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日本橋でみたオペラ「イリス」

2018年06月05日 | コンサート
水天宮の日本橋公会堂で日本橋オペラ研究会主催の歌劇「イリス」(ピエトロ・マスカーニ作曲)をみた。オペラをみるのは2013年5月の新国立劇場での「ナブッコ」(ヴェルディ)以来なので5年ぶりだ。
マスカーニのオペラというと「カヴァレリア・ルスティカーナ」(1890)が有名だが、8年後に作曲されたこのオペラもきれいなメロディの作品だった。日本橋オペラ研究会という名前から推測して、オペラ好きのアマチュア団体かと思ったら、メンバーは音大出身で二期会や藤原の会員の多いプロの団体のようだった。2013年に発足し、15年に「トリスタンとイゾルデ」(ワーグナー)、16年に「トスカ」(プッチーニ)の公演を行った実績がある。

指揮の佐々木修さんは、武蔵野音大出身、カラヤン国際指揮者コンクール入賞、演出の舘亜里沙さんは、東京藝大楽理科出身、安宅賞受賞、「ヘンゼルとグレーテル」「トリスタンとイゾルデ」「ラ・ボエーム」などのオペラ演出者である。タイトルロールの福田祥子さんは大阪国際音楽コンクール第2位、テノールのオオサカ役上本訓久さんは、ナポリ留学のあと藤原歌劇団団員、バリトンのキョウト役飯田裕之さんはドイツ、ウィーン留学のあと個人リサイタルを中心に活動中の方だ。その他、テノール根岸一郎さんは、武蔵野音大だけでなく早稲田の仏文も出て、ソルボンヌで比較文学のマスターを取得、テノール木野千晶さんは京大工学部でドクターを取り、二期会研修所を出て東京二期会会員、こういう変わり種もいる。錚々たるメンバーだったので、レベルは高かった。
ただひとつだけ普通のオペラと違うのは、オーケストラがいなくてピアノ独奏だったことだ。役者が全員そろい、衣装も着て大道具・小道具もあるので、セミオペラ形式というらしい。指揮者は客席の最前列に座り、ピアノは舞台の左側でスポットライトが当たっていた。普通は指揮者が入退場するときに拍手が起きるが、そういうことはなく、少し気の毒だった。
ピアノ1台で数十人のオケの音楽を表現するのは、楽譜があるにせよ、並大抵でない芸術性が要求されると思った。舞台稽古のときはアップライトだったが、本番はグランドで、伴奏の小滝翔平さんのレベルの高さがよくわかった。オーケストラなら打楽器などを除き、一人くらい失敗しても致命的ではないが、1人でオケをやっているのだから、万一失敗すれば音楽が止まってしまう。非常に重要な役割だ。
「イリス」はあやめ(アイリス)の意味で、日本の吉原を舞台に、いたいけな娘イリスを盲目の父からさらってきた手配士キョウト、イリスに純粋に片思いするオオサカ、盲目の父チェーコがからむ話だ(詳しくはこのサイトを参照)。プッチーニの「蝶々夫人」と同じようにジャポニズムの作品だ。プログラムの解説によるとマスカーニとプッチーニはミラノ音楽院在学中、同じ下宿にいたこともあるほど仲がよかった。2人の違いは日本人女性すなわち川上貞奴のミラノ公演(1902年)をみたかみなかったかの違い、とある。
北斎の浮世絵「蛸と海女」に着想を得た「タコのアリア」も登場する。娘が漆黒の海から出てきたタコに「快楽」のなかで絞め殺されて死ぬという場面だった。
なおこの日の会場日本橋公会堂は明治時代から旧日本橋区役所があった場所なので、貞奴とも縁があり、また元・吉原は明暦の大火まで人形町にあったという。

