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す ず な り

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陶器の展覧会

2011-02-26 20:49:45 | 音と動きと形
福岡市博物館で茶陶と東洋陶磁なんとかいう展覧会があり、確か日曜日が最終なので混まないうちにと行ってきましたが、そう混まないかも。引越後まだパソコンをネットに繋いでなくてW-ZERO3でタイトルを調べ直すのが億劫なのです。あ、チケットがありました。茶陶と東洋陶磁名品展。

いつになくイカしている展示物の解説文は、収蔵している七隈にある美術館なんとか庵の庵長さんが書かれているのだと思われます。

入ったら早速中国の古代。陶器の犬がいます。適度にマッシブな体を支える細い脚の先はごく短い指が開いてしっかり立っており、顔は今の言葉でいうならブサカワ。全身たまらなくブサイクでカワイイ。いきなりやられました。

いつも古代中国のものは第二水準でも出てこないんじゃなかろうかと思える字で表される器が色々。今ごろ第二水準なんてあるのかな。厳しいイメージの多い中、規の下に隔の右側のつくりを書く「き」は、ふくよかで色っぽいのです。「千と千尋の神隠し」に登場したおしらさまを連想しました。

唐くらいの時代になると豊かさという言葉が似合って、やさしさを思わせる物が増えます。

金の時代に、おや、絵唐津?ちょっと違う。金といえば朝鮮系でしたっけ、朝鮮に起源を持つ唐津と似ていると勝手に納得。

日本の長与三彩のなんと素敵なこと。また一カ所地名は忘れたけどもうちょっと渋い三彩もありましたが、こういうのは古ぼけた田舎家に置くとすばらしく野暮ったくなり、都会的モダンな空間ならとんでもなくお洒落になりそうです。

お茶入れコレクションはたいした数で、その背後にシフクというんでしたか、口を紐で結ぶ布の袋を大抵2つ従えています。季節ごとに着せ替えを楽しむわけですね。中には3つか4つの衣装持ちも。

そこで突然お嬢様と呼ばれて、残り時間わずかであることとこの先もうふたつほど展示室があることを知らされました。その日の私の服装は昭和ヒトケタの爺さん風ですが、たとえおばさんでも女性はお嬢様と呼ぶ方が安全というか無難というか。薄暗いからしょうがないの。そう、急がにゃ。

お茶碗や水差しほか茶道の人は驚嘆しそうなところを大急ぎで通り抜けました。ちょっと残念かも知れない。

とにかく私は何故か絵唐津はそう好きじゃない。いっぱいあったけど。唐津でも焼き締めは好きですが無かったようです。茶道関係にも詳しくないもんだから○○が一番好きだとか思ったままを口にするととんでもない反応を招くので(買うことなんてそもそも考えてなくて値段の相場も知らず、ただ好みだってのに)、あんまり話さないのが良さそうだし、茶道は個人的に意地悪イメージが絡みついてしまっているから、もういいんです。今茶道やっているみなさんはしあわせイメージと繋がってください。

余裕があってじっくり観られたらそれはそれでよかったでしょう。前半だけだったとしても観ごたえある展覧会でした。そして、解説文に人柄がしみじみ表れているのが良かったです。

実は、ベースを

2011-02-14 20:08:39 | 音と動きと形
今頃書くとカミングアウトみたいな感じになりますか。臨時収入があったのでウッドベースを教わることにし、9月に始めました。月2回。

とりあえず楽器は手に入れない、期間は1年間、その間に進めるだけ、ということにしています。

ベースが1年で足りないと思ったら余裕があれば延長、ピアノより見込みあったら云々と、期限を限っておけば私も頑張るでしょう。でも、どうもどちらも中途半端にしにくいムード。体力や忙しさなどでそれなりになっていますけど。

ピアノでは最初の1年間にコードのことだけはじゅうぶん教わるつもりでしたがやはりひととおり曲をできあがらせて人前で演奏するのが先みたいです。演奏と理論同時進行でやるはずだったけどおそらく私がそういうレベルでなかった。楽譜通り弾くのさえなかなか。普通の人と違ってそれ以前にピアノを習ってない上にこの年齢ですから。

