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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

その時代は来ていた

2013-07-28 17:17:10 | できごと
変わってから長らく経ってしまいましたが、電話は、老衰が近いのか動きの安定しないWZERO3から、WIFI用ルータにもなるシンプルなガラケー型PHSとiPad miniの組み合わせになりました。

電磁波に敏感だった私は体力が回復するにつれて平気になってきたようでも、用心はしていたいのです。iPadは電磁波がかなり強いということですが、その影響をかなり抑えられるというカバー(Pong)を見つけたことが購入の決め手でした。

このカバーをつけてみて、どの程度効果があるか、はっきり分かりません。持っている位置によってはたまに手にわずかな痛みのような感じがあるときもありますが、昔感じたような不快感でもなし。

なかなか良いカバーですが、鞄の中で、本の表紙やクリアファイルとは摩擦が大きくて出し入れしにくいので、表面に何か滑りの良いものを貼ろうかと考えているところです。

iPadで何ができるかなんて、使ってみてからわかること。
miniは持ち歩き易く目立たないところがいいのですが、ただひとつ、大きい方にすれば良かったと思ったことがありました。楽譜を入れて持ち歩けるのです。まさに私が昔考えていたことが、十数年前にネット上に書いたことが、実現していたのです。めくりはカメラの前で手か頭を動かすだけ。私はこういう体質ですからめくりのスイッチはコードで繋がったものしか考えていませんでした。カメラなんて予想さえ。miniはほとんどの楽譜には小さすぎです。普通サイズも楽譜としてはやや小さめではありますが、譜面台に置いてほぼ問題無く使えます。

それでもベースのレッスンでは、前のレッスンでホワイトボードに書かれた楽譜の写真をiPadで見ながら弾いたり、アプリでコードを表示させたり。伴奏の音まで出せます。

画面の楽譜の上に書き込みができるというのも私が書いていたそのまま。やっぱり実現するしかないことだったわけです。

何かについて普通のパソコンなら出来るのにーと思う時、これはパソコンではないんだとようやく思えるようになってきました。

タイトル変更しました

2013-04-14 16:28:54 | できごと
タイトルをまた変更しました。
「すばら」から「す ず な り」に。
すばらにしてからあまり更新しない傾向があるような気がしたので。
タイトルが書く人に影響することもあるのかな。
サンスクリットから日本語へ。ただ、スペースが入っています。

IDをそのままタイトルにしようかとも思ったのですが、なんとなくずうっと以前同様平仮名なのでその路線です。

そこで「鈴鳴り」を検索してみたところ、ギター関係の用語だったと知りました。
何か動くと、変えると、新しいものや知らなかったことに出会います。

暫く様子を見て、また変えるかも知れません。

これまでと同じように、検索ではなかなか辿り着かない辺鄙なブログです。

ゴミは優しかった

2012-12-26 20:08:48 | できごと
もう一週間以上前になってしまったけれど、ゴミ出し日のこと。

ここらは夜に出すようになっています。もうじき回収時刻ですが、ほとんどの人は出し終わって寝ている頃、こんな格好だけど闇に紛れて毎度ながら失礼します、と。ゆびの分かれていない靴下はいつになくがっちりしたタイプ。これに下駄をつっかけていくなんて非常識ですが、そうしてゴミを運んでいると、宙を舞ったような。

しかし、なんともやわらかく受け止められました。一応手もついたけど、たいした程度じゃなし。うっとりするような優しいそれはゴミ袋。

それに入る前もしっかり役に立ってくれて、入った後もこうして私を守ってくれるなんて。

熱いありがとうを何度も言って置いてきました。

仕事を辞めてだいたい家に居るので、一番頻繁にありがとうを発する場所はゴミ箱の前なのですが、ゴミ置き場でのありがとうはほとんど声に出さないながらいつもよりやや大きいのです。



