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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

見た目年齢の決め手

2010-07-25 20:38:46 | 音と動きと形
先週、5年ぶりくらいに「学生さんですか」ときかれました。電車に乗り込むなりお婆さんと思われて席を譲られていたのは去年のこと。白髪を染めていなかったので。

今回白髪は染めた後根元が伸びてきてはいるけど目立たない程度。服装は女物にはまず無いけど男物にはありそうな色の組合わせで、ふたむかしかもっと前の偏屈理系男子学生的な格好でした。そういえばいまどきの女の子はこういう格好しませんね。学生さんですかと聞いた人が若かった頃の学生のイメージの格好。おばさんらしさと同時に骨っぽい男の子的なムードを持つので。

見た目年齢は服装もだけど、まず髪の色の影響が大きいようです。

しかしこの年齢で学生さんだなんて。実際、お婆さんに見られる直前はパートタイム学生していたんですけどね。

シアトルから日本美術など

2010-07-04 18:56:15 | 音と動きと形
土曜日の午後、ちょっと遅いかなあと思いながら行った福岡市美術館でしたが、ぴんぽんぱんぽーんとアナウンスが入り、時間が2時間延長されているとのことだったので落ち着いて観ることができました。

日曜祭日を除いて、7,8月は美術館が夜7時まで入ることができます。これ、いいですね~。仕事帰りでも大丈夫。夜の街中洲にあるアジア美術館は本来遅くまでやっているようですが。

さて、日本のものが多いシアトルの美術館からの作品は、やはり有名人のはいい。でも全体に好みという感じではなし。体調にもよるのかも。しかしそうして保存されているとは有り難いことです。私は朝鮮的な顔をしているというのにもしかしたらそういう血は引いていないのか薄いのか、朝鮮関係はあまり好みではないようです(アジア一帯日本人の起源と思えますけどね)。

鼎というのは脚が3本とばっかり思っていたら、4本脚のがありました。

目玉は烏の屏風。これが入ってすぐの場所にありました。
最後の方にあったインドラ坐像の可愛らしいこと。でも、あんまりいつもみていたくはないポーズです。あれは腰によくないから気になります。

なんとなく感じたことは、最近はいいものを順路の最初に持ってくる傾向があるのかな、ということ。昔は途中にある程度が、一番の目玉が後近くにありましたが、そこへたどりつく前に集中力を切らす人が今は多いのでしょう。

私の場合、遅く来て時間切れで後の方はじっくり見れなかったーということもありがちですから、それもあるのかも。

…なんて考えましたが、並ぶ順番はテーマが決まっています。

売店にはなんとまあ端渓の硯が意外に手頃な値段で置いてありました。


帰宅するとまた例によってちらしを切り抜き、小さい小さい屏風のできあがり。

ボーダーは避けたい

2010-07-04 17:31:02 | 音と動きと形
街を歩けば視界内に数人の白黒横縞柄が。

衣類を買う時に、お店の人に勧められた時に言うのは
「ロゴ入りは着ないんです」
だったけど、今年は
「横縞とロゴ入りは着ないんです」

基本的に。だけど、実はロゴ入りも着ています。
よおーく見たら、こんなとこにロゴがある、という目立たないものは許容範囲。そうでないと、選択肢が少なすぎます。

囚人にはなりたくない。よこしまでない人でありたい。その前に、流行に合わせたくない。流行なんて広い意味を考えたらきりがないんですけど。

囚人で連想するけど、首に札を下げるのにも抵抗を感じます。
職場は小さいところなので普段はそんなのをつけなくていいのです。たまに催し会場に入るとそういう札を下げさせられるのがなんとなく屈辱的です。

松林のかおり

2010-06-02 17:58:35 | 音と動きと形
今利用している、乗っているうちに地下鉄になるJR車両は気密しっかりで風景はにおいを伴いません。ちょうど今ごろです。廃線になった電車が松林を通りぬける時甘い香りを楽しめた季節は。

