今年も国展が六本木の国立新美術館で開催され、連休に見に行った。
まず毎年楽しみにしている3階の工芸の会場の織の作品からながめ始めた。
今年の一押しは杉浦晶子「ざ・わ・わ」だった。さとうきび畑の風が吹きよせてくるような、風の音が聞こえてくるような作品だった。なんだか着物が一回り大きく見えた。
杉浦晶子「ざ・わ・わ」
ベテランの祝嶺恭子「茜緯浮花織着物」は紅蓮の朱色、ルバース・ミヤヒラ吟子「藍地首里花織着物「波音Ⅱ」」は濃い藍地にメガネのような菱形のパターンが沈んでいて、裾に大柄な黄とオレンジの花織が織り込んである。2人とも強い色で印象が強い。
国画賞の河野香奈恵(会友)「夕暮れのしくみ」も藍地だった。
祝嶺恭子「茜緯浮花織着物」
わたくしが好きな緑、ブルー、白の色の作品では、山下健「吉野格子帯地」、和宇慶むつみ「花織着物「光風」」、浅倉広美「菜の花や。」などが展示されていた。小島秀子「水の花 帯地経緯絣・模紗織」は格子縞の上に緑の水玉がぼんやりゆらゆら水中で揺れているような絵柄だった。
笠原博司「茜染熨斗目文綾織振袖「あまつおとめ」」は、あずき色の上品で落ち着いた色だった。
長嶺亨子「もりのあや 帯地」は白地に緑の縦じま(帯で締めたときは横じま)に淡いオレンジの二重の四角を組み合わせたパターン模様の作品で、やさしい印象、そしてなぜかなつかしさを感じた。
岩渕加奈子 「火を点す Akaleidscope」
岩渕加奈子 「火を点す Akaleidscope」(初入選)はパステルカラーの青、黄、赤、こげ茶、白の四角パターンでにぎやかだが、ふわっとした感じで好ましい。
新垣修「美ら海花器」
陶芸の新垣修「美ら海花器」は魚のデザインのみならずそろばんの珠型の形状も面白かった。
木工・漆で、藤井慎介「ジャケットフック」は変った形のイスだと思ったら、背もたれがジャケットを架けるフックになっていた。
ガラスでは、岡林タカオ「双角線巻花瓶」はガラスのブルーがとても美しかった。
会員と準会員があることは知っていたが、会友とは何かわからなかったのでスタッフの人に聞いてみた。入選を連続5回、または累計10回で会友になれる。会友のなかで審査により準会員になれる人がいる。また準会員のなかから審査により会員になれる人がいる。それぞれ新会員、新準会員という表示がある。ただ会友になると国画会の仕事もあるので、遠方の人などでならない人もいるとのことだった。また一般で初入選した人は初入選の表示がある。その他、一般と会友のなかから奨励賞、会友から会友賞、準会員から準会員優作賞が選ばれる。そうすると40歳くらいにならないと会員になれないのではないかと思ったが、たとえば国画賞を何度も取ったりすれば若くして会員になる人がいるそうだ。
佐々木豊「車が沈んだ」
絵画では、不思議な絵に興味がそそられた。
佐々木豊「車が沈んだ」は海底 海中に裸の女性が沈んでいき、バックに落下する車の影がみえる。この車から放り出されたのだろうか。たしかに右下に髑髏もころがっている。それなら交通事故の絵なのだが、なぜか海中には逆さクラゲや赤の鯉のぼりが2流、青いエイ、象などもみえるのでみればみるほど変な絵なのだ。
肥沼守「希望の船」は、ノアの方舟のような舟に人間と、ライオン、キリン、象が乗り込み、海にはいかにも楽しそうな魚が跳ね回り、陸地では無表情な巨人や首だけの人間がうろついている。
柏健「現出へ向かって」は裸の男性が走ったり跳んだり、体操の床運動または飛び込みをしたりしている。東京オリンピックがらみなのかもしれない。
絵画でも何人か名前を覚えた人がいる。たくましい少女を描く上條喜美子「咲いた!」、人の顔の集合 瀬川明甫「人の森」は例年と同じ画風で、むしろほっとする。瀬川さんは今年は年寄が少なく若い女性が多かった。画面の27人中15人もいる(若いかどうかは、主観的判断にすぎないが)。
全体に明るい絵が多かった。景気が上向き、東京ではオリンピック前の建築ラッシュや再開発が続いているからだろうか。
一方、美術館の外の世の中では共謀罪が市民と野党の必死の抵抗にもかかわらず成立しかかっている。
