多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

東京ノート――会話を包む「感情」の空気と社会関係

2020年03月01日 | 観劇など
吉祥寺シアターで青年団の「東京ノート」(作・演出:平田オリザ)を観た。
舞台の上には3人掛けの木製長椅子が4つ、バックには2階に上がるゆるやかなスロープとみやげもの売場の展示場がある。フェルメールの絵画がモチーフになっているので「真珠の耳飾りの少女」のさまざまなサイズのレプリカ、ダリのような絵、写真の作品集などが並んでいる(わたしにはみやげもの売場に見えたが、シナリオによれば参考図書やパンフを並べたマガジンラックなのかもしれない)。天井からは白と青の花弁をかたどったモビールが何本か垂れ下がりかすかに揺れている。
場所は、民間の小規模美術館の休憩スペースのような所、時代背景としてヨーロッパで戦争が起こり、避難のため作品が日本にもたくさん届いている。この美術館にはフェルメールの作品が何点も届き、展示中だ。戦争には日本からも平和維持軍が派遣され、文民警察で「戦死」した若者や国際ボランティアに行く学生もいる。初演は1994年で時間は10年後の2004年という近未来に設定されていた。しかし2004年はずっと前に通過したので、今回は14年後の2034年という設定にな
っている。
登場人物は、秋山家の5兄弟と長男、次男の妻、合計7人、7人の目下の課題は田舎で年老いた両親の(今後の)介護のようだ。そして亡父のコレクションを寄贈しようとする女性と代理人の弁護士、学生時代の友人、購入する側の美術館学芸員の女性担当の4人のグループとフェルメールの時代を専門にする男性学芸員、絵を見に来たカップルが3組、女子大生2人組の合計20人、平田の芝居では多人数のほうだと思う。
なお、なかにはかつての家庭教師と教え子とか、反戦運動グループの先輩・後輩など、数年ぶりにこの美術館で再会する人もいた。

この芝居の初演は1994年5月駒場アゴラ劇場、作者・平田オリザは第39回岸田国士戯曲賞を鴻上尚史「スナフキンの手紙」と同時に受賞したので、いわば平田の出世作だ。わたくしは98年3月の再演を下北沢のザ・スズナリで観ているが、美術館のロビーでの静かな会話劇というくらいしか覚えていない。それで今回観るにあたり、図書館で「平田オリザ戯曲集1(晩声社 1995.5)を借り出して事前に読んだ。
26年後の今回の舞台は、このシナリオからところどころ細かい部分で変更・改変されていた。

観劇後の感想をいくつか記す。
この芝居のなかで長女・由美のフェルメールが使った「カメラ・オブスクーラ」に関する質問に学芸員・串本が答えるセリフのなかに「絵っていうのは結局三次元のものを二次元に切りとってるわけでしょう」というセリフが出てくる(48p 以下、セリフは劇場で販売されていた2020年公演上演台本のページ数)。このアナロジーだが、シナリオが二次元だとすると舞台の演技は三次元である。平田の演劇は、何気ない日常会話の連続のように思えるが、この芝居では会話を包む濃密な感情の「空気」を目に見せてくれている。たとえば次男の妻・好恵が「(好きな絵をみて)よだれ垂れそうでしたよ」(p3)と由美にいったのに対し「好恵さんって、ヒエックションってくしゃみすんのね」(p6)と、小さなイヤミでやり返す。
平和維持軍(PKO)に義務感から参加する斎藤に、たまたま近くに座っていた元・反戦団体メンバーの橋爪が「戦争はんたーい」と(少し大きな)独り言をいう。斎藤は「僕のことですか? だって、しょうがないじゃないですか」と気色ばむ(p20)
また学芸員・串本の「それで、小野さんはいくら貰うんですか? うちの館長から」に対し、売却側の代理人弁護士・小野は「失礼じゃないですか、そういうの。あの、弁護士相手に、あんまり不用意な発言はなさらない方がいいと思いますけど」と内心、怒りをこめて返事する(p54)
次男の妻・好恵は、長女・由美に悲しみを湛えつつ「ほかに好きな女の人がいるって言って」「泣きたいのはこっちの方ですよ」と心中を訴える(p37)
女子大生・脇田は高校時代の元家庭教師・木下に片思いだったようで、「あの後、子どもができた」とウソを言ったり「先生が、女の人の気持ちがちょっと判るようになったのと一緒ですよ」と軽口をたたいたり、「アカシアの木って、本当に覚えてないんですか?」(p60-61)と愛情をこめて問いかける。
会話の基盤には喜怒哀楽の「感情」がある。それを丹念に描き出していた。さらに感情が発生する背景には社会関係(人間関係)がある。高校生のころ家庭教師をやってもらっていた大学院生、同じ反戦運動グループにいた先輩後輩、姉と義妹、購入側学芸員と寄贈者側代理弁護士、見学者と学芸員といった関係である。
会話がないシーンでも、観客に十分に意味を伝える表現もあった。
たとえば、家族で冗談を言い合い、由美が「ギャハハ」と大笑いしたときに、学芸員・串本が舞台の後ろを通り過ぎる際、チラッとにらむ。セリフはなく通り過ぎるだけだが、もちろん意味は観客に伝わった。
また弁護士・小野が「手帳を出して何やらメモをとりはじめる」とある(p55)。たぶん学芸員・串本の発言を忘れないうちに正確にメモしているのだろう(少し後の58pに「さっきのあれって、人間は判らないってことですか?」と弁護士が学芸員に問いかけるシーンがある)。わたしはシナリオを読むのが好きなほうだが、シナリオだけではわからない「無言の演技(しぐさ)」の重要性、演出による表現がはっきりわかった。
岸田戯曲賞の選評で井上ひさしは「一見、演劇的なものをすべて排除しているかのようだが、しかし、よく見るとそうではなく、「世界の在りようを力強く示す」、そして「人間の心の在りようを正確、かつ細やかに示す」という演劇の勘どころをしっかりと押さえてもいるのだ」と述べたが、感情、社会関係、しぐさによる表現など、まさにそういうことだ。