長らく笑うことも忘れたままだった抜殻のような私をちょっとばかり生き返らせたあの香り。不思議な心地よさでした。

通りすぎて振り返ってみれば、意外なものに支えられ助けられていたりするものです。

机の上に松林図屏風

2010-04-18 23:09:31 | 音と動きと形
仕事で銀行に行った帰り、通り掛かりに目にした豪華なリーフレットは長谷川等伯でした。おや、そんな展覧会が来るんだ、とわくわくしそうになりながら開催地を確認。ほらね、遠く。しかし京都ほどの遠くのもののリーフレットが置かれるのも珍しいことです。しかも割引券がホッチキスで留めてありました。国宝で人気ナンバーワンの作者だから遠方からも旅行がてら来る人がいるんじゃないかと期待があるわけですね。

行くはずもないけどその豪華な美しい紙を貰って帰りました。そして特に大きく印刷してある松林図屏風を切り取り、折り畳んでミニチュア屏風の出来上がり。職場の机の上の、お向かいさんの置いた書類の重なりの前に置くと、非常にいい感じになりました。

屏風のはしっこにウェットなキャッチコピーが書いてあるけど、まあいいか。今回初めて置いてそのまま帰ってしまいましたが、帰宅前にしまって朝仕事前に出さないと拭き掃除の邪魔ですね。その手間のせいで、続くかどうかはわかりません。本物そっくりなアマガエルのマグネットがとまっていて、コリラックマのまるっこい頭が蓋になったガムケースは磁石を貼り付けてゼムクリップ入れにしています。結構ちぐはぐな机の上です。

ピンクで元気になりそう

2010-04-10 18:53:58 | 音と動きと形
両親が鹿児島に寄った時に妹から私へのお土産を預かってきました。ひとつは折畳傘。

自分ではとても買えないんじゃないかと思うような、澄んだ夢見るようなピンク。同じもので色違いがずいぶんたくさんある中、断然このイメージだと言って妹は迷いなくそれを選んだといいます。

確かに似合う種類の色ですが、見て、年齢不相応と思ってそれなりな反応をする人はいます。それでこっちが不愉快になるのはいやです。

まあ、傘だからいいか。スカーフ程度もいいけど、服は気を付けたほうがいいです。裏さえついてない簡単な明るいピンクのいただきもののレインコートは服というより小物という気分で着たのですが、すれ違うおじさんが大げさに噴き出していました。

着方も問題。たとえばレインコートの中に黒でも着ていればよかったのに、その時は白や淡いピンク、ベージュなど。

着て気分がよくない色はあります。上半身に着るか下半身に着るかでも苦手さは変わります。しかし白、ピンクは楽です。そればっかりにしてもいられないのでベージュや緑がかったのなど普通っぽい服を選びますが、やはり傾向はあります。そう沢山衣類を持つ余裕もありません。

数週間前だったか、全身ピンクを着たおじさん、もしかしたらおじいさんを見ました。スーツにネクタイ、靴、ショルダーバッグまで全部ピンク。かなりストレスを感じやすそうなタイプでした。

私もつい最近までものすごいストレスを感じて生きてきましたが、こういう人はピンクを遠慮なく環境に取り入れていいわけです。好きなものを選んでいいのです。

私が強そうで頭良さそうで年齢相応な顔をしていれば面積の大きい鮮やかなピンクを着たって問題ないのでしょう。形の上で若い人の格好ではないのでそれなりな年齢に見え、うまく染まってない白髪は年齢相応以上、しかし顔はゆるくて少し若く見えるので、難しいのではないかと思います。

今使っている傘は淡いピンクベージュです。遠慮気味の色。しかし妹がくれた澄んだピンクは喜ばしい色。自分の目が喜ぶのを感じます。見て嬉しい色が身に着けたい色というわけでもないけれど、持って使っていれば喜ばしさが目に入ります。

不自然な犬

2010-02-13 22:40:06 | 音と動きと形
ジュディ・オングさんの犬の絵を私は安っぽく感じたわけですが、それは人工的に作り上げられた犬種のせいだと思われます。

