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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

おとなも夏休みの工作します?

2009-07-29 20:18:38 | 音と動きと形
詳しいことはわかりませんが今楽器屋さんで売っているウクレレ組立キットは値段が確かバイオリンの約半額、自分で色塗るなり絵を描くなりして仕上げるのでバイオリンよりはるかに自分で作るという気分が味わえる上に駒は本体に固定されているからバイオリンとは比べ物にならないほど楽なはずです。気が向いたらおとなも夏休みの工作してください。

バイオリンのキット組立て

2009-07-25 11:25:35 | 音と動きと形
去年楽器屋さんのウィンドウの向こうに見つけて以来気になっていた、バイオリンの組立キット。工作好きは興味津々、しかも七千幾らかの値段でそんな楽器が手に入るなんて。

私にはその程度の余裕さえないはずだけど、気になるなあとこの半年以上迷っていました。そんなに気になるなら買ってしまいな!

ちょうどピアノの先生に頂いた割引券が使えたらいいけど。対象になるかどうか。ぐずぐずしていたら期限が来るので、行ってみました。

店員さんにできあがりの音をきいてみることはできないか聞いてみると、組み上がったものがないのでできないとのこと。どうせろくに弾けやせんのに音は確かめたいんです。そして、割引チケット対象外。残念。

しかし一応バイオリンだよ。チェロより小回りきいて億劫じゃないだろうし、床に振動が伝わらなくて集合住宅にそこはいい。これをきっかけにチェロも弾きやすくなるともっといい。これからもずっと気にして、ある日販売中止になってがっかりするよりは。

段ボールのケースは台形です。店員さんはそれをバンドで締めて取手をつけてくれました。今時の若い人はこういうところに科学や数学を応用しないのです。長さのちょうど半分のところの重心からずれた所に取手をつけてあって、やや斜になるけど、まあいいか。こんなとこにバンドつけたら細い方へずれていくもんだけど、ぎゅっと強く留めてあるし、帰るまでもつかも。そう思ったのが甘かった。

重心の方へ、バンドが更に緩み易い方に傾いた状態で、歩く振動が繰り返されるのだから。すとーん。アスファルトの上に落としたのは一応楽器です。普通楽器の持ち主はそんなことがあったら青ざめます。でも安物だし、組立て前だし、この程度でひびは入らないだろうなと。

翌日、組立てはじっくりやれる日にまわすとして、まずはひととおり中身をみておこうと開封。
えっ、板を貼り合わせるんじゃないの?入っていたのはできあがりのバイオリンと、駒、弦、ペグに顎あて、弓に松脂。これを組立てるのがなんでものづくりなんだよ!
しかしこの程度だからこそすぐにとりかかったのです。この程度と高をくくったから。実際にやってみると大変。

弦を張るなんて何年ぶりでしょう。ペグに音程を示すアルファベットが貼ってあります。弦の順番なんてばらばらに張りはじめました。圧力は分散させる方がいいだろうし。端から順にしない方がいいでしょ。というなら中央付近から始めそうなもんですが何故かまず4弦。圧力が小さそうだったからだっけ。こういうのってその時に思い浮かんだこと次第。チェロの人にとっては4弦といえばAです。ペグにAと書いてあるところへ。弦に気を取られていると駒がこけてまた全部の弦を緩めて駒の立て直し。これが二度や三度ではありません。変だな、緩めているのに音が下がらない。あっ、3弦がぐにゃぐにゃ。私は3弦のペグに4弦、4弦のペグに3弦を巻いていたのです。何だか変だと思ったのはこれだったのです。バイオリンではAは3弦。

昔チェロの弦を全部外すと魂柱が倒れやすいから気をつけろと聞いたものですが、バイオリンはその心配は無いんでしょうか。もしかしてこれでは接着剤で留めてあるとか。

音を合わせるのがまたひと苦労。疲れが取れていない上に最近落ち着かない状況でもあり、このキットでは板の貼り合わせや魂柱立てなどすでにしてあるから良かったなあとつくづく思いました。

