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水平線の海と空  

草なぎ剛さんのこと、日常の中で感じたことを書いていきたい  【オリビエ】

思ったこと

2016年01月21日 01時11分42秒 | 芸能

 『SMAP25周年』というタイトルで、
メンバーの写真が大きく載った新聞が、元旦に配達された。
ですから、13日のSMAPの解散報道には本当にビックリした。

 事の発端は、
事務所のM女性副社長が、SMAPの女性マネージャーを退職に追い込んだことだという。
SMAPのマネージャーとM副社長の確執の噂は、
以前からファンの耳に聞こえてきてはいた。

『マネージャー、クーデターに失敗』
「マネージャーがSMAPを連れて独立を計ったが失敗」
などと報道された。
が、私はSMAPがマネージャーに扇動されたとは思っていない。
事務所に失望し、大きな不信感を持ったSMAP自らの決断だと思っている。

 マネージャーは、
SMAPを無名のときから育ててきた業界でも有名な敏腕マネージャーです。
20年以上苦楽を共にし、SMAPの才能を見事に開花させた立役者です。

 あるとき、週刊誌の記者がM副社長に、「会社の後継者は誰か」と煽った。
それにまんまと引っかかったM副社長。
M副社長には娘がいて、その娘Jも副社長をしていた。
当然自分の娘Jが後継者だと怒り、マネージャーをその場に呼んで、
娘Jと対立するならSMAPを連れて出て行きなさいと怒ったという。
マネージャーは誤解だと言ったが、M副社長の怒りは収まらなかった。

 週刊誌の記者も敏腕記者なのでしょう。
恰好の週刊誌ネタを入手した。

 私は今回の事を、このように思った。
仕事が失敗続きならマネージャーを解雇するのも分かるが、
SMAPは追随を許さない、今もひたすらトップを走っている。

 そんな今、マネージャーを解雇して、どうしてSMAPから梯子を外すのでしょう。
事務所はSMAPを大切な存在と考えていないからです。
こんな仕打ちは、事務所に対して不信感が増すばかりです。

 SMAPを解散させないようにと、CDを購入する運動が展開されて話題になった。
それを知ったとき、私はちょっと疑問を持った。

 一人を除いたメンバーが、事務所から出ていくというのです。
SMAPを解散させたくなかったら、
事務所に電話やファックスやメールで、あるいは事務所前で、
抗議する運動を展開する方が先だと思ったからです。
SMAPが今まで通り安心してお仕事ができるように、
マネージャーの復職を訴えるべきだと思ったのです。
 
メンバーが事務所から去ることを決断した。
私はメンバーの決断を、尊重すべきだと思うのです。

 CDの売り上げは事務所を儲けさせることになるのが嫌だった。
そして、CDが売れれば売れるほど、
メンバーを縛ることになるのではないかと危惧したからです。
ファンが足かせになることを危惧したのです。

 18日、『スマスマ』冒頭にSMAPが生出演し、
「これからもよろしく」とは言ったが、
事務所に残る決断をした木村君以外のメンバーの、
苦渋に満ちたお顔は何を物語っていたのだろう。
そして、はっきりと事務所に残ると明言しなかったメンバー。 

SMAPの解散は嫌だが、
メンバーは自分の人生を思ったように突き進んでいってほしい。
どんな状況になっても、ファンは応援するでしょう。

 私はメンバーがジャニーズ事務所を出て行くことを望んでんいる。
  


又吉さん

2015年08月06日 20時16分52秒 | 芸能




 芥川賞を受賞した又吉さんの『火花』が、200万部を突破したと話題になっている。
これは歴代1位で、しかも追随を許さないダントツ1位の快挙だという。

 『火花』はいまだに全国の書店で品切れが続いており、
たまに立ち寄る紀伊國屋書店でも、
『火花』が置かれる筈のスペースがぽっかり空いていて、
その場所に予約受付と告げる紙が置かれていた。


