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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

振込むぞ

2009-10-03 00:33:16 | おもったこと
今、ATMの前に居る。そちらの口座に振込むから、操作の仕方を指示してほしい。

職場でそういう電話を受けたことが何度かあります。
振込め詐欺が世間の話題になってからもありました。
もちろん、銀行の人に教わるようにお願いしました。



私はお勤めしたことでずいぶん色々なことがわかるようになったんだなあと思います。学校を卒業した後、もしも家の外で仕事をすることが何もなかったら、また、それなりな業種でなかったら、今頃どんなふうだったか。


今日私はATMで数件の振込をしました。速い速い。その日の日付でできるぎりぎりの時刻に行って、ちゃんと片付きました。いつもの慣れた操作です。それでも何度も何度も確認を重ねながらです。


心細さと戸惑いは宇宙の果てまで広がることもなく、意識することもなしに自分の足で楽に立っていられます。ありがたや。振込に関しては。


振込みがすんなりできるって小さいことだけどたいしたことよ。しかしできなくても何がわるかろう。仕方がないんです。その分別のことができるのかもしれません。

方角は気にかける

2009-09-27 10:17:21 | おもったこと
母方の先祖は亀卜をやっていたのに、ほとんどの占いは気にしなくてもいいけど方角だけは気をつけた方がいいというのがわが家の考え方です。それにしては母はちっとも詳しくないし憶え違いもあったのは、引越が滅多にないような家だったからでしょう。

前に住んでいた海の近くから今の場所は南西にあたります。当時は自分の生まれ星にとってその年の吉方ということだけ意識して決めました。その方角の、その年特有の効果も本来の効果も期待できるようです。最近知ったのですが、南西は吉方の時に使えば努力が報われる方角だそうです。

その年には良い方角であっても、月、日、時間によってもよしあしがあるらしく、今の場所に引越後丁度3カ月経った頃にひったくりに遭ったので月に関しては確かに良い時期からちょっとずれていたのを思い出しました。日や時間まで気にしていたら何もできません。しかし年は非常に慎重にした方がいいようです。方角によってはそう何年も経たずに、あるいは12年くらい経って影響が出るなどして、命にかかわることもあるそうですから。

海の町と今の町と、それぞれ何年目にその効果があらわれるか、それが書かれた古い古い本のコピーを引越の時にどこにしまったかわかりません。

そのまた前の引越しがわるい方角でしたが、それからあれこれ不調が続きながら海の町にいる時に問題の8年目が過ぎ、9年前の引越と同じ日を境によくなっていきました。そんなにもきっちり日が決まっているなんて思いもよらなかったことです。海の町が一番良い方角で引越したので害が緩和されたはずでしたが、本当に命がかかわる危機だったとも思える時期を過ごしました。そんなにも当たるなんて偶然だと思えば偶然でしょうけど信じた方が安全じゃないかと思えてきます。信じてもたいして問題のないことなら遊びのつもりでやります。問題の起こることならやらなければいい。でもこれまでのところ問題はありませんから。

さて、私はちっとは報われはじめた気もないでもなし。いや、あたりまえに向かってほんのちょっと進んだだけかも。過去のすさまじい日常も、私自身のやり方がまずかっただけで努力とは言えないのかも知れません。仕事をこなせばこなすだけあてにされて、やったことは気づかれずその成果は自分のものにならないという「癖」を直して、自分のための努力をしないと。

でも、気づかれなくてもやるべきことはあるんです。気づいた人がやるべきことはいつの間にか私ひとりの仕事になってしまう。何か私がほかの人にさせないような雰囲気を持っているのかな。

開運のために日帰りでもいいから良い方角へ行くべし、だそうです。里帰りは良い方角と見なせるらしいです。今日行く予定の納骨堂もきっとそうでしょう。

あーしかし、地下鉄はよく蚊がいるなあ。街と田舎を結ぶから。しかし南方から飛行機に乗って乗換えして来たのもいるかも。

フリップフロップ、スカラップ

2009-09-25 08:33:17 | おもったこと
大風で折れたあと長らく日傘を使わず、暦の上でもカレンダーの数字でもとうに秋は来ていて、やっと日傘を買ったのは、スーパーの安売り日。ポイントカードで更に値引き。