ベースをやればピアノのアドリブの力もつくか助けになるかするはず。そもそも、自習すればいいのです。しかしやらないから習う。習ってうまくなるにはある程度の自習。結局そうです、教わりながら自習が大事なのです。ただ、仕事帰りは無理しない。ひとつ習い始めた分疎かになったのがあるけど、そっちは足の疲労骨折の影響が完全に無くなったと実感した後でよし。

即興伴奏ができるようになりたくてコードについて理解したかったからジャズ、弾けるようになりたかったからピアノを始めたわけですが、ピアノについて新たに教わることはこれまでの時点ではほとんど無く、ただその場で弾いて慣れるだけです。自分ひとりではそこまで頑張らないから教わってかなり(図々しさという意味で)力は身についていますが実はコードの近道は私の場合ベースだったようです。と思ったところでとうとうピアノでもコードを実際に意識して弾く、楽譜のままとは限らない段階へ。長かったねえ。

しかしベースの大きさといったら。とにかく重いのです。昔からよく間近に見たしたまに運んで手伝ったというのに、年を取り体力が落ちて弾く立場になってみると、ここまでとは。それも今教室で使っているのがサイレントベースだから、アコースティックだったらもうちょっとハードかも知れません。聞けば子供用はベースには無いとのこと。しかし一度に音をひとつ、ゆっくりというのはやっぱり頭が楽です(ピアノもつい音を間引きして結局楽してます)。指は苦労しているけれど。

種類は違ってもちょっとは弦楽器をやっていたからその分は進みが早いです。5度ずつ違う調弦に馴染んでいるので4度ずつは時々混乱します。しかし人前の演奏慣れしているせいで課題も途中で止まらずに弾きそびれたところはほっといて先を弾くので、そこらは慣れさえすればできるようになるから問題無しと思われるのでしょう、先生はそのまま進められます。

ベースの先生はその場で楽譜を書いて渡されます。そういうとこがジャズだなあ。私の音にしばしばピアノで伴奏されますが、そこらにウクレレが転がっている時にはそれで。

ピアノの先生とおしゃべり中に、ベースのレッスンで使う楽器について答える時にすぐにサイレントベースという名称が浮かばなくて、骨と言ったのですが、そのまま通じて会話が進んでいったのがおかしかったです。

家では私はギターを使って練習をしています。ベースの指づかいでやるには小さすぎの楽すぎ。そしてレッスンの度にベースの大きさにたじろぎます。やっていけるかなあ、そんな大変な楽器。これからどうするんだろう、私は。

丸い輪の模様

2011-01-15 15:57:50 | 音と動きと形
年末の紅白歌合戦の時は珍しく母とふたり長時間テレビの前で過ごしました。

「天城越え」に能装束が登場。
えーっ、この曲って、鱗の摺箔に丸紋尽で手は扇よりは枝持つイメージじゃないの?あんな端正なのよりは恨みや嫉妬に狂う女のイメージじゃないかと。母も同感のようでした。歌の印象はそんな感じ。

しかし歌詞はおそらくそれほどじゃないんでしょう。全部聴いたことないし、憶えるほど関心もないけど、恨むような内容じゃなかったような気もします。そもそも鱗まる見えや丸紋尽を用意したら失礼だろうし。

印象ってすごい。勝手に失礼なところまで進んでしまっている。




丸紋尽で思い出すのは、バブル経済時代の終わり頃、○ェンディのショールをかけた人を見かけたのですが、その柄がいけませんでした。中にFの字がひとつ大きく入った直径15センチくらいだったかの輪がいっぱい散らばっていました。私がフェ○ディ大嫌いになったのはこれを見たから。

その嫌悪感の原因は幾つか考えましたが、ひとつは丸紋尽の意味するところと同じでしょう。


子供の頃に見かけた紙の着せ替え人形の衣装に大きな丸の中に何か模様の入ったワンピースがありました。男性漫画家だからそんな柄を描くんだろうなど思っていましたが、その柄をどうして好まないのか、当時はわかりませんでした。蛇を恐れる本能的なものだったなんて。

スピードのある絵

2010-12-27 22:58:11 | 音と動きと形
現代中国美術展にあった、道路の絵だか写真だかが印象的でした。

ただ、舗装された道路です。それが2×2の4つ並べてひとつの作品らしい。しかしそれがスピード感を感じさせるように描かれています。

はい遠近法ですよと言わんばかりに、低い視点で道路の幅は急に焦点に向かって狭まります。同じスピードならば高い位置から見るより低い位置の方が道路の見え方の変化が激しいので、低い位置というのはスピードを連想させるのでしょう。はて、絵だから見え方は静止しているのだけど、そんな気がするのは何故?まーとにかく、低い視点ほど道路の狭まり方が急いで集束しているわけだから。

