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す ず な り

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人間には扱いにくいわけだ、黄金分割

2009-03-11 00:33:19 | 音と動きと形
衝撃的でした。郵便局に置いてある日経新聞を見ると、「黄金分割は神話だった  欧州での実地調査が生んだ、星形五角形の発見」という記事がありました。これを書いた関隆志さんによると、古代のものには黄金分割ではなく、五角形と、その中に頂点を結んで引いた線でできる五芒星の中にある五角形、それぞれに外接する円の比、1:0.38の「魔除けの分割」が多くみられるというのです。もうかなり前に黄金分割は誰によってだか名前は忘れましたが否定されているらしいのですが、そんなことを知らないまま私はここまで来ました。黄金分割という不思議な法則はそれでも魅力はあります。しかし、人間がそれを手ぶらでというか、素手でというか、ソラで?作れるかってやはり難しそう。何かの中に線を引いたらこうなるというのでないと。わかりやすい手がかりを使っていたと考えた方が非常に納得いきます。古代の人々は計算するよりは線を引くなどの作業で答えを出して、具体的な世界を生きていたことだろうと思うのです。そういう私もある時どう計算したらいいかわからなくて線を引いて考えました。
「多面体から多面体が」作る要領(1)
「多面体から多面体が」作る要領(2)
作図の感じは似ているけれどまるで違うことをやってます。魔除けの分割とは関係なくてごめんなさい。

ところで、黄金分割をラテン語で表示していかにも古い時代からありそうに見えるような効果があったことなど、読んで楽しいです。著作権やでっちあげについてとんでもなく厳しくなった今、おおらかだった昔のイメージ戦略を調べるとさぞ面白かろうと思います。

六花

2009-01-25 23:48:25 | 音と動きと形
窓からの雪景色とは違い、玄関を開けると降っていました。折畳を置いて面積の大きいビニール傘。階段もエントランスのタイルの上も慎重に。

川の中の数珠玉はすっかり枯れた優しい薄茶色の細長い上に真白が似合います。上を向いた面のなにもかもがはっきり示される時。昔はよくあった積雪も今は珍しくなってしまいました。

ふかふかの大粒が降るときに透きとおった傘が楽しいけれど、ビニールを通さないきっぱりした景色を見ておかないと。迫ってくる雪を見て喜んだに違いない私の子供の頃はこんな傘なんてありませんでした。

もったりした雪は傘から払いにくく、少し重いままを閉じて改札口へ。通路脇の痩せた葉牡丹の形は雪の結晶にそっくり。プラットフォームと屋根で挟まれた田園風景の色と音が雪で清められています。

ふわふわ落ちてくるのは曖昧なかたまりやあつまりなのに、花のような形が見えているような気がしました。コートの袖に受けた雪を眼鏡をはずして見ると、確かに几帳面に角度を守ったあの形です。雪は几帳面など関係なくあれしかできないんだとしても、美しい秩序のこんなにも多くがひとつのあつまりになって、多くのあつまりが降り、辺りを白くするほど積もるとは。高校生の頃に木の葉の数を考えて戸惑ったことを思い出します。

職人の手による精密な部品を並べられた場所が独特の気配を放つように、美しい秩序のあつまりも何かを放つのだけど、人の手によるものと違って自然のものは最小限のちからで作られるからか、見ていて楽なのです。

いつも窓から見る波打ち際や岩の周囲の動きや形も、あまりに多くの自然の法則を語っているようなのに私は楽でいられます。しかし今日座席に座って観た海側の窓はただひたすら真白でした。

何故か花笠音頭

2009-01-22 23:40:50 | 音と動きと形
今日は朝から花笠音頭が頭の中で鳴り続けていました。いったいどういうわけでそうなったんだろうと不思議でした。

何があったのでしょう。花笠音頭を連想するような音がどこからかかすかに聴こえたか、歌詞を連想するような物を目にしたか。

めでためでたの…そうです、夜中にテレビをつけてみて、おめでたいことが報道されていたのです。大統領就任式でした。喜ぶ人々。これほど多くが喜んだイベントがあったでしょうか。そんな大勢がいて安全上特に問題なく進んだようなので良かったです。しかしそれが原因だったのかどうか。イメージはまるで違います。最初に浮かんだのは確かメロディーです。歌詞より先に。

ずっと花笠音頭を思い浮かべながら過ごしたわけでもないのですが、時々なんとなく浮き上がってきました。おめでたい歌をうかべながら過ごすと良い結果になるかも知れません。しかしスタートは印刷ミスから。プリンタが動き出す頃にそれをわかっていたからまあ良し。

