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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

白黒も大事、灰色も大事、いろどりも大事

2011-09-17 23:05:47 | おもったこと
結構有名らしい「カレイドスコープ」というブログ、最近は放射能関係が多いようです。
私はここも全部読んだわけでなく全面的に信じているわけではないけれど、とにかく参考になります。


ここも、これまでに紹介したどこも、全部信じるか全く信じないかのどちらかしかできない方にはお勧めできません。
例えて言うと、白か黒しか色を識別できない人と話すのは大変。しかし実在するんです。しかも身内に。白の中に黒、黒の中に白を、灰色を見て、影を見て、錯覚やある時色が変化する可能性も覚悟しないといけませんが、そこまで私はできるかな?できなくても、せめて灰色は認知したいです。

何をどれだけ信じるか

2011-09-11 21:43:36 | おもったこと
井口和基さんのブログや、さてはてメモ帳など、よそのあれこれを見ていると、出てくる出てくる。ネット時代以前は信用なさげに売られていたあまり見かけない出版社の雑誌でしか入らなかったような情報以上に、思いもよらなかった説まで。どこまで本当なのか慎重に判断を保留しながら読まないといけませんが。そもそも、この類の情報は初めて見る人にはまるで信用できないものでしょう。背景を長年あれこれ探ってない人には。

私は日常からも実感しました。ほかの人を自分と同じように思ってはいけない。人間は、自分も含めてですが、つけあがるおそれがあるということ。ただ、同時に思いがけない心の美しさも発見したりします。

しっかり植えつけられた劣等感が思いもよらないものに変化し枝葉をつけて、化けに化けたものです。それをやった存在がとうとう役目を終えるという情報もあちこちにあります。

結局科学は宗教だったんです。オカルトは実際に裏でものすごく働いていたのです。しかし罠だらけ。大きい偽物は大部分本当のことを言って、信用しやすくできているから、最後の最後まで用心しないといけない。誰にも何に対しても誠意を持って、信用するならそれなりの覚悟で、とは難しいけどそうするしかありません。それなりな目を養うまでは。

自分を信じることが第一。しかしああいう存在は自分を信用しないように 洗 脳 してしまっているから、多くの人はその要領がわかりにくいのです。そして、極端な場合は、全面的に信じられるか全く信じられないかのどちらかという思考の植えつけに成功しています。中間を取ったり保留するだけの記憶力を早期から怠けさせて、使えなくしてしまって。判断は外部の権威に委ね、委ねた責任は取らず外部を責める。

もう責めてもしょうがない。起こった後ではどうしようもない。

権威というものがどんどん朽ちて落ちていきます。信じる基準は国や自治体、メディア、学界には無いと気づいて行動する人たちがいます。

ちっとは曲を知っている

2011-08-16 21:32:21 | おもったこと
高校を卒業した頃に家にピアノが来ました。バイエルを買ってきて我流で練習。たいしてうまくなりません。楽しさを求めて弾きやすそうな楽譜を買ってきました。大学の音楽サークルでやった映画音楽やイージーリスニングなど。今弾けなくてもいつか弾けるかもしれないと思って。

私が大学生だった頃に出回っていた楽譜にある曲を少しずつ知りました。その後も映画音楽がどっさり載った楽譜集を買ってきて、長らくほとんど弾けないままでしたが、それでも部分のちょっとだけ弾いて楽しみました。
もしそんなことが無かったらこんなに曲を知らなかったでしょう。

私の世代で「この胸のときめきを」「ラストダンス」「煙が目にしみる」「コパカバーナ」を知っている人はそんなに多くないと思います(リバイバルとかありました?)。「青い影」を知っている人は年上のきょうだいのいた人か、おませなラジオ番組を聴いていた人だったかも。私はジャズにそれほど興味が無かったのに結構メロディを知っているのです。

いや、全体に知らないのが普通な曲も多いのかな?

音楽にのめりこんだにしてはかなり知識が少ない方ですけど、それなりに少し知っているというのは嬉しいことだと今頃思っています。何もしなかったのに比べたらやっぱり違うんです。

定番だからって

2011-08-12 17:13:52 | おもったこと
長らく愛用していた羊印のおやじチノは定番だからと安心していたのに、とうとう変わってしまいました。色も形も。

形は少々格好良くなったからいいとして(私が体型をよくすればという条件つきだけど)、問題は色。

緑っぽい色を探してやっとたどりついたのが羊印でした。だからもう別のブランドにして構わない。
でも、行ったついでにお買物してきました。いずれあの色を復活させるように何度も店員さんに言いながら。

ずうっと変わらないものなんて無いんです。定番だって変わるんです。よりよくするならまあいいけど、よさに関係なく変わるもんです。

新しい場所に何かが宿る

2011-08-12 16:56:05 | おもったこと
妹姪甥が来ていました。遠くからなのに、新幹線であっという間らしいです。
姪が生まれた頃からお世話になっている病院に診せに行ったり、そろそろ大学進学を考える甥に妹が母校を見せたり。

移転先の新しいキャンパスの印象はあんまりよくなさそうです。それは意外。自然の豊かなところでそれなりな内容で頑張ろうというイメージの報道しか耳にしなかっただけに。

構内の移動が徒歩では大変というのは妹が長らく交通不便な土地で車の生活をしたせいでは?