シナリオを見比べて、25年の時間差による違いに気づいた。わかりやすいところでいうと当時は美術館のロビーにも灰皿があった。いまのシナリオには、何か所が出てきた灰皿や喫煙シーンをバッサリ消している。当然といえば当然である。初演の94年のころは、まだユーゴスラビア紛争が続いていた時期なので「東ヨーロッパの破産した国からかすめ取ってきた」というセリフがあったが、2020年版では「東ヨーロッパ」が削除され「破産した国」(p59)になっている。「(戦争参加で)家とか國とかね、守るものができたのが嬉しいんだって」というオリジナルに「男の子達。」と付け加え、さらに「女は最初から守るものがあるからさ」(p23)と追加されているのは、(男性としては)なかなかキツい。「サラリーマンから徴兵されるって」が「フリーターから徴兵されるって」に書き換えられている(p56)。ちょっとしたブラックユーモアである。
その他、笑いを取るための追加セリフ(p9)、斎藤と有名な画家だった父の関係を明示すための追加セリフ(p13-14)、橋爪と串本の昔の関係を補足する追加セリフ(p56)などももちろんある。逆にカットされたセリフも何か所かあった。
もちろん逐一照合しているわけではないのだが、細かいところでは「現代絵画」を「現代美術」(p42)、「大学院」を「研究室」(p60)との言替えもあった。

平田は、今回のプログラムで、「初演時にはほとんど意識されなかったテーマ」で、「時を経てより浮き彫りになってきた」ものを3つ挙げている。親子の介護や生活の世話の問題、東京と地方の文化格差、そして「見ること、それも誰とみるか」だ。「世界の最後の日、あなたはどんな絵が見たいですか? そして、誰と、その絵を見たいですか?」と初演のパンフに書いたとあった。
誰と見るか、一人で見るかというセリフもたしかに出てくる。「最近いい企画やるんだけど一緒に見に行く人がいないからつまんなくって」(p17)とある一方「やっぱり美術館とかは、一人で来た方がいいね」「何か、感想とかも言わなきゃいけない感じがするでしょう」「でも二人で来られてよかったじゃない。こうやって、話できるしさ・・・絵のこととか。」(p63-64)という対話もある。しかしそれは一部で、むしろ「見る」行為、「絵と画家と見る人」の関係がテーマのひとつになっていた。
フェルメールの作品は人物が窓のほうを向いているという話(p26)がきっかけになる。「(窓から光が入り)光のあたってる部分だけが見えるでしょう、明るく。そうやって、世界を切りとるんですよね、たぶん、生活から」(p42)、またフェルメールはレンズだけのカメラ(カメラ・オブスクーラ)を使っていたという話から、「レンズを使って見えないものまで全部見るようになった。顕微鏡を使い小さいものも、望遠鏡で宇宙のことも。まぁ近代っていうのは、そこから始まった。客観的に見る(p48)との学芸員の解説があった。
さらに、見るものと見られるものとの関係から、「望遠鏡で宇宙を見るって言ったって、宇宙からもこっちを見てるわけじゃないですから」(p54)、「描かれたものを見ているのか、画家を見ているのか、画家の世界を見ているのか判らなくなる」(p61)、「海を眺めている自分の背中を眺めているもう一人の自分がいるのね、きっと」(p64)と発展していく。芝居の終幕近くにはサン・テグジュペリの星の王子様を引き合いに出し「何か、心で見なくちゃよく見えないって話があるのね。キツネがね王子にね、肝心なことは目には見えないって言うのね。でもさ、心でなんか見えないよね」(p65-66)「とてつもなく見る力のある人だけが画家になるのよね、きっと」
「私の絵、描いて下さいよ。ちゃんと私のこと見て(p66)へと話がつながる。
「哲学的」ともいえるこのテーマには、そう簡単には解釈を導き出せない。