私の今日の仕事はいつもと違うイベントでしたが、喜ばれ、わりあい良い具合に進んだのでほっとしているところ。ハア、ヤッショーマカショ。



思い出しました。
テレビの天気予報を見て、福岡県地図を目にしたのです。頭と手足のある福岡県の形。これは九州の形もそうなのです。日本の中の九州に似ているのは世界地図の中のアフリカ。しかしなんとなく胎児みたいな恰好です。福岡県の中にも人の形をした北九州市があります。北九州の中には人の形した町ってあるかなあ。北九州といえば未来に必要なことに早くから取り組むたいした市だねえ。たとえば若松のごみ処理。めでためでたのわかまつさまよ。…というのも確かに思い出したけれど、先に浮かんだのはメロディだったように思うのです。それもテレビをつける前に。

その時代に流れた音楽

2009-01-12 22:32:06 | 音と動きと形
通い始めた頃は聴講生の制度がなかったので科目等履修生として、次の学期には聴講生というのもあったけどなんとなくそのままの身分で大学に通って受けていた、その授業のひとつは、聴覚を鍛える目的の面白いものでした。

そこで使われた音楽は先生の趣味も大いに反映されていたことだと思います。機械を操作される先生は私の年齢とわりと近いようでした。

この頃テレビを観ていると、たまにその時に使われた音楽が聴こえてきます。

NHKの「サラリーマンNEO」に、80年代の思い出に浸る大人が過ごすカフェが出てきて、そこのBGMが授業でよく耳にした音楽でした。ということは、私が人並な生活をしていれば20代の頃によく聴いたはずということになります。知らなかった。本当なら授業中ににやにやしていいはずだったのに。あの当時私は何をしていたんでしょう。しょっちゅう残業して、音楽を聴く機会も少なく、街中の騒音やBGMに疲れていたのでせめて家の中では音なしで過ごしたのでした。私は同世代と共有できる話題が少ないのです。

この前にあるものづくりの1時限目では服装に制限があり、学生さんたちはみんなつなぎを着ていましたが、私はそんなのを持っていても後で使い道がないだろうし着替えが面倒でもあり、条件に合う手持ちの服装でやりました。夏になっても長袖で大丈夫。2時限目はエアコンが効きますがもともと暑さ寒さは耐えられます。合わない服のサイズが気になりながら着席し、音に集中しました。

幾つかの授業で、自分で本を読んでもここまでは情報を得なかったし理解できなかっただろうと思えることを知りました。

最近読んでいる本は DANIEL J. LEVITIN の "THIS IS YOUR BRAIN ON MUSIC" です。授業で教わったことがたくさん出てきて、しかもたくさんを網羅していてまるで聴覚心理学の教科書のよう。楽に読めるのは授業のおかげです。例に出される曲は私の世代で音楽好きなら普通に知っているはずの、人伝に耳にした憶えのある曲名やアーティスト名がいっぱい。そうなんだ、私はそういう過ごし方をしてしまったんだ。

大学の教室に向かいながら、あそこに落ちている黒っぽいかたまりは猫じゃないかなー、とんがりが2つあるような気がするけどなー、遊びたいなー、わざわざ行ってもし猫じゃなかったらなんだか恥ずかしいし、など思いながら朝早い構内を通ったのを思い出します。そういえばあの頃も流行の音楽などちっとも関心なく、道端の猫ばかり気にしていました。

以前ジャズピアノの先生が有名な高齢のジャズピアニストが来るのを私はあなたに教えましたかと訊かれました。聞いていませんでしたが、貼紙は見た気がします。そんな経済的余裕もありませんし。しかしたいしたチャンスだったらしいです。おそらくこれが最後。ほかの生徒さんには是非一緒に写真を撮ってサインもらいなさいと言ったそうです。教えればよかったと先生は悔やんでおられました。大丈夫、そこまでジャズに熱中しちゃいないから。なんて言っていませんけど。

動きが語るもの

2008-12-21 18:11:59 | 音と動きと形
指揮者の朝比奈隆さんを初めて見たのは、夜遅い時間に妹と一緒に居る時についていたテレビでした。私が合奏を始めたのが大学生の時なのでその頃かもしれないけれど、どうも高校生だったような気もします。