畳んだ状態ではさえない曲線を持つ、色はまあ無難なのを開いてみると、なるほど縁がスカラップで、骨の先のところがほんのきもちばかりとんがった6花弁のできあがり。さす人はこれを地面に落ちた影で楽しむのです。

ディテイルよりは大局を見たい私は模様や刺繍より全体の輪郭。そういう楽しみも新しくていいな、と選びました。晴雨兼用。

ずっと日傘、そしてある日とうとう雨傘デビューとなりました。そこでやっとわかったのは、縁のスカラップは雨傘に向いていないということです。足の運びにしんくろなして揺れる傘の縁と聞いたならちっとは楽しくもあるけれど、実際滴が傘の中へと飛ぶ飛ぶ。しかし傘が無いのに比べたら。

私はデザインよりは機能重視の人。しかし機能に問題あってもまた不便でも、一度手に入れたからには使える限りは使う傾向。

こんなふうな構造上の問題など、これだけ長く生きていてもまだまだ新しく発見するなんて。

とにかくあれは影がこれまでのどれより楽しい日傘です。

ゆっくり第一

2009-09-13 17:44:56 | おもったこと
父は手術から一週間ちょっとで退院しました。

手術の翌日にお見舞いに来た母の友人は、父が点滴を引きずって歩きまわっているのを見てびっくり。まだベッドで動けないでいると思いこんでいたそうですが、今の手術は昔とはずいぶん違うのです。その人はもとはその病院の看護婦さん。だいたいわかっているからと見当つけて行ってみると建物がなくなっていたのです。きっとうんと良くなった新しい建物をみて感心されたことでしょう。今は見晴らしも使い勝手もよく、患者さんには居心地よさそうなつくりです。

私はこのところ毎週親のもとに帰るし仕事帰りに病院へ父に顔見せに行くし仕事は忙しいしでばてており、今週は帰っていません。忙しくてお稽古も行かなかったら運動不足で不調気味でした。やはり行くと行かないでは大違い。

今日は母はまた別の友人と「阿修羅展」に行くのだそうです。よかったら11時にライオンの前というけれど、私は別の日にひとりで行くよ。早く行かないと混みます。でも私は休養第一。平日に休みを取って行きたいけれど、忙しそうだなあと心配です。行けなかったら連休に。東京の展覧会に行けなかった人やもう一度観たい人が全国から押し寄せるのです、連休に。

今回図書館から借りているCDは宗教曲2枚。なんとなく。ポメリウムなんていうグループは初めて知りました。もひとつはアヴェマリアだらけ。気持よく聴いていたいけど洗濯機まわさにゃー。掃除機かけにゃー。

先にゆっくりしてしまったから。片付いてない。いいんです、ゆっくりは大事だから。

誤解を狙っているように聞こえる

2009-09-05 11:50:28 | おもったこと
ニュースはひたすら煽ります。だから病院で受診する人も増えるでしょうよ。以前は病院などかからなかった程度の症状でも。うまいですねえ、ニュースの言い方。受診したみんなが新型インフルエンザに罹っていたみたいなイメージができるではありませんか。そして、聞いた人はたとえそれがわかっていても次第にイメージが混じってしまう可能性が高いです。身近な人とその周辺にはインフルエンザなんて誰もいません。これだけ騒いでいたら自分の付近で「あの人の知合いの○○が罹ったらしい」くらいの話はありそうなもんですが。

なんとしても夢の中で

2009-08-31 09:30:33 | おもったこと
そろそろ朝だとうすうすわかっているのでしょう。私は結構長いあいだ逡巡します。考え込むというよりは。借りたものを返しておらず、どこに返すんだったか。誰に。よくあることです。

今朝は電車をいつの間にか降りて気がついたら街中に出ていました。乗車券を買わなかったから精算するはずだったのに。道を戻って精算窓口がどこにあるのか、探すのにずいぶん時間がかかりました。しかし戻るといっても本当に同じ道を引き返したか不明。

夢がそろそろ覚めるから借りたものは返しておこうという気持ちがあり、これは夢なんだから返さなくていいのという考えが起こり、いや、夢でも返した方がすっきりするし現実で癖がついたらいけないからなんとしても返さにゃという思いがあって、夢のなかでうっかり物を預ったり借りたりすると大変です。