こんなこともあるので、ゴミに捨てるもので細長いかたいものは折って入れましょうね。尖ったものはなるべく角を丸くして入れましょうね。下駄や草履はちゃんと履きましょうね。

紙風船

2012-12-09 17:26:45 | できごと
「紙風船」を聴いていたのは一昨日の夜のことでした。赤い鳥というグループが歌っていた歌です。数日前にふと思い出して、やっとパソコンを立ち上げ、動画サイトで。

はじめの方の地味で静かなところが好きです。その調子だけで終わればいいのに。「美しい願い事のように」がその調子でおさまっていたらどんなに素敵だったでしょう。

今日はデパートを通り抜けていると奇妙な轟音が。どうやら規則的に響くようなので、イベントをよくやっているビルの間に行ってみました。和太鼓でした。そこで配られていたちらしには「福岡県障害者文化祭」とあり、畳まれた紙風船がついていました。

月光価99%オフ

2012-12-08 16:26:57 | できごと
この間ベースの教室の発表会がありました。間違ったーとか途中で見失ったーとか、まあ、そんなもんです。先生のお知合いや弟子のみなさんが別の楽器で参加してくださいました。

生徒のみなさんはすごく上手!隣の芝生だとしてもあのしっかりした音。おじさん・おじいさんたちは胴の太さが(周囲じゃなくて断面積ね)私の倍はありそうなほどで、あんな体格してたら弦押さえるのも楽なのでしょうか。やっぱりベース大好きで普段から練習してらっしゃるからあれだけできるんですよ。私がこうして楽器を持たずににやれるのも別の楽器の経験があってこそではありますが、やはり練習量がものをいいます。

こんなに危なっかしいのに私の出番は何故か最後。もともとアバウトな上に打合わせがうまくいかなかったりもあって、途中迷子になりながらなんとか続いて終わったもんです。

しかしサックスさんの演奏がすばらしかった。

私の隣の席には今度使う会場の下見に参加した声楽の先生。興味深いお話が聞けてラッキーでした。

私の選曲のひとつは昭和一桁以外あまり知らなさそうな「月光価千金」でした。先生が作られた楽譜はメールで受取ったのですが、端っこがスキャナにうまく収まらなかったらしく、曲名が「月光価十金」になっていました。うまいなあ、なりゆきは。私のこころがけがそんなふうだからって?

最後の日でした

2012-09-01 18:36:05 | できごと
私が職場に在籍した最後の日が昨日でした。職場のフルメンバーで送別会を開いてくださいました。

私は明るい印象になるように、着ていく服を決めていました。やはりそれが良かったようです。私の様子を見て安心したと言う人もいました。

これから先どうなるかわかりません。この年齢で仕事があるかどうか。また、どの程度の賃金か。

今は父の世話する母の負担軽減ということにしています。夏のはじまり頃に母が忙しすぎて高血圧になっていたのですが、とりあえず夏はうまく越せそうです。今月からおそらくデイケアも利用できるようになって、まずは様子をみてから。

もし辞めなかったら、そのままだったら、変化はあったでしょうか。わかりません。ここらで私が辞めるという大きめな変化があって良かったんだと思います。なんとかなるでしょう。世の中もきっと変わります。

辞めると決まってから女性のみなさんにはあれこれプレゼントをいただきましたが、どれも好みの色を考えてあったり、猫をデザインしたものだったり。その思いが嬉しかったです。

われながらよく頑張った。長い休養が必要だったんだと長く休んでみて思いました。

楽器をかえて発表会

2012-05-28 20:04:35 | できごと
発表会でした。ベースでウクレレの伴奏2曲のほかにもうひとつということで、楽器を手にするのは月2回のレッスンだけなのに、苦手な弓を使う曲を選んでしまいました。やればできるだろうと。弓に慣れるチャンスで、これを機会にチェロも弾けるようになるなあなんて甘い期待もあったのです。やれば大抵なんとかできる場合が多かった若い頃とはもう違うのに。