しかし、人間らしさが欲しくなる環境で、新興宗教にハマる新入生が多いのも無理もないというのです。

昔のそういう施設の造り方と今で何が違うんでしょう。

私はその大学の、米軍基地跡にできた建物に行ったことがあります。エントランスでは建ってすぐは何も思わなかったけど、数年後に行くとほれぼれするような何かが宿っていました。

今度のキャンパスももう何年が経てば人間らしさが宿るものかも。

数字の通りにはいかない、現場に聞け

2011-06-28 18:44:02 | おもったこと
大手メーカーの子会社の人の話。

人件費の安い外国に工場を作っているけれど、実際にはそれほどうまく行かないというのです。

それは本社採用の、公務員で言えばキャリア組みたいな立場の人が机上で作り上げた企画だから。彼らは数字と言葉を組合わせて書類を作るのに長けていますが、現実が見えません。

現地の人は日本人とは感覚が違います。契約した分仕事をするだけでそれ以上はありません。機械が壊れたらそのままで、それをどうするかなど彼らは自分には関係無いと思う、しかし日本人は何とか対応し、そのうちその機械に詳しい人が出てくるのだそうですが。

数字で扱える部分では安上がりでも、全体では必ずしも安くは上がらない、それを本社の有名大卒は知らないのです。

知らなくても当たり前、悪いことじゃない。問題はどこまで目を配って誰にまで話を聞いて進めるか、ということでしょうね。そしてそれを受け継いでいくということ。

もし自分だったらどうだろうと考えてみると、そもそもそういう仕事に就くほどの人じゃないし、頭良くないし。

自分の経験した職場では…せっかく私があることのプロだったというのに男たちときたら聞こうともしない、末端や現場の話も聞かずまるっきり無駄ばっかり!へんなとこをプライドが邪魔するみたいでした。寧ろいくらか有名な大学を出た人の方が聞く耳を持っているだろうなと思ったものです。

辛いって言えよ

2011-05-16 00:00:36 | おもったこと
先月だったと思いますが、テレビで被災地の炊出しに若くて可愛い女優さんが行った様子が流れていました。

料理を受取る女性は多分おかあさん、そして小さな女の子。この子、おねえちゃんを亡くしたんですよという声に女優さんはその子を抱締めていました。

おねえちゃんを亡くして辛いのはあなたの方でしょう、正直に言えよおかあさん!おねえちゃんがどうなったか理解してない子よりおかあさんを慰めた方がいいなんて、女優さんはずいぶん若いからすぐには気付かないんです。

しかし小さい子を通してそのおかあさんは少し癒されたことでしょう。

時代遅れな我が家

2011-05-08 22:52:40 | おもったこと
ユッケとはどういうものだろうかと我が家で話していました。耳にしたことがあっても、食べたことはありません。最近ニュースでよく目にするようになったので少しわかってきました。

母は自動販売機が苦手。使う必要がある場合たいていはほかの人にさせるのですが、ある日ある集りで自販機で買ってくるように頼まれました。どうしていいかわからず、通りかかったおじさんに聞いたらさっさとやってくれて、やはり使い方がわからないままだといいます。
確かに何をどういう順に操作するかなんて見ただけじゃわからなさそう。おそらく恐いと思って関わろうという気持ちが起きないのです。以前は10年最近は1年に1度くらいしか使わない私もあのごとんという音は恐かったのでわかります。

もしも私が学校を出てすぐ専業主婦にでもなっていたら、切符の買い方もATMの使い方もパソコンの使い方もわかってなかったかも知れないなあと思います。いざ使うとなるときっとかなりな勇気が必要です。アクティブなタイプには思えないから。でも自分でも意外なほどアクティブで新し物好きな面もあるのも確か。

別に時代に追いつく必要はないけれど、使い方は知っていた方が良さそうです。

機会があれば私が監督しながら母に自販機を使わせてみようと思います。ただ、そのきっかけが見つかりません。母はよそでお茶もらったと言ってペットボトルを持ち帰り、賞味期限が切れた頃になんとか飲むのです。

我が家では誰もまだ回転寿司のお店に入ったことがありません。だけど特に食べたいわけでもなし。

いそがなくてだいじょうぶ?

