7日ごとの区切りというのは、それなりの意味があるのでしょう。
昨日2七日で、納骨を済ませました。
長い間馴染んだ生活から、否応無しに引き離され、人生を方向転換して、生き直さなければならない。
心には、これまで生きてきた中で蓄積されたいろんなものを抱えながらも、決して後戻りはできない。
あったことをなかったことにし、起こったことを起きなかったことにはできない。
しかたのないことは、受け入れなければならないとわかっているのに、どうして、人の心はこんなにも寂しさを感じるのでしょうね。
標準から見ると、不運な境遇に産まれて、それでも、ニコニコとして、精一杯生きた我が息子。
写真の顔は、どれも笑っています。
あと、何年生きるかわからないけど、あなたの笑顔を眺めながら、勇気を振るい起こして生きていくことにします。
昨日2七日で、納骨を済ませました。
長い間馴染んだ生活から、否応無しに引き離され、人生を方向転換して、生き直さなければならない。
心には、これまで生きてきた中で蓄積されたいろんなものを抱えながらも、決して後戻りはできない。
あったことをなかったことにし、起こったことを起きなかったことにはできない。
しかたのないことは、受け入れなければならないとわかっているのに、どうして、人の心はこんなにも寂しさを感じるのでしょうね。
標準から見ると、不運な境遇に産まれて、それでも、ニコニコとして、精一杯生きた我が息子。
写真の顔は、どれも笑っています。
あと、何年生きるかわからないけど、あなたの笑顔を眺めながら、勇気を振るい起こして生きていくことにします。
お勤めご苦労様でした。納骨をされると、実感として本当に亡くなったのだなって、感じます。寂しい日が少し続きますね。
7日ごとの区切りは、仏教の輪廻転生にあり、死の瞬間から、次の生を受けるまでの期間を四十九日(満中陰:忌明け)とされていて、7日間ごと(中陰)に次に生まれるところが決まるのだそうです。善処に生まれるように中陰法要をするのだそうです。(かなり省略)
忌明けで普通の生活に戻りますから、もう少しですね。
くまさんでした。ではでは(^.^)/~~~
これからずっと息子さんの思い出がそばにあるんですよね。^^
それなのにいつも笑顔でいられないのは、感謝することを忘れていたからだなあと思います。
私は1日1日を精一杯生きてきたのか?と恥ずかしくなりました。
きっと、「同居人との思い出」という記憶の中にあるのでしょう。
またネットで知り合った若者の集団自殺があったようですね。 去年から少なくとも65人のそのような形での自殺が報告されてるとか。 楽しいと思う瞬間があれば、苦しいと思う瞬間もあり、寂しく思う瞬間があれば、癒されたと感じる瞬間もあるのでしょう。 そうやって、人は皆生きているのだと思います。 そして誰もが、「メメント・モリ」(汝死すべきことを覚えよ)
まだ、これからの人生の方向は見えませんが、少なくともいくらかなりと人と接する仕事をもっていたことが救いになっています。
どうして、私の人生は、平凡に過ぎていかないのか・・・
久しぶりにお邪魔します。
その後のpersempreさんの様子を伺いに参りましたが、ここ数日間の日記を拝読し、不覚にも涙が止まりません。
見ず知らずの方のご不幸に、こんなに涙したことがありません。
微力ながら励ますつもりが、本当に呆れるほど
泣いてしまいます。
お邪魔した意味がありませんので、心を入れ替えて?出直します。ごめんなさい。
訳のわからないコメントでした。