去年は冬休みの工作によさそうに思えるような感じで展示されていましたが、これは工作と言えないくらいの出来上がりである上に子どもひとりではかなり難しいはず。おとなでも弦楽器を扱ったことのある人がついていた方が安心です。チェロを扱ったことがある私がこのてこずりようですから。日頃バイオリンを自分で調弦し弦を張替えている子どもは多分大丈夫。しかし経験なくても根気と理解力注意力さえあれば中学生がひとりで組み立てられないこともないでしょう。細かい部分を見たことがあって仕組みを知っているのは大きな強みです。とにかく未経験者の場合これはおとな向きです。
でも私が日頃接するおとなのほとんどには無理な気がしますゴメンナサイ。同じように売られていたウクレレのキットならはるかに易しいでしょう。

何故これだけ安いのかは組立ての手間以外に本体の傷あれこれでわかります。本来なら捨てられる資源の有効活用でもあるようです。

さあ、バイオリンが手に入りました。まずは指でポロンポロンしていまずが、そのうち窓やドアを閉め切って練習します。顎ではさむのは慣れません。膝の上で胡弓のような弾き方をしてしまいそうです。

何を着たらいいのか

2009-06-14 09:59:38 | 音と動きと形
母がデパートの商品券をくれたので先日衣類を見に行きました。着たきり雀は着古すのも早いのです。あんまり同じ物ばっかりというのも。

珍しく似合うはずの形で、色もたまには合うのを置いている適度に地味なお店のは、サイズ直しできない部分が合わないのばかりですから、デザインを参考にとちらっと横目で見て通り、別の普通っぽいお店を探します。見るということはいつか自分で縫うか仕立ててもらう時の参考にということですが、果たしてそんな時が来るのやら。

好みは渋めの色だけど、似合うのは淡いピンクとアイボリー。やや黄色みの傾向。体型カバーにはフィットする身頃に広がった裾。或は丈短めAライン。この部分だけ読むと「姫ロリ」っぽいのですが、化粧を手抜きするおばさんは極力装飾控えめの上に泥くささで勝負します(してない)。色は顔に近いところさえ気にしとけば大丈夫。普通っぽくて似合うのなんて稀なので多くは妥協です。手抜き主義ながらバランスは気にします。気にしても行き届かず。

歩いていてぱっと目に入るのはやはり似合う色。Tシャツが私に呼掛けていたんでしょうか。経験から、こんなのこそ買うべきと言えます。しかし色柄の可愛いさに畳みかけるパフスリーブってどうでしょう。質はかなり良い。店員さんもそれは自信あるようで、7割引でも私にはかなり高いこの値段ということはそれなりに上等のようでした。

鏡の前で当ててみるだけね。おおっ、予想通りの華やぎ。はーい私はここですよと突然存在を主張しはじめるくちびるは紅をさしたかのよう。試着もしてみるか。…襟ぐりの形が長い首に合ってドレッシー。すっきりゆったり、まさにぴしゃりの身頃のフィット加減。人によってはパフスリーブが目立ちすぎるそうですが、私には当然といわんばかりに馴染んでいます。もうちょっと袖口が狭かったらな。店員さんはうらやむけれどこの体形は腕を動かしていると背中に皺が寄りやすいのです。

本当に似合う時にしか漂わない店員さんの周囲の空気といいますか。やはり可愛らしい服を着ると見る人は和むのです。いい歳になってきたから敵視する女性ももういないんじゃないかな。これだけ合って質がいいのにはなかなか出会わないので、おうちに連れて帰ることに決定。

待てよ。こういう色って誰でも顔が明るくなるものかも。ちょっとごめんなさいとそのTシャツを店員さんに当ててみました。彼女の言う通り、ピンクがあまり似合わない人もいるのです。似合う人が引受けた方が洋服だってしあわせかな。

それにしても、今は商品券にお釣りが出るんですね。

昨日の帰りの駅で見かけた二人の女性はキャリアウーマン風スーツがよく合っていました。私には似合わない格好。プロポーションがまるで違うなあ。自分にとって避けた方がいい色もだいたいわかってきました。しかし形は問題。歳を取っていくのです。その前に、歳を取ってしまったのです。これからどういう服を着たらいいのか。とりあえずは出会いを大切にしようかと。

かえる、なまえ、かわる

2009-06-03 23:42:09 | 音と動きと形
昨日は検索をしてみたところ、例の蛙さんの名前はカーミティではなかったということが、わかりました。私の聴取り間違いだったのです。

