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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

胸の白い輪

2009-08-16 22:43:06 | 安全に体調良く
私はあまり汗をかかない体質だと思ってきましたが、そういえば胸の真中は別でした。

たらりと流れるわずかな感触でぱっと胸をおさえてしまい、そこだけ濡れて服の色が変わります。Tシャツなどはそこだけ薄くなってくる場合もあり、レオタードは目立たないけど今に穴が開きそうです。

このあいだの日曜日に珍しく緑青のシャツを着ていて、ふと自分の胸に目が行って驚きました。胸にもやもやした白い輪が。クロマトグラフィーの端は多分塩分でしょう。

汗にはあまりにおいがない方ですが、その頃までの数日間胸の汗はにおいがあり、何か大いに排出していそうだと感じていました。喉がおかしくて声がかすれていました。咳が止まらないこともしばしば。

胸の中心は十数年前に整体師さんが「詰まってますね」と言われたところですが、いったい何が詰まっているのかわからないまま。マッサージするように勧められたのですが、骨の上は効果ありそうにも思えず。確かに後に反りにくかったのでまずは左右に動かして少しずつ柔軟性を取り戻していきました。去年か今年か、ホメオパシーで重点的に処方されたのは胸腺関係。

ホメオパシーや胸腺など思い出したキーで検索するとよくトラウマという言葉が出てきました。呼吸器も関係あるそうで、喉の状態が胸の汗のにおいと関係あるのかなあと考えもしました。声がかすれるのは言いたいことが言えていないからだという考え方もあるそうです。

今回職場で少々言いました。今回の症状は、さあ言いなさいという合図だったのかも。何年も前はその時期ではなかったのでまるで理解されませんでしたが、今回は耳を傾けられわかってもらえるための何かが揃っていたようです。状況が変化するのには何年もかかると実感しました。数年でだめなら十数年耐えたらいいのです。底なしの上澄みばかり掬っている気がしても、いつかは変化があって底近くまで掬える時が来ます。具体的な変化は無いとしても理解がちょっとは変わります。

現状はその場だけのことではなく、自分の子供時代も親や先祖の経験も複雑に組み合わさってできあがっているのが今はよくわかります。しかしそれだけではない、何か原因がはっきりわからないけど意味のありそうなタイミングもあります。

一週間前と同じシャツを着ています。今日も大汗まみれですが、白い輪はできていません。喉の調子もだいたい治りました。

胸といえば、父は当時不治の病だった結核を経験しています。私の子供時代のストレスや親・先祖の何かが白い輪になって洗濯機の中で溶けて流れて行ったのだったらいいけれど。

内臓にきもちがつながるという

2009-06-30 20:59:22 | 安全に体調良く
昨日は失礼しました。
書いた内容の決め付け的わがままが気になって消しました。

内臓の調子は感情と関係あるのはたぶんそうだろうと感じます。
恐怖は腎臓、怒りは肝臓と関係あるといいます。

私は20年くらい前はよく内臓の具合のわるい人のそばにいるだけでぐったりしましたが、今はどうなのかわかりません。周りにはたいしたことない人ばかり。無意識に近づかないようになっているのかも。

感情を抑えて感じなかったことにしておくのがよくなくて、多くの病気はそれから来るのだそうで、私もホメオパシーでそれを言われました。病気とまではいかないけれど。

私は今も時々ぐったりしていますが、調子はますます良くなってきています。今年に入って気づいたことというと、自分が時々笑っていること。にこにこしていること。

何がどうなって笑えるようになってきたのかよくわかりません。からだとこころのどこかが何かに納得したのでしょうか。たまに思い出す、そういえばあの頃こういう感じだった、平気ということにしておいて自分を無視してしまったんだなあということもときにあります。結構残酷だった私。

こころは食べ物の好みも変えるのでしょう。甘いものを食べすぎないように処方をされて、本当にあまり食べたくなくなりました。甘いものはカビや水虫に関係あるそうです。私は気になって皮膚科に行ったことが何度かありますが一度も水虫とは診断されませんでした。でも甘いものを食べすぎないって気分いいです。そうそう、抜け毛が多いことも言っておいたせいか、以前より髪がごわごわしています。腎臓と髪は確か関係ありましたよ。

