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す ず な り

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リアルな場の音楽は終わり方がだいじ

2012-10-27 17:48:03 | おもったこと
長らく浮かんでいる音楽のひとつは「キャプテンウルトラ」のオープニング音楽。
斬新だなあと、この世に出てから何十年も経つのに思います。しかし気になるのは終わり方。

スナフキンのおさびし山の歌も、全部聴けなくて不満を持った人は多いはず。もしかしてこのちょっと足りない感がひきつける力なんでしょうか。

タイトル音楽やコマーシャル用は終わらなくても良かったんでしょう。途中で場面が変わるのが普通な世界は。しかし今の時代はカラオケという商売につながるから、ひとつの曲になる場合が多いのではないかな。

ウイスキーがお好きでしょ。それで終われたのです。昔ならば。この曲の先がどんなものか知りたくて悶えた人もいるか、それとも自分で想像したか、昔ならばその世界は無限に美しく広がって閉じることがないとしても普通だったのです。しかしいまどきですからひとつの曲に作り上げてあります。なんだその程度か。自分の想像力はたいしたことないのに、自分よりはるかにうまい人が決めてしまえば面白くないのは何故でしょう。

音楽が再生されるだけの時代ならブチ切れてもいいし、フェイドアウトもできました。フェイドアウトという手法がプロっぽくてカッコ良かった時代。しかし演奏される時代の音楽はそうはいきません。karaokeという言葉は世界で通用し(キャーリオーキーと聞いてわからなかったなあ)、オヤジバンドが増え、部活で楽器をやる生徒が多い時代。

ピアノの楽譜の終わりに fade out と書かれていてあんまりだと思ったのはカラオケが普及するちょっと前に出版されたものでした。

お茶は飲まなくてもいいんです

2012-10-06 09:40:44 | おもったこと
ふたつ前の投稿に書いた、出されたお茶が飲まれない理由で挙げた例は本当に極端な例ですが、普通は

・お茶が好きでない
・お茶断ちしている
・ダイエット上特定の飲み物を飲んでいる
・この後のトイレの都合
・無農薬と確認できたのじゃないと飲みたくない
・よそのお湯呑の洗い方が気になる

だろうと思います。普通?じゃないのも書いてしまったかも。

お湯呑の洗い方、見ているとそれはあんまりだと思う場合が多いです。実験器具洗いがしっかりしているからきっちりした値が出ていたという母の食器洗いなんて見てられません。職場の共同の流しでは信じたくないこともいくつもありました。あれが普通。私のやり方はくどすぎ。くどい洗い方したのに洗い残しを発見したりして、その度に洗い方が変化していきました。

本当はどんな洗い方されてどう扱われているかなんて知らない方が、考えない方がしあわせです。でもお茶は食中毒を予防する効果がないわけじゃない。ちょっとくらい汚れていても乾けば菌はあんまりいないでしょう。

いや、そもそも、私の前に現れたこのお湯呑はきれいなんだ。きれいかどうか考える必要ないくらい、お湯呑というものはきれいなんだ。そうですとも。

お茶が出てきたら洗い方は考えないで、ありがたく味わうことに専念します。お茶によって好意の受け渡しがされ、心地よさによってその後の展開があります。

そういうわけで、私は今の条件で最高のお茶を出すつもりではいますが、飲まれなくてもその気持ちはよくわかるのです。お茶にこめた気持ちを提供できたことになんとなく喜びがあったりします。色や香、放たれる性質みたいなものを。

あちこちありがとう

2012-09-29 00:20:32 | おもったこと
父が認知症、母は高齢、私はひ弱で頼りない。そんなわが家を古くからのご近所さんは助けてくださいます。

さあこの状況なんとかしたいねという時に渡りにいたれりつくせり満載の舟。

ありがとうございますに対して、私はおたくのおじいさんにずいぶんお世話になったから恩返ししないとということでした。

祖父が亡くなって二十数年経ってからつくづく母はおじいさんはこういうところをしっかりしてくれていたとありがたがっていたところでしたが、またひとつ。

そこらじゅうにありがとうのもとがあります。私はこれまで数えきれない恩を受けましたが、若い頃ほど人並みはずれて気づかない性分でした。気づかれないようにしている恩人もおそらくたくさん。そして、知らない人が親切にして通り過ぎていきます。

