木曜日ぽぽろ大東で建物周辺の清曹オました。前日まで大雨でしたが、すっかりいいお天気になりました。皆さん晴れ女ですね、母親パワーは凄い!
お忙しい中、12人もの方が参加してけださいました。聡恬p具を各自持ってきていただき助かりました。聡怩フ後も用具をそのままカンパしてもらいホントありがとうございました☆
おかげさまで草ボーボーの駐車場がピカピカになりました。なんとゴミ袋20袋ですよ、すご~い☆
お疲れさまでした、そして、ありがとうございました☆ これにこりずまた半年後お願いしますね!
以上 ぽぽろ大東Mさんより
年をとると目覚めが早くなるというが、今朝は少し早すぎる。缶ビール一本だと割と次の朝遅くまで眠れるのだが、昨夜は2本ぐい飲みしたのだから仕方がない。トイレが早すぎた。時計を見ると午前4時。外は真っ暗。
何か興奮したことがあった日の翌日は一旦起きると二度と眠れない。コーヒーがダメなので夜明けの紅茶をすすりながら昨日の一日を振り返ってみる。前しか見ていない生活(性格?)なのだが、たまにはこんな時もある。
支援センターつるみの運営会議。児童デイのサビ管(サービス管理責任者)は常勤が条件なので、つるみの相談支援専門員を兼任できなくなって、はずれることになった。ぽぽろの相談はつるみの相談支援業務の一翼を担っているので運営会議には引き続きでることにした。非常に充実した会議というか、ケース会議にあがった8件の事例はどれも今日の世相や障害者問題を反映した重いケースばかり。支援センターの仕事冥利に尽きると言えばその通りなのだが、管理者のSさんも大変だ。事例をスタッフが共有し、知恵を出し合ったり次の相談に生かしたりするためのケース検討だが、ここで興奮したわけではない。しかし、ぽぽろに帰ってパソコンに向き合って思い出した。さしあたって私が背負っている事例といえば、…そうだAさんからのメールが来ていた。小学校3年生のYくんの「障害受容と障害告知」「周囲(クラス)の障害理解」の問題。返事が書けていない。ごめんなさい。気になることの一つである。
最近は差出人が全く分からないメールが多くなってきた。いきなり「診断できる病院を教えてください」というただその一行だけのメールとか、いきなりボランティアをしたいのでとか、事情が分からないし相手の顔が見えないので切実感も伝わってこないし、少し返事に困ってしまう…そんなメールの中にAさんからの相談メールが埋もれてしまっていました。
東大阪市のお母ちゃんたちとの懇談はどうだったか?例によって熱く「夢」を語ってしまって反省はしている。しかし、眠れなくなるほどの興奮はしていない。丁度、ヤンクラのギター教室をやっていたこともあるが、来られた皆さんのバックには学童保育への熱い思いがあったに違いないが、真ん中に座られたKさんには青年期の課題である専攻科の問題、「学ぶ作業所」づくりの問題の方が大きなインパクトを与えたようだ。別に話をはぐらかしたわけではないが、「こっちの話の方が…」と言って帰られた。「口の多動」(私の)が幸いしたようだ。「あの時に言ったでしょう!東大阪にも作りたいと!約束を果たしてくださいな。」といわれはしないかと冷や冷やしていたが、それを聞いたという皆さんがいらっしゃらなかったのも幸いしたか…。
私はもう身動きがとれなくなってきた。問題は人材だ。先日も東大阪市の保育所を対象とした研修会で話したアトで、中心になられている保育士さんたちとお茶したときに、ぽぽろの活動に関心を示されている退職間近の方に「お手伝いしてください!東大阪市のお母ちゃんたちが待っています。」と名詞を渡したばかりだ。
そのアトに話したのがAさん。いつもながら立ち話が長くなりました。「検査」って何なのでしょうねぇ。「関係性」「場所」「時間」を考慮すればBちゃんの実力とかけ離れたような結果は出ないでしょうね。恐らく、検査者はそれが「実力」だと言われるのでしょうが。ホントに「知的障害」なのか、しかも「中度」?これまでつけられていた診断名はどうなるのか?高機能ではない知的障害を伴う広汎性発達障害?
