7月12日新国立劇場で、高校生のためのオペラ鑑賞教室「蝶々夫人」を観た。一般公演ではないので、格安でみられた。ただし空き席があった場合のみの販売で、わたくしは6月末に入手した。もちろん高校生優先で、わたしの席は4階席右側だった。舞台は右が欠け7割程度、オーケストラピッドは4割ほどしか見えず、指揮者の姿も見えない。だいぶん高い位置なので、オケの音は逆に、いつもの2階席よりスポンと上に抜けよく聴こえた。
演出は、驚いたことに栗山民也だった。栗山の演出はこまつ座や新国立の井上ひさしの芝居で何度もみていたが、オペラ演出までやるとは知らなかった。調べると、2000年に新国立で「夕鶴」の演出をしたのを皮切りに何度か「夕鶴」「蝶々夫人」の演出を務めているようだ(新国立「音楽劇ブッダ」(98年)もある)。
舞台左に長崎の坂道を表すスロープ、真ん中に日本家屋の象徴である障子が置かれ、何度か天井から桜の花びらが舞い、左右の壁に大きく人の影が映る。影と提灯のあかり、照明(勝柴次朗)が重要な役割を果たしていた。
クライマックスの蝶々夫人・自殺の場面がとても劇的だった。
帰宅してから図書館で対訳(戸口幸策訳・音楽之友社2003.3)を借りチェックしてみた。
「母親の顔をしっかり見ておくれ・・・
少しでも憶えていてくれるように、よく見ておくれ、
いとしい坊や、さようなら、さようなら、小さないとしい子よ。
(か細い声で)さあ、遊んでおいで。」
蝶々は屏風のうしろに消え短刀の落ちる音が聞こえ、蝶々は屏風の外に出て最後の力を振り絞って子どもを抱こうとし、子どもの傍らに倒れる、という台本になっている(p113)。
栗山演出では、いったん舞台から消えた子どもが正面奥から現れ、舞台中央に歩み出て立ち止まったところで、全照明で明るくなり、途端に暗転し幕が下りる。非常に衝撃的かつ劇的なフィナーレだった。拍手が鳴りやまず、カーテンコールが続いた。
なおわたくしの席からは上手(右端側)が見えなかったので、肝心の蝶々夫人の演技は見られなかった。それでもこれだけの迫力である。
オーケストラの指揮は阪哲朗。わたしはまったく知らない方だったが、京都市芸大作曲専修卒業後、ウィーンで指揮を学び95年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝、2008/09年の年末年始にウィーン・フォルクスオーパーで「こうもり」を指揮したと、プロフィールにある。HPにベートーヴェンの交響曲シリーズの指揮がアップされていたが、メリハリが効いた指揮をするタイプの方だった。
オケは東京フィルハーモニー、もともとプッチーニの曲がそういう曲なのかもしれないが、まるで映画の伴奏音楽のように甘い曲、甘い演奏だった。
歌詞も甘い。有名な「ある晴れた日に」は
「或る日、海の彼方にひと条(すじ)の煙の上がるのが見えるでしょう。
やがて船が姿を見せます。その白い船は港に入り、礼砲を轟かせます。
見える? あの方がいらしたわ!」(p62 以下、すべて前述の戸口幸策訳)
蝶々とピンカートンの「愛の二重唱」
「わたしに幸せをください、小さな幸せ、私に似つかわしい
子どもが喜ぶような幸せを。
私どもはつつましく静かなささやかな生活に慣れています。
人の心をかすめるような優しさ、
それでいて、空のように、海の水のように
深い優しさに慣れた人間ですの」(p53)
蝶々と鈴木の「花の二重唱」
「あの桜の枝を揺すって 私に花を一杯降らせて。
香り高い花の雨の中に 燃える額を浸したいのよ」
(優しい気持ちですすり泣く)
「奥様、落ち着いてください。そんなにお泣きになると・・・」
「いいえ、笑っているのよ」(p89)
歌手では男性では、成田博之(シャープレス)が芯の通ったバリトンでいい声だった。女性では小林由佳(メゾソプラノ)の声より、きめ細かい演技に感心した。セリフはないが子役の木村日鞠の演技もよかった。練習が大変だっただろうと思う。
オペラ研修所修了生が何人か出演していた。6日、6公演をダブルキャストで演じるが、6・9・10・19期修了生が7人、ピンカートン、シャープレス、ゴロー、ヤマドリ役で出ていた。合唱団の成長も著しいが、養成所修了生も5年先、10年先が楽しみだ。