みなさんの体調がよりよいものでありますように。そのために、感情を噛みしめて、その後に笑ってください。

コーヒーは用心のため有機栽培を選ぼう

2009-06-26 21:09:04 | 安全に体調良く
仕事が終わったところで感じていました。今にエネルギー切れがくる。何か食べないとふらふらになる予感。図書館に行った後スーパーに寄れば、つらすぎます。でも図書館もそう長くいないうちに閉館時間がきますから。

借りた本はたった2冊薄め、しかもひとつはさっと読める雑誌です。スーパーの横にはカフェがあります。

すぐに効く上にちょっともつ、甘くて澱粉質がベースのものから選びます。なんでもいいからとりあえずエネルギーをと入ったものの、選ぶんです。チョコレートのかかったドーナツ。同じものの中でもほかよりちょっとチョコレートの多いこいつだ。

しかし店員さんたらバスケットに移す時にトングで挟んでチョコレートのかけらを落としてしまいました。トレーに残るかけらが名残惜しかったけど、たったあれだけだ。気にするな。たったあれだけ。たった、私にはね、あんなにも。惜しいなあ。

ドーナツの入ったバスケットを持って席につき、飲み物の注文です。表の表示ではコーヒーがおいしいんだぞというふうだったから、それに合うチョコレートものを選んだからにはコーヒー。

飲みはじめはわからないんです。やっぱりどうも薬品くさい。職場の近所のカフェなどでランチについてくるコーヒーも、そういう傾向。昔よりひどくなった気がします。

こんなにも薬品くさい率が高いのなら、今後コーヒーは有機栽培のものでなければ飲まない。そうでないなら紅茶を選ぼう。とはいうものの、職場でコーヒーを出すからには自分で味見しますよ。いただきものの豆。

コーヒーを飲んでから2時間以上経つのにまだ薬品の名残みたいなむかむかがおさまりません。安いお店にしか行かないからそんなコーヒーにあたるわけだな。

コーヒーに限らず、日常に気づかず摂取する薬品はかなりあるようです。肝臓さんいつもありがとうね。

諦めて休め

2009-05-02 18:10:30 | 安全に体調良く
連休に一緒に旅行しようよと母が言っていましたが、混むだろうなという意外何も意見が出ないうち、急に鹿児島の妹のところに行く話が出てきました。妹は会いたいけどこちらへ来る余裕が無いようです。

母は妹の体調を心配しているようです。妹も自覚さえすればもうちょっと体調を良くできるはずなのですが。夜型を昼型に変えて効率よく休養を取るだけで。しかしそれができないのは、上手に諦めきれないから。おそらく、今やっておかなければいけないと思うのでしょう。ある意味で情報の切捨てのうまかった妹はそういう意味の情報を切捨てられないでいるのです。命を削っているという自覚なしに目前のことがらを優先して。

今のところは妹に夜にしっかり休むよう話をしても無駄。いつものやり方は続いていきます。ある日、気がついてほしいです。きっとそれにはそれなりな出来事が必要なんでしょう。たいしたことがなければいいけど。

しかし髪の豊かさを見る度に妹の体調がそんなに深刻なのかわからなくなります。妹の髪に比べたら私のは元気が何分の一かという風。私は特にわるいところは無く、ただ元気が足りないけれど、妹は内臓の具合など、医師がはっきり指摘できる状態です。私はますます体力がついてきました。妹も良くなってほしいです。


私は連休に本気になって片付けをする予定。休みになるとそれまで無かったことにしておいた本当の疲れが出てきます。以前だと3日寝て過ごしたらやっと動けるのが4日目でした。体力のついた今はもっと短くなっているはず。そしてちょっとおでかけなどする日も親と過ごす日も必要だからこの連休は貴重です。