表現力はものすごいのです。あんなふうに描ける人ってそういるとは思えません。

ただ、室内犬という存在自体の不自然さが見えてしまいました。

対象への愛情はそれはいっぱい見えました。

とにかく絵は素晴らしいです。対象への愛情が美しいからなおさら。

ジュディ・オングの版画

2010-02-13 11:30:28 | 音と動きと形
仕事帰りに中洲にあるアジア美術館でジュディ・オングさんの版画を観ました。

日本家屋と花。たまに台湾の風景や犬。良いのは断然日本家屋です。彼女がどういうところに惚れ込んだか一目瞭然です。

ほっこりしたひざしと、守るように覆いかぶさる軒や室内、そのむこうに見通せる景色、その途中にある緑の映り込んだつやつやしたもの。ああ、そうよ、私もそれが好きなんだったよ。そう言いたくなります。

私にとっての懐かしさのようなものは違う文化の中に生まれた彼女にとっても、おそらくある程度はやはり懐かしさなのだろうと推測します。初めて見るものにさえ感じる懐かしさはよくありますから。

時が進むにつれて技術が上がっていきます。うまくなりすぎ。私は初期の、大太鼓を大きくひとつ打ったかのような骨太の素朴な作品が一番好ましく思えました。絵というオーケストラは意外とポピュラー音楽を奏でています。

花も見事ですが、整いすぎると俗っぽい。コロボックルや犬は安っぽい感じで、なるほどこれを最後にもってきたわけです。最初に観たらいきなりがっかりして、なんだこの程度かとさっさとひきあげるおそれがあります。はじめの方に少々の意外さで引き寄せる建物、更に進んで見事な技術を見せて圧倒し、最後に犬や水彩の花などを観れば、あらやっぱり普通の女の子なのねという身近さで締めくくることになります。

順路を遡って、日本家屋の絵。薄暮の中の木の葉は青。向こうの料亭のガラス窓の中ではあかりに照らされた緋もうせんや畳が懐かしげな色をしています。ところどころ、ほっとするあたたかい絵があるけれど、これは泣けてきそうな類の安心感。何故?しあわせを外から見ている絵だから?あとで中に入るべし。

そう、私もそれが好き。絵を観ながら共感をかみしめます。絵自体はそれほどじゃなくても、同じ気持ちがまさにそこに描かれていました。

好き、ということの尊さ。

花のワルツの季節

2010-02-04 23:25:28 | 音と動きと形
地下街を歩いていて、気がつくとなんだかクリスマスのムードに浸っているような私。しかし2月のはじめです。

BGMが花のワルツだから。あれはクリスマスの演目の中の1曲だけど、そういえば花のワルツという曲名自体はこれから春に向かう今にこそふさわしいものです。

わくわくする音楽を聴いただけできっと何か影響があります。音楽はどれだけの人をしあわせにしてきたのでしょう。

それにしても、クリスマスみたいな寒い中のあたたかさを、暗い中に反射するような華やぎを思い出させる曲。ぬくぬくという言葉は外の寒さがあってこそ。どこか緩めてはいけない何かがあります。

気温が下がると決まって手が荒れますが、今日は久しぶりの手のひび割れでまだまだ寒いのだとつくづく思いました。ただ、日差しは春。

歌と笑いの境目は

2010-01-17 23:17:10 | 音と動きと形
モーツァルトも歌と笑いの中間みたいな曲を作っていたような気がしますが。
このジングルベル、どうでしょう。楽しくなってきます。

http://ameblo.jp/dragonest/entry-10436563711.html

伴奏がなかったらジングルベルに聴こえるんだろうか。
音程がどの程度合うかが問題ですね。メロディーの頭と主な変化の頭が合っていれば許せる気がします。
最後のくたびれた感じもまた面白いです。


このブログは「神様」とチャネラー体質のお兄さんと「僕」龍さんの3者の会話を記録してあるのですが、現在お兄さんが病気で休養中。読んでいるとこの兄弟の純真さが伝わってきます。神様を信じないとしても、その内容は本当にいいことが書かれています。