ありがたや~

近況

2012-08-19 15:04:32 | おもったこと
朝は烏があっはっはっはとか鳴いていました。

月末まで有給休暇消化中です。

これまで認知症の父の世話で大変だった母の負担軽減、そして休養。
仕事に行かないならあれもできるこれもできると思っていたのに、私はやっぱりかよわかった。暑さでばてまくり、ちょっと力仕事するとしばらく動けない。力要らない仕事でもそう。そんなふうであまりたいしたことはできなかったのですが、母は以前より元気で、安心して出かけたり動き回ったりしています。安心して夏を越せそうです。

そうして私も体力増強中のつもりですが、あまり動いていないのでおそらく骨や筋肉は以前ほどじゃないでしょうね。ただ、疲れがかなり取れた感じ。そして、髪が増えました。

庭に高砂百合があちこち咲いています。

どこがいいのか人気もの

2012-05-26 21:22:00 | おもったこと
この曲はいかにも駄作だなあと思ったら、近くにいた男性はしみじみいい曲だと言い、ほかの男性も同意していたのにびっくりしました。ということは歌詞がそんなに訴えたんだろうかと。歌詞のない演奏なのでどんな歌詞なのかわかりませんでした。誰の曲か聞いたら人気のある俳優か歌手か知らないけど、去年ドラマの主演をつとめた人。女性に人気があるんだと思ったけど、もしかして男性にも?

そういえば私は昔から、人気のある俳優やアイドルなど、ちっともいいとは思わないという場合が多かった。というより、それがほとんど。

名曲と言われてもどうしてそんなにいいのかわからず。偉大な作曲家、偉大な作家。批判的に言っていると私がとんでもない非常識というふうな感じになってしまいそうなので、高名な人については批判しないようになっていきました。

今回ろくにものいわなくてよかったです。有名人や人気者に注意。

居るのは嬉しい

2012-04-29 17:33:32 | おもったこと
雲ひとつないのに庭のアマガエルが高笑いする日にお出かけしました。その声を聴けて嬉しく思いながら。

城跡のお濠端を歩いていると、大きな鯉が寄ってきました。普段そうして餌をもらっているのかな。
(ごぼっ)
左右に太いヒゲが1本ずつのひょうきんな顔。
あ、こんちわー。
あら、こっちも。
こんちわー。
ごめんね、餌持ってない。
結構大きな鯉が意外といっぱいいます。
顔出してくれても何もありません。
(あーーーん)
わぁ、そんな魅力的なくちびるで大口開いて。内臓まで見えてしまいそうではしたないよ。持ってないんだってばー。
亀さんはある程度の距離でじっと見られていると思うと潜るようですが、1匹だけ顔を出し続けるのがいました。やっぱり餌の期待かな。

そして帰りの同じ道。
ベンチに猫が寝ていました。薄汚れ具合、中年太りの感じ、そして色柄の野暮ったさと三拍子揃った猫好きキラータイプが。
ふーん、玉三郎くんか。名字はよくある名前。首輪には名前住所電話番号に続けて「自分でおうちに帰ります」と。
住所電話だけだと心配して電話する人や送ってくれる人がいるんでしょう。
本当は玉三郎くんと遊びたくてちょっと様子を見たけど、まるで起きる様子はありませんでした。

誰か何かが居るというだけで嬉しかったりします。
存在するとはそれだけで既にある程度の魅力があるようです。

困るねっさ~んす

2012-01-23 00:12:56 | おもったこと
かんぱ~い。
こつん、こつん、こつん。

グラスや紙コップをぶつける時に、相手と高さを変えるのは生き物の動きとしては不自然な気がします。
目上の人とこつんする時は自分が低くなるように持つべきといいます。それもいつの間にか誰かが勝手に決めたことでしょ。返信宛先の「行」や御出席の御の字を、せっかく相手が書いてきた字を、線で汚すのが常識と決めたみたいに。