KERMIT THE FROGが彼の名前。KERMIT THEまでのつながりがKERMITYに聴こえたのです。

そして、世界中に同じように思いこんでいる人がそれなりに居るのがわかりました。


動画の可愛らしいこと。あの眼。あの襟飾り。ふにゃっとした手足。あの声。動き。好きでしょうがないです。

帰ってこないかなあ。

続・美人の近道

2009-05-27 00:47:52 | 音と動きと形
今回のレッスンでお向かいのバーについたおばちゃんじゃなかったおねえさんの動きは思いっきり美人でした。年齢相応の艶っぽさ。一見私より年上だけどきっと私の方がうんと上、もしかしたら10年以上の差です。

私にはやっぱり無理。あんな動きは私のストックにないから出てこない。あっさり動いた方が気持ちがいい、ということは、自分にとって気持のいい方が正しいんじゃないかと思えます。違う場合もあろうけど。根がバンカラだからね。一応目指してはみたけどやっぱりガラじゃないぜ。

しかし美人云々の意図もわかります。だから美人と普通の際のすれすれ美人でない側を行くのです。美人らしくないのになんとか及第点というのを狙います。

私が思うには、大事なのは動きや形の認知が楽であること。動きの節目になる決まりのポーズはこころもち長めに取ります。線はひとつながりになるものはつなげます。そして緩衝された動きは見る側も安心で楽です。しなをつけるんじゃなくて、緩衝。必要最小限の緩衝の動きをつけたらいいのではないかと。

きっと美人というのは認知が楽で、見て安心、プラスアルファ。

このアルファを軽くしたいのです(そもそもなんでアルファと言うんだろう)。個性があるからゼロにはならないでしょう。

私の本来の目的は健康維持、運動不足解消なんです。それを好きな種類の音楽で。そしてついでに何かをみつけたかったです。舞踊一般の基礎と言われるものですから何かあるはずだと。もひとつついでに姿勢をきれいにしたかったのです。あら、やっぱり美人を目指していたわけだ。

美人の近道

2009-05-23 18:17:14 | 音と動きと形
バレエダンサーはなぜ美しく見えるのか。実際にそのからだを計測して数字を出したところでそんなに理想的なものではないはずです。

バレエダンサーは錯覚の世界へ誘う存在です。その多くの動きがゲシュタルト心理学用語で説明できます。

例えば、脚を長く見せるには。脚のアウトラインを延長させます。脚の始まりがウエストであるように感じさせるために、ウエストから膝への線をまっすぐに。更に延長させるなら、足首、つま先までをまっすぐに。もっと長くするなら、バストの頂点から脚への線をまっすぐに。これは高橋智隆さんの作った女性型ロボットが体現しています。

線の延長がミソ。

肩から続く腕や手の動きも、眼には見えないその延長した先があるかのようなものなので、空間を広くします。柔らかくします。

デコルテに光を受けているかのように、そしてそれが反射により顔を照らしているかのように。実際以上に輝かなければ。

バレエでは美人になりきることを要求されます。観る人がつられて美人だと思ってくれるのでしょう。なりきれば人はそういうものとして反応する…場合もある。吹き出さない程度にやりたいけれど。

そういうわけで、私は美人です。よく忘れているのですが、少なくとも週に一度はその事実を思い出します。いや、常に美人でいなければ。きっと自覚が行動を変化させるのです。まだまだ。

なりきらなくても美しさは表現できるんじゃないかって思うんですけどね。美人になりきれというのは、多くをひとことで表せるてっとりばやい近道なのです、きっと。

じぶんじしんのみちぶしん

2009-05-15 00:19:31 | 音と動きと形
からだが憶えているということは、古い脳や脊髄に通り道ができているということでしたっけ。

記憶とは通り道。記憶は形。

水は記憶を持っているという人がいますし、物質は何でも記憶を持っているという人もいます。素粒子レベルの動きさえ一度通った同じところを通りやすいということなのでしょうか。同じような動きをしやすいとか。素粒子がどういうものなのか想像できません。

何度かやったことは何もやってないことと比べて、自信が、要領が、まるで違います。

歳をとるほどに、新しいことは昔通った道を一部通る、その頻度が高くなります。


私の全身が記憶。
生き物の記憶、中略、個人の記憶。

ルーティーンはレパートリーともいえる

2009-05-13 00:14:03 | 音と動きと形
ピアノのレパートリーというのは好きな曲とは限りません。でも嫌いだったらやらないでしょう。手持ちの楽譜の中で音符が少なめだとか指の運びが複雑でないとかでいつの間にか決まってきます。私の場合楽譜はふた昔以上前の映画音楽が中心。クラシックで易しいのは下手が弾くととにかくサマになりませんから。ただ、バッハは下手が弾いても何故か聴けます。