神様とはいっても、ある意味ではそれも事実であるからそう呼ばれるのを受入れておられるというふうです。兄弟も都合上そう呼んでおられる様子。

関心ある方には最初の方から順に読まれるか、過去のブログ内容から順に送ってくるメールマガジンを読まれるかをお勧めします。

神様も現代の人に合わせた話し方をされるし、現在通用している科学や歴史から大きくそれてしまわないようにそれは気をつけておられます。

バロックの演奏会

2009-12-14 00:28:49 | 音と動きと形
今日は友人に誘われて演奏会。会場の古い建物もいいムード、その中でバロックが聴けるなんて。もともとバロックは無表情という印象でした。バッハを演奏してみると結構情熱的だと思ったこともありますが、それ以外はとにかく淡々としているという先入観があったのです。それが打ち砕かれました。熱くて悩ましい演奏があるんだなあと思いました。

コルネットは初めて見ました。てっきりトランペットの形をしているものと思っていたら、形はその名のまんま角笛です。口に近い部分は縦笛、それが先へ行くほど横笛に近くなるようでならずにななめでとどまる、カーブした形。しかしマウスピースは喇叭方式です。そう聞くと金管みたいですが木製だそうです。

演奏が終わって置いてあるビオラダガンバを間近に見ました。これも初めて。じろじろやっていると演奏者さん(指がすばらしくきれい)が来られて、触ってみませんかと言われたけどうっかり落としたらいけないし。フレットは竿にガットを巻いて縛ってあるだけでした。なーるほど。そして、そのうち1本の弦にはそのフレットのほんの少し上にその弦だけに当たる程度のフレットが低音側に貼ってあります。おそらく竿に巻いてあるのより僅かに厚めなんでしょう。平均律になってしまわないようにでしょうか。チェロに似ていて、ちょっとずつあれこれ違いました。

終わって、どこか食事できるところは?私が唯一知っているイタリア料理店は多分この通りのこっち側にあったはず、と歩いて行きましたが、そういえば前回みつけられずに帰ったのでした。もしかしたら無くなっているかも、とそれなりな覚悟もしたのですが、今回はみつかって、満足なふたりの忘年会ができました。

名脇役揃いの展覧会だけど

2009-11-21 11:44:21 | 音と動きと形
いつかは倉敷のあの美術館へ行きたいと言いながらもう20年以上経ってしまいました。今回そこの作品が来るのなら。

大原美術館というスーパーブランドだから期待は大きかったです。確かにそんなにはずれはなかったけど、目玉というべきものもなし。モディリアーニのあの絵をポスターやチケットに使うんだからそれを推測するべきでした。あれとビュッフェの若い女性像くらいかな、強いて華というと。

先週の土曜日に行ってきました。えっ、たったこれだけ?そうよね、本家本元がお留守になっちゃいけないからいいもの全部持ってくるわけにもいかないでしょう。

レベルはそれなりに高いけど、華のある主役のいない舞台のよう。キャストも少なめ。華を期待はするけど、私が気に入ったのはあまり有名でない画家の地味な絵でした。

母に電話するとちょうど同じ日に友人と行ったそうです。画家やタイトルを言うとああ、あれは良かったねといくつもちゃんと記憶していました。古賀春江とか、気に入った絵は意外に抽象画だったり。青木繁、暗いねー。とにかく暗い、私は好かん、だそうです。

作品数の少なさや目玉になるものが無かったこと、やっぱり現地に行くしかない、と意見が一致しました。もちろん今回の展覧会に行って良かったです。滅多に目にすることのない本物に会えるのだから。ただ、名脇役ばかりで千両役者不在、モブの迫力もなし。

私の知っている限りでは、高度経済成長の頃の展覧会が一番充実していました。質の高い作品がくたびれるほど並んでいました。そういう意味ではいい子供時代を過ごしたものです。バブル経済時代は駄作や下絵や走りがきメモ的な絵の紙切れなど(これだって展示によっては貴重で興味深い資料だけど)で場所を埋めていたり、時代、場所なり系統なりの共通点があるポピュラーでない画家と組み合わせて、メインはほんのちょっとというのもよくありましたが、今は本当に作品数が少なくなりました。老いも若きも長時間立ってられない人が増えてちょうどよかったりするかも。