今回「蝶々夫人」を観にきたのは、有名な演目なのにまだ観ていないということだけだった。評判どおり、わかりやすく、とくに日本人にとって感情移入しやすい作品だった。栗山民也演出も効いていると思う。アメリカ国歌だけでなく、「さくらさくら」「お江戸日本橋」「宮さん宮さん」など聞き覚えあるメロディも時おり流れてきた。
また、主たる登場人物が蝶々夫人と女中のスズキ、海軍士官のピンカートンと領事のシャープレスの4人だけとシンプルで理解しやすかった面もある。
帰りの通路で、高校生の声が聞こえてきた。「子どもがかわいそうだ。あの後も、きっといじめられるよ」「一番悪いのは旦那だ」。わかりやすい反応だ。
新国立は97年オープン、高校生のためのオペラ鑑賞教室は98年から実施とのこと。そういえば国立劇場のオープンは66年だが、わたしの高校生のころ68年前後に、高校生のための歌舞伎教室をみた覚えがある。ただわたしが参加したのは、学校全体ではなく、個人参加だったはずだ。わたしにとっては初めての歌舞伎体験だった。いまの高校生もおそらくオペラ初体験だと思ったら、そうでもない。2021年度アンケート調査で劇場でのオペラ鑑賞体験ありが15%、映像などで鑑賞が18%、1/3は体験ずみとのことだ。これも50年の歴史の進歩かもしれない。
しかし、彼らにとっても、よい体験になったと思う。
7月18日午後、練馬文化センターで高田馬場管弦楽団定期演奏会を聴いた。今回でなんと第100回、記念すべき節目のコンサートだった。前記「蝶々夫人」とはなんの関連性もない。ただ近い時期のコンサートというだけで、ここに記すことにした。
プログラムは
・J・シュトラウスⅡ 喜歌劇「こうもり」序曲
・エルガー エニグマ変奏曲
・ドヴォルザーク 交響曲第8番
の3曲、指揮は座付き指揮者・森山崇さん。
森山さんの指揮をみるのは2019年7月94回蒲田のアプリコでの幻想序曲「ロメオとジュリエット」など以来の3年ぶり、コロナの前の時期だ。
第1回定演は74年12月森山さんの指揮で、モーツァルト「交響曲39番」、シューマン「交響曲39番」など、会場は世田谷区民会館と当日配布の「ババカン演奏史」にある。森山さんは今年76歳、第1回のときはまだ28歳だった。
わたしの手元にあるプログラムで一番古いのは92年2月の第39回、指揮は森山さんでマーラーの5番、会場は今回と同じ練文だった。それからでも30年になる。森山さんも(外見からは)板についた「お年寄り」にみえた。願わくは、こういうふうになりたいものだ。
さすがに指揮台の上でジャンプしたり踊ったりのパフォーマンスはなくなった。しかし今回も、見ていると音楽に乗ってくると上半身に細かい動作が加わったり、左手が自在に動いたり、演奏者に正対するためか指揮台の上を大きく移動する姿が見られた。たとえば「こうもり」序曲や8番の4楽章で顕著だった。
今回、なぜわたしが森山さんの指揮のファンになったのか、理由のひとつがわかった。森山さんの体の動きに合わせ、森山さんがつくる音楽に乗り、こちらも心が浮き浮き楽しくなってくるからだ。フィナーレの3分から5分の盛り上がりは相変わらずだった。ただ、かつてのエネルギッシュな指揮から円熟の指揮にスタイルが変わってきたが、音楽づくりの本質は変わらず深まった。
ドヴォ8が終わると拍手が鳴りやまず、久しぶりにアンコールがあった。シュトラウスの「雷鳴と電光」だった。100回記念のお祝いだからだと思うが、金管と打楽器には旗が付いており、ラストで弦のトップのメンバーたちがパーティ用クラッカーを鳴らしていた。
さらに100回記念で、異例なことに森山さんからあいさつがあった。
「音楽は音を出して楽しめる。演奏者自身にとって癒しになる。
コロナや戦争で閉塞感に包まれた感があるが、音楽は平常心を保たせ、冷静な判断を可能にする。音楽を身近において生活を続けてほしい」。
音楽好きな方らしいいいメッセージだった。プログラムにはヴェルレーヌの詩の一節「何を措いても音楽を」を引き、「(コロナなどを)何とか横に「措いて」、会場の皆さんと一緒に音の響きの中に身を浸すことができるようになりました!」と喜びのメッセージが書かれていた。たしかに幸福な時を過ごせた2時間弱だった。
次回は23年1月15日午後、住吉のティアラこうとうでメンデルスゾーン「交響曲3番」ほか(碇山隆一郎指揮)。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。