何事も許容量の大きい先生は私がチェロの弓を持ってきてそれでやっていいですかと聞くとそれでいいと。「すいませーんまた持ってくるの忘れた」の末登場したジャーマン式ベース弓もかしてくださるそうだけど先生のお師匠のお下がりという宝物級にありがたいのを家まで持って帰るのは申訳ないし何かあっては大変。お借りしても家ではチェロでしか練習できないのです。

先生は最初ピチカートでいいとおっしゃいましたがいかにもクラシックの甘美に流れるメロディは弓しかありません。ああいう場ではテンポの疾風ダイナミクスの怒涛で外連の王道を行くべき。ただ「ぷっ、ガラじゃないぜ」と地味目になるはず。それ以前に、腕前の問題があるから恥ずかしがる心配は要らないのです。いや、ひととおり弾けるかさえ心配でした。

ピチカートでも弓でも先生はいつも大甘評価「ばっちし!」ですが、こんなんじゃだめ、聴く人が楽しめない。一緒に弾いてくださるピアニストさんまで決まっているとなると変更もできますまい。

弓はジャーマンに慣れた人がチェロやバイオリンなどと同じフレンチを使うのはかなり難しそうだけどその逆は簡単です。しかし弓に慣れておけば良かったなあ。

家で練習する場合チェロか(胡弓みたいに膝の上でしか弾けない)バイオリンで左手は違うけど右の練習はできて、左の相対的ポジションはいつものように?ギターでやる予定に。しかし案の定毎日帰宅すると練習するにはくたびれすぎです。

最初におっしゃっていたように一曲は何でもいいのならまだ弾きなれた、とは言ってもこの数年間数回触れるかどうかだったマンドリンなら一般的に聴き易いんじゃないかと、このところベースのレッスンにマンドリンを持って行ってました。

ベース用のヘ音記号の楽譜を見ながらうんと高い音で弾きます。書き直しゃいいのについそのまま。チェロの弦を1本ずらして弾いているつもりでやればいいのです。時々ずらしそびれて違う音が出ますが慣れていきました。ずぼら。そして20年くらい張替えてない弦はピックに粘りついてとにかく弾きづらい。ひっかかるし違う音が出るそんなのを先生はいかにもわくわく楽しみという様子で聴かれ、終わると無邪気に手を叩かれます。音がセレブだそうな。先生が教えておられるウクレレのほっこりした音に比べると冷たくてシャープですがそういう言い方があったわけですねえ。

早いうちに楽譜を書き換えるつもりだったのに結局本番もへ音記号のままやってしまいました。あ~、いい加減だなあ。あれもこれも、あまりにも。ただ弦を張替えたことは人並みに近いです。

色々な楽器、ウクレレ奏者の多い場でひとりマンドリンは珍しがられ、こんなチャンスは滅多に無いと触れて喜んでいる人も多くて嬉しかったです。他大学のマンドリンクラブの数十年上の先輩にも遭遇。ありがたい出会い。

人が多くて出番と出番の間が長く、リハーサルで寝ぼけていたりしたのですが、直前に動き回るなどして本番はなんとか。出番が済むとうまいジャズ演奏をゆったり楽しみました。皆さんはマンドリンも楽しんでくださったようで良かったです。

白くふわりとゆっくりまわって

2012-02-29 12:30:00 | できごと
道を歩いていて白い羽毛をほんのひとひら見かけることはたまにあります。たいていは非常に小さくて丸いのですが、今回はやや大きめ、とは言っても1センチ程度でした。いつになく厚みもあるものでした。

ちょうどその場所の形状から私の立っていた位置が空気の渦の中心のようで、ふわふわ落ちてきたその羽毛は私のまわりをゆっくり2周ほどまわって着地しました。

もしも羽毛を見かけてもそのまま歩いて通り過ぎれば、ただ降っただけ。立ち止まって見たことで起こった、楽しいできごとでした。

朝はしゃきっと

2012-02-26 17:58:38 | できごと
ある朝、月曜というのに通勤電車の中では吊革につかまるおじさんも青年も、私の周囲みんなうなだれていました。

バスの中で赤ちゃんがぐずりはじめた時に心の中で子守歌のようなものを歌うと赤ちゃんが落着くということは昔から何度もありましたが、うなだれ会社員たちには?