また、全部の絵はみな傾いています。傾くということは、カーブを曲がるイメージ。絵を見ながら遠心力を感じます。ということはそれだけスピードがかかっているのだと思わせられるのではないでしょうか。しかしカーブの絵じゃないんだな。遠心力を感じるのには傾きは大事だけどカーブという形はそれほどじゃないのかも。

あじびで現代中国美術

2010-12-21 00:32:19 | 音と動きと形
夜の街中洲で8時までやっている美術館はお仕事帰りに便利。しかし滅多に行きません。「わの会」のカードにあと5回展覧会に行けると表示されており、期限までにこなすには行かなくては。

展覧会に行くには目の調子がいまひとつでしたが、うっかりしていると行きそびれるおそれがあるのです。首の辺りでもちょっとマッサージするかな。しかしそんな暇もなく到着。

入口に入る前に一族が写真撮影のために並んでいる様子の塑像がありました。タイトルは「はい、チーズ」だったと思いますが、訳を見るとどうやら中国ではそういう時にチーズではなく茄子のようです。

ちらしの感じではなかなか期待できそうな感じでしたが、実際その通り。人物の表情がいきいきしています。見事。しかし細かい。しかし念入り。

写実的で、隅から隅までみっちり描き込んだ絵が多いのです。中国人て体力あるんだな。

日本人だったら詳細を描かずに、思わせる。思うために必要なものを描くというイメージがあるのですが。日本にも時には細かく描き込む画家もいるのに、いったい何なんでしょう、中国らしさと日本らしさの違いとは。日本では細かいところは力の抜けた遊びじゃないでしょうか。中国はどこまでも本気。

あんまり詳細まで人の力が及んでいると、疲れます。

ちょうどエネルギー切れも来ました。昔よりは体力がついたのでたいして深刻ではありませんが。あ~、荷物とショールをロッカーに入れておくんだった。どうも辛くて、背骨が歪む感じ。会場には私ひとりだし、隅の椅子に座っている人も移動して誰も見てない。やりましたよ、首の牽引。ちょっと楽に。

中国画っておしゃれ。漆画は離れて見ると絵だけど近くでは工芸品で、距離をあれこれ変えて見え方の変化を楽しめます。

まーーーとにかく見事。芸術というよりは技術の高みという感じですが、ハイレベルです。観に行って損はしません。見ごたえあります。

群像が多いのも中国の特徴でしょうか。まなざしや顔の向きは何か力を持っていそうです。ただ向いているだけで空間を何かが向かい進みます。場が広がります。生きている人でなくても。絵でも。不思議です。

ああもうじゅうぶんだと思って、やっと出口。いまどき物足りない展覧会が多すぎるけれど、これは違います。久々の充実感でした。

はぁ疲れた。中国の絵は挑んできます。観に行くとしたらその前に食事をするなどしてそれなりな覚悟で応じてください。

きりんからんころん

2010-12-19 00:28:22 | 音と動きと形
きりんからんころんきりんからんころん

たまに思い出すのは、帆柱を綱が打つ音。
ヨットの林は波に揺れ続けます。

もうかなり前にその場所は無くなったという話です。

そこへ行ったのは一度だけ。
思い出深いわけでもなく、当時は今よりはるかに不安で辛かった。
一緒に行った彼らが特に好きだったわけでもなし。

好きだったのは、その可愛らしい音色でした。

もうそこは無い。そんな場所を高齢者はどれだけ持っていることか。
普通に生活しているけれど、泣きたくはならないんだろうか。
普通の人はしあわせの記憶をたくさん持っていそうな気がするけれど。

感情が高まるわけでなく、ただ思い出す。

音が私に優しかったのです。

美術館の中の時のうつろい

2010-11-24 17:59:57 | 音と動きと形
定期券を出そうとして、手に当たったのは、展覧会の半券でした。すっかり忘れてしまっていたということは、私にとってたいしたことはなかったということでしょうか。