母が鹿児島へ行く間、出かけたがらない父のご飯の用意を私がする話がまとまりつつありますが、どうなるか、次の電話待ちです。

背中の丸み

2009-04-04 10:04:31 | 安全に体調良く
フィギュアスケート選手を見ていてよく気になるのは、肩近くの背中の丸みです。これは二の腕の太さ以上におばさんらしさのもと。

バレエダンサーの吉田都さんが40代でいまだにジュリエットを14歳らしく演じられるのはいくつか理由がありますがひとつには肩から背中にかけての形。今はどうだかわかりませんが私が若く見られていたのもそのせいもあるでしょう。

背中が丸くなるのは個人差があり、早い人は20代のうちですが、おばあさんになっても丸くならない人もいます。

私は特にどうする意図もなく長年枕なしで寝ていたからか、肩から背中にかけて異常にまっすぐになっていると整体師さんに言われたことがあります。それからは枕を低めに使うようになりましたが、時々枕なしの方がすっきりします。今は変にまっすぐでもなくなり、適度になったんじゃないかと思っています。

背中は丸くないけれど顎が突き出ていたり、足首の力を使っていない歩き方だったりで老けて見える人もあります。どこかが弱っているか使っていないかです。

吉田さんは背中が丸くならないようにとバスタオルを巻いた枕のようなものを使うトレーニングをテレビで紹介していました。私の場合はあれを腎臓の位置あたりが丸くならないように使うといいかも。長らく腎臓がやや弱めだったのと関係あるかどうかはわかりませんが、その辺が後に反りにくいです。ただ、無理はいけません。反りにくいならその前に柔軟にするのはよさそうです。数年前は腎臓の位置に手を当てているとしばらくして手が痛くなり、痛みが取れた頃に楽になっていましたが、今は手が痛くなることもありません。

背骨に沿った部分に異常がある場合、その高さの臓器に注意した方がいいのは長年の経験からわかりました。そうすると、年を取るにつれて肩近くの背中に関連のある部分が弱りやすいということでしょうか。あの辺は臓器というよりは眼や耳鼻科関係のようです。

もしかしたら背中を丸くしないように気をつけると眼や耳の調子を少しは良く維持できるのかも知れないと思いました。眼や耳が先でない限り背中は癖次第の気分次第です。自分なりのストレッチ、状況によってはマッサージを忘れないようにしなければ。

そんなとこまで効くのを期待して

2009-02-25 01:03:53 | 安全に体調良く
ホメオパシーをまた再開したのは、体調管理のためはもちろんですが、運を変化させられると期待したからでもあります。ホメオパシーは代替医療と言われるものなので一般には体調を良くするためとしか考えられていないと思います。しかし体調・体質は行動様式や考え方や過去の経験に影響されますし、その逆に体調が行動や考えを支配することもあるでしょう。行動や考えが変化してこその治癒があります。自分でも自覚していない些細な行動を変えるその積み重ねで運を変化させられるはず。

私の頑張りでほかの人がほめられ、ありがとうを言われ、認められる。自分のひらめきがほかの人に利用され、自分のものにならない。そんなことばっかりなのは、母から受け継いだことのようです。そっくりそのままではなく、やや似ていて、母より甚だしく。

会社の上司にノートを見せるように言われて見せたら、それを発表されてしまい、自分の実績を持たないという母。長いブランクの後に卒論の続きをやっているようです。歳を取るうちに何か変化したのでしょうか。

自分で変化できればいいのですが、私はそれがなかなか。ホメオパシーに出会ったのは自力では困難だからなのかも知れません。まだそれが効果あるのか、わかっていません。あまりにさりげなくなんとなくいつの間にか、確かに私は元気になりました。ホメオパシーによるのかどうかもわかりませんが、どうもそうらしい、というところです。私が気付かないうちにからだがこれまでの不都合を自覚しつつあるようです。

今回の処方はそういう運の癖のようなことや電磁波に敏感すぎるところやその他にもしてもらえるように、気になるところを忘れずに話しました。前回より声が大きいとかエネルギーがアップしているとか言われましたから、やはり効いているのでしょう。自分でもしっかりした感じはあります。眼はなかなか治らないけれど、元気さは開始当時とは比べ物にならないくらいだし、気持ちも非常に明るいのです。自分の変化だけでなく、ホメオパシー自体も非常に進んだのを実感しています。

