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憲法9条とメディア

2008年05月09日 | 集会報告
幕張メッセ・国際会議場で開催された9条世界会議でシンポジウム「憲法9条とメディア」(韓国記者協会、日本ジャーナリスト会議、マスコミ関連9条の会連絡会 共催)を聞いた。定員120人の部屋に200人の聴衆が集まり、床のカーペットに座り込む人も多数という盛況だった。
パネリストは李成春(元韓国記者協会会長)、桂敬一(元・東京大学教授)、伊藤千尋(朝日新聞記者)の3氏、コーディネーターは小中陽太郎氏(作家・ジャーナリスト)だった。

東アジアの平和と日本国憲法9条、そしてメディアの役割  李成春さん
日本の憲法は日本のものだけでなく、世界の平和憲法だと思う。現行憲法はGHQの押し付けという議論があるが、わたしは日本の知識人、中江兆民、吉野作造、幣原喜重郎、矢内原忠雄らのことを思い出す。基本的骨格はこれらの先輩がつくったことは間違いない。
国政選挙で特定政党が議席を増やした後、必ず悪いニュースが流れる。憲法改正の声が高まるのだ。日本政府は何度も、過去の過ちに対する反省と謝罪を行ったが、一方でそういうニュースを耳にすると、反省は真実ではなく建前なのではないかと疑いを抱かせる。
日本の多くのメディアは、政府と同じ立場で報道している。憲法をもっていることにプライドを感じ、もっと憲法を守る立場に立った報道をしてほしいものだ。

メディアは憲法9条をどう報道し論じてきたか  桂敬一さん
わたくしは1935年生まれなので、敗戦が小学校4年、憲法施行で発行された「あたらしい憲法のはなし」を中学1年のとき学んだ。9条1項の戦争放棄は1928年のパリ不戦条約の文言にもあるが2項の戦力不保持と交戦権否認は国際連合の一歩先をいっている。ところが日本は、1950年の朝鮮戦争で自衛隊が誕生し追放解除で逆コースをたどり始めた。ソ連の瓦解のあと日本はアメリカべったりが習い性となり、メディアも権力と一体化していく。
なかでも読売新聞社は84年に渡邉恒雄がヘゲモニーを握ったあと90年の湾岸戦争で早くも憲法の制約見直しを主張し始め、94年独自の憲法改正試案を発表し、2004年のイラク戦争を契機に新憲法制定を政治目標に掲げた。自民党は05年に新憲法草案を発表し、有事関連法、教育基本法改悪、国民投票法と着々と改憲への地ならしを整備し、多くのメディアも改憲路線に馴れてきた。
ただ昨年5月3日の新聞45社47紙をチェックすると護憲・論憲が60%、改憲を明確に打ち出しているのは、読売、産経、日経、北国の4社に過ぎなかった。また今年4月8日の読売世論調査で15年ぶりに改憲への賛否が42%、43%と拮抗した。9条に限れば「変える必要なし60%、変える30%」と圧倒していた。
しかし最近、論点をずらす姿勢、空気を変える動きがもみえる。たとえば日教組の教研集会をホテルが断った。メディアが危ない空気によりつかなければ、無意識であるにせよ、結果的にこうした空気を広げることに加担することになる。

世界から見た日本国憲法と日本、そしてメディア  伊藤千尋さん
アフリカのモロッコ沖のスペイン領カナリア諸島には「九条の碑」がある。テルデの町の、その名も「広島長崎広場」の正面に、たたみ1畳分くらいの大きさの石に、青い文字のスペイン語で9条が書かれていた。この町の市長が平和について一生懸命考え、行きついたのが「9条」だった。1996年市長が提案し議会で満場一致で可決し石碑が立った。
南米コスタリカは、1949年日本に次いで軍隊を持たない憲法を制定した。しかし日本と違うのは、平和憲法を使っているかどうかという点だ。アリアス大統領は周辺3国に対話を呼びかけ中米和平合意成立により1987年ノーベル平和賞を受賞した。平和を輸出してはじめて平和国家と名乗れる。日本はまったくやっていない。
アリアス氏に取材したとき「どのような事情があろうと、軍服で他国へ行くときらわれる」との発言が出たので、「では日本はどんな援助をすればよいか」と聞くと「まず内戦の傷痕を復興する資金提供、次に医療援助、3番目に農業指導、4番目に教育で支援できる」との答えが返ってきた。その当時日本国内では、貢献というと自衛隊派遣しか議論されていなかった。
ベネズエラでは1999年チャベスが大統領に選ばれた。首都カラカスで路上に20冊ほど本を並べている本屋で憲法を売っているのを見かけた。こんなもの売れるのかと思ったら、若い主婦が買っていった。びっくりしたわたしはその主婦になぜ買ったのか聞いてみた。「憲法を知らずにどうやって生きていくのか、どうやって闘うのか」との答えが返ってきた。市民が普通の生活で役所と闘うときに、憲法を「使って」いるのだ。こういう国民がチャベスを大統領に押し上げたのだ。