しかし相手がさっと低くぶつけてきた場合、隙をつかれたようで悔しい。しかもそれがあまりにも確かに私より目上だったら、


  恥かかせる気かい


とは思いませんよ。その場では、まずしおらしく呆然。あとで思い返してそう思います。
人によっては、主義によっては、目上の人でも対等を望むでしょう。

しかし確実に目下の人には低くあてないでくださいよ。せめて同じ高さにするのが思いやりってもんだ。

冬の日にそいつはドアのところに裸足で立っていた

2011-12-10 22:13:34 | おもったこと
道を歩いていると、お店の入口のところにクリスマスツリーが立っていました。

しかし、そのツリーの根元。鳥の足みたいにというと指の数は少ないけど三本の出張りが120度ずつを分担してふんばっていました。幻滅です。

もちろん作り物だってことはわかっていますとも。それでも根元は鉢に入れるとか、無理なら段ボール箱の表面にそれなりな紙を貼って、それもだめならせめてバケツにでも入れて、せめて植物のふりをしてほしかったです。

足元って大事よね。私もしっかり靴磨きせにゃ。
踵の修理の済んだ靴の箱を抱えて、そう思いました。

体質が変わったらしい

2011-11-24 23:45:05 | おもったこと
美容師さんに言われました。最近体質が変わりましたかと。確かにそんな気もします。最近なのか、いつの間にか。そうですか、髪に表われていますか。切れ毛が無くなったし、引張ったらゴムのように伸びていたのが、今はしっかりしています。仕事が極端に忙しくなくなって10年。普通と思えるペースで仕事するようになって何年だか。体質が変わり、その後髪に出るのが今頃のようです。

 忙しくなるのもよしあしですね

そうなんです。いまだに本採用でない上に事業は減っている、最近人は余り気味だから、この先仕事があるかどうか。

これまで何か仕事に有利な資格を取ったり勉強したりしませんでした。しかしそれで良かったのです。プライベートでしっかり怠けたからこそ髪の質が変わったのです。髪の質はどうでもいいとしても、それはからだの内側の表われです。自分の感覚に沿わず大局的には意義を見いだせず納得のいかないことをやっていたら、どうなっていたか。

生きていくには大局的など言ってないで現実に対応するべきだと言っていたのかな、いつかの妹は。私の目指すものが最初から高すぎるだって。高いか?ちっとも。ただ納得いくかどうかです。私も大局が見えないわりによく言いますね。見え方にかかわらず心が望むかどうかが一番問題です。

私は数字に納得いきません。特に経済については。ものづくりには数や大きさは大事だけど、現実には遊びが欠かせない。

この世には同じようなみかけをしていながら、対等に比べてはいけないものがたくさんあります。いかに混同しないで扱えるか、これは大きなことです。

はっきり言えるならいい、しかし言えない時に、心が納得しているか、これはある程度あてになりそうです。

私は納得しないままするべきと思いこまされたことをやるしかなくてやってきたから、それなりな体質になっていたのです。

これからどうなっていくかわかりません。どういう立場が安定しているか、いつ何がひっくりかえって何に価値ができて何が輝き始めるか。心配するよりは気楽でいた方が健康にいい。

適応していればいつか変わる

2011-11-05 17:12:54 | おもったこと
職場のトイレも今では温めてあります。だから省エネになるように蓋をします。しない人は多いけれど。

ひとりで生活していた頃、便座はあたたかくなかったけど、いつも蓋をしていました。そういうものだと思っていたから。

今は両親と同居しています。便座は温かいです。しかし蓋どころか、便座まで上げています。

昔は男女別だったトイレがひとつになってから、最初は人が近づけば自動的に蓋が開く設定でした。蓋しか上がりません。これだと父が使った形跡があればヒステリックに拭き掃除しないといけませんでした。

