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おはら祭 たまたま出くわした2万人が踊るという鹿児島の大イベント

2015年11月23日 | 日記

 

たまたまなんですけど、鹿児島でおはら祭というのに出くわしました。
市内に入ると警官が町の辻辻を固めているので、よほどヤバイ町に来ちまったのかと焦りました。交通規制の準備だったんですねえ。
「花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは オハラハー 桜島」の鹿児島おはら節だけでなくて、3種類くらいの踊りがあり、学校で教えているので鹿児島県人ならみんな踊れるようだ。
なので見物が勝手に飛び入りで踊ってもよく、飛び入り連もあります。

  
また鹿児島市内だけでなく、周囲の町から来ている団体も多いようです。道理でホテル代が高かったわけだ。
各団体の後ろにはタンクを載せた車両がついて歩いていて、さすが鹿児島、日差しが強いので水分補給のためかと思ったら、タンクには焼酎が入っているとのことで、さすが鹿児島・・・


鹿屋航空基地史料館 「永遠の0」以来、入館者が増えているらしい

2015年11月21日 | 日記

  

旧海軍鹿屋航空基地時代には、最大数の特攻機を送り出した基地です。
史料館2階は、海軍航空隊のそもそもの始まりから、国産機の開発、航空母艦の開発、日清・日露戦争、日中戦争から太平洋戦争の主な海軍の作戦と海軍航空隊の役割についての展示があり、別室に近所の垂水市の海中から引き上げられたゼロ戦を元にして作られた復元ゼロ戦の展示と、航空機の技術についての展示、さらに別室にこの基地から飛び立っていった特攻隊員たちの遺書や遺物が展示されています。


かなり広い史料館です。
1階に降りると、現在の航空自衛隊の展示になっていて、武器の解説と、いまの航空自衛隊の仕事が対潜哨戒と、海難救助であることがわかります。


あとソマリアの海賊対処の派遣を紹介するコーナーがあります。
屋外には、古い航空自衛隊の航空機がたくさん展示してあるのと、お台場の船の科学館から運ばれてきた二式大艇が、道を挟んで向こう側に翼を休めています。

 


知覧特攻平和会館 ここに修学旅行生がたくさん来ているのを見ると、なんだかホッとします。

2015年11月20日 | 日記

 

また来てしまった、知覧特攻平和会館。
ここはアメリカ・イギリスとの戦争が始まる直前の昭和16年12月に作られた、陸軍の飛行学校用の飛行場です。
だから最初は飛行学校だったんだけど、本土最南端の航空基地という地の利もあり、結局400機以上の隼とか疾風とかの特攻機が飛び立つことになってしまいました。


この知覧特攻平和会館には、英霊となった1000人以上の特攻隊員たちの遺書や遺品が展示されています。
前来たときは涙で遺書の数々がよく読めませんでしたが、今回も目から汗が流れ出してきてよく読めませんでした。

知覧特攻平和会館につくまでに、道端にずっと石灯籠が並んでいます。



遺書の中に長文で、合理精神を持つ学生の書いたものがあって、体制批判の後、「もし万一この戦争に日本が勝ったとしても、日本の現体制は必ず外国に倒される」と書いていて、そういう信念を持っているのに従容として死に赴くことに満足していると書いているものがあります。
自分の信念に反していても、なぜ納得して死ねるのか。戦争というのは皮相的なイデオロギーを超えた本源的な何かと背中を接していると思わずにはいられません。

ここはあいかわらず、老若男女バスでたくさんの人たちが来ています。遠足の幼稚園から修学旅行、カップル、家族連れ、熟年カップル・・・
子供がここに来ているのを見ると、なんだかホッとします。修学旅行生は屈託なく笑い合っていますが、若いときにここに来たことは、きっと何か心の中に残ると思います。
修学旅行で韓国なんぞに行くんなら、知覧に来たほうが何万倍もいいと思いますね。

 


宮崎神宮 神武天皇が都を置いていたところ(まあ都と言えるかどうか微妙ですが)

2015年11月19日 | 日記

 

宮崎市の中心部からややハズレたところにある、神武天皇を祭神とする大きな神社です。
創建は第10代崇神天皇の時代だそうですが、その前はここは神武天皇が都を置いていたところらしい。
神武天皇というのは、イザナギイザナミのひ孫が海彦山彦で、その山彦の孫が初代神武天皇なわけですよ。
そして彼はいまから2675年前の10月5日、意を決して軍を率いてこの地を立ち、東征を始めます。
大分~福岡~広島~岡山と転戦して、岡山には3年とどまって軍を拡張し、大阪に上陸するのですが原住部族の強い抵抗にあって熊野に再上陸し、そこから八咫烏に案内されて熊野を抜けて大和に入り、大和を平定して橿原に腰を落ち着けます。
そうやってできたのが大和朝廷なんだそうです。

  
ま、神武天皇=崇神天皇という説も昔からあり、そうすると2675年がずいぶん圧縮されちゃうんだけど、おそらくこれは史実なのでしょう。
そういうわけで、なかなか重要な場所に建つのが、この神社なんです。


青島神社 日本にもチンタオがあった! ジャイアンツの選手や、長島さんも来るらしい

2015年11月18日 | 日記

 

宮崎の海岸から、日向灘にほんのちょっとだけつき出した有名観光地青島。
島全体が亜熱帯植物に覆われていて、そのなかに海彦山彦の山彦のほうを祀る青島神社があります。
山彦が釣り針を探しに海の中に行って、そこで竜宮城を見つけて楽しく暮らして、戻って来て上陸したのがここだったからとかなんとか、そんな話だと思います。
おそらく昭和40年代にあれだけ宮崎観光がブームになったのも、その当時の人たちは戦前の教育で日本の神話によく馴染んでいたからなんでしょうね。

 

この対岸がすぐ巨人軍のキャンプ地。ちょうどこの日から秋季キャンプが始まっていて、宮崎では「ジャイアンツが来ると寒くなる」と言われているらしい。
選手達がよく走って、この神社にお参りに来ているそうです。
長島さんも来るらしいが、彼だけは車で橋を渡って神社に乗り付けるらしい。
いーんですよ長島さんは何したって。つーか、亡くなったら長島さん自身がこの神社に祀られかねない勢い。