移動図書館が停車していた跡は丈の長い草がそよぐばかり。その車がいつ来るか以前に、私がその場所を間違えず忘れす本を持ってくるか自信がありません。

そのうち意識はかなりはっきりしてきて、返さないと起きるわけにはいかず、目を閉じただけのかなり覚醒に近い状態でなんとか返すところを想像してやっと目を開けます。ただ返します。何処へも誰へもわからないまま。更に、その頃には何を借りたかさえはっきりしなくなっていることが多いのです。どういうふうに返したか、よく憶えていません。

さて今朝の電車代はどうしたんでしたっけ。勝手にそこらに精算窓口があったことにして払ったのかも。現実ではもうずいぶん昔から自動精算機を使い慣れているけれど、何故窓口なんでしょう。多分はっきりしたことがわからないから何か聞きたかったのです。

ちょっとでも効くといいね

2009-08-06 00:53:39 | おもったこと
検査入院から帰ると父は毎日喜々として畑や庭をいじりまわっている様子。胃がん、転移なし。そのうち手術を受けますが、これこそ母が待ち構えていた家の改修のチャンスです。ケチな父のいない間に。しかし今時の手術はあまり多く切らないし回復も早いんですよね。

以前母に会った時はがんに効くという噂もある杏仁豆腐を持って帰ってもらいました。杏仁豆腐も色々で、杏仁霜を使っていないものもあります。その杏仁霜も、甜杏仁の割合が少ないかも知れません。以前私が久しぶりにお店で杏仁霜を見ると、昔以上に違う成分が増えていたという記憶があります。あの日、もずくもがんにはいいらしいよと言っておきました。そういえば、枇杷の種の粉はどうしたのでしょう。東京の伯母にあげてしまったのかな。どれもどの程度効くのか予防できるのかはわかりません。

先日帰った時に冷蔵庫にもずくが入っていました。母はまだ食べないまま忘れていたのです。器に分けてみたけどなんとなく物足りない。何か飾りはないかとふと思い出したのは玄関横にあるペパーミントです。小さい葉を1枚ずつ中央に。もずくとは意外な取り合わせですが、結構良かったです。

臭い推測ささやかな歴史

2009-08-06 00:37:35 | おもったこと
某市民センターにある図書館には古い漫画全集がずらりと並んでいます。ほかではこれほどの充実は見たことがありません。しかしその棚の臭いことといったらありませんでした。何故そんなに臭いのか、わからないまま。

最近漫画全集の刊行に関してPR誌にあれこれ漫画家の思い出話など載っています。電車の中でそれを読み、市民センターの漫画の棚を思い出していました。

帰宅して荷物を下ろし、ふと目に入ったのは机の上に置いていた築港の日雇い労働者支援のちらし。突然漫画の棚が臭かったわけがわかった気がしました。

今はホームレスというけれど、昔は浮浪者。今のホームレスは横を通りかかってもほとんど匂わないけれど、あの頃の浮浪者はものすごく臭い人が多かったです。数メートル離れていてもその存在が辛いほど。おそらく当時は自分の意志でそういう生活をしている気合の入った人が多かったのでしょう。その浮浪者らしき人々はにおいの程度は様々ですが彼らがよく過ごしていた場所というと、福岡の日雇い労働拠点である築港の近くの図書館。それが移転した先は確か海の近くの新しいきれいな総合図書館ですが、おそらくキッタナイ漫画は一番近くにある市民センターの図書館に行ったのでしょう。本当かどうかわからないけど。

市民センターの図書館へは行っても漫画の棚の前へは長らく行っていません。今は防臭スプレーもあるので、あの棚はもう臭くないかも。

それにしても、仕事がない人が図書館で過ごすのはなかなかいいことだと思います。きっと何かいい発見があることでしょう。職探しの場所から近いといいです。例の市民センターのまあまあ近いところへ職安が移転してきています。図書館も職安も移転はかなり前のことですが。

支えられる人は支える人

2009-08-02 09:59:06 | おもったこと
友人が税理士事務所を移転し、実質的に一人立ちしました。

仕事は相当忙しいらしく、夜遅くなることもしばしばでろくに家事もしていないと言っていました。だんなさんは仕事場が家の一部なのでそれなりにやってくれているそうで、本人はそうでないだろうけど聞いている私はなんだか安心。彼らはこれまで苦しい時をしっかり支え合ってきたからお互いのおかげで今があるのをわかっているはずです。