会場からの質問に答えて
朝日新聞について
伊藤 朝日は日本の世論をリードするような新聞ではない。そもそもいまは、神様のような人の話を新聞で読み、自分の態度を決めるような時代ではない。ふつうの人がつくっている新聞であることを知ってほしい。
なぜ新聞が取り上げないかというと、社内に「ことなかれ主義」がはびこっているからだ。それでも2年前の教育基本法が改悪されたころと比べれば今は載るようになったほうだ。たしかに社長や編集局長など新聞社のリーダーにどういう人がなるかで論調が変わる。外からの声は力になる。
ところが声を上げるのは右翼ばかりだ。朝日新聞社には右翼が街宣車で押し掛ける。しかし小泉首相の時代には来なかった。右翼と同じ論調の紙面だったからだ。朝日の購読を打ち切るときには、黙ってやめないで一言文句を言ってからにしてほしい。
テレビの問題
 テレビの影響力はたしかに無視できない。一方で、視聴者の劣化という問題もある。拉致問題の報道でたとえば「北を制裁するだけではダメ」と論陣を張るとたちまち「反日」という投書が山のように届き、上層部は、すくんでしまう。光市事件では弁護士の懲戒請求が8000も集まり「そういうことは問題だ」と発言すると「けしからんことを言うな」と数千の抗議が集まる。そういうなかで、われわれがだんだん馴らされていく。1933年ヒトラーが首相に就任し、映画や放送を宣伝に使ったことと似ている。人権を守ってくれるのは国だと考え始める。しかし憲法を、自分の身を守るため、政府に悪いことをさせないために使うことが重要だ。

最後に提案が述べられた。
 平和憲法の精神に確信を持つべきだ。報道では、改憲についての行動を客観的に報じるだけでなく、なぜ改憲するのかその理由を客観的に報道すべきだ。韓日両メディアは、政府の意思ではなく、平和・自由・民主といった普遍的価値により報道すべきだ。
伊藤 わたくしは憲法を「守る」という言い方は好きではない。攻めるべきだ。具体的に言うと「活憲」だ。わたしたちは憲法を使ってきたかと問われると使っていない。政府に憲法を使わせればいいのだ。政府にアジアの貧困を終わらせろと言い、そうした政府をつくればよい。南米では98年にベネズエラが反米の政権に変わり、以降合計13カ国が選挙で左派政権となった。国民は憲法の基本的人権を使えばよい。夏休みをとればいい。米国ではイラク戦争の軍の司令官がきちんと1か月夏休みを取っている。
メディアでは、記者一人一人がつくればいい、自粛なんかしなければいい。政府見解を垂れ流すのではなく、批判・監視するようにしよう。デスクなど上司は波風を立てたくない、あるいは目に見えない「おびえ」があり反対するかもしれない。そういう上司とは闘えばよい。そこにカギがある。

☆小中陽太郎さんのコーディネイトは絶妙だった。議論の整理や進行はもちろんのこと、逐次通訳のせいもありただでも長くなりがちな議論の時間配分、要所要所での要約、韓国報道陣への配慮など理想的だった。そのうえで、自分の意見もさしはさむ。
「メディアは利口になった。評論家をそおっと降ろす。たとえば竹村健一や猪瀬直樹が消えていった。そっと降ろされると反論できないのでこわい」といった裏話、「自分たちでメディアをつくらないといけない。市民放送やウェブではすでにたくさんできている」「受信料を払っているのだからせめてNHKの経営委員会委員長や会長の信任投票くらいさせろ、と言いたい」といった提案は、もっと詳しく聞きたいところだった。
☆わたくしが訪れたのは2日目の5日15時、すでに当日券は完売しており入り口は人が少なかった。しかしこの会議室だけでなく、会場は全国から集まった人びとでごった返していた。また100以上の団体が展示や書籍・グッズを販売するブースも熱気と人があふれていた。


幕張メッセ・国際会議場



活気あふれるブース
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