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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

NHK放送博物館で8Kを見た

2016年08月23日 | 博物館など
港区愛宕山のNHK放送博物館には5年前に一度訪れたことがある(そのときの記事はこちら)。今回はリオ・オリンピック記念で8Kの試験放送をやっていると聞き、ためしにそれを見るのがおもな目的だった。

2階の8Kシアターの部屋に入ると、そこには4.4mと2.5m(200インチ)の大きなスクリーンがあり、22.2チャンネルの大音響が響いているので、まるで映画館に入ったようだった。しかしこれだけ画面が大きいと、ハイビジョンの16倍の画素数の高精細といわれてもよくわからない。比較するとすれば映画のスクリーンなのだがどちらがどちらともいえない。行ったときには男子サッカー決勝・ブラジル対ドイツの録画を放映していた。選手の顔のアップはたしかに高精細だが、しかし映画の画像と比べてどうかというとわからない。ロングの俯瞰の全景は現在のテレビ映像でもあまり変わらないように思えた。それより22.2チャンネルのスピーカーは、たとえばボールをキックしたときの低い打音や観客の歓声や拍手、ブーイングの音が前後左右、天井から聞こえてきてたしかに臨場感があった。しかし映画館では床からの超重低音や振動もあるので、どちらが上かはよくわからなかった。
じつはもう1回、激しい夕立が降った日にも行って陸上競技を見た。雷の影響でときどき画像が飛んだり、消えたりした。放送センターからの電波は東京スカイツリーで中継され全国に届く。そのため天候不順が影響するとの説明だった。さらに地球の裏側のリオから日本に送信するときにいったん圧縮しているので、画像が劣化するという問題もあるらしい。なにしろ8月1日から試験放送を始めたばかりなので、スタッフの方にとっても試行錯誤の毎日のようだった。
3階ヒストリーゾーンの「デジタル時代の放送」のラストが8Kだった。昭和30年代のような巨大なカメラ(プロトタイプ1号機)が展示されていたが、80キロもあるので三脚も半端ではなかった。とても機動的に移動できそうもない。そばのテレビには「ねぶた」の映像が映し出されていた。これなら高精細が実感できる。とはいうものの普通のテレビがハイビジョンに進化したときにはたしかに高精細だと感動したが、その後の4Kや8Kは技術的にはすごいことなのだろうが、一視聴者としてはあまり必要性を感じない。
そんなところがわたくしの8K初体験の感想である。

しかし、その他の展示で見ごたえのあるものがいくつもあった。5年前の展示の印象は、機材や設備・技術の歴史中心だったように思う。それが今年1月に大きくリニューアルしたそうで、客(視聴者)の関心や視点中心に変わっていた。なお4階の番組公開ライブラリーは変わらない。
5年前は、たしか原則撮影自由だったと思うが、いまは原則禁止でたまに撮影可能なスポットがあるだけなので非常に紹介しにくいが、印象に残ったことをメモする。
2階はテーマ展示ゾーンで、ドラマ、オリンピック、音楽、こども番組の4つのテーマから構成される。それぞれ思い出深い番組があった。

2008年の大河ドラマ「篤姫」。主演は宮﨑あおい、宮崎の衣装を着て自分の映像にすることができる。
「テレビドラマの世界」に「ドラマ年表」があった。NHKでは「追跡」(1955)「事件記者」(1958-66)などが初期のドラマである。「中学生日記と少年ドラマシリーズ」というコーナーがあった。中学生日記は1972-2012年の長寿番組で、前身の中学生次郎(1962)、中学生時代(63-66)などから数えれば50年、もうなくなっていたとは思わなかった。「翔べない青春」(1979.6.24)のシナリオと竹下景子のスチールが3枚(1969-70)アルバムにあった(その他、森本レオ(67-68)、中野良子(68)、田山涼成(68)などの昔の姿もあった)。
ドラマ人間模様(1976-88)は事件(1978-84)、「阿修羅のごとく」(1979)、「あ・うん」(1980、81)、「花へんろ・風の昭和日記」(1985-88)、「シャツの店」(1986)など忘れられないドラマが多い。
オリンピックのコーナーでは、東京大会の女子バレーのほか、メキシコのサッカー、ミュンヘンの男子バレー、などなつかしいメダル獲得のシーンが映し出されていた。
「こども番組がいっぱい」のコーナーでは、もう「ひょっこりひょうたん島」の時代ではなくなっていた。じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろりの「にこにこ、ぷん」(1982-92)がクローズアップされていたが、隅に、以前より数は少なくなったものの「ひょうたん島」の人形もあった。
「NHKと音楽」のコーナーでは、松田聖子、郷ひろみ、森昌子、野口五郎、などの紅白の画像が流れていた。
放送文化賞の部屋に、藤山一郎のアップライトピアノが、今年亡くなった富田勲のアナログシンセサイザーMOOG3(時計数字の3)」の隣に展示されていた。5年前は、遺族から寄贈された「藤山一郎作曲ルーム」が展示されていたが、今回はピアノだけあった。