 しかし、最近はその空いたスペースはそのままだが、
予約受付を告げる紙は見当たらない。
「きっと印刷が間に合わないんだわ」
私は夕食のとき、家族に言った。

 娘と食事に出かけたとき、

『火花』を待っている、その空きスペースを見たいと言う。
娘は一人で空きスペースを見ていたこともあった。

 娘が空きスペースを覗きこんで、
「うぁ~」
小さな叫び声をあげた。
それは品切れが続いている話題のベストセラーに、
感動した声だった。

 『タイプライターズ~物書きの世界』という番組を見た。
深夜にベッドに寝ながらテレビをつけると、又吉さんが出ている。
まったくノーマークだったから、目を凝らして見た。
途中だったから、もう終わりだろうと思い、録画をしなかったのが残念です。
もう終わりだろうと思いながら見ていたら、いつまでも続いている。

 後で調べると、25時40分~26時40分までの1時間番組だったから、
私は最初の方から見ていたようだ。
関東ローカルの単発バラエティーだそうで、
単発というのは見逃してしまいそうだなぁと思う。

 MCは又吉さんと加藤シゲアキさん。
加藤さんは知らない方でしたが、
アイドルグループNEUSの一員で、書いた小説も話題になっているようです。

 第1回目のこの日のゲストは、直木賞作家の朝井リョウさん。
とても面白く、興味深かった。

 タイプライターで思い出したのですが、
今、古いタイプライターを持っている人はどのくらいいるだろう。
私は夫のロシア語のタイプライターを捨てられないでいる。
ロシアがソ連の頃、ワープロもパソコンもない時代に買った物です。

 もう使用しないから捨ててと言っていた夫。
でも、買った頃、ソ連の物は入手困難だった。
支払いは全て私がしていたから、愛着がある。

 先日、クローゼットを整理していたら、
そのロシア語のタイプライターが目についた。
夫に話すと、「まだとってあったのか」と驚いていた。 


岡本太郎さん

2015年07月23日 17時10分03秒 | 芸能



 『ピースサイン』の続きです。

 娘といっても、私の娘は小さな子どもではなく成人です。

 SMAPのコンサートが終わって帰宅し、娘の部屋に入ると、
コンサートに行かれなかった娘は、ベッドから力なく私を見た。
「大丈夫」と言ったが、痩せたように見えた。
私が食べやすい食べ物と飲み物を持って来ると言うと、
頑張ってダイニングで食べると言う。

 娘は用意した物をゆっくり食べながら、コンサートはどうだったと訊く。
私は剛君からピースサインをもらったと笑顔で話した。
娘はニッコリして、「よかったね」と祝福してくれた。

 息子の所に行っている夫から、「コンサートは楽しかったかい」とメールが入った。
息子と『岡本太郎美術館』に行ってきたと、楽しそうにその様子を語る。
遊園地で息子と観覧車に乗って景色を眺めたり、
温泉に入ったり、豪華なお食事をしたという。
ドライブの途中で、大きな美味しそうな梨を売っていたから送ったよとも言った。

 私は娘がコンサートに行かれなかったことと、現状を話す。
以前、私は岡本太郎さんの作品と人物について、息子とおしゃべりしたことがあった。
今度、私も行ってみたいと返信する。

 これを書いていて思い出したことがある。
以前、瀬戸内寂聴さんが岡本太郎さんのことを話していたことがあった。

 岡本さんと瀬戸内さんは恋人関係にあったという。
岡本さんからプロポーズされたが、
踏み切れなかったのは、岡本さんの養女になった女性の存在があったからだと言った。

養女の自分に対する嫉妬心についても話している。
養女がいなかったら岡本さんと結婚していたかと訊かれ、
「結婚していた」と瀬戸内さんは即座にきっぱりと言った。

 私は驚いた。
岡本さんと瀬戸内さんの関係もそうだが、
岡本さんがプロポーズしたということに驚いた。

 以前、岡本さんはテレビで独身であることを訊かれたことがあった。
「結婚は嫌だ。
女性はどうして、すぐ結婚したがるのか。
女性が結婚の話をしたら、すぐ別れる」

 そう言っていた岡本さんが、自らプロポーズしたということに驚いた。


ピースサイン

2015年07月20日 16時26分54秒 | 芸能



 昨年のお話。
地元でのSMAPコンサート2日目。
一緒に行く予定の娘が急病になり、私はコンサートをキッパリ諦めようとした。
そんな私に、娘は自分は大丈夫だから行ってほしいと哀願するように言う。