食べ物を衛生的に扱ってほしい

2009-02-15 20:25:23 | 安全に体調良く
デパートの地下の売り場などで覆いもかけずに計り売りしている食べ物は買わない。相当な埃をかぶっているはず。母がそう言っていたのは私が小学生の頃でした。今でもたまに言っています。食品会社の研究室で菌を扱っていただけにそういうところを見る目が違います。

食べ物が最もおいしそうに見えるのは包装も蓋も何も外してしまって今にも食べられる状態です。買いたい気持ちにさせる効果も大きいことでしょう。そんな陳列も見るだけならむしろ楽しめます。トングで挟んでトレーに取る方式のパン屋さんも母は嫌いますが、経過時間などを考えるとそんなに気にすることもなかろうと私はたまに利用します。しかし随分汚れたホームレスらしきおじさんが素手で掴んで戻していたという話題も目にしたことがあります。気にしたらきりがありません。

覆いのないショーケースに商品が並び、その真上でおつりを渡すようなお店は、個人商店だったらまだ許せるけど大きい会社であれば許せません。チャンスがあればそれを言うけどだいたいは行かなくなるのです。

もうどれだけ経ったか忘れましたがずっと昔、ドーナツ屋さんで、私の注文を取りそろえたトレーの前で店員さんが咳をしました。すぐに次の咳からは口に手を当てたり向きを変えたりしたけれど、手遅れだってば。取り替えてくれるんじゃないかという期待は外れ、更にその真上でおつりのお札を数えたのです。当時の私は頭に浮かんだことが言葉に変換されるまでが長いので(言葉を使わず具体的なイメージで思考する傾向が強いわけです)、すぐに言えずにお店を出ました(長すぎ)。

別にそのくらいで死ぬわけじゃなし。すぐ食べれば菌はそう多くない。しかしイヤだな。加熱すればよし。でも怒りが残りました。わかってもらいたくて葉書を書きました。こちらの住所や名前を書くとお詫びの手紙やら大変だろうから匿名で。きっと店員さんの教育に生かされるだろうと。

ジェラート屋さんでは店員さんがコーンを目の高さまで持ち上げてジェラートを盛ります。あれは息がかからないようにしているのだと思います。私もお茶を運ぶ時なるべく息のかからない位置に持つようにしているのです。風邪の時は途中息を止めたり。レストランでよく○○産○○でございます、こちら○○の○○をどうのこうのして…など説明されますが、大抵ちょうど息がかかる位置で言われるのです。そんな時、もうそんな説明は結構ですと言いたくてしょうがないです。その程度でたいした問題はないでしょうし、インフルエンザにかかったらそんなことはしないと思いますが、してたらまずうつるでしょう。

台ふきんにはごみがついている可能性大。お茶をいれている途中、台にこぼれたのを拭こうとしてそれを取るのに、お湯のみの並んだ上を通って移動させる人がいます。私だってずっと昔はそれをやっていました。茶道をやっている人でも意外とお稽古の中のちょっとした意味と日常を結び付けていないのです。

ある程度の菌にさらされている方が抵抗力はつくでしょうけど、些細なことからいったい何が起こるやらわかりません。通常に自然に防げる危険は防ぎたいものです。そして、やはり気持ちよくないことは避けたいもの。その基準がまた人によって違うものです。結局気にしないのが一番か。

谷風

2009-01-10 17:52:58 | 安全に体調良く
Kimballさんのブログ「来夢望瑠_日々平凡」に、インフルエンザを谷風というと書いてありました。それは初めて知りました。



それで思い出したのは、私の大好きな「谷風」。冨永朝堂による彫刻です。福岡市美術館の常設展示にあります。
天平時代の彫刻のような雰囲気を持つ、心のきれいな作品です。自分のその時の状態によっても見え方が違います。

