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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

影響が子どもたちにあらわれる頃

2010-06-03 22:30:20 | おもったこと
予想していたことが本当になっています。
普段目にしていることを真似してしまうのは非常にあり得ること。
高校生たちが自転車で横に並んでおしゃべりしながら走っていました。
これまでは日本人がやらなかったこと。

以前はふたりで自転車に乗って進む場合は一列というのが普通でした。誰も何も言わなくても自然にそうしていました。

中  国  化  しているぞー

本物は地味だったりする

2010-05-07 00:31:37 | おもったこと
専門用語を並べるのはマニア。
相手にわかる言葉で話すのはプロ。

…だろうな~と、思っていました。

そういう意味で言う場合、マニアかプロかの区別を隠したら、わかってない人から信用されるのはしばしばマニアの方かも。そう感じたことが何度かありました。バブル経済時代は明らかにそういうものでした。今もその感覚を引きずっている人は多いみたいです。

ただ、マニアとは別にそういう人のことを言うわけでもありませんね。


若者が無欲になってきている、ということは、上っ面に騙されない人が多くなってきたということ。インターネットで意見が交換されるうちに、人々の読解力がついて、考え方が進んできたはず。これから益々虚飾が見破られる時代でしょう。


マニア的プロも、プロ的マニアもいます。
マニアも尊敬できるし、プロも尊敬できますが、心がけによります。

好きなお店がまたひとつ

2010-03-15 23:12:08 | おもったこと
またお店が撤退してさびしくなったなあと思いながら歩いていたのですが、久しぶりにぐるっとまわってみると、あのお店が無いのです。

珍しい中国茶が味わえて、杏仁豆腐やマンゴプリンなどの器がかなり上等。テイクアウトもできるしそこでいただいて器のお持ち帰りもできました。うっかりして月餅の季節が過ぎて、よし次こそ忘れずに手に入れるんだと心に決めていたのに。蓮の実が入っているとかいう月餅。

贅沢なので滅多にそこのを味わうことはなかったのですが、だからこそ特別の楽しみの場所でした。

ブティックが福岡市から撤退だけど、どうやら小倉にはあるらしい。どの程度の規模でどういう形式のお店かわかりませんが。東京半島酒店のメニューを見るけれど、上に挙げたメニューはありません。通信販売に月餅もなし。秋が近づいたらまた見てみようと思います。

こんなこともあるから、楽しみは先に延ばしちゃいけないな。余裕がなければしょうがないけど。

そんなに安くて

2010-03-10 23:12:56 | おもったこと
着るものが変わりばえしません。しかもとんでもなく時代遅れを着ていたりします。それはあまり気にしませんが、そもそも最近衣類が少ないのです。そういえば母に貰ったデパートの商品券がありました。朝何を着るか悩むよりは何か手に入れようということで、行ってみました。

セールだから8割引きまであるそうな。わりと気にいった色となると、だいたいは持っているものと似ています。でも、いい。合わせやすいってことだから。試着してみると、結構いい感じ。これに決定。

裾上げ含めて6,300円。まあそんなもんかなと思っていたのですが、店員さんが元の値を見せてくれました。うわー、2万7千いくらかだって。そうよね、6千いくらかでこれだけの品質ってないでしょう。

デパートが売上不振というニュースはよく耳にします。こんなに安くして大丈夫かしらん。

私はデパートは落ち着いた雰囲気があるのでわりと好きです。安くて良い品をみつける自信はあまりありません。値段の相場をよく知りません。そもそもそうしょっちゅうお買いものをしないのです。

賑やかな売り場よりも高級ブランドの入った階が落ち着きがあってほっとするし、好きですが、自分がそういうところでお買いものするような立場じゃあない。でも稀に手の届くお店の安売りの時に買うこともあります。今は直しようのない体型が問題で買えるものが益々減っていますが。

大丈夫だから8割引きなんだろうけど、買わないより買った方がお店にも良かったんだろうけど、気になるなあ。どちらにしても私はラッキーだったんでしょう。

「はじめにありき」はロゴスじゃないと思う

2010-03-01 00:56:21 | おもったこと
ふたつ下の妹1との話題は専ら末の妹2のこと。ものの考え方が変わらない限り現状は解決しない。妹2にとって、考えることとは言葉を並べることになってしまっている、ということ。現実から離れているのに気付いていないのです。