いいね、このじいさん。妹とふたりで話していました。こんなりきみのない動きをする指揮者は初めて見ました。有名な指揮者はほかに多くいたけれど、心惹かれることはありませんでした。頭などの動きを急に止めるようなきびきびした動きの指揮者は「違う」のです。それ以来指揮者といえば朝比奈じいさん。軽いひとめぼれのようなものでした。

りきみの無さ。それでじゅうぶんです。このひとは「わかっている」。しかし世の中の基準というのはどういう有名な学校で学んだか、どういう地位であるか。朝比奈さんの地位は指揮者で問題ないけれど、おそらく経歴が問題です。○○のくせにと言われる隙のある人は非常に不利。内容よりも格好いい経歴のある方がもてはやされるのです。名前が問題なのです。精神的な美しさよりもわかりやすい技巧が称賛されるものです。

世界最高齢指揮者になってからはその珍しさゆえにもてはやされました。それはちょっと残念でした。しかし私たちの目はなかなか鋭かったということになります。

何故そんなに高齢になっても活躍できるかというと、りきみが無いから。りきみとは無理な押し付けのことです。自分のからだに対して、相手に対して。マエストロは相手を思い通りに制御しようとせず、あるがままを活かすのです。

転がしたボールを決まった位置でばしっと止めさせるのではなく、自然に減速していって決まった位置でちょうど衝撃なく受け止められるように転がすようなもの。音楽とはやりとりです。受け止めやすい投げ方があり、相手をのびのび動かす受け止め方があります。それは自分のからだとのやりとりにも通じます。「わかってない」指揮者は衝撃の蓄積によってからだをこわしていきます。

これまでは色々な意味で「名前」によって、わかりやすさによって価値がつけられていたけれど、きっと今後は本質をみる傾向ができてくるでしょう。お金という、一種の「名前」が信用を失いつつありますから。

とにかく流れを通す

2008-12-20 23:04:25 | 音と動きと形
レッスンの内容がだんだん基本的なことに重点を置いたものになっていってるなと最近感じます。いつもはもうちょっと複雑な振りがつくのにその時はただ短い1曲全部changementという足を交互に入れ替えるだけのジャンプ。滞空時間を長くとのこと。まず土台をきちんとつくろうという意図がみえます。記憶力に問題ある私はその時はちゃんとやれました。

ほとんどの人は私よりうんと若いのです。なのに跳び方が重そう。終わると息を切らしている人が多かったです。私は空中に止まっている時間が比較的長く、息切れもなし。

思い当たるとしたら、日常に階段を2段ずつのぼることが多いということ。ただそれだけです。個人的な、体質のせいもあるかもしれませんが、ただ階段を2段ずつのぼるだけで大きな差が出るようなのです。

上半身がぐったりしても歩くのは意外に平気。動けば身軽。だから職場で不調や疲れをわかってもらえなかったわけです。しかし年を取っていってもちょっと何かするだけで若い頃よりうんと能力が向上することもあるのだと色々実感しています。

日頃よく注意を受けるのは振りや順番をしっかり憶える人たち。注意して良くなる見込みがあるということか。私は振りをあまり憶えない代わりに基本的な動きはできる範囲でできているのかどうか、あまり注意されません。わかっていてできないところは注意してもしょうがない。ふらつきの原因である股関節の異常や体型も練習量がカバーするべきだからしょうがない。普通の大勢の人の傾向としては、形を大雑把に掴み細かいところを捨ててついていくけれど、私ははじめに教わったことを守るのに一生懸命で、できているふうなポーズが取れないのがいつものことです。

舞台で行うようなことというのは、できているふうなポーズを取るのが大事です。そして何があろうと流れを最後まで通しきる必要があります。ジャズピアノでは私が片手でもいいからテンポを守って、間違えてもさっと次に追いつきながらやっているのと同じ。ろくにできてないというのに「そこのところは見事」と部分的にほめられます。

キャパシティの問題があって、ある程度を捨てて残すものを選ばなければならない場合、私にとってバレエでは土台になる動き。単独で見ると非常に泥臭い。そして多くのお嬢さんたちにとってはバレエをやっていると実感できるポーズ。土台は本当に必要。そして舞台を考えるとポーズは本当に必要。そうでした。私は好みの音楽でできる健康維持の体操のようなものとして始めたのだし、音楽は舞台が好きでなくて日常の練習の中で人と一緒に演奏することが好きなのです。

土曜日にはNHKの連続ドラマをみることがよくありますが、あの中で芸妓がお客の前で舞をこれではいけないと途中で止めてしまったり、バンドがメンバー登場で歌を中断し、途中から続けたりしていましたが、あれは音楽をやる人からみるとありえないことです。出来がひどくても何かハプニングがあっても、続けるものです。滅多なことでは止めないものです。