今は寒いので、春の気配がしはじめた頃に谷風に会いに行きます。



テレビではさかんに予防接種をすすめる言い方をしています。しかし今やっておいてこれから流行するものと合うかどうか。そして、予防接種の危険性を訴える人も結構います。
私の身近なところでは、数年前インフルエンザにかかった人は決まって予防接種をしたと話していた人でした。今はあまりそういう話題を耳にしませんしインフルエンザも流行っていません。

とにかく体力をつけてうがい手洗い励行です。
日ごろ、もしかしてこれは風邪の兆候かな?と思った時、レモンドリンクに生姜をきかせて飲んでいます。風邪らしくならないうちに治っています。

頭が鈍ってもプログラミング

2008-12-30 16:02:23 | 安全に体調良く
このブログのカテゴリー「あそびマクロ」に幾つかあるように、私は脳が鈍ってきた時期にプログラミングをやっています。危機感がそれをさせたようです。しかし、実はプログラミングはそれほど脳を使わない作業なのです。

プログラミングとは少々の技術の組合わせでしかありません。どんな作業をどう組合わせるか、それさえ思いつけばいいのです。それには日常に何のどういう部分を見てどう感じたり考えたりしているかが影響されます。目に入ったものがどういう法則に従って成立ち、どんな条件の時にどう変化するか。新たに出会うものはほとんどが既に知っているものと何等かの共通点を持ちます。それによってある程度の推測が可能です。

脳が少々衰えても、既に身についているものは効率よく使えます。プログラミングはほとんどが一本道であり、途中でこなす作業は基本的にひとつずつです。途中分かれ道や何度も繰り返して通る道もありますが、選んだ方の道で一度にひとつのことをやります。ただ、歩きながら持っている荷物はひとつとは限りません。コンピュータが人間と違うのはその速さです。しかし人間が受持つ部分はゆっくりできます。一本道をゆっくり作り、走るのは機械。

人間がコンピュータと違うのは一度にものすごく多くを、大部分は無意識にしているということです。知らないうちに脳を大いに使っています。

私が鈍ってきた原因は疲労、ストレス、コミュニケーション不足、生活の切詰め過ぎによる気の滅入りその他いろいろ。当時人間らしい生活ではありませんでした。

危険だったと今思える時期の、鈍った状態でもプログラミングはできました。やったことによって少しは気が紛れ、活性化しました。鈍っていた証拠に、その当時作ったものというのは新しく発想したものではなく、過去に思いついたものや思い出したものの連想ばかりです。その後もう何もできない時期もありました。

プログラミングによる脳の活性化の程度なんて知れたものです。自然と親しんで人間らしく生活することにまさるものはありません。

体調、上向き

2008-12-13 23:32:05 | 安全に体調良く
W-ZERO3で文字入力するにはキーを押すのが一番間違いなくできます。わりと最近気づいたのですが、この作業が辛くないのです。

日常の動きの大部分はポテンシャルエネルギーを使ってできます。多くの作業は手や腕などの重さを使えるし、ドアの取っ手まで手を持ち上げるのはちょっと肩を動かして手を振り子のように上げたらいいのです。自分の力はきっかけ程度だったり、一瞬だけだったりするので、そんなに気にならなかったけれど、例の電話のキー入力だけはある程度の時間続くので辛さを感じていました。電話を見やすい位置に持ち上げておくのはかなり前から平気になりましたがそれだけは。しかし今、私には押す力が普通にあります。

荷物を運ぶなどの作業も気持の持ちようです。仕事の上でするべきならば辛いとも思わずに平気で普通にやれます。ただ、後でそれなりにぐったりするのがいつものことでした。最近はぐったりすることも珍しくなりました。

こういう経験を通して思うことは、世の中のかなり多くの人々がからだや精神状態の不調によって動きにくいために怠け者として人に責められ自分でも責めて無理をして生きなければならないだろうということです。かなり幼い時期に外部から自分を貶める癖をつけられてしまい、そのイメージの中で生きてしまうということもきっと多いでしょう。