妹2は、言葉が無ければ人間は思考できないという考え。私は言葉なしで考えられるという立場。妹1はまんなか、私と妹2が両端ということか。

私が例に出したのは多面体の展開図です。あれを考えるのには言葉など要りません。ものづくりはだいたい言葉は無くてできます。どことどこがつながるか、それは言うまでもありません。見慣れない人はそうでないとしても、慣れていれば一目瞭然。よくものを作る傾向があったのは三姉妹の中では特に私でした。

おそらく、あまりに小さいうちから言葉を多く詰込んだら、現実をありのままに観る目が育ちません。言葉というフィルターを通して見るようになるから。

妹1が言うには、ありのままに観ることと言葉とは脳の同じところを使っているのではないかと。どちらかを鍛えると片方が衰える傾向がありそうだから。

きょうだいの下の方は早いうちに言葉をおぼえやすい環境だし、方法を自分で考えるまでもなくできあがったやり方をまねるだけでいいので、自分を鍛えるチャンスが乏しいと言えます。末の妹は小さい頃から話は合わず関心も違うので私たちはあまり構ってやらなかったし、親も当時は忙しすぎました。

社会の中に予感していたものは確かに現実になったのですが、まさか自分の身近なところにもあったとは。

十数年前だったか、子どもたちに紙工作を流行させようと企んでいたのは。その後体調が良くない時期が長く、あまり広めませんでした。

休日の過ごし方

2010-02-14 20:31:31 | おもったこと
起きられない。食べないと動けない。
食事を作って、食べたら、疲れて休みたい。
休んだら次の食事。
何もできない。

休日はひたすら眠って、合間に食べます。
必要なことのほんの一部をやっとこなして休日の終わり。

平日はふつうの人でいます。
玄関のドアを閉めたらぐったり怠け者。

今はそうでもないけど、過去の何年もの間、平日の日常は火事場の力で動いていたようです。
以前と比べて今がはるかに楽だから。よく生きていた。でも誰もわかりはしません。

最近は起きている時間が増えました。
体力はついてきました。
あと、今度は気分を高揚させないといけないようです。

今は休日に用事ができても、それはそれでこなせます。それなりに気分が高揚して。だけど、ひたすら休める時間も大事です。

ごようじん

2010-02-10 08:25:50 | おもったこと
ブログの内容は鵜呑みにしてはいけないということについては、おそらくここの読者のみなさんの多くは問題ないと思いますが、念のために。
私は時々不正確なことを書いているおそれがあります。
できるかぎり気をつけますが、それでもうっかりして見過ごすことがあります。
どうぞご用心をお願いします。

いつも読んでくださってありがとうございます。

数をみわたして

2010-02-02 22:40:17 | おもったこと
年賀状のくじに当たりがないか、見てみました。
な~んだ、手作業の方が楽じゃないの。
下2桁だけ見比べるだけ。
同じのがあればそこからまたほかの桁を見ればいい。
なんだか楽に見渡せます。
いったいどうしたんでしょう。
以前と見え方が違います。
どうやら、広くぼんやり見る力ができてきているのです。
ということは、以前はひとつずつしか見えていなかった。
Excelなんて使わなくて良かったのです。
こうしてみるとなんだかバカみたいなのを作ったもんです。
しかし確かに以前はそういうのを使えば楽だったはず。

今何を見ているかというと、数字の形。
昔みていたのは、どうやら、数字の意味。
そんな気がします。
形は見渡せるけど、意味は見渡せません。

眼の見え方に影響したのは子供の頃のうつむき方。首の弱さ。それは生まれた頃の頭の大きすぎに対してからだの小さすぎ。長年の筋肉のこわばり。

バカも奥が深いです。

首がほぼ治っても、こわばりは全身につながってひっぱりあっています。くびきは取れてもそう自由に動けるわけじゃない。足枷は言葉でできていたけれど、生まれた頃からあるものは根深いのです。

長い長い年月をかけて見渡す要領がついてきました。あ~あ。動かにゃあ。

頭に浮かんだものが実現されている

2010-01-24 19:55:38 | おもったこと
東大出版会の「UP」の連載されている記事も目にして、廃物を再利用しているところが特徴であったり自慢である商品が注目されているらしいのはなんとなく知っていました。

以前は好意的に受入れられなかったようなものが、もてはやされる時代。世間の反応の変化はメディア次第。私は廃物利用がわりと得意なのです。

廃物利用を全く受け入れない人がいてもそれは非常に納得できます。私は基本的に自分の使ったものを自分で使うことしか考えていません。トイレットペーパーはリサイクル商品を選ぶけれど。

