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日清講和記念館 日清戦争の講和会議は、下関のふぐ料理店春帆楼で行われた。次回の講和会議は?

2015年11月29日 | 日記

 
下関の春帆楼は、伊藤博文の命名で、ふぐ料理公許第一号店。
日清戦争後の講和会議はここで行われて、李鴻章がやってきました。
会議を行った部屋が復元されて、それを納める日清講和記念館がよこっちょに建っています。

講和文書

伊藤と陸奥



その隣が、赤間神宮。「耳なし芳一」の舞台です。
  
李鴻章は命を狙われる危険があったため、近くの宿泊所まで細道を通って通ったそうな。それが李鴻章道。
その途中の高台に、下関出身の藤原義江記念館がありました。


中国との次の戦争の講和会議も、東京のふぐ屋でやればいい。浅草の三浦屋あたりかな。
そのときの講和の相手は、中共ではないでしょう。




巌流島
 


門司港レトロ 国際貿易港の名残を残す明治・大正時代の建築群

2015年11月27日 | 日記

焼きカレーをほぼ強制的に食わされそうになる町、門司にやってきました。
JR門司港駅は修理中でよく見えませんでした。

 

その他の国際貿易港として賑わった門司の名残の近代建築は、なかなか風情がありおもしろいものです。

 

 

 

しかし、これだけ焼きカレーを見せつけられると、意地でも食べたくなくなるもので、地元の魚を出してくれる回転寿司を食べました。


枕崎駅 九州旅客鉄道指宿枕崎線 日本の鉄道の南の終点 坊津にも行ってみた

2015年11月26日 | 日記

  

JRの終点です。ただそれだけの、それ以外何もないところです。
日本の南の端はどういうところなのかと思って来てみたのですが、一面の茶畑が広がっていました。

枕崎の公衆トイレにはカツオが泳いでいます。

 

そこからさらに走ったのが坊津です。
さらにその先に、鑑真が上陸した場所というのがあるのですが、道が細いので断念しました。
とにかく日本の端っこです。

 


開聞岳と池田湖 イッシーの模型だらけ

2015年11月25日 | 日記

開聞岳。登山口まで行ってみました。登山道は胸突き八丁でけっこう急だと聞いています。
そこからすぐのところに、九州最大の湖、池田湖があります。

 
昔はそれなりに賑わったのかもしれませんが、いまは土産物屋もシャッターを下ろしています。
大ウナギがいるらしい、世界一かどうかは知りませんが。
イッシーについては昭和53年に、多くの住人によって目撃されたのですが、たぶんこの大ウナギなんでしょうね。

 


桜島 5合目まで登ってみる 鹿児島市民は大正噴火並みの噴火の不安を口にしています

2015年11月24日 | 日記

鹿児島のシンボルと言えば桜島。街中から見えるその雄大な山容は、「すばらしい」の一言です。
小さい頃からこんなすごい山を見て育ったら、スケールの大きい人間になるだろうなあと思います。でも地元の人は「まともな奴は維新の時にみんな東京に出てしまった」とヨソ者の夢をぶちこわしてくれます。


桜島へは鹿児島市街から桜島フェリーで行けます。頻繁に出ているので、乗り場に車で乗り付けて、しばらく経ったらフェリーに乗せてくれて、対岸に着いたらそのまま車で上陸して、高速の料金収受所みたいなところで1500円払うという仕組みです。
そこから5合目の湯之平展望所に行ってみます。
桜島は二つの火山なんですね。その峨々とした山並みを仰ぎ見ると同時に、錦江湾の眺めも楽しめます。

 
かなり土留めの工事をやってますね。噴火でできた扇状地では、桜島ダイコンやみかんが栽培されています。
ここのところ爆発回数が増え、地震もあるし、口永良部島が噴火し、霧島にもその兆候があるため、地元の人は「大正噴火並みの噴火」があるのではと危惧しています。

 
わたしの曾ばあちゃんは四国でこの噴火を体験し、「洗濯物が真っ黒になった」とよく話していました。
つまり、ものすごい降灰があるということです。
再稼働した川内原発は、桜島から50㎞離れていますが、もし5㎝以上の降灰があったら車って動かなくなるんですけど、だいじょうぶなんでしょうかね。
とても大丈夫とは思えませんね。
人って、懲りないもんですね。