前に教わったバレエの先生は、動きを見ていればその人が楽器を演奏する人かどうかがわかると言われました。おとなで始めてからそう長くない人たちについてのことでしょう。ある動きができあがった時には次の動きへの準備を始めているのだそうです。

私も一応流れを通す感覚はあります。ただ、見た目を伴う何についてもうまくポーズが取れない。世間はポーズしか見ません。でも自分が大事と思うことは大事にしたい。大事の基準が分不相応みたいです。それを自覚してポーズまで作れるキャパシティがそのうちできますように。

何度もやめては再開するお稽古。やっぱりやっていた方が健康でいられます。ああ、やっぱり私はそんなつもりなんだ。夢を持てよ。

楽譜が読めるということは

2008-12-15 00:35:39 | 音と動きと形
ジャズピアノの生徒さんも色々だそうで、私みたいに楽譜が読める人は先生が楽らしいです。読めないで、全部暗譜で弾いた初心者のおじさんがいましたが、私より先に教わりはじめて、私にとって5回目かそこらのライブでやっと初舞台でした。でも、私と違ってちゃんと全部の音を出していました。私なんて音を間引きしまくり、難しい部分は開き直って片手の単音でやっているのです。そして楽譜が無ければ弾けません。

おじさんの演奏はもちろん初心者らしかったけれど、聴いていて嬉しくなってくるものでした。私はうまい人の演奏よりも素朴な喜びを感じました。

私もあんなふうに暗譜した方がいいですよね。そう言うと、先生は楽譜が読めることがどれだけ助かるか力説されました。それじゃAのところからね、と言って、私はすぐにそこから始められるけれど、楽譜を読めない人は最初からしか弾けないのだそうです。

楽譜が読めるとは言っても、私はもともと音のまばらな低音楽器で単音専門だったわけで、ピアノみたいに一度にたくさんの音をリアルタイムで把握しようというのは大変です。憶えさえすれば弾けるけどこの年齢でこの「無理のない」練習量では。

今度の曲はうんと易しいと言われる、「枯葉」。まず曲を通してみて、私はほとんど単音で曲についていくのですが、先生はメロディーやリズムがわかっていればそれでいいというふうです。楽譜にある重音なんて大部分は弾けないまま。なのにもうだいたい出来上がっているみたいな言われ方をされます。私の問題はただただ、ピアノに慣れて、練習し音をおぼえること。これは教わることではなく練習量の問題です。別の楽器で演奏慣れしているせいか曲想などはそう問題ないようなのです。

そのうち片手の単音バラードで泣かせてやるぜ。以前そう思っていたけれど、そろそろ音は少ないながらなんとか両手でいけそうです。子供の頃と違ってどうやら私はかなりドラマチックなタイプ。演奏中これじゃあ魔性の女じゃないかと思う時もあります。日常に自覚はないんですけど。楽譜には書かれていないけれど年をとれば行間?が読めてきます。書いてないのにでっちあげているのかも。というのもその内容は半分はメロディが持つ人間の普遍的な感情、半分は私の性格ですから。上達すればそういうところもどんどん表に見えてくるはず。こわいこわい。内面を磨かないと。

ライブも済んで、次回からまたコードの勉強に重点が置かれます。コードさえからだに染み込めば楽譜のメロディ部分しか読めなくてもそれなりな演奏ができますから。というか、それこそがジャズです。遠い道のりよ。

聴いただけ聴き取れて聴いたように話す

2008-11-23 23:18:23 | 音と動きと形
今は高校生になってしまった姪は、小さい頃に「お薬」を「おすくり」と言っていました。多くの教養ある母親は気づき次第正しい音を教えようとしそうですが、妹はほっときました。おそらく「アイスクリーム」に似ているからお薬を嫌がらないのだろうと思ったようです。時間分解能の問題でもありますが、知っている言葉に似ているものとして捉えるからそうなるのだとも考えられます。これも大学で教わった、近接の原理。

ある母親は子供が「お買物」を「おかいのも」と言うのをなんとなく気に入って、自分でも言っていたそうです。彼女はある時期水商売をしていました。そういえば「飲もう」に似ています。しかし関係ないかも知れません。最後の音はほかよりやや印象に残ります。マ行の音はあたたかいのです。しかし「飲もう」なら普通の家庭でもよく耳にする言葉。子供は知っている言葉に近づけて聴き取った可能性も高いです。

