあいさつ。いつもよりは少し落ち着いた低い声で、災害時にも使えてラジオが聴けるボイスレコーダーと充電池を紹介した。

 同社は26日までに具体的な寄付先と金額を公表する予定。

 高田さんは昨年1月に社長を退任。テレビショッピングの出演も今年1月に終えていた。【遠山和宏】


金融機関、義援金で負担増=マイナス金利思わぬ影響(160422)

2016-04-22 | 覚書

なんか、ばかばかしい…という気が…

金融機関、義援金で負担増=マイナス金利思わぬ影響

時事通信

 熊本地震の被災者を支援する義援金の募集が全国に拡大する中、日銀が2月に導入したマイナス金利政策が思わぬ波紋を広げている。地方銀行や信用金庫などに多額の義援金が集まると、マイナス金利適用の影響で金融機関に負担が生じるためだ。日銀は今後の資金の動きを見極め、対応策を検討する構え。

 日銀は、銀行などが短期資金を預け入れる当座預金残高の一部に0.1%のマイナス金利を適用している。地元地銀などに多額の義援金が振り込まれると同預金の残高も増加し、マイナス金利の影響で負担が拡大する恐れが出てくる。

 仮に銀行が余剰資金を短期金融市場で運用しようとしても、現在はマイナス利回りでの取引が定着しているため、負担が増すことに変わりはない。

 政府の復興資金の払い込みが行われると、金融機関へのマイナス金利の影響はさらに深刻になる。被災自治体の指定金融機関である地元の地銀に多額の財政資金が流入すると、日銀当座預金への預入残高の急増が避けられないためだ。

 日銀内には「マイナス金利の例外を認めると線引きが難しくなる」(幹部)との声も根強いが、市場からは「被災者の心情を踏まえるとある程度の配慮が必要ではないか」と、例外扱いを支持する意見も出ている。

 想定外の地震対応に苦慮する日銀だが、今後はマイナス金利の適用緩和のほか、東日本大震災の被災地に店舗がある金融機関への支援策として始めた資金供給の対象を、熊本地震にも拡大することなどを検討する可能性がある。 


国連が変わるかもしれない(160421)

2016-04-22 | 覚書

潘基文の最大の功績は? 国連が変わるかもしれない

アイティメディア株式会社
© ITmedia ビジネスオンライン 提供

 2016年は選挙が目白押しだ。台湾では1月に総統選挙が行われ、韓国では先日総選挙が終了したばかり。5月にはフィリピンで大統領選が行われる予定で、日本も夏に衆参ダブル選挙が行われるという話もある。そして米国の大統領選では、いま民主党・共和党の指名候補争いが進んでおり、毎週のように大騒ぎになっている。

 厳密には選挙とは言えないが、6月には英国でEU(欧州連合)から離脱するかどうかの国民投票が行われる。そして、2016年にはもう1つ重要な“選出”が行われる。あまり注目されていないが、新しい国連事務総長が選ばれるのである。

 現在の潘基文・国連事務総長は、今年いっぱいで任期が切れる。そして2016年4月12日からは、3日間にわたって潘の後任候補者たちのスピーチや質疑応答が開始され、いよいよ後継選出活動が本格的に始動したと言える。

 実は今回の事務総長選びは、国連70年の歴史で過去に例のない試みとなる。しかも潘の時代まで存在してきた選出の悪しき“密室性”から決別するきっかけの年となりそうだ。

 そもそも国連事務総長というのは、これまでどう選ばれてきたのか。

 まず15カ国のメンバー国からなる国連安全保障理事会(安保理)が独断で1人の候補者を選ぶ。そして安保理が選出した候補者を受け、国連総会によって、事務総長に任命する採択を行う。つまり、国連総会は安保理が出してきた候補者を事務総長に任命するだけで、事実上、決定権は拒否権をもつ安保理の常任理事国(米国、英国、フランス、ロシア、中国)にある。また基本的にアジアやアフリカ、中南米、欧州といった地域ごとにローテーションすることになっている。

 例えば、2007年から2期にわたり事務総長を務める潘の場合はどうだったのか。専門家の間では、潘が2006年に事務総長に任命された背景には、ジョージ・W・ブッシュ大統領時代の米国による根回しがあったことはよく知られている。ノーベル平和賞も受賞した前任者のコフィ・アナン前事務総長はそもそも米国信奉者だったが、イラク戦争を批判するなど扱いにくい存在になっていったということもあり、ブッシュ政権は後任に米国に従順な人物を据えるために水面下で動いた。つまり大人しい人物を選びたかったのだ。それに加えて、アジアからの選出する年だったこともある。

●国連事務総長は常任理事国の「奉公人」

 2016年1月に死去した米国の元北朝鮮担当特別代表スティーブン・ボズワースのコメントを見れば、事務総長がどういう扱いで見られているのかが見える。ボズワースに言わせると、国連事務総長は米国をはじめとする常任理事国の「奉公人」に過ぎない。さらに2015年にメディアのインタビューに答えたボズワースは、潘に「指導力を発揮してもらう必要はない」とまで述べている。

 例えば潘は、北朝鮮との対話を目的として2010年に国連関係者2名を北朝鮮に送り込んでいる。その行動についてもボズワースは、「米国は伝統的に国連事務局長の個人的な関与は歓迎していない」と一蹴している。