歳を取るほどに思うのは、人間は世間で言われるみたいに大人になった後ひたすら衰えるわけではないということ。能力は使い方次第では身について強化されていきます。鍛えるのは大事。しかしその前に、あるいは同時に、古い疲れを取らなければなりません。間違ったイメージを取り去らないといけません。

ホメオパシーによると私には精神的疲労がかなりあるということでした。それはどうやって取ればいいのかよくわかりません。しかし自分のからだがひとりでに必要なことをし始めるのではないかとも思っています。

数年前までの何年もの間、週末二日間寝たきりでした。それだけ休養が必要だったのです。最近は平気で起きていられます。この頃の変化というと、もっと人と会話したいという気持ちが強くなってきました。

KY、危険予知

2008-10-17 00:45:35 | 安全に体調良く
銀行を出ると向いのビル前は囲いがされて通り道が狭くなっています。さては窓拭き中。見上げると、囲いではなくその横の人が通行する真上にゴンドラが作業中でした。これはまずい。そのビルのどの階にビル管理の部署があるのか、エレベーター横の案内板を見てもわからない。でも会議室予約の電話番号がありました。おそらく関連しているだろうと思って伝えてもらおうと電話しました。ほっといてもまず問題はないんだけど、もしものことはあり得ます。それを防いだことになったらラッキーではありませんか。そのラッキーはごく稀、しかも結果がわからないけれど。

職場の古いビルの一階のまずい場所におじさんが立っている場合、そこは危険ですよと真上を指して見せます。階段がぐるぐる見えるど真ん中。上から何か落としたら大変です。私は確か一度うっかり封筒を落としたことがあります。下に誰もいなかったのは幸いでした。こんな場所に人が立たないように観葉植物でも置けばいいのになと思うけれど、経費がかかるのは問題なのでしょう。あら、最近入口近くに設置された「ご自由にお取りください」のカタログラック。あれをここに移動させたら?いや、目につきにくくなります。そして、そこに人を寄せちゃいけないか。

ほんとうのきもち

2008-10-05 22:53:27 | 安全に体調良く
ホメオパシーの健康相談で、測定器をつないだパソコンにあらわれていたらしい私の状態のことで、面白かったもののひとつは、私が神様と母親に対して怒りを持っているということ。

おお、なるほど、と思いました。神様に対して怒りなど想像さえしませんでしたが、怒りを持ってももっともなこと。そしていつもは父に対する不満ばかり意識にあるのですが、やはり母も。というよりも、父ではなく母に、なのです。見えないところで不満を持っているらしい。私が。それが何なのかをこれから探っていかないといけません。

仕方がなかったんだとか無理もないとかで済ませてはいけませんよ。自分の気持ちをわかってください。というふうなことをホメオパスさんに言われました。無理もない状況は確かにあるけど、それはそれ。自分はどう感じたかを自覚するのが大事なのです。

両親ともに早く実の親を亡くして複雑な状況で育った「無理もない」だらけの環境で、我慢が美徳の時代の終わり頃に幼少期を過ごしたら、自分の気持ちに気づくのは困難です。最近ようやく色々な情報を得て私も少しずつ変化してきたところですが、昔のことなどそのまま何も疑問が起こりません。

なぜ助けてくれなかったの、なぜ守ってくれなかったの、と思いませんでしたか?そう聞かれてわかったのは、助けられることも守られることも私の頭の中には無く、思いつきさえしなかったということ。営業のおじさんのセクハラを母は気づいていなかったのだと思っていました。いつものだっこをいやがる私にせっかくだからだっこしてもらいなさいと母が言うから仕方なく従っていたのですが、激しく抵抗すれば良かったです。しかしそれは「いけないこと」だったはず。私はいい子でした。いい子でいることを要求されていたので。

過労といじめを私は胎児時代に母を通して経験していたようです。抱き癖がつくからと母がちょっとでも私を抱き上げると祖母から叱られていたそうですが、母はそれはないだろうと思ってせめて私を背負って畑仕事をしたと言います。職場の空いた机の上に私を寝かせて仕事をする時間がふたりで過ごせる平和な時間だったようです。母も精一杯やっていたんだから無理もない。しかしそれでは済まないらしいのです。