彼女は軌道に乗って慣れても忙しいままでしょうけどそこまでがきっと大変です。

まるで関係のない学部を卒業しておいて地道に勉強してここまで、よく頑張っています。

電話の声は大学生のころのままに思えるけれど、知り合ってからもう30年経ってしまいました。

未来は予想もしない方へ向かうもの。若い頃はそれがどちらかというと不安でしたが、私は先のあてなどないわりに今ここまでくると楽しみのようでもあります。

お祝いに贈った鉢植えが彼女を元気づけ何かある時は身代わりになってくれるように頼んでおきました。

大変な時に安心して頼れるのは、人を支えたことのある人ではないかと最近思うようになりました。

テレビで老いてから子供に頼りたくないという人が、自分は若い頃に親の面倒を見なかったから子供の世話になるわけにはいかないというようなことを話していたのです。

人を支えることは未来の自分の気持ちを支えることでもあるわけだなあと感じました。

みがわりにみがわり

2009-07-19 07:32:55 | おもったこと
キリストは日本に来て亡くなっていて、磔にされたのはキリストの弟だという話は二十数年前に複数の雑誌か本で読んだ憶えがあります。のちにトンデモ本と呼ばれる類のものです。

キリストが身代わりになったというよりもキリストに身代わりが存在したということです。

キリストが本人であろうとなかろうと、身代わりです。責める対象にされなくていいところをされてしまうのが。しかしこれはなかなか意識できないこと。そこを意識していたのか、それともそもそも身代わりとはほかの意味を持つのか。

もしもキリスト本人が磔にされていたら身代わりという発想が起こらなくて今の時代にも身代わりという言い方は無かった、なんていうことも有るかも知れません。

十字架の縦の線が何を、横の線が何を表わしているという説明も何度か読んだことはあります。♪丸に十の字のオハラハー桜島♪と共通するものがあったりするかも。考えるほどに謎は深まります。

おそらく今の時代に来る途中、宗教は守り続けられながらも多くのこじつけとでっちあげと勘違いと思い込みと隠蔽と忘却があったことでしょう。キリスト教は宗教会議によってしばしば解釈や考え方が変えられているらしいです。

十字架の意味を自分なりに考えてみた

2009-07-15 01:05:51 | おもったこと
人間は悲しみ苦しみの原因をどれかに決めてしまわないと落ち着かないのです。本当の原因でなくても、責める対象が決まればそれで落ち着きます。
キリストの磔とはそういうことでしょう。十字架は、自分はその人を責めていいのか、本当の原因はほかにあってその人はその代わりではないのか、と意識するための装置なんだろうと私は思っています。

十字架を検索してみると、キリストが身代わりになったことを忘れないためと書かれているのをよく見ます。これだと、身代わりという方法があるよ、みたいな印象を受けます。漠然と、ただ身代わり。私たちの罪のを被ってくれた。何故そんなに唐突に?

かなり昔に私がどこかで目にしたのは、身代わりになってくれて、人間の罪を負ってくれたおかげで私たちには甘美なしあわせ、ありがたい、というような文章だったか歌詞だったか。私は嫌悪感を持ちました。そして納得がいきませんでした。

昔は運が悪かったという諦め方がありました。それが必ずしもいいとも思いませんが、こじつけてまで誰かを責めなくてもよさそうなもの。一方、関係のある立場は人の辛さを理解しないといけない。責めなければ理解しそうにない人もいるでしょう。私なんていかにもそういう人間だし。昔と違って今は益々厳しく責める時代です。

人間は身代わりでもいいからとにかくだれかを責めたがります。それを意識しなかったらいつまでたってもキリストはただわけはわからないけど身代わりであって、どうしてだか知らないけど罪を背負ったのであって、十字架の意味についてはどうつながっているのかわからないけど奥の深そうな説明がされる。かもしれない。でっちあげればありがたみのありそうな意味づけがいくらでもできます。言葉を並べて結びつける能力次第です。

キリスト教をよく知らない私が勝手にそう思っただけです。

代替交通機関なし

2009-07-04 19:49:58 | おもったこと
今住んでいる所が実は時々交通の便が良くないということはかなり前のある日大風で電車が止まった2度めくらいに知りました。列車以外に交通機関がない、バスがあっても途中の駅には寄らないで遥かな街中でしか降りられないというのは、育った場所では考えられなかったことです。代替の交通機関が2つくらいあって当たり前に思っていました。何もない状態なんて想像さえせず。

