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事実上「商業放送」になってしまっているNHKの、 強制的な受信料徴収に正当性はあるのか?

2014年05月09日 | 日記
・NHKは公共放送だと思って受信料を払っていたら、企業提供の番組を黙って平気で流していることを知る人は少ない

・NHKは「みなさまのNHK」でなく、「商業資本による、商業資本のためのNHK」に堕してしまっている

・NHKは、番組制作に外部資本が入り、収益を分配し、権利を与えていることを巧みに隠蔽している

・NHKは究極のステマ放送局。こんなことで、強制的な受信料徴収に正当性はあるのか


維新の中田議員が、総務委員会で、「NHK低俗批判」をやったそうですが、「なぜNHKの番組はこんなに低俗になってしまったのか」、その原因を問題にすべきだと思います。

公共放送とは、NHK自身の定義によれば、「営利を目的とせず、国家の統制からも自立して、公共の福祉のために行う放送」のことです。

NHKは最近、外部の制作会社を入れるようになりました。だから番組内容が民放に似かよってしまい、民放番組の劣化コピーになっています。
そんな民業圧迫を、公共放送がやる必要があるのかとても不思議です。

さらに大きな問題は、NHKの番組の一部には、外部から制作費が出資されているが、その事実は視聴者には見えないので、利益相反の可能性があるという問題があります。
たとえばこれ
http://www9.nhk.or.jp/anime/hanakappa/
このアニメには、小学館などが制作委員会方式でカネを出しているはずですが、小学館提供とはひとことも出て来ません。出資企業はこのアニメの一部の権利を持って、商売をやっているし、著作権料収入配分も受けています。
教育テレビにやたらアニメが増えている理由は、ここにあります。

民放では、番組スポンサーは必ず告知されます。視聴者は番組にカネを出している企業を予め知って見ているので、視聴者との利益相反は最小化されています。
ところが、NHKではどこが出資して利用できる権利を持っているのかわからない番組がジャンジャン流されているのです。いったいいくらの外部資金が流れ込み、どのような番組が作られているのか、まったく秘匿されていて検証できません。

「NHKは公正中立なので、商標であるセロテープやホッチキスも放送では言えない」などと威張っている割には、やってることは公共財産である電波を使ったステルス式の企業宣伝=視聴者洗脳でしかありません。
これはまったく筋が立たないことです。

視聴者は「NHKの番組は、ヒモが付いていない受信料でつくられているから公共放送として信頼できるんだ」と信じて、公共性を担保することを目的として、バカ高い受信料を払っています。
でも実際は、受信料によって建設維持されているNHKの放送施設によってステマ洗脳放送が行われているのです。これは「錯誤」なので、受信契約が成り立っていないのではないでしょうか。

少なくとも、わたしが放送学を習った当時のNHK出身の講師は、NHKにはスポンサーがいない、だから民放と違って公正な立場を貫けることを誇りにしていて、鼻にかけてさえいましたね。
ところが今日では実際は、NHKの多くの人気番組は商業資本に利用されており、無知な視聴者は踊らされているだけなのです。どこのヒモが付いているのか必ず明示されている民放よりよほどたちの悪いステマをやっているということです。
まあ例えば、NHKの番組の最後に「キャッシングなら新生銀行カードローン レイク」と出てきたら「民放と変わんないじゃん」という驚きが全国津々浦々のお茶の間に広がるでしょうからね。でも現状はそういうことになってるんですよ、みんな知らないだけで。

これが問題にされないのはおかしいと思います。
NHK側は番組制作の委託取引基準を公示して、「自主基準の範囲でやってます」と逃げるロジックですが、それではとてもカバーできない矛盾をこの仕組みは内包しています。
いまのNHKは「みなさまのNHK」ではない、ということです。

年間6500億円もの予算があるのに、さらに外部から制作費獲得に汲々としています。いったい受信契約者が払っているカネは何に使っているのか、こんなに不当な手段で民放に視聴率で対抗しつつ、社員の常識外れな高給と、この巨大組織を維持する必要性がどこにあるのか。

過去とはまったく変質してしまったNHKは、日本国の全体資源配分の観点から考えるに、このままの形態での存立の意味があるとは言えなくなっていると主張できると思います。
上記したのは、その根拠となりうる構造的問題です。

外部資本で番組を作りたいのなら、NHKは民放になれ
民放になるのがイヤなら、外部資本による番組作りをやめて、身の丈にあった大きさになれ
ということですよ。