このアトにとんでいった「ぽぽろ堺会議」ではBちゃんをよく知るスタッフKさんもお母さんの疑問に共感。ただしと私は言った。検査結果も、そしてお母さんがアトで時間をかけてBちゃんから聞き取った回答がほとんど○であったという結果も、Kさんがやった時の検査結果もすべてBちゃんの「実力」かもしれないと。そこに大きく反映されているのはやはり「社会性」の問題。検査結果を踏まえて交付された手帳はそれだけ社会性の面で支援が必要であると受け止めて支援を求めたらいいし、そのことがBちゃんの課題ではないかということを。検査結果はあくまでも参考資料。ヤンクラでもいい、ヤンクラから始めましょう。好きなことを通して参加できる小集団、そしてBちゃんのことを理解するスタッフと皆何らかの生きにくさを抱える仲間たちの支えの中で。Bちゃんの新たな実力、生きた実力が発揮されることを期待しています。
うまくアドバイスできなかったりすると、おもりのようになってしばらく尾を引くのだが、少し気持ちが楽になったといって帰られたので、自分としては眠れくなるほどの重い話ではなかったと思う。
では、堺会議か?やっぱりそうなのか?松原市の400㎡の土地(松原と言っても堺の「北花田」から徒歩15分だから堺市のようなもの)の活用問題だろう。ここに「専攻科」「学ぶ作業所」づくりの夢を託したいという思いが重なってきつつある。堺会議のメンバーはとにかくすごい実力ぞろいの面々(しかも私以外の5人は皆女性)で、私が提案しているのに立場が逆転して押され気味で逆に詰められているような感じ…。簡単に「やろうよ!腹を固めているんでしょう?!」と迫られる。ウーン、プレッシャーだぁ…とブレーキがかかる、その前に口がすでに反応してしまっていた。
これが興奮の原因だ!でも、冷静に視線をヤンボラ、ヤンクラたちに戻そう。いきなり降って沸いた話ではないのだ!一緒に作り上げてきた実践が必要性を十分に証明しているのだ。親の願いでもあるが、何よりも「学ぶ場」づくりは彼らヤングの願いなのだ!そして、ぽぽろをつくったときのねがい(構想)の一つであった。
これって冷静といえるのかどうか分からない(いつものパターンだ)が、退職まであと2年余、もうひとふんばりしようか…。スタッフの皆さん、もうひとふんばりしますか?(「あほか!あんたはまだ若いんじゃ!」というあの人の声が聞こえてくる。)
ホントはもう一つ、ずっーとずっと気になっていることがある。退職直前まで直接関わってきた医療的ケアの問題である。今は少し遠のいている。ぽぽろスタッフのMさんにまかせっきりになっている。肢体障害の子どもたちの放課後支援=児童デイの分野で考えていきたい。理事をしている別の法人の会議に正式に提起してみた。法人の事業エリアである北摂の中に是非作りたいと思っている。
外を見るともうすっかり明るくなっている。朝がやってきた。
お忙しい中、12人もの方が参加してけださいました。聡恬p具を各自持ってきていただき助かりました。聡怩フ後も用具をそのままカンパしてもらいホントありがとうございました☆
おかげさまで草ボーボーの駐車場がピカピカになりました。なんとゴミ袋20袋ですよ、すご~い☆
お疲れさまでした、そして、ありがとうございました☆ これにこりずまた半年後お願いしますね!
以上 ぽぽろ大東Mさんより
年をとると目覚めが早くなるというが、今朝は少し早すぎる。缶ビール一本だと割と次の朝遅くまで眠れるのだが、昨夜は2本ぐい飲みしたのだから仕方がない。トイレが早すぎた。時計を見ると午前4時。外は真っ暗。
何か興奮したことがあった日の翌日は一旦起きると二度と眠れない。コーヒーがダメなので夜明けの紅茶をすすりながら昨日の一日を振り返ってみる。前しか見ていない生活(性格?)なのだが、たまにはこんな時もある。
支援センターつるみの運営会議。児童デイのサビ管(サービス管理責任者)は常勤が条件なので、つるみの相談支援専門員を兼任できなくなって、はずれることになった。ぽぽろの相談はつるみの相談支援業務の一翼を担っているので運営会議には引き続きでることにした。非常に充実した会議というか、ケース会議にあがった8件の事例はどれも今日の世相や障害者問題を反映した重いケースばかり。支援センターの仕事冥利に尽きると言えばその通りなのだが、管理者のSさんも大変だ。事例をスタッフが共有し、知恵を出し合ったり次の相談に生かしたりするためのケース検討だが、ここで興奮したわけではない。しかし、ぽぽろに帰ってパソコンに向き合って思い出した。さしあたって私が背負っている事例といえば、…そうだAさんからのメールが来ていた。小学校3年生のYくんの「障害受容と障害告知」「周囲(クラス)の障害理解」の問題。返事が書けていない。ごめんなさい。気になることの一つである。