彼らに向かって景気のいい曲を。
 ♪朝だ朝だよ 朝日が昇る
もしかしたら彼らも知らない古い歌です。歌詞も1番か2番か何番かのどれかだけでおぼつかないのですがメロディならしっかり浮かべられます。

なんと彼らはまっすぐ正面を向いたではありませんか。本当にそうなるなんて。

青年にはうなだれる自由もあるでしょう。しかし明るい気分の方がいろいろとうまくいってしあわせになりやすいし、安全のもとです。

自分のしたことはいずれ自分に返ってくるといいますが、うなだれをまっすぐにするのはそうわるくはなかろうと思います。しかし他人にとって余計なことかもしれません。うなだれる時間が必要だったかも。あるいは気分を変えるために私の介入を必要としていたか。そういう私もしゃきっとしないとね。

音楽好きの伯母の法事

2012-02-13 22:11:07 | できごと
近所の伯母の三回忌がありました。

いつもは嫁に行った長女がお供えと畑の管理に帰るだけで誰も住んでいない家ですが、賑やかに人が集まって蝋燭の火は嬉しそうに揺れていました。

和尚さんが見えるまでおしゃべりの時間。孫の一人はなぜか自殺や水難の現場に出くわすことが何度かあり、毎回彼が警察に連絡して助かっているとのこと。母親である長女つまり私のいとこは気味悪がりますが、助かっているんだから縁起が良い、神様がポイントつけてくれているに違いないとみんなで言いました。

お勤めなど一通り終わり、食後のコーヒーを飲んでいる頃、高齢の私の父が帰るというので私が鍵を持って付添い、また戻りましたが、どうも楽器を持っていきたくてしょうがないというか、持っていきたいのかどうかよくわからないのですが、マンドリンを持って戻りました。

主に和尚さんが次々にリクエストしてくださって、楽しげに盛り上がって良かったです。和尚さん、カーペンターズが好きらしい。

楽器は珍しいし曲名を聞いただけですぐ弾き出すので驚かれました。しかし弦は音程が等間隔に並ぶ単音で弾く楽器は、笛やハーモニカよりうんと簡単に弾けるものなのです。

主に懐かしい曲。話題に因んだ曲のひとつは「帰ってきたヨッパライ」。このあいだのお葬式で演奏されていた「愛燦々」、自分のお葬式で演奏してもらいたいという「ふるさと」。

伯母は音楽が好きだったのです。生前三味線を弾き、歌っていました。伯母がマンドリンを持って来させたのでしょうか。

しかし東京の従兄はそろそろ電車の時間があやうくなってきました。和尚さんは同世代と話せて飲めるから長居傾向。まあうちはそろそろ帰ろうかと母と抜け出したのですが、さっきまで持っていたはずのピックが無いのです。座っていた場所を探しても。カーペットの柄に紛れたか。もしかしたらうっかりバッグに入れたかも。プラスチックのそう高いものじゃなし、気にしなくていいよと帰りました。

もしかしておばちゃん、ピック隠した?