じつは、区民特典として立ち稽古を見学するチャンスが11回あった。そこで4月に1時間、5月半ばに2時間、合計2回見学させていただいた。一度目は2幕の半ば、二度目は3幕の初めを中心に練習していた。演出者はしぐさや移動方法、大道具・小道具すべての責任者のようだった。音楽を含め全体統括は指揮者がやるのだろうが、演出と指揮の役割分担が少しわかったような気がした。とくに2度目は浮浪者がゴミをあさる群像劇で、どの人のどの行動を際立たせるためほかの人はこう動くなどの指示があり、見せていただいて有意義だった。ラ・フォル・ジュルネの記事でマスタークラスやリハーサルで「音楽のつくり方(メイキング)を見られてよかった」と書いたが、今回はオペラの「つくり方」が少しわかった。
また1幕の合唱「太陽讃歌」を聞くことができた。練習なのでフルメンバーではなく、女性5人、男性5人だったが、「私の本質は慈悲であり、永遠の詩、そして愛である。熱と光、そして愛なのだ」(訳詩はこのサイトより)。すばらしい出来栄えだった。以前アマオケに入っている人に「弦楽器の場合、tuttiではダメでsoliを弾けるようなレベルだとよい」と批評されたことがあった。理解が間違っているかもしれないが、まさに、みんな独唱で歌えるレベルの人が10人で歌っているような感じで「感動」した。
さらにテノールの屑拾い役・根岸一郎さんの美声に聞きほれた。

プログラム記載の舘亜里沙さんの演出ノートで読んだだけなのだが、紗幕が重要な役を果たす。紗幕(しゃまく)とは、紗のような薄い布地で作られた幕。照明により後ろが透けて見えたり見えなかったりする、御簾のような幕のこと。奥の景色が幻影のようにみえるので「まやかしのユートピア」を創り、イリスを魅力ある女性に見せ、一躍イリスは吉原の人気者となる。またイリスにとっても幕の後ろは楽園だと感じる。さらに2人の女性ダンサー(遠藤綾野、矢嶋美紗穂)が幕の向こうで踊ったり、一人が黒、一人が白の衣装をまとい幕をはさんで踊ったりして演出効果を高めた。紗幕の効果を十分生かした演出になっていた。
舘さんは「《イリス》の世界を、単なる1人の少女の悲劇としてだけでなく、ユートピアを見ようともがいた人々全員に振りかぶった悲劇として、ご覧いただければ幸いです」と締めくくっている。
演出では紗幕とダンスのほか、3幕で根岸さんが舞台上手の高いところで歌ったシーンの「輝く月、群青の空」が強く印象に残った。
指揮者が何をしているのかは、私にはまだよくわからなかった。稽古の段階では、歌詞の出だしを歌ってリードしたり、歌手や伴奏者の間違いを指摘したりされていた。

会場の日本橋公会堂(日本橋劇場)は、半蔵門線水天宮前から2分の蠣殻町にあり、大きさは1階277席、2階147席、合計424席の中規模のホールで、土地柄、日舞や長唄など和ものの発表会や演目が多いようだった。花道やセリもあり、照明設備が充実していた。ただしオーケストラピットはこのホールだけでなく、中央区のホールにはひとつもない。
隣の台東区には東京文化会館や浅草公会堂、江東区にはティアラこうとう、港区にはサントリーホール、メルパルク東京など、千代田区には東京国際フォーラム、日生劇場、東京宝塚劇場などがある。そこで「中央区にもピットのある公共ホールを」という署名を集めていた。もちろん賛同署名した。
400席あまりの客席はほぼ満席、女性が9割ほどだったが、結構オペラファンがいるものだと感心した。

開演前のロビー
加藤嶺夫写真全集「昭和の東京5 中央区」(デコ 2017/11 159p 監修・川本三郎、泉麻人 1800円)という写真集を図書館で借りた。蠣殻町の近くでは1丁目の新大橋通り沿いの1967年3月の写真が掲載されている。茅場町から400mほど北に歩いた交差点付近で、右折して50mほど進むと公会堂、左折して150mほど先に日本橋小学校や社会教育会館があるあたりだ。いまはミニストップや蠣殻町東急ビルがあるが、東京オリンピックから3年後の51年前は、お茶の共和国本店、洋服店、もつやき店、とんかつ店、歯科などの店が並んでいた。すべて2階建てのいわゆる看板建築の店だ。50年前の都電が走っていたころの都電通りの商業地の風景はどこでもこんなものだったのだろう。
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