最近は差出人が全く分からないメールが多くなってきた。いきなり「診断できる病院を教えてください」というただその一行だけのメールとか、いきなりボランティアをしたいのでとか、事情が分からないし相手の顔が見えないので切実感も伝わってこないし、少し返事に困ってしまう…そんなメールの中にAさんからの相談メールが埋もれてしまっていました。
東大阪市のお母ちゃんたちとの懇談はどうだったか?例によって熱く「夢」を語ってしまって反省はしている。しかし、眠れなくなるほどの興奮はしていない。丁度、ヤンクラのギター教室をやっていたこともあるが、来られた皆さんのバックには学童保育への熱い思いがあったに違いないが、真ん中に座られたKさんには青年期の課題である専攻科の問題、「学ぶ作業所」づくりの問題の方が大きなインパクトを与えたようだ。別に話をはぐらかしたわけではないが、「こっちの話の方が…」と言って帰られた。「口の多動」(私の)が幸いしたようだ。「あの時に言ったでしょう!東大阪にも作りたいと!約束を果たしてくださいな。」といわれはしないかと冷や冷やしていたが、それを聞いたという皆さんがいらっしゃらなかったのも幸いしたか…。
私はもう身動きがとれなくなってきた。問題は人材だ。先日も東大阪市の保育所を対象とした研修会で話したアトで、中心になられている保育士さんたちとお茶したときに、ぽぽろの活動に関心を示されている退職間近の方に「お手伝いしてください!東大阪市のお母ちゃんたちが待っています。」と名詞を渡したばかりだ。
そのアトに話したのがAさん。いつもながら立ち話が長くなりました。「検査」って何なのでしょうねぇ。「関係性」「場所」「時間」を考慮すればBちゃんの実力とかけ離れたような結果は出ないでしょうね。恐らく、検査者はそれが「実力」だと言われるのでしょうが。ホントに「知的障害」なのか、しかも「中度」?これまでつけられていた診断名はどうなるのか?高機能ではない知的障害を伴う広汎性発達障害?
このアトにとんでいった「ぽぽろ堺会議」ではBちゃんをよく知るスタッフKさんもお母さんの疑問に共感。ただしと私は言った。検査結果も、そしてお母さんがアトで時間をかけてBちゃんから聞き取った回答がほとんど○であったという結果も、Kさんがやった時の検査結果もすべてBちゃんの「実力」かもしれないと。そこに大きく反映されているのはやはり「社会性」の問題。検査結果を踏まえて交付された手帳はそれだけ社会性の面で支援が必要であると受け止めて支援を求めたらいいし、そのことがBちゃんの課題ではないかということを。検査結果はあくまでも参考資料。ヤンクラでもいい、ヤンクラから始めましょう。好きなことを通して参加できる小集団、そしてBちゃんのことを理解するスタッフと皆何らかの生きにくさを抱える仲間たちの支えの中で。Bちゃんの新たな実力、生きた実力が発揮されることを期待しています。
うまくアドバイスできなかったりすると、おもりのようになってしばらく尾を引くのだが、少し気持ちが楽になったといって帰られたので、自分としては眠れくなるほどの重い話ではなかったと思う。
では、堺会議か?やっぱりそうなのか?松原市の400㎡の土地(松原と言っても堺の「北花田」から徒歩15分だから堺市のようなもの)の活用問題だろう。ここに「専攻科」「学ぶ作業所」づくりの夢を託したいという思いが重なってきつつある。堺会議のメンバーはとにかくすごい実力ぞろいの面々(しかも私以外の5人は皆女性)で、私が提案しているのに立場が逆転して押され気味で逆に詰められているような感じ…。簡単に「やろうよ!腹を固めているんでしょう?!」と迫られる。ウーン、プレッシャーだぁ…とブレーキがかかる、その前に口がすでに反応してしまっていた。
これが興奮の原因だ!でも、冷静に視線をヤンボラ、ヤンクラたちに戻そう。いきなり降って沸いた話ではないのだ!一緒に作り上げてきた実践が必要性を十分に証明しているのだ。親の願いでもあるが、何よりも「学ぶ場」づくりは彼らヤングの願いなのだ!そして、ぽぽろをつくったときのねがい(構想)の一つであった。
これって冷静といえるのかどうか分からない(いつものパターンだ)が、退職まであと2年余、もうひとふんばりしようか…。スタッフの皆さん、もうひとふんばりしますか?(「あほか!あんたはまだ若いんじゃ!」というあの人の声が聞こえてくる。)
ホントはもう一つ、ずっーとずっと気になっていることがある。退職直前まで直接関わってきた医療的ケアの問題である。今は少し遠のいている。ぽぽろスタッフのMさんにまかせっきりになっている。肢体障害の子どもたちの放課後支援=児童デイの分野で考えていきたい。理事をしている別の法人の会議に正式に提起してみた。法人の事業エリアである北摂の中に是非作りたいと思っている。
外を見るともうすっかり明るくなっている。朝がやってきた。