一瞬はつながって延々と

2011-12-15 22:02:10 | できごと
車輌止まってくださーいと消防車が叫ぶのに、みんななかなか止まりません。そういうものですか。私が見始めてから4,5台行きました。タクシーが多いみたい。
あの音が鳴ればみんなとまって道をあけるのが当たり前だったのは昔のことですか。
一台にとっては一瞬、しかし何台続いたか。短い時間が積み重なって、間に合うはずだったものはどうなる?そういう時に止まってくれる人にもしも何か起こりかけた場合は間に合って災難を逃れられるといいですね。無視して先に進んだ人、それなりな覚悟しているのかな。

お葬式

2011-12-04 00:10:59 | できごと
伯母のお葬式がありました。

子孫繁栄の図。あらゆる世代が揃って、小さい子供たちが可愛らしく動き回りながらもお行儀よくするべきところではちゃんとしています。これについては母が羨みます。我家は三人姉妹のうちまん中の妹のところにふたりほぼ大人の身長の子供がいるだけなので。前日に行ったお葬式でも子供が大勢いたそうです。

「おばあちゃん」がどっちを指すのか、一瞬戸惑います。私のいとこたちはおじいちゃん、おばあちゃんになってしまっているのです。

伯母は家族だけでなく地域のためにもお寺の行事にも非常にアクティブに活動した人なのですが、あんなに和尚さんがほめまくるお葬式は初めて。そうです、子供のころから若いうちはかなり苦労をした人らしいのです。しかし陽気でした。

途中涙は流すけれど、親戚一同、結構明るい人々なのです。
いいお葬式でした。
でも、お葬式はたいてい、いいお葬式。感心したりなるほどと思ったり、故人の素晴らしさを発見したり。

残された伯父をみんな心配しています。しかし家族が大勢います。そして、私の母はいつも一緒に寝てくれる猫がいてくれて良かったと何度も話していました。



最近のお葬式にはフルートとピアノ(エレクトリックだけど音はアコそっくり)の生演奏がつくのがはやりなのか、たまたま母が前日に行った所も同じ系列の葬儀社だったからなのか。

気がついたら演奏していて、自然に消えます。またつぶやきのように始まり、ぽつりぽつりと昔を語り始めるかのようにそのうちゆったりした流れになっていきます。

アナウンスが贈り物としての一曲を紹介すると、にわかに張りのある音で「愛燦燦」が始まりました。

若い演奏者たちは、かなり「わかっている」のです。



苦労もあるし病気もあるけれど、生きて、死んで、それでいい、それぞれのなりゆき。

おなかがすかない

2011-10-27 23:23:06 | できごと
一週間ぶりにお昼ごはんが食べられるかな。
仕事中にそう思いました。珍しく空腹感を感じたから。

しかしそれはお昼休みになると消えてしまいました。
お天気のいい外を歩くと益々おなかが満たされたみたいな感じ。

先週食欲ないのに食べたら具合わるくなり、一日ちょっと断食して以来、まともなお昼ごはんを食べていません。

何も食べないのも心配だから、スーパーで消化の良さそうなものを買うことに。
そう負担にならなさそうなカットフルーツ、100円。
それだけ?
ブルーベリー入り植物性ヨーグルト、100円。多いかな?もたれるかな?

お昼休みのおしゃべりの輪に加わるのはいいこと。
しかしさんざん病院に行けとか心配しているんだとか言われました。

おなかすかないんです。

普段なら夕方にぐったり低血糖になり易いというのに、朝昼食事を抜いてもちっとも力が抜けません。

フルーツは良かった。ヨーグルトはやめとけば良かった。食べ過ぎ感。熱がある時みたいな頭の感じ。

きのうがそんなふうだから、今日はカットフルーツだけにしておきました。しかしどうも食べなくても問題なさそう。


夜はせっかく自分の分を用意してあるので食べないわけにはいきません。
親と同居するようになって恵まれた夕食。ありがたや。
おなかは食べない方がいいと言います。心は食べたいと言います。
そして、食べ過ぎ感。熱があって頭が微妙に痛いような痛くないような。
今度から私のおかずは用意しなくていいよ。そういうわけにいかないなら半分ね。

そうして今日のおかずは半分ほど自分で配膳です。食べることはコミュニケーション。気持ちのやりとり。
しかし食べ過ぎ感。

明日は試しに食べないでいてみようか。まともにおなかがすいて、からだが動力源をほしがるまで。