今年のはじめ頃からだったか、頻繁に弾くようになったのは映画"FLASHDANCE"の"WHAT A FEELING"です。「いいね。軽くて」と母が言っていました。ゆっくりめにして低音をヘビーに効かせたつもりが、ガラス戸2枚を隔てたらそんな印象らしいです。軽いというのはいつもよりうんと俗っぽいという意味かも。

昔はこんな曲を私が弾くなど考えられませんでした。静かで優しい曲しか受付けなかったのは、耳が敏感すぎた上に気持ちがのびのびしていなかったから。老化現象は恵みと言えるのでしょう。


ジャズで教わっているこれまでの曲はどれもレパートリーと言えない程度の仕上がりで、そのまま次の曲に進んでいます。

さて、ライブも済んで今度の曲は透明感のあるバラード。タッチが問題です。普段練習するのはデジタルピアノでも指はせいいっぱいの共鳴を期待した動きをしてしまいます。だけど力加減は現実に影響されているんだろうなあと思うのです。

こう書いたら、よっぽど弾ける人に見えるかなあ。実際はとりあえず重音の一番上の音だけ拾いながらタッチ云々という図々しさ。

真似っこでない当たり前なジャズの演奏ができる日がいつか来るようには思えないのですが、そこを何とか想像しよう。私はきっとジャズの演奏が出来る人になる。きっと、なる。今のところは真似っこを目指している段階だけど。


ピアノも大きな助けになりました。記憶力の回復はかなりなものです。そして、わかったのは、記憶力低下は目立たないということ。気付かれません。とんでもないほど低下しても、日常のルーティーンはたいして影響されないので。からだは憶えてくれています。メモさえすれば仕事はだいたいできました。文章だって書けました。話すよりは楽に。しかし本は読めませんでした。フレーズの終わりを読む頃には先頭を忘れていましたから。

ルーティーンを複雑なものたくさんにしておくというのもよさそうです。レパートリーを増やすことが人間の生きる要領なのです。職人技も芸術も先見性も指導力なんでもかんでも、そうは見えないけど実は些細なルーティーン的レパートリーの積み重ね。

ついでに。銀杏葉茶やアマニ油は記憶力アップに効き目あるように感じます。

もうひとつのついで。記憶力回復は確かに負荷をかけて脳を使ったこともありますが、私の場合まずは休養が大事でした。第一は疲労回復。自分では回復しきったつもりでも結構残っているものですから、からだの声に従いました。休日は怠け者に徹するくらいのつもりでちょうどいい。そうしながら少しずつからだを動かし(ドラムをやって)、そしてある程度までいってからやっと負荷をかけるのです(大学で部分的に授業を受ける、その後ピアノを習う)。人によって最適な方法は違うと思われますが、からだを動かすのは誰にとっても大事でしょう。頭の中よりからだが先です。脳はからだについていきます。

三井寺展

2009-05-05 00:11:38 | 音と動きと形
絶対見逃すまいと思っていた「三井寺展」に行ってきました。母と一緒です。

予想通りの見ごたえ。彫像の素晴らしさ。そして書。絵は古くなって見えづらいのが多かったです。

円珍さんをはじめ個性的なキャラクターが大勢魅力的です。

不動明王のヘアスタイルなんてじっくり見たのは初めてでした。真横から見るとてっぺんを編込んで左上で束にしてそこから下に垂らしています。あんな顔して意外に手のかかるおしゃれをしていたのです。

髪形だけではありません。多くの像の、横から見る全身が、いい。

円珍さんは顔も頭の形も可愛いけど後を見ると首から肩、背中にかけてもなんともいえない魅力があります。

新羅明神像のデフォルメのセンスがまた素晴らしい。顔が目立つけど全身の美しさといったらありません。

おそらく今回の目玉は黄不動です。放つ何かが違います。正面からまず魅了され、横がまた素敵、後にまわると、やっぱりこのお不動さん、生きてますよ。背中を掌でぺちっと叩きたくなるほどの質感。あのボリューム感がたまりません。