我家では家族が幼児時代に言った言葉がかなり長い間通用していましたし、たまに今でも。カ行の音が言えなくてタ行に代わるのはよくありました。面白いのは「げまげ」。眼鏡のことです。mがgと、nがgと入れ替わったのです。「曲げ」に似ています。

姪は「わかめ」を「やかめ」と言っていました。口を狭い状態から広げるのをわかっているけれど、ちょっと惜しいところです。

一度口に出してしまうと自分の声をしっかり聴いてしまい、正しい発音を耳にしても印象の強い自分の声で覚えた音として受け取る傾向がある年齢まではありそうですが、そんなふうに記憶にある音と同じものとして受け取ることを大人になっても続ける人がしばしばいます。

「骨粗鬆症」を「こつそそんしょう」と言うのは、「損傷」という言葉を知っているからかも知れません。

正確に聴き取らない、違う音で記憶してしいまう傾向はある年齢以上の短大卒の人に多く、大卒では見たことがありません。もちろん短大卒でも高卒でも大卒と同じような人はいますが、そんな傾向があります。ある年齢というのはやはり、子供時代にテレビが普及していたかどうかで区切られます。若い人は学歴に関係なく正確に聴き取る傾向があるのです。

小さい頃に情報をどれだけ受け取ったかが聴き取り方に影響していそうです。だからって小さい子供にテレビばっかり見せたくはありませんね。悪いといわれることの中にも必ずいいことがあり、またその逆もあります。

幼児時代の言い間違い言葉はその家族にしか通じない暗号だったりするし、思い出でもあります。

「シェ」と「ジェ」が言えない呪

2008-11-22 19:58:57 | 音と動きと形
方言は別とすると、もともと日本語には「シェ」や「ジェ」の音はありません。ある時代まで外来語は「ゼントルマン」「ゼリー」「セパード」みたいに、「セ」、「ゼ」で代用されてきましたし、多くは今でもそれが通用します。

福岡では「セ」、「ゼ」の音を「シェ」や「ジェ」と訛るのはいかにも田舎者らしいことでした。ある世代の多くの人々はそんな訛りを恥ずかしいことだと言われて育っています。特に女性。
「先生」を「しぇんしぇ~」と言ってしまわないように注意しています。そんな音は口から出てこないように呪がかかっているかのようです。

時代は移り、日本語の中には外来語も増えました。「シェ」の音を含む言葉が時々あります。

呪のとけていないおばあさんたちは「シェ」なんて恥ずかしい音など口に出せません。だから「シェ」というところを「セ」、「ジェ」は「ゼ」と発音してしまいます。

ずいぶん昔、妹の友達がおばあさんに注意されたそうです。
「ジェイアールなんてみっともない。ゼイアールと言いなさい」

ゼイアール九州などは、だいたい戦前かちょっと後くらいに生まれた女性の言い方ですが、周囲の人の影響次第なところもあります。

子ども時代にテレビが普及していたかどうかも大きいようです。音を正確に聴き取れるかどうかの境目は大きくいうとそれです。小さい頃に「シェ」「ジェ」をあたりまえのように耳にしていれば平気で言えるはず。

続・ランタナの音程

2008-11-15 16:23:16 | 音と動きと形
ランタナはシソ目クマツヅラ科だそうです。

昼間、職場から銀行に向かう時に、例によって黄色ランタナの香をかいでみて、音の高さは曖昧でしたが無理に思い浮かべてみました。そして赤。やはり比較すると少しははっきりします。音叉を叩いて比べてみると、黄色はF#と思えました。

仕事が終わって日も暮れて、薄暗い中でもう一度。音叉の出番。今度はGのかなり低めのようでした。

音叉はA=440ですが、私みたいな程度の人が扱う場合は少々違ってもわかりゃーしません。まず香から音に変換する過程が不正確と思われます。しかし絶対音感なくてよかったなあと思えます(ピッチの違うピアノ弾いてフリーズしたのはどういうことなんだろう)。

今のところ音を意識して香りをかいだのはランタナだけです。共感覚を云々するならあれこれ香を試してみないと。

音叉を持ち歩くかなあ。たったあれだけ、でも重いよ。かんざしにも使えないし。

ランタナの音程

2008-11-14 01:00:17 | 音と動きと形
ランタナの香の音程を感じるのは、2種類のうちのふたつ目の香りを感じて、違いがあるのを意識した時のようです。広めの長3度です。