シャガールは好きなのですが、年を取ってからの作品が、です。今回の企画展にあったのは多分ほとんどが若い頃の作品で、これまで観たことがなかったか、観ても記憶に残らなかったもの。画家を知るための資料的な意味で価値はあっても、美術の専門家でもマニアでもない私はやっぱり洗練されてからのを観た方が嬉しいのです。

別の部屋でやっている常設展示のひとつはシャガールの版画でした。入手しやすいだけに、数がたいしたもの。しかも観て嬉しい絶好調な絵です。これを観ると観ないではシャガール(だけじゃないけど)の展覧会に行ってきたという満足感は大違い。

福岡市美術館で、いつもの癖で常設展示をパスする方は、今回ばかりは気をつけてください。昔は常設を観る余裕がないくらい企画が充実しているものだったのです。もしかしたら私は絵を適当に注意に使うエネルギーを節約しながら観る要領が身についたのでしょうか。

常設の聖母子像は出張中。「オルガンを聴く踊り子」はなんだかふたまわりくらい小さくなったような気がしました。私が大人並の身長になった後に購入された絵だったと思うけど。あれから私は横にかなり育ちました。

私の好きな「谷風」にも再会できました。滅多に行かないものだから、記憶の中で少しずつ変化し、毎度会う度に記憶は修正されます。しかし記憶だけでなく実物も本当に変化しているのではないかと思えてなりません。すんなりした肢体、膨らみ始めた初々しい胸、天平の遺物のようにみせかけて実はいきいきした表情の少女は時とともに生気を増していきます。

流れるなりに

2010-11-13 17:11:59 | 音と動きと形
職場の洗面所近くのゴミ箱に、その階のゴミ全部が集まります。古いシュレッダーから出たのでしょうか、細長い紙切れが時々出ます。面白いことに、いつも紙1本につき明細が1行入っています。90度まわして入れたら内容がわからなくなるのに。

おそらくシュレッダーの刃を満遍なく使用し、短時間で処理するには例の明細がよく見える向きが最適なのです。

もしそうでなく、刃の摩耗など考えていなくて、紙を横に使って明細が書いてあるのであれば、紙を縦長に入れることがその人にとって美しいこと。ものを何かに通すのに、すんなりと通って行きやすいイメージは進行方向に向かって縦長です。

縦長で思い出すのは、職場の印刷機。A4以下のものを印刷する場合、マスターペーパーの使用量は原稿台に縦長に置く方が節約できます。しかしほとんどの人が置くのは横長。幅が決まっているマスターは紙の進行方向である横の長さを使います。もったいない。しかしほとんどの人はそれを考えないようです。

もっとも、定型封筒の印刷など幅の狭いものや、横にするとひっかかりやすい形状などは節約などしていられません。


ものの流れる向きを揃えるのは、ある意味で美しいことです。セキュリティや節約のための動きはしばしば美しくないことでもあります。仕方がない。

ボーカロイドおそるべし

2010-11-07 21:02:39 | 音と動きと形
クラシック音楽でも、検索によっては初音ミクがトップに出てきます。聴いているうちに気が付いたら涙を流している人もいるらしい。

あの声は多分バロック向きですが、その前後境目辺りもなかなか。そして複数人数分の同じ声のハーモニーは見事。バッハはもちろん、バロックからは遠い「フィンランディア」も好評のようです。

初音ミクと鏡音リン・レンの三部合唱も素晴らしい出来です。「モルダウの流れ」など。

ミクではいまひとつだった「夜の女王のアリア」を巡音ルカがもっとうまく歌っています。外国語の発音がまずいと指摘されがちなミクでしたがルカは英語もできるらしいので発音の幅が広がっているわけで、今後オペラ方面などにも頑張ってほしいものです。

ミクの「草津節」は可愛らしくて外国人にも人気があります。

ボーカロイドを作った人も使いこなす人々もすごい。

包丁さばき

2010-10-04 01:08:13 | 音と動きと形
ドラマはあんまりみないけど、テレビがついていました。女優さんが台所に立って包丁を使っていました。

切れ味のわるい包丁を使い慣れた人の手つき。

それは普段のやり方そのまま?それとも演技として?