私がその設定を取り消すことを提案。いつも蓋が閉まっているように。しかし父はいつものように蓋が自動的に開くものと思いこんで癖になっているかも知れないし、古い時代の人間なのであかりがつかなくてもそのまま使用という場合が多いのです。そもそも、明るい時間帯でも、一番上の軽い蓋しか上げないのです。

便座が降りたままで、汚すおそれがあることなど父は全く考えていません。まるで配慮しない人なのです。頭の中の願望がそのまま現実にあると思いこんでいます。そして現実を見ていない。これはトイレだけのことじゃありません。私の人生にまで大きな影を落としているわけです。我家ではどれだけの忍耐が必要なのか、そのほんの一部がここに表われています。

もう一か所、普段父ひとりしか使わないトイレがあるのでそこだけ使ってくれたらいいのですがそうはいきませんね。


伯母が東京から同窓会の為に帰ってきて、どうしても台所を扱います。洗いものを見て、そういえば、一般的には洗った食器ってそっち向きに置くもんだったなあと思いました。内側が自分の方に向くように。しかし我が家では逆なのです。

父が台所で手を洗うことがあります。私は父が流しに近づくのを見ると、洗面所を使うようにいうこともありますが、だいたい無駄です。

汚れが取れているようには思えない洗い方をした後、大きく手を振ります。その水滴が食器にかかったらいやだから、せめて食器はあっち向きなのです。

台所の手拭きタオルを私は絶対使いません。汚れがひどいから。

我家の苦労はもちろんこれだけじゃありません。書くのはあんまりなこともあります。書いていいかなあとも思ったけど。しかしかなり良くなった方です。現状を耐えて適応しているから、我が家は強いのです。ある時期の職場で耐えられたのはそのお陰。耐えきれない末の妹は家を出ていきました。

言葉の虐待という意味では病院や公の機関が関わってよさそうなレベルですが、父を普通の人間とは思ってないし改めさせるのはとても無理だとわかってますから。

人によってはここに書いているのはちっとも苦労じゃないでしょう。人によってはとても耐えられないでしょう。各家庭にそれぞれの耐えられる苦労があって、よそでは無理なのです。

どこの家でも何かしら苦労しないといけないのならこれでもいいかな。いつかは良くなるでしょう。これまで意外なきっかけで想像以上に良くなっているから。


あ~、また怒鳴ってしまった。私の声はあんまり強くないからたいして怒鳴っているようには聴こえないでしょうけどね。母も私も、何も言わなかったら伝わらないから一応言います。伝わっているかどうか不明。

郵便局員の年賀状ノルマ

2011-11-05 16:55:41 | おもったこと
今年は秋の気配さえまだ来ないうちから、郵便局の書留の窓口で、郵便貯金の窓口で、年賀はがきの申込書を貰いました。それぞれ担当者の印鑑が押してあります。更に、配達員さんからも。こっちの郵便局とあっちのと、配達員さん、営業さん。私の机の上には10枚近く、印鑑の違う同じ紙がたまっています。

みんなどこか必死。おしつけがましくないけど、すすめるのさえ辛そうだけど。そうですよね。そんなつもりでその仕事に就いたわけじゃない。

「この局限定ですが、○○枚お買い上げで1回抽選ができますよ」

どこかで買ってあげたくても、私はひとづきあい少ないし、体調崩して年賀状さえ出せないことも多かったので、今ではほんのわずかしか必要ありません。

親戚に郵便局員がいます。だいたいそこから買います。

みんなノルマがあって、こなせない分は自分で買い取るのだそうです。ひとり1万枚なんてあんまりです。残酷です。

本当に買い取らないといけないのか、それとも買い取らないといけないムードがあるのか、わかりません。でも、傍目にはどうやら後者のような感じ。

ふた昔くらい前のクリスマスケーキみたい。それなりな業種の会社では毎年、社員全員、あてがなくても買わされていたケーキ。みんな友人親戚が頼りでした。いまどきはおそらくそういうつきあいも希薄になってきていると思われます。