今は本当にまじめな気持ちで廃物利用品を使う人もいるでしょう。でも、有名人が喜んで使うことでやっと認める人が多いだろうと思います。私の経験からつくづく感じたのは、多くの一般人は言動の内容ではなく、どんな有名な人や権威のある人がそれを発信したかが受入れの判断材料でしたから。これからの時代はそうでもなくなるだろうと期待しています。

最近の東京カワイイTVでは廃物利用の例をたくさん紹介していました。そしてショックを受けました。私が長年考えていて実行しなかったものにそっくりなのを作っている人がいるのです。

いつも、頭に浮かんだものは数カ月から数年、時には10年くらい経って誰かがやります。または流行します。

必要なことさえ十分こなせなくてそんな暇はないけど、浮かんだらすぐやらないと誰かがやってしまって、私がやっても真似と思われるでしょう。

今はブログという記録があるけど、BBSの内容は流れてしまって、ほかの人が言ってしまうと私の発言は真似と思われてしまうかも。

アイデアをブログに書けば私より先に実行する人が出るかもしれませんが、広めたいことは信じてもらえる人に言ってもらった方が広まりますね。

必ず3つ

2010-01-21 23:56:51 | おもったこと
「それには3つの理由があると思います」
「3つの問題点があります」
「3つの方法が…」

なんでいつもいつも3つなんだよ!
ひとつふたつや4つじゃなくて誰もが何でもかんでも3つにするのは何故?

こんなに3つ3つと聞いた後でまた3つといわれたら疑ってしまいそう。

言っている人たちはどこでそんな言い方を教わったんでしょう。自分で言いながら疑問を持たないんでしょうか。

おそらく始まりは、最初にいくつあるかを言っておかないと最後まで聞かずに話が遮られてしまうからでしょうね。

3つという数は多すぎず少なすぎない便利な数で、二者択一よりは自由がありそうな印象。4つ以上あるのを無理に3つにまとめることもできる場合は多いでしょう。聞いている側も記憶しやすい数です。

合理的な数です。

だけど必ず「3つあります」と言われると、変。
そういうファッションをなぞりたくはないなあ。
そして、そんなふうな話をしないといけない時に限って3つしか挙げるものが無かったりするんだろうな。

火は日常のものではなくなって

2010-01-16 19:13:02 | おもったこと
九日のお宮はまだ初詣モードで、境内には篝火が焚かれていました。せめてもの暖をということでしょうか。♪あ~たろうか、あたろうよなんて言っても、あんまり人は寄り付いていません。珍しがって見る人は多いけど、あたるのはじいさんばあさん、そして私。子供が近寄りたがっていましたがその親が阻止。まあ、滅多にない機会というのに。

そうです。高齢者くらいしか火に慣れていないのです。おそらく私の年代では既にほとんど生活の中の火はこんろやストーブなどの制御されたものばかり。焼却炉は制御が要らず、火をつけた後まず構う必要がないのだから。今時のおとうさんおかあさんは火の扱い方を知らないから必要以上に警戒してしまうのです。警戒はいいことでしょうね。下手に危険なことをしてしまうよりは。しかしちょっとさびしいことです。

火は科学のもと。火は現実。火を扱わない人たちにとってこの世は扱う人のものとは違うのかも知れません。キャンプ場の均質な薪しか燃やしたことのない人、石窯で料理する人、窯元、熔鉱炉を扱う人にとってのこの世とも。

お宮の広い森の手入れで出る結構大きな木切が焚かれていますが、下の方に段ボールがあるのを見てなんだか身近さを感じました。そう、葉だったらあの粗い籠みたいなのから落ちやすいでしょう。なるほどね。

燃え易さと大きさと置き場所の関係を工夫すれば天然素材だけでやれるんだけどなあ、そこまでこだわっていないのもいいといえばいいことです。

変化あり

2010-01-04 00:05:44 | おもったこと
明けましておめでとうございます。

問題おおありな我が家族もちょっとばかり変化しはじめました。
末の妹が家を出ていきました。
心配です。しかし、良くなっていくにはまずは動き出すことが必要ですから。
方角がいいのはちょっと安心。

ある日ネット上でふと目にしたこと。
前の前に最大吉方の引越をした私ですが、それがどうやらとんでもなく厳しい方位だったということです。
その年のその方角は私にとって大吉ではあるけど、50歳過ぎていたらとても耐えられないのでやめた方がいいくらいハードな、苦労で始まる方位だったのだそうです。