こんなにプロフィールが、こんなに背中が素晴らしいのに。せっかく周囲ぐるりと見られる展示なのに正面しか見ない人が多いようです。

先へ進んでは何度か黄不動のところに戻りました。あら、修行してかなりなレベルにならないと拝ませてもらえなかったんだって。秘仏です。まあ、背中をぺちっととか言えるような存在じゃなかったんです。

円珍さんの書いたお手紙などもあります。雑、なのに絵になるヘタウマ。うまいというほどでもないけどいい字。優しい人。先の方へ進むと、小野道風の書が。本物を直に見る機会なんてそうありません。それまで見た字とはまるっきりレベルが違います。格がとんでもなく上。でもこういう字を書く人は遠くで憧れているだけでいいなあ。身近にいたら疲れそう。隙がまったく無くて融通きかなそう。このレベルを目指したいけど私はどっちかって円珍さんに近い気がするというと、母はうん、あんたの字は似ていると言いました。おそれ多くも円珍さんの字に。ちょっと嬉しかったです。

最後の最後あたり、もったいぶった場所に如意輪観音坐像。おそらくファンを多く持つと思われる仏像です。この方に会いたくて来たという来場者は多いでしょう。ニクイねえそのポーズ。やっぱり美しいのです。

最後にいつものように会場を遡り、黄不動さんのところへ。

通路へ出ると、よその展覧会のポスターがずらり。国民的アイドル阿修羅像のポスターもありました。なんとまあ6月頃まで上野に居るらしい。ここらへんまで巡回するよね、来なかったらみんな怒るよね、と話しました。

母はもう一回この「三井寺展」に、友達を誘って来るつもりのようです。

絵になるタイプ

2009-04-19 22:20:18 | 音と動きと形
昔母が言っていたこと。
私の絵なら描けるけど、妹(次女)の絵は描けない。どう描いていいかわからない。

どうやら絵に表現する内容があるかないかのようでした。
その話を聞いた当時の私はまだ非常に若かったです。

母にも見えるもの見えないものや表現内容に得意不得意があるのでしょう。

妹は私より顔がはっきりしており、私はこの通りの野暮ったい性格が顔に表れています。絵にしやすいのは妹の方のように見えますが。

妹は狭い世間では比較的優等生で要領が良かった、つまり私がよく書いているような、情報の切り捨てがうまくてさっさと進むタイプ。

母が表現できるものとは私が捨てずにぐずぐず持って考え込んでいた何かだったのでしょうか。おそらくそれは母も共通して持っているから描けるものなのでしょう。

あれから20年以上経ちました。妹には母が絵に描ける何かが身についているか、それとも母に絵に表現できるものが増えたか、それはまだ聞いていません。

絵は見え方

2009-04-19 22:08:21 | 音と動きと形
絵は実物を見ながらじゃないと描けないと母は言います。母が言うことにはお隣の奥さんは実物を見ながらではなく誰かの描いたお手本を見ながらじゃないと描けないと言っていたそうです。私はどちらの言い分もよくわかる気がします。

母は実物から絵に変換する過程で、人と自分の見え方が違うということが気になるのでしょう。三次元から二次元にする過程でそぎ落とす範囲を自分なりのものにしておきたいのです。一方隣の奥さんは自分のその方法に自信がないので、それを誰かのやりかたに習いたい。

人間が描くからには絵は単純に写真のようにはいかないらしいのです。

絵とは描いた人の見え方なんですね。

作品に表れる性格

2009-04-11 21:16:49 | 音と動きと形
先日電話で母もレオナール・フジタ展に行ってきたと話していました。それが大絶賛。

そうだっけ。そうかもね。その時の体調にもよるでしょうよ、見え具合は。確かに素晴らしい、でも私の好みじゃない。

絵を見てしばしば描いた人の性格を感じ取る母が言うには、あの画家はそうとう意地悪だそうです。それ聞いて、あ、なるほどと思いました。私の評価には優しさも大きな割合を占めているようなのです。嫌悪感のもとはあれだったのかどうか。

しかし意地悪方向であれ、何かの強さがなければあれだけの仕事はできなかったでしょう。性格の幾分かは当時の日本の社会の彼に対する冷たさがつくりあげたものかも知れません。