 国連総長とはそうした役割くらいにしか見られていないのである。もっとも、国連職員5万人の頂点に君臨する国連のトップである潘が、任期中に何か世界を引っ張るようなリーダーシップを見せたり、世界の紛争や歪みについて効果的な言動を起こしたなんていうのは記憶にない。

 また日本では、彼が韓国人ということで彼に批判的な人たちも少なくない。だがそうした感情論を差っ引いても、潘が立派に役割を果たしたかどうかには大きな疑問符が付く。

 事実、過去にはインガブリット・アレニウス前事務次長が潘を批判する50ページの文書を提出して国連を去ったという事例も起きている。また英ガーディアンは、「最近引退した国連高官は潘の最大のハンディキャップは彼が英語を流ちょうに使えないことだと言う。そのために米国やそのほかの地域で支持を勝ち取ることが困難になっている。『私たちは彼に話し方や、メディアトレーニングのレッスンをした』と、この高官は言う。話し方のレッスンは多い時で週に2、3回行い、良くはなったがまだ不十分だ。『私たちはテレビ出演を控えるようアドバイスした。彼は押し付けがましい』」と、バカにした感じで書いている。

 さらに最近でも、中東和平問題で失言したり、モロッコのゲリラを支持する発言をしたり、米議会議員からも「無能」と呼ばれて話題になるなど、相変わらず批判的な声が多い。

●無能の事務総長が生まれたワケ

 だがよくよく考えれば、現事務総長がそんなふうにしか見られていない責任は、そもそもその任命を担う安保理の常任理事国にあると言える。さまざまな思惑の中、“密室”で自分たちに都合のいい事務総長を決めてきたからこそ、無能と言われる事務総長が生まれてしまうのだ。

 事務総長の資格とは、国連の作業言語である英語とフランス語をしゃべれるということくらいだ。第三者的に調査されることもないまま“密室”で選ばれることから、世界73億人に影響力を与えることができる国連の事務総長を選ぶのにこんなやり方でいのか、という批判の声がこれまでも上がっていた。もう安保理のパペット的な事務総長はいらない、ということだ。

 そこで今回から候補者選びの方法が変わった。2015年、国連は事務総長選出方法の活性化を採択し、加盟国に書簡を送って候補者を出すよう求めた。そして2016年4月に国連総会で、候補者の意思を聞く公聴会が史上初めてオープンで行われたのである。

 これは潘時代までの悪しきやり方からの決別であり、史上初の画期的な改革の始まりだと期待する声が上がっている。

 第70回国連総会議長のモーエンス・リュッケトフトは、質疑応答などの取り組みが事務総長の選出方法を改善すると胸を張る。リュッケトフトは、「新しい事務総長の選出と任命のプロセスは本当に透明性と開放性の原理によって導かれている」と語っている。

 そして、常任理事国が最終的な選出に強い立場を維持するのは今も変わらないが、新たに始まった試みによって安保理以外の国連メンバーから候補者が出されることで、その声は、安保理の常任理事国の力を超えるような影響を与えることになる可能性があると述べている。

 皆が候補者を選べるだけでも大きな進歩であり、国連改革におけるひとつのスタートとしては評価できるだろう。そして、そういう中で生まれる新事務総長が、さらなる国連改革を断行するという期待もできる。

●どんな人が次の総長になるのか

 では今回、どんな人が次の総長になりそうなのか。現在、事務総長選には9人が名乗りを上げている。

 女性は4人で、ブルガリア出身で国連教育科学文化機関(ユネスコ)事務局長のイリナ・ボコバ、ニュージーランド出身の元首相で国連開発計画(UNDP)総裁のヘレン・クラーク、クロアチア出身で前第1副首相のベスナ・プシッチ、モルドバ出身で前第1副首相のナタリア・ゲルマン。

 男性は5人で、ポルトガル元首相で前国連難民高等弁務官のアントニオ・グテーレス、モンテネグロ出身のイゴル・ルクシッチ副首相兼外務・欧州統合相、マケドニア出身で元国連総会議長のスルジャン・ケリム、セルビアのブーク・イェレミッチ元外務大臣、スロベニアのダニロ・トゥルク前大統領だ。

 次期事務総長の候補者は今後も増える可能性がある。そして今回は、輪番で東欧出身者が選ばれるとの見方が強い。そういう理由から、現時点の候補者は東欧諸国の人たちが多い。そしてもう1つ、今回は史上初めて女性事務総長が誕生するという期待が高まっている。こうした見方を鑑みれば、現時点では、ブルガリアのボコバ、クロアチアのプシッチ、モルドバのゲルマン、の3人が最有力ということになる。

 ただ一方で、ニュージーランド出身のクラークへの支持が高いとも報じられているし、男性ならポルトガルのグテーレスが有力だとの報道もある。要するに現時点では、予想をするのがまだ時期尚早ということだろう。

 米ニューヨークタイムズ紙は、今回の新しい公聴会スタイルの候補者選びについてこんな指摘をしている。

 「多くの外交官たちが密かに、もし10年前に国連総会で今回のような公聴会が開かれていたら、彼(潘基文)は事務総長になれていただろうかと話している」

 だからこそ、10年前までのやり方はすぐにでも止めるべきなのである。そして皮肉なことに、「選出方法の改革」のきっかけを作ったという事実こそ、潘が残す最大の功績となる可能性がある。

(山田敏弘)