かなり弱っていたというのに、知らずにやってしまいましたよ。道理で命が危ないと思うほど大変でした。それがその前の引越のせいかと思っていました。もしかしたら両方のせいかも知れず、ただの偶然かも知れず。

しかし苦労の後、じわじわと勢いを増しながら際限なく開運していくそうなので、楽しみです。これは信じた方が得です。プラセボ効果いただき。その方位の意味というといろいろあるようですが、人生のリセット。花を咲かせていない人にはぴったり。子孫繁栄。ほんとならいいね。相応の努力次第だろうけど。

その次の引越の方位の意味のひとつには家庭内の平和みたいなのもあった気がします。複雑な家庭環境の影響から来る精神状態まで修復が要りそうなのに、特定の方角への引越でうまくいくようになるって?それはわからないけど、現状に無理のない対応をしながら希望は持ってやっていきます。

子供の頃から抜け出せないと思っていた苦しさから抜け出せたような気がするのも確か、アンラッキーのスパイラルからも出た気がするし。気が付いたらこんな年齢ですけど、そんなに気にならなくなっています。現実は変化するものです。

高島野十郎展  自由の厳しさ

2009-11-30 00:13:53 | おもったこと
福岡県立美術館の高島野十郎展に行きました。この間行った「名画に恋して」の後に観るには時間が足りなさそうでまたの機会にということにしていましたが、チケット半券があれば割引が効くのはその期間中というのを展示期間と勘違いして慌てて観に行ったのです。お昼から別の用があるという日曜の午前。これは絶対見逃せないから。よく見たらもう一週間くらいはあるんでしたか。

特に静物が心に迫ってきます。何かよくわからないけれど強く伝わってくる、それなのに写実的な絵です。画家は対象と会話ができたのでしょう。お互いに応え合ったのでしょう。しかしどこまでも真剣で誠実な会話です。弱っている時に見るものではない絵。

風景画からは沈黙が聴こえてきそう。静けさどころでない、本当に音のしない静寂。それは場所ごと季節ごとに違う、音の無さ。画面をはるかに超える範囲で振動を起こすものの不在であったり、更に雪が吸取った結果の無音であったり。今の時代には無くなってしまったけれどほとんどの人は気づいていないことが絵の中にありました。今の時代に同じような風景が描かれても、画面には電波を含めて様々な振動が表れてしまうのではないかと思えてしまいます。

年を取るほど明るくなっていくのは多くの画家に共通すること。しかし際立つ特徴は孤独の人であることです。人に貰った衣類は身につけない、グループに所属することもない。それを貫けるのはうらやましいことでもあります。普通の人は小さい子供のうちから有難く受け取ることを強要されそれを受け入れるしかない状況を生きるのですから。どんなに自分の美意識や価値観に反するものであっても、それが自分の日常を構成し感覚に影響するのがいやであっても。運が良ければ幼いうちから好みを主張できるけど人によってはその力が一生働き続けます。

自分の価値観と感覚を守りぬくことができた人。しかしその厳しいこと。

助けてと言えない原因を推測

2009-11-27 23:57:39 | おもったこと
NHKの「クローズアップ現代」で取り上げられた、「助けて」と言えない人々について、ネット上に多くの意見が出ているとテレビで言っていました。実は私も書こうと思っていたのですが、余裕がないままそのうち忘れてしまっていました。

私が考えるのは先の大戦の影響です。社会全体の風潮、父親の父親が軍隊で身につけてきたことなど、人づてメディアづてだったのであまり真に受けられたらいけませんが、あの時代に強調されてしまった感覚が今の時代背景との組み合わせでは非常にまずい相乗効果を出してしまったのではないかと考えています。

確かに私はあの戦争の影響を、父を通して受けていると感じます。おそらく母からも。何も影響のない人などないはずですが、誰も戦争のことを言わないので、思い出してほしいです。

戦争に限らない、それよりずっと前から続く何かもあるでしょう。しかし次の次の世代まで、おそらくものごころつく前から伝わってしまった戦争の頃の洗脳からまだ醒めていない部分がありそうで、とりあえずここから対応したらいいのではないかと思います。どうやって?まったくわからないけれど、まずは自覚。もし戦争が関係ないとしても、そういうふうになってしまうまでの過程を考えるのです。考えてもわからないことだってありそうですね。