市の展覧会が7回まで無料で観られるという会に入会して、観に行った最初がフジタでした。初年度なら5回、その後は4回程度行けばモトが取れます。

今年度どれとどれを観ようかと案内を広げていると、そのうちポンペイの遺跡から出たものが展示されるとか。昔そういう展覧会があった時行ったのですが、あんまり好きじゃなかったです。虚飾のにおいがぷんぷんして。だから神様が溶岩で埋めたくなったのかなあと思いました。また年月を経て行ってみれば素晴らしい部分が多く見えてくるか、好き嫌いに関係なく観ることができるかも知れません。行くかどうか、まだ迷っています。

藤田嗣治の展覧会

2009-04-05 21:06:37 | 音と動きと形
レオナール・フジタ展を観に行ったのは先週でした。

フジタは昔から親しみを持っています。猫が好き、そして誕生日という共通点があるせいでしょうか。

昔からそれほど好きというわけではなかったけれど、今回の展覧会は、もしこれを初めて観たんだったら嫌いになるだろうなと思いました。

本屋さんに栞になりそうな展覧会の割引券が2種類置いてありました。ひとつは女性のヌードのむこうから猫がひょこっと頭を出している渋い絵ですが形は栞としてスタンダード。もうひとつはコースター型で、ピンクの丸の上に眠る仔猫がはみ出しています。ピンクの方は色々な人に好評で、使いたくないという人もいました。

ピンクの割引券の可愛らしさにひかれて展覧会に行き、初めてフジタの絵を観た人はお気の毒でした。夢見る猫好き少女は吐き気を催したかもしれません。あの猫が寛いで眠る場所はけっこうすさまじい絵の中でした。

乳白色の裸婦はいいけれど、これが男性となるとごめんです。少年漫画のいかつい筋肉をエッチング風な線で陰影をつけてあるのを目にした時の嫌悪感と同じ。裸婦と同じような手法なのに対象が変わるだけでこんなにも。ローランサンの女性が何人も描かれた絵とは正反対ながらどこか通じるようなきもちわるさでした。

今回も藤田嗣治のこれまで公に出ていなかった部分が出たということが大きな意義でした。前回観た展覧会では戦争にかかわる性格の絵があり、日本の社会がその天才をどう扱ってきたかという反省みたいな性格もありましたが、今回の目玉は新発見の復元です。

うまいといえばうまい、特別にうまいと思ったことはなかったけれど、今回あらためてほれぼれしたのは、迷いのない線でした。

しかし、若い頃の絵というのは見づらいです。描く人の眼がいいから眼のいい人に見える絵。何を描いているのかよくわかるのは晩年です。そういえば、眼科医と一緒に企画する展覧会ってどうでしょう。ローランサンやルドンはいかにもド近眼、誰だっけ、赤緑色盲とか、斜視じゃなかろうかと思えるぶれて重なった絵を描く画家っていましたよね。

ヒューマノイドの日本的な姿勢

2009-03-22 18:25:32 | 音と動きと形
美容師さんのお世話になるのが3か月ぶり。私は1年おきか数年おきということが多いのですが、今回の髪型は自分では色を維持しにくいのです。以前の髪型だって維持できていませんでしたが、自分なりの許容範囲内でした。

一晩過ごして寝ぐせを指でおさえて鏡を見ていると、なんだか最近話題になったロボットに似ていました。ファッションショーに出演する気でいるらしい彼女の髪に。ファッションショーはないだろ。そう思ったけれど、ロボットだからあり得ます。

例のヒューマノイドの姿はちょっと膝を曲げています。いつかテレビで見た日本の伝統芸能の動きを連想させます。もしもそんなのが基本姿勢だとしたら、何かの効率の良さで共通するものがあるということでしょう。日本人だからこそ発想できる歩き方があってうまくいった部分がもしかしたらあるのかも。それにしても今のところファッションショーでは西洋の動きが要求されます。

テレビで流行の服装を楽しむ若い女性の歩く姿が映されることがありますが、やっぱり日本人は大昔に倭人と言われたそのままの姿なのかなあと思います。大抵は歩く時にずっと膝が曲がっているのです。どちらか片足だけでもまっすぐになる瞬間がほとんど無いように見えます。洋服ではこれがあまり美しく見えません。

日常にずっと洋服で過ごしていても、やはり古くから身についているものが表れるか日常の畳の生活がそんなところに表れるかするんだろうなあと思いました。