その日は朝出る前にニュースで大雨による列車運休とわかりましたが、念のため駅へ。いつにもない人ごみの中を進むと、立看板みたいなホワイトボードに他の交通機関を使えと。

少々歩いたところにあるバス停の行き先を見てみると、隣駅へ向かう便しかなく、その駅も列車は動いていないのです。道路は延々数珠つなぎ。これも念のために反対側のバス停。知らない地名が並んでいました。この混みようでタクシーを使えば大変なことになります。


帰宅して職場へのアクセスを探したけれど、どうも見つかりません。地下鉄とJRの境目の駅へ行けばそこから動いているのですがそこへはバスの便がなくて、職場の近くへの便ならあったはず。そう思って検索を続けたのですが、どうやらそれさえないのです。無くなってしまったのか、ほかの便と勘違いしていたのか。職場には午前中休むと連絡。

テレビでは件の駅が混雑してそこからタクシーさえなかなかつかまらないと言っていました。

ニュースで代替交通機関はなく運転再開も決まっていないと流れた直後、列車運行情報のページを更新すると、運休は徐行運転に変わっていました。惜しい!早めのお昼ごはん食べておくんだった。

お昼のしばらく前に出て、まだ電車が来ていなかったのでパンと飲み物を買って駅に入りました。風除けのついたベンチに隠れてこっそり食べるつもり。しかしがらんとした乗り場にだんだん人が増えてきました。しょうがない、座れただけまし。食べる。目の前はひろびろ、田植えの済んだ田んぼです。

ふた駅前の始発の時刻が放送され、みんなおとなしく静かに待ち続けました。運転再開から2時間近く。遅れていてもそろそろ来ていい頃だと思ったら、運転士が手配できてないとのこと。発車予定から45分でやっと動き出しました。

職場に着いたってあっという間に5時になろうし、体調もイマイチ。大きなイベントの前だけど準備の大事なとこはもうできていて、電話で休んでいいですかと言おうと再度かけた時、上司は出勤させることしか頭になさそうだったので出てきたわけですが、やはり出てよかったです。幾つか聞かれ幾つも確認が取れ幾つも決定、前進。居なくても済むといえば済むけど気分は大違いでしょう。連絡ついてすいすい進むってきもちがいいなあ。

心配に反して帰りの駅は何も無かったかのような表情でした。降りるのはいつもの交通の便利が良いベッドタウン。田んぼがひろびろ。

「よみがえる黄金文明展」に行った

2009-07-03 08:43:16 | おもったこと
日曜日。動かにゃ。怠けてばっかりもいられない。でも、横たわりたい。今日は博物館に行くんだ。来週の最終日やその前日は混むから今日。まずは朝食をしっかり食べよう。

食べたらくたびれて横になりたくなるのです。平日は気持ちの張りが違うけど、休みとなると徹底的に緩みます。

まあいいや、休みの日なんだし。しばらく横になっているとすーっと楽になって動きやすくなりました。結局私の休日は動こうと起きて無駄な抵抗をするよりは、気持ちのままに寝ていた方が効率よく時間を使えるってことです。

するべき片付けも掃除もほとんど進まないまま、閉館時間ってもんがある博物館最優先。

電車には本を持って乗りたいもの。つい重くなってしまった荷物をコインロッカーに預けてせいぜい軽くし、以前から気になっていた音声ガイドを今回初めて使ってみました。首は人並みな健康を取戻したはずだけどあんなに重いものを下げるのは辛く、襷掛けに。ブルガリアの音楽も流れるということでしたが、たいした長さでもないし音質も冴えなくて。この程度なら無くてもいいな、むしろ進み具合ではセリフが邪魔だなと思いました。

見事な副葬品などが出土したのはバラの谷ということで、会場ではバラの香が漂います。ちょっとしあわせ。

細工は見事、動物を象ったものはほほえましく特徴がよく表れています。水道の蛇口もプラスチック容器も冷蔵庫も無い時代の裕福な人々の生活なんて、地続きで想像し易いのは私の世代くらいまでじゃなかろうか。そんな人々は、今の時代から見れば非常に拙い形の金色したものを飾って得意だったのかな。当時はあれだけの輝きなどたいそうな驚きだったでしょう。金なんてあんまり縁のない私は、ただ色がきれいねとしか思わないのです。金の重さあたりの値段やその変動具合に日頃関わっていたら驚いていたかも。