その時の包丁がある程度切れにくいのはわかりますが、切れ味の良さに慣れた人はその時のような動きにはならないものです。

しかし、切れ味のわるい包丁の扱い方というのは、非常にさばさばと手際よい印象になります。下町の良妻賢母という感じ。

あ~それにしても、包丁研がにゃ。

大きな大きな雪のかけら

2010-08-25 01:11:53 | 音と動きと形
製氷皿の裏側に霜がついている様子。少々期待してじっと見てみました。
ずうっと前にそこに六角錐の杯ができていたことがあったからです。
今回は、大きな雪の結晶の一部。2.5センチくらいの枝です。見事。
撮影したとしてもこんなに近距離じゃないといけないのはうまく写らないかも知れず、もたもたしていたらとけてしまいます。
ぱたんと冷凍室へ。

カメラ、買うかなあ。

ぶらんぶらんだけど落とさない

2010-08-07 22:32:38 | 音と動きと形
大きな力を発揮する力の抜き方とは、大事なところの力を抜かないこと。

使わない力は入れない。使う力は抜かない。

腕はリラックスしても、手は持ったものを離しません。

楽器で大きな音を出せる人は、弓を、撥を、ピックを持ったまま落とさずに、腕は力を抜くことができます。
手にものを持ったままの、脱力して下ろした腕をつつくと、自然に揺れます。
普通それなりな訓練をしていない人の腕だったら結構難しいことです。
手の上で脱力した腕を放り上げるように上下させると、腕の自然な重力がかかります。

落とさないだけの制御の力は残したままの脱力。
私はこういう要領で、過労とその後遺症の中を普通の人として生活してきました。


かなり体力はついたんですけど、このごろは昼間銀行などの外の用事から帰ると、ずうずうしく横になって休んでいます。うと、としたかしないか程度で疲れの取れ具合はまるで違います。今よりはるかに辛かった頃にこうしておけばよかった。

力を使わないためには強さが必要

2010-07-28 23:34:46 | 音と動きと形
ぶらんぶらんの腕は歩くのには邪魔です。まっすぐ進みにくいです。でもぶらんぶらんしながら安定した歩きを可能にするものがあります。それは、重い荷物、そして、からだの中心を支えるしっかりした筋肉。

女性の歩行を、実は胸が邪魔しています。胸に水の入った袋をくっつけて歩いているようなものですから。自覚の無い人も多いでしょう。慣れるとわかりにくいので。わかりやすいのは、サイズが急に変化した時です。まだ新しい対応の仕方を身につける前。

女性がまっすぐに歩こうとする時、荷物を持っていると楽です。胸の揺れが起こす全身としての揺れを抑えます。手に持つボストンよりは、からだの中心に近いところに直に重さがかかる、リュックやショルダーの方が安定するのは女性に限りませんが。

ぶらんぶらんの腕の動きに応じて微妙にからだの傾きや向きを変えるようなこともやっていそうだな、と、自分について思います。実感に近いけど、いまひとつそこまでいっていません。傾きを変化させるのはそんなに力を使わないようなのです。そして、列車中読書にしては分厚い本が入れっぱなしで、荷物が意外に重いのです。

女性は何かを持って歩く方が落ち着くのは確か。しかし、重すぎはいけませんね。

力を抜いて楽に歩くにはからだの中心を支える筋肉がしっかりしていないといけないということになります。

ぶらんぶらん

2010-07-27 18:44:33 | 音と動きと形
街中のあちこちに鏡があります。地下街へ行く途中のビルの中の壁、エスカレータ横など。ふと自分の姿が映って、それが普通の人と随分違うのに驚きました。

手の力が抜けている、ただそれだけ。しかしあまりにも抜けていて、ぶらんぶらんです。人間の一部というより、「物」みたい。リュックを背負っているから両腕が重力やら慣性やら遠心力やらのかかるままです。

楽器を使っていれば力の抜き方が身につきます。美しい音を出す為、長時間疲れない為には必須です。低音の大きい楽器では大きな響きを出す為に尚更力を抜くものです。でも、そんな楽器を演奏する人たちは普段腕がぶらんぶらんではなく、普通にしています。

私は使わなくて済む力は極力使わない節約の傾向があります。すぐにエネルギー切れになってしまうから。それにしてもここまでぶらんぶらんはちょっとはしたないかも。

道を歩く人を見てみると、みんなそれなりに腕を形づくり、無意識なりに動きを制御しています。そんなにも人間は、いつも何かしら無くても済む力を使っているわけです。