つらい

そう思う心と、さめたひとごと感覚が、一緒にあります。
より良い未来になりますように

今はかくれている

2011-10-22 14:23:07 | おもったこと
あの国だけでなくアフリカを守る為に尽力していたらしい人物がとうとう…。
メディアは搾取する側に都合のいいように報道します。

搾取に不都合なことをする人物はまず悪者に仕立て上げられ、そして正義の味方のふりした存在が助けるようにみせかけて実は…。


もしかしたら二重三重に騙されているんです。
もしかしたらそこらに嘘が紛れ込んでいて、長らく経って正体を現すのです。

しかし


実はそんなにも私たちを守って助けてくれていたんだというのもそのうちいっぱい現れるんでしょうね。

美しい予想外へ

2011-10-17 23:05:31 | おもったこと
ちょっとだけ裏切るというけれど、裏切るとは美しくないことのはず。
予想と違うけど、その方が寧ろ良い場合。そして心地よい場合。

それは、性格が良くないとできませんね。
上品でないと。
行き届く配慮。配慮するまでもなく、それが無意識に表われてしまうほど身に付いている。

あ~そこまでの遠い道のり。
これまでも遠かった。だからまあちっとはマシになれたんですけど。
先は長い。

美しい演奏を目指すことは美しい性格になろうとすること。
たとえば楽器への力の加え方と共通するでしょう。
相手を理解して生かそうとする。

美しい予想外とは、これまで気づかなかった、しかし実はそうありたかったこと。
忘れていた期待通り。

そしてある人々には予想外ではなくてただ期待通り。

日本は昔と今でかなり違う

2011-09-18 23:02:03 | おもったこと
きっと若い人たちには思いもよらないと思いますが、そして、私と同年代の人もほとんど記憶にないことだと思いますが、日本だって昔は田舎は臭かったのです。町もトイレが水洗になる前はある程度匂っていました。その頃トイレは臭いのが普通、汚いのが普通でした。今は汚いトイレなんてまず見かけません。

田舎と町とでは地面に棲んでいるバクテリアが違うのでしょう、町には特有の臭さもありました。

藁が発酵しているのかどうか、よくわからないのですが、田舎特有のにおいってありました。山とも違う、農家のにおい。いまどき田舎でさえまずそんなにおいに遭遇しません。田んぼの脇には臭い肥溜めがありました。

田舎者はお行儀がわるいというのもよく言われたこと。これは必ずしもではないと思いますが、若い人にとっての田舎者のイメージが昔の人と違うと思います。服装についてもです。

今は日本中どこへ行っても結構きれいだしあまりにおわないし、人の行動も似たようなものなので、古い時代の記憶のない日本人は外国の過去の写真などを見たり記述を読んだりしてそれなりなことを考えることもあるかも知れません。しかし日本だって昭和の中頃は今とは大違いだったのです。外国と同じはずはありませんが、昔から今の程度ではありませんでした。これは実際に見てきた人にはあまりにも当然だけど、見たことのない人には思いもよらなかったりするでしょう。

日本人は今外国からちやほやされているけど、昔は国によっては差別がひどかったと聞きます。近所の女性で、もう二度と某国には行かないと言った人がいました。私の妹もそれなりなことを言われたらしいです。そこの国でも日本ブームが起こったのはそれから十年も経たない頃だったような気がします。

情報が乏しく外国が本当に遠かった昔は今と感覚がものすごく違います。模倣することが罪でなかった時代がありました。日本もあれこれ模倣していました。

地理的にも人種的にも日本に生まれることはものすごく幸運なことであって(そうでないことももちろんあります)、自分がもし違う環境と条件で生まれていたらどうだったかも考えないといけませんね。比べることは難しいです。

気持ちはあたたかくありたいけれど、日頃読んでらっしゃる方はおわかりでしょう、私は結構冷たいんです。事実は事実。