ヒストリーゾーンの「わが家にテレビがやってきた」
3階はヒストリーゾーンで、ラジオ放送開始の1920年から1989年以降の「多チャンネル時代の到来」まで、当時の人気番組、世相、機材などが8つの時代区分で紹介されていた。
1926年の元旦には、金属の輪の上に止まらせられた鶏の前にマイクがあった。当時は生番組だったはずだが、うまく鳴かせて「鶏の鳴き声」を放送できたのだろうか。
テレビの街頭テレビのコーナーがあった。そういうものがあったことは知っているが、ここには1954年2月21日の新橋西口広場での「木村政彦・力道山対シャープ兄弟」のプロレスを2万人もの大観衆がみている情景を再現していた。
プロレス中継というと日本テレビだと思っていたが、NHKで中継していたとは意外だった。考えてみると野球、相撲といったプロスポーツを放送しているのだから、国民に人気のプロレスを中継しても不思議ではない。

3階の企画展示室では「NHKアナウンサーヒストリー」をやっていた(6月14日-9月25日)。もちろん松内則三、和田信賢、志村正順などいまでは伝説となった人から、高橋圭三、宮田輝、山川静夫、鈴木健二などを経て、加賀美幸子、山根基世まで顔写真と解説があった。加賀美さんといえば「ラジオ深夜便」だが、84年ごろは「7時のニュース」、90年には「くらしの1分メモ」という生活番組を担当していたことは知らなかった。
後藤美代子というアナウンサーがいてクラシック番組をよく担当されていた。1963年の「イタリア歌劇団公演」のテープが流れていたがなつかしかった。
そのうち有働由美子小野文惠などの顔写真もここに並ぶのだろう。

5年前にも書いたが、テレビ・ラジオの番組は自分の生活の歴史や記憶としっかり結びついている。たとえば朝ドラの「旅路(1967)にははる子(久我美子)、千枝(長山藍子)が登場したが、中学3年のときのクラスの同じ班でたまたま同名の生徒がいて話題にした。ミュンヘンオリンピックの田口や青木の優勝はちょうど榛名に合宿に行っていて朝食のときに知らされた、とか、「おはようさん(75年下期の朝ドラ)は就職や卒論の時期に放送していた、とか。もっと最近の話では「梅ちゃん先生(2012年上期の朝ドラ)をみて蒲田探索に行ったこと、など。2階の「テレビドラマの世界」に、オープニングの町のジオラマ(現物を展示)といま話題のSMAPのテーマソング「さかさまの空」が流れていた。

これは珍しい、ブーフーウーのミニチュア。ハンドルまでそろっている。
だから放送博物館の展示をみて、突然記憶がよみがえることが何度もあった。
そういうことを考えると、籾井会長のもと、すっかりアベチャンネルになってしまったNHKをみて育つ世代の将来が恐ろしい。NHKの責任ではないが、あの出たがりの安倍晋三(注 育鵬社の公民教科書には安倍首相の写真が15枚出てくる。14pに1点という多さである)は「マリオ」の扮装をしてリオの閉会式に参加しテレビ中継されていた。
もうひとつ問題点を挙げると、NHKは近年あまりにも番組宣伝の放送が多すぎて目にあまる。先週の視聴率ベスト10は(オリンピック期間ということもあるが)すべてNHKの番組だった。ここまでくると一種の「官業の民業圧迫」ではないか。

住所:東京都港区愛宕2-1-1
電話:03-5400-6900
休館日:月曜日、年末年始
開館時間 9時30分~16時30分
入館料:無料
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