「あなたはどの名画に恋しますか」とよくこの展覧会のテレビコマーシャルを流していますが、そのセリフ、違和感あります。「恋する」ことが前提になっていて、意図的にするものみたいな感じ。

会場を出たところに絵はがきや複製その他の売店。本物の絵も売られています。これだけ有名なのに一般に手に入りやすいシャガールはリトグラフだから。ひとつ気に入ったのがありました。12万円。ワーキングプアには関係のないことよ。1200円だとしても贅沢。でも、好きでした。熱烈というほどではなく。

意外な経歴の意外な変化する声

2009-11-09 00:24:38 | 音と動きと形
図書館で借りるCDは食わず嫌い改めと新しい出会いを期待して、やや冒険気味です。

何借りたんだっけと数日経って取り出し、へえ、こんなのだったかなあと思うこともしばしば。期待が薄いのです。

確かに1枚は有名なわりにちっとも魅力なし。Bob Dylanは再生を始めてすぐ止めました。

もう1枚を再生、いきなりしあわせ。なんだこりゃ。Russell Watson の the voice ですって。結局私はクラシックが好きなのです。とはいうけどクラシックとは限らないCD。

レチタティーヴォを受け持つポップスの声とアリア的なところのベルカントでひとり二役など面白いです。このCDの中でいったい何人分の声を出しているのやら。

ガテン系テノールとはすてき。経験した職業の影響がきっとあります。理屈だけで生きる人にはなさそうなこの理にかなった安定感。しかもこの軽やかさ。

久々の大当たりでした。連続して借りられるのは1回だけ。今回一緒に選んだベルリンフィルの12人のチェリストも色あせてしまいました。

ジャズピアノ3年生

2009-10-13 07:29:57 | 音と動きと形
「いや~これだけできあがってたらも~いうことなしっ」
「先生、わたし音を相当間引きしてますよ、左手がサボってばっかり」
「そんなの問題ありませんよ」

ジャズなので。目指していることになっているのが。今やっているのは細かいとこまで書かれた楽譜を見ながらのジャズもどきです。

ピアノに慣れないといけません、まだまだ。でも演奏には慣れていると言えるかも。音が少ないなりに音楽になっているようです。

うまくできなかった部分をカッコつけてみました風にしてしまう技術は長年のうちに身についています。遅れたのを、慌てずそこらのテンポの変化をなだらかにしたのです。

「今日は良かったですねえ。特にソロのとこ。そう、あの遅らせ方がいいんですよ」

とっさにカバーできればいいけど、いつもとは限りません。あたりはずれがあるのです。ほかの楽器と一緒に演奏できるおかげで、ミスタッチさえしないなら音が少なくてもなんとか聴けるのですが。

本番は来週。私の出番はまだみんなが酔っ払っていない一番最初です。いつものように開き直るだけです。

何のためにジャズピアノだったか。今やっていることは最初の意図からずれていってますが、何事についてもそういうものでしょう。これも縁です。

最初の目的のひとつは鬱で極端に低下した記憶力のリハビリ。以前と同じ程度になっていないけれど年齢のことも考えるとこれは達成できたのではないかと思います。もうひとつはピアノが正しく弾けるようになること。先生は私の基本的な技術については何もおっしゃいません。問題ないのかも。私が基礎の教育をきちんと受けていないということは、うまくなった時に謙虚さを持ち続けるにはいいのです。うまくなるかなあ。これを忘れずにのびのびやっていればいいのでしょう。ついでに、とっさに伴奏ができるようになりたいというのは当分達成できそうにありません。コードを取り上げるのでなく、今はまずジャズという音楽に慣れる時期のようです。

ほんの1年間だけと言って始めたのですが、今のところ続けています。

おうちでの練習量をあたりまえな程度まで増やさないとね。