どうしてほしかったか。それは難しいことです。私はいつも苦しさが通り過ぎるのをただじっと待つだけでした。もともと持たないイメージは出て来ない。

まだまだたくさん思い出す必要があります。遠い昔に戻って幼い私を見つけ出し、横について守ってやり、本当の気持ちを尋ね、安心させる言葉をかけてやらないといけません。助けられ守られることに慣れさせなければ。

ホメオパシーにふたたび

2008-10-05 00:07:51 | 安全に体調良く
ホメオパシーの健康相談に、何年ぶりだったかわからないのですが、行ってきました。

やはりこの分野も日進月歩。数年行かない間にレメディーも色々開発されていて、聞いただけで笑ってしまいそうなくらい、なんでそんなのまで、いったいどうやってできるんだろうなどと思うようなのもできています。また、以前のように服用だけではなく、スプレーしたり、そのほか思いもよらない使い方があります。

科学がこれまでの科学でないように、こういうことも普通に受け入れられる時代になるんだろうなと思えるそれはこれまでの時点ではかなり非科学的なものです。

ずっと前に書いたんだけどもう無効になってしまったのか、最初に同意書を書かされました。ホメオパシーを妄信させないようにするためのものです。とにかく非科学的なのですが、実に面白い。本当に効果があるかどうかは置いておいても楽しいのです。効くのならば素晴らしいです。

私は母方の先祖の職業が神社関係なので非科学的なものはある程度までなら受け入れるのに抵抗ありません。深入りしない程度になら。ものによっては深入りは危険ですから。しかしホメオパシーは深入りしても大丈夫そう。私はしてませんけど。やはりこういう家系なので非科学的なものの解釈の仕方には幾らかは勘がはたらくのだと思います。そういう意味での納得が楽しい。非科学的なことを楽しめない人や言葉で言い表せることしか信じない人はかかわってはいけません。今非科学的でも将来は科学で解明されることもあり得ます。

とはいいながら科学者が作った装置をからだに着けて測定しながらの面接。私の状態がどんなふうかをあれこれ言われます。自分でもすっかり忘れていたりわからなかったことがわかって納得。確かにからだの疲れはほとんど回復したのにどうしてこんなに動けないんだろうと思っていたら、精神的な疲労がかなりなものだということでした。生命エネルギーが普通の人の半分ほど。直観が鋭いとか、心に蓋をしている、能力に蓋をしている、とか。

基本的には子供時代を含めた過去のトラウマ解消をはかるのです。しかし子供時代だけじゃありません。胎児時代のことも質問票には聞かれていましたが、人間は先祖から引きずるものだってあります。

私が頑張り屋ですって。あらまあ。かなり怠けて生きてきたのに。怠け者と言われ、頭がちっと足りないと言われてそれなりな人としてやって来たけれど測定の結果では本来は現状よりはずっとデキル人らしい。それはよそのおばさんにも言われたことがあります。「この人は抑えつけられてなかったらものすごい能力を発揮する人なのよ」と。頑張ることが困難な状態で頑張りの手前の普通の状態までをやってきたこと自体が頑張りだったのかもしれません。

力を発揮できないのは妬まれやすさも原因だろうということ。こんなのもホメオパシーは扱えます。病気だけでなく、人間関係も性格も運の癖も、霊障と言われそうな思いもよらないことまで。私の(大袈裟にいうなら)ファムファタール体質も改善されるといいけど(私は何もしてないよ。男は拡大解釈妄想先走りする生き物だから。確認取ってから安全確実に行動せよ。しかしなんで私みたいなのが?)。

泣く時は汚い言葉でののしってもいい、布団被ってでもいいから黙ってではなく声をあげて泣くように。小さい頃の自分をイメージしてその気持ちを理解し、声をかけて安心させてやるように。スキンシップも。そう言われました。担当ホメオパスさんは現状のことで予算を気にされましたが、私はこういうときこそ必要なだけ処方してもらうべきと思ったのでレメディーは結構出ました。