この芝居の初演は1994年5月13-31日だった。少し前から年表を見返すと、91年湾岸戦争開戦、4月ペルシャ湾への掃海艇派遣決定(初の自衛隊海外派遣)、92年6月PKO協力法成立(8月施行)、9月カンボジアへ第一陣派遣、93年4月カンボジア選挙監視ボランティア中田厚仁射殺、5月文民警察官高田晴行射殺、一方91年12月ソ連消滅、EU創設、92年1月ユーゴからスロベニア、クロアチア独立、3月ボスニアヘルツェゴビナ独立、8月チェコとスロバキアが連邦解消、94年4月NATOがセルビア人勢力を空爆、という時代だった。それでセリフにも「息子さんがヨーロッパのプラハだったかで死に、店を閉店する」(p19)、「ヨーロッパに国際ボランティアに行く」「文民警察やってて死んじゃった」(p22)、「特需ナンバーワンで景気がよい」「対戦車ミサイル作ってんだろう」(p27)、「誘導ミサイルか何かにつける液晶の何かの部品を納品する」(p50)、「学校に難民の子が増えた」(p28)といった戦争・軍事関連の語句が出てくる。
それでも94年当時は、日本からみると、「戦争」なり内戦をやっている国はまだ遠い国の感じだった。それが26年後には、ジブチに自衛隊基地があり、那覇基地を離陸した哨戒機2機が中東の空を飛び、横須賀基地を出港した護衛艦が中東の海で活動している。いつ日本が戦争を始めてもおかしくない情況になっている。
総理が憲法9条を廃棄・骨抜きにしようと先頭で旗を振る時代だが、そんなことになるとは思ってもみなかった。14年後の2034年にはいったいどうなっているのだろうか。

初演のシナリオが掲載されている戯曲集1(左)と購入した2020年上演台本。山内健司さんに表紙にサインしていただいた。
この芝居に初演から出ていた役者は松田弘子さん(長女・由美役)と山内健司さん(初演は木下貴司役、今回は学芸員・串本輝夫役)の2人だけだった。以前志賀廣太郎さんと平田さんのサインはもらったことがあったので、今回は山内さんに台本にサインをしていただいた。山内さんは、初演・再演は、タバコを吸う元・家庭教師の木下役を演じていた。学芸員・串本役は志賀さん、そして学芸員・平山役は平田陽子さん(オリザ氏の元・妻)だった。こんなところにも25年の変化を感じる。

☆25年の時間の差というと、途中で乗り換えた渋谷は大変身中だった。東口の東急文化会館が渋谷ヒカリエ、西口の東急プラザが渋谷フクラス、井の頭線渋谷駅が渋谷マークシティに、東急渋谷駅の上に高さ約230メートルの渋谷スクランブルスクエアがそびえる。
地下鉄渋谷駅が1月に移動してから、わたしははじめてこの駅を通過した。駅は以前より東に移動し、片側ホームだったのが両側ホームになり、使いやすくなっていた。屋根がM型アーチになったことはわかった。東に寄った分、JRとの乗り換えは少し遠くなったが、現在、南のほうにあった埼京線のホームを北に移動する工事が進行中だったので、動線がどうなるのかまだわからない。
数年後、東急東横店なども含めた「再開発」が完成したとき、いったいどうなっているのか。さらに渋谷パルコやNHK放送センターの建替えもはじまるそうだ。25年くらいの違いでも、たしかに歴史が流れていることが目に見える。これから25年たつといったいどうなっているのだろうか。足かけ8年の第二次安倍政権をみていると、とても不安な未来である。


●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
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