謎の民族。説明書きの中で気になったのは、高貴な身分の生業は略奪。略奪のために戦う。土を耕す生き方はもっとも卑しい、という文がありました。そうでしたね。今は逆で、戦争は悪であり土を耕すのは貴いと思われる時代。まるでひっくりかえっています。

しかし馬と金属と略奪は歴史の中でしばしばセットになっていないかな。牛を飼ったり石工を受け持ったりというようにそれぞれの役割を持つ民族が海賊の船に同乗したと言う人もいます。ケルト人がフェニキア人と一緒に航海したとか。実際はどうなのか知りません。○○民族は○○民族と近いとか実は同じだとか、入り混じったとか、ありそう。

きんきらきんとバラの香に元気を貰って会場を出ると、楽しみのひとつである売店はすでに白い布がかかっていました。

それにしても今回の展覧会のポスターは格好よく見える部分をうまく使ったもんです。全体では今時の感覚でブサイクなのを。さすが。

「もったいない」に勝つフールプルーフ的ルール

2009-06-27 11:26:06 | おもったこと
「もったいない」という時代になってから増えた無駄。食事の残りを持ち帰られないという傾向があります。「もったいないと」同時に進んでいるものがあります。

懇親会などの料理が余ったのを持ち帰るために詰めてもらうのに、以前はできたけど今はだめなのがあるのです。

自己責任でやりますから。帰ってすぐ食べないから冷凍しますよ。こっちはすぐ煮詰めるんです。生ものといったって、これ食中毒がひどくなるような蛋白質はほとんど含まれてないからいいでしょ。上司と相談してきたけどだめだって、その上司もわかってないわけだ。

ランチのごはんがこんなに残ってしまった。夕方ちょっとひとくち食べるのにちょうどいいから、おにぎりみたいにラップに包んでもらえます?だめ。昔はやってくれたのになあ。

でもしょうがない。そこらの人間は腐敗を五感で感じ取る能力が落ちていて、腐敗を防ぐ方法もよくわかってないことを想定しないといけないし、実際にそうなんでしょう。何かあったら責任はお店になすりつけられるおそれがあるのです。

私は賞味期限以内のものでも腐敗の気配を感じ取ることがあります。それが問題ある程度かどうかもわかります。期限過ぎても問題ないものは使います。自分の感覚でわかるので。食中毒的症状があるのはほとんど賞味期限の問題のないものばかり使っている時で、おそらく化学物質が原因なのです。

みんなわかってないんです。しかし言葉でおぼえたことはしっかり応用できるんです。

そういう世界で生きてきた

2009-06-25 01:15:41 | おもったこと
そうなんですよ、世間はいじわる。
苦しい時ほどいじめるし、本当のことを言っても信じないでいい加減なこと言うなというし、つらい人を責めてこじつけてまでいじめる人をかばう。ぎりぎりまで無理している人に、楽な人を手伝えという。

つらいから少しでも楽になりたくて、工夫に工夫を重ねて健康法をみつけた結果、病気はしない、でもつらいんです。それをわかってもらえません。そして太るだけの体力を持っていて体調のためなど何も考えない人が名前のつくような病気をしていたわられます。

わかってくれないのです。能力のない人に理解を要求するなんてできないのです。

無理の上に無理を重ねたのだから数年やそこらじゃ回復しません。回復のきっかけを掴めたのはおそらく滅多にない幸運でした。でも十年では足りない。回復しかけてやっと当時をわかりかけてくれるのはどうしてでしょう。一番苦しい時にひどく苦しめようとするのは。

今だったらうつ病と言われるでしょうけど、昔は異常なしとしか言われませんでした。健康診断に限って不整脈は出ない。1分でも時間が余れば横たわりたいほどつらかったのに。

何年も経てば、以前信じてもらえなかったことはテレビで有名人の口から出てあまりにも簡単に受け入れられます。問題を指摘する私の感覚が異常だ病気だと言われていたことについて、ニュースが取上げればやっと私ではなくニュースを信じるのです。

苦しい人は更に苦しめられ、そんな人の頑張りは楽する人のものになり、豊かな人は更に与えられる。そういうものです、現実とは。

苦しい方へ進んでしまう癖はあまりに幼いうちから刷込まれます。でもこれによって現実を知ることができるわけです。御苦労さまです。早く抜け出そうね。

いずれ報われるでしょう。経験は理解力のもと