☆ 今 日 の 幸 せ ☆

♪~生きていることに感謝、あなたに出会えたことに感謝、そして・・・明日が見えないことに感謝~♪

元気/五木寛之

2006-10-06 | 今日の幸せ
大正天皇は、生涯1300もの、漢詩を作られたそうだ。
あまり実態は、しられてないような気がするが、15年の短い在位期間は、どんな生活だったのでしょう。
検索しても、あまりよくわかりませんが、たくさんの漢詩を残し、朝鮮語を一生懸命学習なさったということなので、情緒的で、言葉の感覚に敏感な方だったのではないかと思います。

「暗愁」という言葉によせて、そのような記述があったのが、印象にのこりました。

白隠の「内観の法」
以前、同居人とよく泊まった「東横イン」に、内観のパンフレットが置いてあるのを読んで、ここの経営者は、宗教がらみの人かしら?と、思ったことがあるのだが、とくにそのようなものではなさそうだ。「森田療法」にも通じる、あるがままに受け入れることを訓練する法と解釈すればいいのかな?

丹田に意識を集中して、身体の気の流れが、そこに集まるようにイメージすることで、いろんな不都合が解決される。五木寛之は、寝る前と起きる前30分、横になった状態で、それに近いことをやってるそうだが、これは、怠け者には、簡単でいい。
彼は「寝禅」と名付けているそうだ。

人がある行動をする、ボランテイアしかり、目標を持った学習しかり、善行のつもりで行う行動しかり、「諦念」「観念」「放念」という言葉をひいて、その行動は、人のためにするのではなくやりたいからやるのだ。やったことの報酬をかんがえて、するものではない。
やったからといって、何の役にもたたない。と、諦念し、すんだあとは、放念することだ。
達磨大師は「無功徳」といったそうだ。
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これで、おもいだすのが、先日教育テレビで討論形式で放送していた「団塊の世代のリタイア後の生活」みたいな番組。

NPOで、中古パソコンを集めて施設にまわしている運動をしているかたが、自分に、自閉症の息子がいることとからめて、障害者の雇用にもつなげたいとパソコンの整備をさせている。NPOというのは、目的を作って社会の役にたつ運動をしてます、と書類に書いてださなくてはならない、といってらしたが、それなりに役に立ってるという自負はもってらっしゃるのだろう。

定年後、できれば、それまでのキャリアをいかせて、しかも、ある程度はお金になって、できれば社会の役にたって
という希望をもっている人が多いように見受けられた。 それにたいして、ゲストの蛭子さんが「私は、ギャンブルがすきですが、社会の役に立つことをしよう、ではなく、やりたいことを楽しいからやる、で、いいじゃないですか」と、「異見」を言っていた。 ところが大勢(たいせい)は、NPOの人に傾いてるようで、何かいいたいけど、うまく言葉がでない、といった風情の蛭子さんの憮然とした表情をカメラが写しているのが、ちょっと気の毒だった。
この本を読んでいたら蛭子さん、もっとうまく言えたかもしれない。笑

言葉のうまい人は、白を黒と言いくるめることもできる。でも、それが正しいか、いいことかは、別もの。

お世話になったら、お返しを、かりたものは、返さなくては負担に感じる。というのと、お世話になったら、そのとき感謝すれば、充分という考えとある。 国民性もあると思うが、自分なりに楽しいことをして生活できればいいのだろう。


サラサラと読める本でした。


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