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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

保坂展人が語る死刑制度

2008年06月24日 | 集会案内
6月19日夜、死刑廃止を推進する議員連盟(死刑廃止議連)事務局長を務める保坂展人衆議院議員「日本と死刑」という話を阿佐ヶ谷市民講座で聞いた。保坂議員が死刑廃止問題にかかわり始めたのは、1997年8月1日「無知の涙」で有名になった永山則夫の処刑がきっかけとのことだ。そのときは現・広島市長の秋葉忠利議員らと抗議声明を送った。その後死刑廃止議連に参加し、法務大臣が就任するたびに「死刑はすべきでない」と話しにいき、死刑執行があるたびに抗議声明を十年以上出し続けている。

2007年8月に就任した鳩山邦夫法務大臣は12月7日3人の死刑執行命令を下した。これを皮切りに、2か月ごとに執行を繰り返し、6月17日の4回目で合計13人となった。早くもこれまでの最高記録である長勢甚遠・前法相の10人を上回った。
死刑廃止議連は執行当日の17日に抗議の記者会見を開き、多くのメディアが報道した。ところが、テレビ局には「鳩山がんばれ」というメールが殺到し、一方、死刑廃止議連の会見映像は「流さないでほしい」とのメールまで届いたという。格差社会で日常の閉塞感をふっとばしてくれた鳩山大臣を「われらのヒーロー」と讃え、死刑執行に快感を感じる社会になった。イランの公開処刑は国際的に非難を浴びているが、死刑で「愉悦」を感じるという点で、日本も地続きの時代に入った。
死刑執行の前提に死刑判決がある。10年前には死刑確定は7人だった。それが2007年には23人に急増している。死刑は必要だとしても最低限に減らすというのがかつての法務省の考えだったのに、この歯止めが効かなくなった。司法の厳罰化、ゆらぎの反映である。
こうした司法の厳罰化の流れに加え、マスコミも「死刑は当然」という論調をとるようになった。この10年で死刑やこうした風潮はまずいという若手記者はいなくなったように感じる。その結果死刑執行のペースは早まり、昨年9人だったのが、今年はおそらく20人台、来年裁判員制度が始まると30人台になるのではないか。30人と言うと毎月死刑執行をするペースになる。新聞報道もベタ記事扱いの日常的なものとなり、それこそ鳩山大臣がねらっている状況なのではないだろうか。

2007年12月国連総会で「死刑執行停止決議」が、日本などの反対をよそに賛成多数で採択された。死刑を廃止した国はイギリス、フランス、ドイツなどヨーロッパを中心に、カナダ、オーストラリア、フィリピンなどに広がり、いまも死刑を執行する国は少数派になっている。7月にG8サミットが日本で開催されるが、参加国のなかで死刑執行国は日本とアメリカだけだ。日本が国際潮流に背を向けてよいはずがない。しかも日本は2006年3月改組発足した国連人権理事会の理事国であり、今年5月に再選されたというのにである。
じつは日本はかつて世界最古の死刑廃止国だった事実がある。平安時代の810年9月11日に藤原仲成が死刑になってから1156年保元の乱で源為義が死刑になるまで300年以上死刑執行はなかった。死刑という刑が存在しても遠方への島流しだった。このトピックをブログに掲載すると大きな反響を生んだ。貴族や武士など階級が上のケースだけではないかとの異論があったので調べてみると、どうやら庶民への死刑もないようだ。

死刑の根拠として、国民が賛成しているという論がある。2004年の総理府世論調査で「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた人が81.4%というのがその根拠だ。ただしその設問は「死刑制度に関して、『どんな場合でも死刑は廃止すべきである』、『場合によっては死刑もやむを得ない』という意見があるが、どちらの意見に賛成か」というもので、質問の仕方に少し問題がある。
読売新聞の世論調査では2006年の調査で死刑存置は56.9%だった。ただ93年には31.5%、98年に49.0%であったことを考えるとやはり増えている。
死刑は犯罪の抑止になるという論がある。しかし大阪・池田小学校事件の犯人のように「死刑になりたいので大量殺人を実行した」と死刑が大量殺人の原因になるという、想定外の事件が実際に起こっている。

死刑廃止法案は50年以上前の1956年、参議院議員だった羽仁五郎らが提案した。これは、死刑囚の日常生活の世話をし人間的交流も生じる刑務官の「わたしたちは矯正のために働いている。民主主義の時代に変わったのだから死刑は廃止するしかない。なんとしても廃止を」という悲痛な声から生まれた。その後50年間なにも進展しなかった。ただし90-92年の3年間は死刑は執行されず日本もモラトリアムの時代に入ったかと言われた。それを「法務大臣の職責だ」といって再開したのが93年12月に就任した後藤田正晴法相だった。
2003年に死刑廃止議連が中心になり死刑廃止法案提出を目指した。これは、仮釈放のない終身刑を導入する一方、死刑制度の存廃について論じる「死刑制度調査会」を国会内に設置し、調査会で結論が出るまでは死刑の執行を停止する、というモラトリアム法だった。しかし自民党が結論を出さなかった。
2009年5月裁判員制度がスタートする。裁判員制度に関する2007年2月の総理府世論調査で「あまり参加したくないが,義務であるなら参加せざるをえない」と「義務であっても参加したくない」と答えた人を足すと約8割になる。
裁判員になりたくないと感じる8割の人の「いやだな」の正体はなんだろう。たんにクジに当たって裁判員に選ばれただけなのに死刑判決を下す現場に立ち会わざるをえなくなくなる。それで、はじめて死刑をわが身のこととして考えるようになったのではないだろうか。
いままでは死刑の存置か廃止かという線引きをした。しかし廃止は圧倒的に少数だった。わたしは羽仁案が一番よいと思うが、裁判員制度導入がまぢかに迫っているので線引きを変えてみた。
現在の案では、たった3日程度で罪責認定(有罪か無罪か)だけでなく量刑まで決め、意見が分かれたとき5対4でも死刑にできる。裁判そのもののベルトコンベア化が進みそうだ。また死刑と無期懲役の落差はあまりにも大きい。
そこで、死刑判決を出すときは、せめて全員一致、かつ重無期刑(仮釈放のない終身刑)を創設する法案を出すことにした。死刑判決を量産できない仕組みをねらったものである。
なお重無期刑について、法務省は死刑より残酷だという。たしかにドイツでも死刑廃止前に同様の刑があったが廃止された。しかしこれは死刑廃止の出発点と位置づけたい。
今後、国会で論戦を繰り広げたい。

☆講演後の質疑応答で「国家が行う殺人は死刑と戦争だ」「死刑には誤判の場合に救済措置がないこと、近代刑法は応報刑でなく教育刑であることなど、刑の原点に戻った啓蒙活動が必要だ」「アフリカでは、法廷に出廷される前にその場で射殺するケースがあり、それが問題になっている」など、本質的な話や興味深い話が多く聞かれた。
☆この日の会場は青梅街道に近い劇団展望だった。一見ごくふつうの古い民家の庭先を入り、玄関を開けると、広い板の間のけいこ場があった。天井にはなぜか東京芸術座の照明が設置されていた。
夜の阿佐ヶ谷駅南口をはじめて歩いた。パールセンターという大きなアーケードのあった。高円寺方向の高架下にはゴールド街、駅ビルのダイヤ街と宝石の名を冠した商店街もある。駅前の路地を入ると、一番街という飲食店街が現れた。駅北口には何軒か有名な居酒屋があるが、南口も探せばいい店がありそうな気配がした。西側には川端商店街やいちょう小路という飲み屋街があるらしい。


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