2011-05-02 23:20:21 | おもったこと
国の予算が決まったって?聞いてもあんまりよくわからないけどね。

あら、仮設住宅は義援金で建てるわけじゃないのか。その分被災者に多くまわるならいいけど。確か日赤とかは使途が決まっていましたね。

しかし、被災者に義援金が届いたという話題を聞きませんし目にしません。まだ届かないという話題なら数日前に読みました。これまで何かに使われたのかな。

ものすごい金額が集まっているみたいだけど、とりあえず一旦は配らないと、かなり多くが被災直後からぎりぎりの状態で暮らしているんじゃないでしょうか。

避難所にいる人たちはどんな状態か目に入りやすいけれど、よその県の公営住宅やアパートに移った人々はどうなんでしょう。

あちこちで募金が行われていますが、既に思い切った額を振込んだ人がいたりするだろうし、別のいくつもの場所で寄付した人もいるだろうと思うと、そんなにいちいちしなくてもよさそうだなあと思います。しかし、忘れないためには募金があってもいいし、今から初めて出す人やまだ出していいと思っている人もいるでしょう。

神戸の震災の後、ルミナリエが作られたと聞いて、私はその為に寄付したんじゃない、まずは各家庭でとりあえず生活費にするか立直しに使ってもらう為なんだ、と不満でした。しかしルミナリエが喜ばれていて、観光客を呼んでいるそうなので良かったんだなと今では思います。

お金を配る手間と人件費を考えると、一度でやってしまった方がいいわけでしょうか。だとすると、義援金を締め切った後、ということは秋頃に?そんな。当面の生活費を早く配らないと心配ですよおおお

原発無しで済ませたい

2011-04-27 19:22:19 | おもったこと
子供の頃から身の廻りのものは選べるなら電動式よりは手動式を選んでいました。停電でも使えるようにです。そして、実際にその方が好きだったのです。電気製品の放つ気配よりは静かで落着きがあって。電気製品しかないパソコンや通信機器は仕方がありません。


ミシンは電動式でないとまず手に入らなくなりました。しかし手縫いができれば問題なし。

子供の頃停電はたまにありました。あるのが普通というような感覚です。

私が初めて所有したカメラはデジタルです。こっちの方が処理の大変な廃棄物を出さないしいくらでもやり直しが利くところがいいです。

デジタルピアノは本当は好きじゃないけど、夜中に弾けて調律いらなくて場所取らず引越しも簡単、そして実家にはアコースティクのピアノがあるのです。

カメラもピアノも仕事には関係ありません。

無くても生活できるようなもの、頼らなくても平気なものなら電気製品でかまわないのです。もちろんそれでも電気製品でないものの方が好きです。

冷暖房は慣れると無しでは辛くなりそうなので、慣れないようにしたかったです。そもそもエアコンを使う気がないので自分の部屋にあることさえ忘れて生活していましたし、家を出てからは長い間、一人暮らしでは無しでやってきました。そんな状態をある程度経験しておいてなんとなく気が済みました。親と同居しはじめるとどうしても冷暖房の中で生活するわけですが、当分は無しでもやっていける感覚は続くでしょう。

冷暖房の効いた中で生活しながら原発反対を訴えてもあまり説得力は無いだろうと思いますが、私は冷暖房なし生活の実績がある分はやや強気になれます。もしもそんな経験がなかったら今ごろどんな気持ちだろうと思うのです。

節電しなくてもじゅうぶん電力はあるけれど原子力エネルギー推進でお金が儲かるのでそのためにそれなりな言い方がされ進め方がされているんだという説もあります。革命ともいうべき方法を発明した人々は決まって消されてきた、と。いったいどこがどれだけ本当なのかわかりません。

家も幼稚園も学校も辛くて、いつかはそれらから逃れて誰とも関わらず自給自足生活することを小さい頃から空想していたから、エアコンなし生活ができたのです。もしも満足な日常だったならそうはいかなかったでしょう。

どうすれば自分で作れるか。自分で作れないもの、扱えないものは何か。それもずっと意識していました。自分で維持できないものは持ちたくありません。もちろんできるとは言えないけど持っているものはあります。しかし車ほどではありません。扱うのがやたら厄介なら無しで済ますことを考えます。

私は基本的にものを使える限りは使うし再利用や廃物利用して問題ないものはします。比較的少ないエネルギーでやっていけるタイプだと思います。

原発は廃棄物をどこかに押し付けるだけだから、あってほしくないのです。押し付けても最終的に安全に処理が可能であればまだいいのですが。

昔から原発は原爆のおそろしさとセットで私の頭にあります。そんなこわいものは無しで済ませたいのです。


軍隊は人命救助集団に

2011-04-17 20:51:47 | おもったこと
昔は自衛隊を廃止するべきだという意見もよくありました。

あるBBSでそんなことが書かれていたので、私は、「自衛隊は大事です。自衛隊は日本が世界に誇れるレスキュー隊」と書いた記憶があります。それまでは戦争のための軍隊でしかないと思っている人がほとんどでした。その後まもなく神戸で大震災があり、自衛隊が活躍しました。