治安維持法が成立した1925(大正14)年や、国体変革には死刑・無期、「結社の目的遂行の為の行為」が追加される治安維持法改正の1928(昭和3)年のころの世情は2017年のようなムードだったのだろうか。コンストルクチオンや少女エルスベットの像で有名なマヴォの村山知義は1925年にはまだ三科展でポスターを描いたり、ベートーヴェンのメヌエットを踊ったりしていたが、28年には東京左翼劇場を結成して「進水式」の演出や舞台装置を担当し、その2年後の30年に治安維持法違反で6か月拘留された。
杉山千夏 「追憶――10の私へ 」
杉山千夏 「追憶――10の私へ 」(新人賞)はタイトルが歌だとして歌詞をそのまま彫刻にする、あるいはアニメ映画の一場面を彫刻にするとこんな感じかという作品だった。
なぜか男女問わずヌード像が多かった。
関谷光生さんが4月に亡くなられたことを知った。関屋さんは1947年生まれ、東京芸大卒業、遺作「仁の人」が展示されていた。わたくしが国展をみるようになり10年ほどになるが、きっかけは関谷さんの義兄からチケットをいただいたことだった。義兄の方のホームパーティで、子どものころ関谷さんと自宅が近かったのでということで小川敏夫さんを紹介していただいたこともあった。その方も亡くなって4年になる。それにしても享年69は若い。昨年は不出品だったので少し案じていたのだが・・・。
アルフォンス・ミュシャ「スラブ叙事詩」より「イヴァンチツェの兄弟学校」
国展と同時期に国立新美術館では国立新美術館開館10周年で「草間彌生 わが永遠の魂」とミュシャ展を開催中だった。このうちミュシャ展をみた。アルフォンス・ミュシャ(1860-1939 チェコ語ではムハ)はパリでサラ・ベルナールのポスターをつくり名声を博したアール・ヌーヴォーの芸術家である。50歳で故郷に帰りプラハ近郊のズビロフ城で「スラヴ叙事詩」を描いた。この展覧会には20点のスラブ叙事詩の全作品、そしてパリ時代の作品を加え100点もの作品が展示されていた。スラブ叙事詩は3世紀から20世紀のスラブ民族の戦乱の歴史を描いた6×8mとか4×4.8mあるいは4×6mの大きな作品群だった。ただわたくしはパリ時代の「四芸術」(1898)や「黄道12宮」(1896)のほうが完成度が高く好きだった。
さて巨大な絵というと、徳島県鳴門の大塚国際美術館で多くの作品をみた。
システィナ礼拝堂の壁画は主祭壇の「最後の審判」だけでも14×13m、天井には40×13mの広大な空間に「創世記」が描かれている。
モネの大睡蓮は12mもあり、皇帝ナポレオン1世夫妻の戴冠(ダヴィッド)の10×6mなど大作が次から次へと並んでいた。
といってもここには本物は1点もない、すべて紙への印刷と同じようにカメラ撮りしてスキャナで色分解していったん紙に印刷し陶板に転写・焼き付けしたものだ。つまり精巧な画集を原寸大に拡大したようなものなのだ。なぜ紙でないかというとおそらく紙やインクは劣化するので耐久性の問題だろう。オリジナルでないと感動しないという考えはもちろんあるだろう。これはなかなか難しい。版画やポスターや映画のような複製芸術を認めるかどうかという問題に関連する。
大塚では、たとえばエル・グレコの祭壇衝立復元の原画は6点から成り、5点はマドリードのプラド美術館にあるが1点だけはルーマニア国立美術館にあるため、大塚でしか制作されたときの姿を見られないとか、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」はミラノでは修復後のものしか見られないが、ここなら修復前・後の2点ともあるので、比較対照することができる、という利点を説明していた。
またシスティナ礼拝堂のミケランジェロの壁画・天井画はよそにもっていくことはできない。少なくとも美術全集を実物大の大きさで見られるのはすごいと思った。
この美術館は1074点もの作品を収蔵している。とくに古代ローマ、中世、ルネサンスが充実していて、はじめて知った作品が多かった。逆に日本人に人気の印象派以降の近現代の作品が手薄だったが、これは著作権の関係などあるのかとも思った。なぜか日本のものは1点もなかった。
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