効果があるかどうかはこれから。わからないけどさりげなくわずかずつ効いて気づけないことだってあるかも。以前受けた時は効果がわかったようなわからなかったような。しかし私がここまで回復した原因のひとつはホメオパシーもあると思います。効果を期待できるということだけでも十分効果があるでしょう。ほかに現状を改善できそうなとこなんてありませんし。しかし面白い。あまり書けないのですが、面白いです。

あちこちに結構な湯加減

2008-09-07 19:46:43 | 安全に体調良く
炎天下にとめてある車に乗せてもらうとよく車の持ち主が「クーラーが効くまで我慢してね」と言いますが、そういう時私は「結構な湯加減です」と言ってその熱さを楽しみます。

職場のビルのこれまで喫煙場所だったソファは真黒で窓から日光を直に受けています。真夏にこれに座ると「結構な湯加減」です。疲れていた頃はこれに座るのも良かったです。そういえば今年は熱いそれにほとんど座っていません。体調が良くなっているのです。

今使っている炊飯器は十数年前に貰った時既に結構古いと言われていたものです。基本的に保温しないので炊いたらすぐプラグを抜きます。食事が終わって適度に熱い内釜に内蓋を載せて、いつもはそのまま冷ますのですが、たまに暫くだっこしています。または、おなかの上に抱えて仰向けに寝ています。冬はもちろん夏でも。気持ちいいです。

いまのところ、楽

2008-08-18 23:16:27 | 安全に体調良く
仕事が暇になってきました。これこそがアルバイトの仕事なのかも。このままじゃまずいとは思いますが、楽。一番忙しかった頃の五分の一くらいしかやってない気がします。もちろん時間あたりです。あの当時動きは倍以上、単純なことなら一瞬で。そして何かやりながら次の手順を頭の中で考えて、ちょっとでもじっとしている時間を無くせば結構能率は上がるのです。しかし無理をしすぎました。あの頃の苦労は理解されていなさそう。ちょっと前は「あなたの能力があそこ(職場)で活かされていないのはみんなわかっていますよ」と言われたけれど、今はそれさえ思われていないかも知れません。それを言った人が入る前はもっと便利に使われたけれど、活かされたと言えるかどうか。

もっと昔にも無理をしていました。出勤前、玄関を出るまでにあと一分でもあれば横たわっていたかったあの頃。なのに他人の心配ばかりしていました。しかしみんな私ほどは辛くなかったのです。

苦しい時ほど理解されなくてそこらの人たちは残酷だけど、うんと楽になってからは少しは大変さがわかってもらえるのは不思議です。しかし楽になってしばらくは精神的には非常に危険な時期です。自分では良くなったと思っても実際はそうでない。本当に良くなったかどうかなんて、良い状態がどういうものか忘れてしまっているから自分ではわからないのです。私は良くなったと思い始めてから数年。ようやくある意味で本当に良くなってきたんだと思います。まだ回復できてないところはもちろんありますが、回復することのないものは体質と考えていいでしょう。実は回復の希望をもっていますが。

この数年とにかくゆったり休みました。帰宅した後の休み方で忙しかった頃と何が違うかというと、気分です。昔はこうしていてはいけないという気持ちが強かったのですが、今はからだが休みたがればそれが正しい、これでいいんだと。そして本当に正しいのがわかってきました。気持ちがゆったり休めば回復も効率がいいでしょう。楽じゃなかった頃の方が今よりずっときちんとやっていたなあと最近しばしば思います。

普通の人は歳を取るほどに良い状態から衰えていくけれど私は逆で、顔色は良くなるし平衡感覚も運動能力も向上し気分も良くなり、体型も若い頃よりは引締まって姿勢もいいです。もちろん健康になろうと努力しました。

この一、二か月の首のあたりの気持ちのよさはいったい何でしょう。仕事はこれからどうなるかわかりませんが、そのうち何かに頑張れそうな気がします。