今では自衛隊は被災地での救助を行う集団というイメージが強くなりました。
昔は軍隊は人を殺すのが仕事だったけど、自衛隊は人を救う軍隊。
世界中の軍隊が人を救う集団に変わっていくといいですね。

沖縄では以前自衛隊員が成人式に参加することを反対する活動があったり、ある主義の人々から白い目で見られたり、つらい時代がありました。

今ほど自衛隊が大事に思われ感謝されている時代はないでしょう。

原発反対

2011-04-16 22:20:41 | おもったこと
私は昔から原発には反対でした。
原発なしでやっていきたいと思ってきました。
一人暮らしはこれまで合計すると十数年ですが、その間エアコンを使ったのは2時間もなかったと記憶しています。あっても使いませんでした。

各家庭が省エネしても全体のうちのほんのわずかだというけれど、本当にそうなんでしょうか。もしかして原発推進派に都合のいいように作られた話?それとも?

省エネで経済が縮小するならすればいいと思います。今の経済は永続しないシステムとしか思えないのですが、いずれ終わるならすぐ終わらせてさっさともっといいやり方に切り替えた方がいい。

選挙公報なしに投票しろって

2011-04-10 17:10:34 | おもったこと
この2年ほど、選挙公報が来ないねえと話しています。全然じゃなくて、投票して帰って郵便受見たら届いていたということが一度ありました。

検索してみたら、どうやら今回作ってないらしいのです。

自分で調べて投票しろって?この体調よくない時に。

選挙に行くくらいはできる。でも、調べるのはきつい。白票にするかどうか考え中。

心はからだ次第

2011-03-27 19:36:53 | おもったこと
長らく辛さに耐えてきてもう限界、パニック寸前の人を、どうしたらいいか。
私の経験では、背中をさするか肩もみするかは効果がありました。

自殺を考えているようなにおいのする人には、運動不足を指摘して(ほんとにそうならですが)、手先や足先を動かすこと、ストレッチ、汗をかくようなスポーツなどを勧めること、夜型生活を朝型に変えて朝日を見るよう勧めることなど。

今はプロに相談する手掛かりも増えているのでそれをすすめるのがいいと思いますが、その人の行動の仕方から予測して急ぐべき時は安全性が確信できている限りそんなやりかたでいいのではないかと思います(状況によっては肩もみがむしろ危険な場合だってあるでしょうし、相手の性格などでも判断するべきでしょう)。

人によって何が効果的かわかりませんが、脳の血行をよくしてあげるのが良さそう。狭く少ない回路を堂々巡りしている人には、まず血行。

悩んでいる人が私に話したいでしょうか。同じ経験もないしものもわかってなさそうでのんびりした顔の私に。私は聞き上手でないのです。それよりは自分で解決してもらう。そのためにまずは血行。

プライバシーなどに入り込まずただ肩をほぐす。筋肉まで扱わなくても、皮膚を少し動かすだけでも血行が促進されるはず。
あたたかい手を背中に当てるだけでも安心感につながるようです。

一昔かそこら前のこと、ひとりでいて辛くて仕方がない時、背中の湿布で少し楽になるのを発見しましたが、自分で肩もみする要領も身につきました。横向きに寝て、下になった方の手を前からまわして肩・背中へやりますが、その肘の高さをもう一方の手を使って調節します。これは起きた状態でも可能です。肘をもう一方の手で押して、肩や背中のマッサージ。

心はからだ次第なのです。
動こう。のびのびしよう。

創造力を阻害しつつ伸ばした

2011-03-25 18:13:21 | おもったこと
創造力を阻害するものが何なのか、自分に関して、今はある程度見当がつきます。

両親が太っ腹とその逆の両方居て、必要なものを手に入れようとせずあるもので済ます、なしで済ますという傾向が強いということ。同時に、必要と思うものは分相応以上のものを手に入れる場合もありますが。

わが家の極端な貧困に転じた時代を、有り余るものもあると同時に困窮もする生活をした父の感覚を、私は部分的に必要以上強く、または弱く影響を受けました。

のびのびと素材を使うなんてなかなかできません。絵の具が盛り上がるように使われている絵を見ると、自分にはとてもできないと思うだけでなく、そもそも絵を描くことさえためらうのです。

しかし阻害するそれこそが、工夫のもと。その感覚は鍛えられました。それも一種の創造力でしょう。

何がいいことなのか、結局未来がある程度進まないとわからないものです。不幸に見えたことが後の幸運に欠かせなかったり、嫌いな人がチャンスをもたらしてくれたり。

これを書きかけて数日ほったらかしていたら、あの方が同じ主旨でつぶやいてらっしゃる。先越されたみたいで悔しい!