Enchanted Serendipity

Love generously, praise loudly, live fully.

信頼を得るということ

2009-06-24 | mind
信頼を得るということは決して簡単なことではない。
正直、自分がどうあがいても仕方がないことでもあったりする。
でも、信頼が潤滑油になる場合、やっぱり信頼をできるだけ早く得たいとも思う。
まーまず、信頼が潤滑油じゃない場合なんてあるのかって話だけど。




今年の夏、去年の夏と同様にまたYAのツアーのスタッフをやらせていただくわけだが、
ふと不安が先日よぎった。





マネージャーたちに信頼されなかったらどうしよう・・・





おそらく、事務所とYAとの通訳を一番多くやらせていただく機会が多いわけだし、
何よりもきちんとした信頼関係が築けないとただギクシャクするだけなわけで・・・






YAとの関係は良いもので、お互い信頼していた。
これは、あくまで去年の最後の最後、8月の後半のことである。
その頃だって、全員に信頼されているという思っていたわけじゃない。
でも、数ヶ月後にNYCの街中で会った時のみんなの反応が私の中の最新情報として残っているので、
なんだか勘違いしてしまっている。
人間の記憶なんて、エゴイスティックなものだ。





今年は、私が初対面のキャストがほとんどで、そんな信頼関係なんて最初から築けているわけないのに、
このエゴイスティックな気持ちがあるからこそ、不安に襲われた。
今年のキャストたちといい関係が築けなかったらどうしよう。







正直、YAと仲良くなりたいなんて思わない。
語弊を生じるかもしれないけど、YAがキライとかスキとかそういう次元の問題じゃなくて、
これはあくまで仕事なわけで、仲良しごっこではないのだ。
すべては子どもたちのため。
その延長戦上に友情も芽生えれば、それはギフトだと思う。
私はYAにどちらかと言うと冷たいスタッフらしいので、YAへの家族的愛とのギャップに昨日笑われた。
そう、I really love them from the bottom of my heartというのは紛れもない事実。
その心はYAは汲み取ってくれると信じている。





まーそんなこんなで、不安を抱えていたわけだけど、
今日、ちょっとその不安がなくなった。







信頼された!なんて思ってない。
むしろ、信頼関係ってどうやって構築されていくものなのだろうって考えてる。
考えたって、あんま意味ないのはわかってるけど。
去年、トップの3人とどうコミュニケートしていったか、
キャストたちとどうコミュニケーションをとっていたかを思い出してみた。




特別に何もしていない。
無駄に仲良くしようなんて思わないし、仕事をきちんとこなす。
鉄仮面の私に“つかれた?”“おこってる?”“つまらない?”と話かけてきてくれた彼らたち。
なんかすべてが自然の流れの中にあっただけなのだ。








去年のいい関係があったから、今年、焦っただけで、
別に最初からうまくいかなくて当然なのだ。







そう思って、構えなくなった。
構えなくなったからか、自然体で接せられた。
自然体で接せられたからか、ちょっと彼らの私への目が変わった気がした。






信頼を得るということは、私の将来にとっては非常に大事なことで、
医者になったら、患者さんとの信頼関係は絶対に必要だ。
でも、それは無理矢理作りだすものではなく、
自然と生まれるもの。







また一つ、ステキなお勉強ができた。
でも、認識するのは、自分がいかに恵まれた世界に今いるかということだ。
信頼を得ることなんて普段は意識的に考えずに過ごしてるってことは、
信頼し合える人たちに囲まれてるってことだから。





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