今日はもうひとつの花の色があるのに気づきました。隅っこにピンクが咲いていました。これは赤と黄色の中間でした。

さて、これらの音の高さがどれくらいなのか、毎日においを嗅いでその音程を声に出し、チューナーで測定したら面白かろうというもの。変な人。毎回ピッチが違えばこの「共感覚」はあやしいかも。でも、もしも日によって気温か湿度か何かに影響されて当然だったりしたらまたややこしい。

問題は私がチューナーを持たないということです。音叉を持って出勤するか。だいたいの音程しかわかりませんが。

共感覚のようでもあり

2008-11-11 00:44:24 | 音と動きと形
職場のビルの前にささやかな花壇があり、ビル管理のおじさんがそこを離れるところでした。いい香。紫蘇?ちょっと違う。でもシソ科っぽい。なんとかいう種類のミントがあそこに植わっていたはずだけど、それでもない。

一緒にエレベータに入ったおじさんに香のことを話すと、今ランタナを扱ったからねと。あら、ランタナに香があるとは知りませんでした。

銀行に行くついでに、ランタナの香を嗅いでみることに。いつもは花ばかり見るけれど今回葉っぱ。指で触れて香を出します。いかにもシソ科で、ミントそっくりだとは。黄色い花のひとまとまりと赤のひとまとまり。ほかの花でもよくあるように、色で香が違うだろうなと思ったら、やはりそうです。まず黄色、なるほど。そして赤。黄色より柔らかで、音程でいうと長3度下。もう一度黄、そして赤を確認してみたけれど、確かにそうです。

ここで突然自分が音程で香を表現したことにちょっと驚きました。これは共感覚というのでは。

どの辺りがどう長3度なのかわからないけど、音を聴いて長3度と感じるのと同じです。刺激の頻度の比率がそうなのかも。低い赤の方が刺激が少ないのです。香が音を呼び起こしたのではなく、香の差が長3度の感じを連想させました。差を感じるからには音を感じたのではないかと思うけれど、あんまりはっきりしていません。

なんとも不思議な感覚をもう一度明日確認しようと思います。

くるくる漫画

2008-09-29 23:24:15 | 音と動きと形
久し振りの透明な傘をさして歩きました。次々に傘が風で骨が折れて引退し、最後のひとつだった晴雨兼用の刺繍で破れが目立たいそろそろ寿命の傘が行方不明になった翌朝、出勤前に近所にできたばかりのコンビニエンスストアに走って買った傘。

前を歩く人のビニール傘には柄が入っています。あんなのも売っているらしい。自分で色塗っても何か貼ってもよさそう。そうしてふと思いつきました。傘の縁にちょっとずつ違う絵を並べて傘をくるくる回せばアニメーションになりそう。

さて、それをいつ実行するか。今のところあんまり情熱がありません。優先順位の高いことがあまりにたくさんあるから。

ピースサイン

2008-09-20 17:31:58 | 音と動きと形
私は一度もやったことがないです。ピースサインは。小学校高学年の頃にみんながやりはじめたそれは、ずっと写真撮影のときのあたりまえなポーズになりましたが、自分がするにはどうしても抵抗がありました。

まず、意味がよくわかっていません。ピースは平和のことと聞いたけどどうもそういう意味で使われているようでなさそう。ただ格好だけ真似て意味がわかってなさそうに見えるのも情ないし、格好いいかというとそうでなし、大人げなくて、くだけすぎな印象。そして何よりも、あれは一時的な流行でしかないだろうと思っていたのです。写真がいつまでも残るとすると、後で見て間抜けに見えそうな気がしていました。実は一時どころか何十年も続きましたが。

「サインはV」という劇画も実写もありましたが、日常であのサインはまず勝利を意味していない場合がほとんどでしたから、やはりピースサインなのでしょう。「ピース」と言いながら指二本出していたので。

最近健康診断を受けました。胃透視の前に説明書が渡され、待合室に待つ間に読むことになっています。毎度この説明にあるイラストに感心しています。胃には顔があり、しぼんだ胃、そして次に「胃を膨らませて」で膨らんだ胃の絵。「ぐるっとまわって」で渦を巻いた矢印。「胃の壁にバリウムを塗って」「写真を撮ります」の横には、笑顔の胃からピースサインの手が出ています。これが実に可愛らしいのです。

ドアがそんなに厚くないか隙間があるらしく、技師さんがモデルをおだてるカメラマンみたいな声でポーズを指示しているのが聴こえていました。

きっと誰もあの絵のピースサインをなんとも思っていないのです。