 私は行くことにした。
しかし、連休で、夫が 東京勤務の息子の所に遊びに行っていたから、
娘を一人残すことになる。 
気が進まなかった。

 持っていくバッグに入れていた、ツヨ友さんから頂いた剛君Tシャツ。
これもツヨ友さんから頂いた剛君タオルマフラー。
初めて手作りした剛君ウチワ。

 私はそれらをバックから取り出して、自宅に置いていくことにした。
浮かれる気分になれない自分の気持ちだった。

 バッグに残ったのは、
前日、ツヨ友さんから頂いた、イカの缶バッジがついた黄色のリストバンド。 
ペンライト だけです。

 席はスタンドと向かい合ったアリーナの柵側で、
メンバーがトロッコで通ったときに期待が持てる。

 トロッコが周ってきました。
大歓声です。
私の周辺は吾郎さんのウチワを持ったファンで埋まっています。
柵のところに一列に並んだその後ろに、幾重にも吾郎さんウチワの人が重なった。 
吾郎さんがトロッコでやってきました。

 「オーッ!」「オーッ!」「オーッ!」
吾郎さんが叫びながらファンと軽く握手していきます。
トロッコの左右の柵に、股を広げて左右の足を掛け、
こちらに面した膝をクの字に曲げて近くで握手している姿が野性的だった。
ファンは大興奮です。

 私も貴公子の吾郎さんが大好きです。
最前列でしたから、手を伸ばせば簡単に握手できましたが 、
ただただ、吾郎さんのお顔とそのワイルドな姿に見惚れた。 

 剛君がトロッコで近づいてきたとき、私は自分の失態を悔いた。

 私がブログを書き始めたのは、剛君を盛り上げたいという気持ちからだった。 
そして、たくさんの剛君ウチワが、コンサート会場を埋め尽くしてほしいと願っていた。

 剛君を乗せたトロッコがゆっくりと近づいてきた。
それなのに、最前列にいる私はウチワを持っていない。
初めて作った手作りウチワ。

 前日とこの日、私は剛君への声援が少ないように感じていた。

 剛君が目の前に来たとき、
私は缶バッチがついた黄色のリストバンドをはめた左手を高く上げた。
そして、右手の指で、リストバンドをポンポンポンと軽く叩いてアピールした。
剛君がニッコリして、顎の下でピースをして、そのピースをゆっくりと私に差し出した。
私は大感激です。
でもそのときの私は、
剛君Tシャツ、剛君タオルマフラー、剛君手作りウチワを自宅に置いてきた後悔があり、
嬉しさの表現はまったくできなかったように思う。
剛君Tシャツを着て剛君マフラーをして、初めての剛君手作りウチワを持って、
剛君にピースサインをいただきたかった。

 トロッコの往復、歩いてまわったとき、
メンバー皆さん目の前に来てくださって思い出深いコンサートだった。


ふと、思い出す人

2015年07月19日 17時16分43秒 | 芸能



 たまに、ふと思い出す人がいます。

 それは昨年の9月、SMAPのコンサートでお見かけしたご夫婦である。

 地元でのコンサート2日目、娘が病気で私はギリギリに会場に到着した。
会場に向かう途中、私はアリーナのチケットを1枚持っている人に、
2枚持っていたら自分のと交換してほしいと声をかけられた。
私もアリーナのチケットで、娘のチケットが1枚余っていたからお互いに条件が合った。

 チケットのアルファベッドは私が持っていたチケットよりも後方だったが、
スタンドと向かい合った柵の付近で、
SMAPがトロッコで移動するときはメンバーがが目の前です。
メインステージもバッグステージもはっきり見える。

 もう始まろうかという時間に、
係員に案内された四十代と思しきご夫婦が、こちらに向かって歩いてきた。
夫はボストンバッグと、グッツで膨らんだSMAPのトートバッグを片手に持ち、
もう一方の腕を妻の背中にまわしてゆっくりと歩いてくる。
妻のお顔はまったく覇気がない。

 やっと歩いているような妻の姿は、病気だとはっきりわかった。
そのご夫婦は柵側の私の斜め前に座った。
夫が座布団を椅子に敷いたり、かいがいしくお世話をしている。

 疲れたのか、妻は隣の席に座っている夫の膝に頭を載せた。
夫は枕を取り出して自分の膝に載せ、妻の頭を載せる。

 ご夫婦に私の心が惹きつけられた。

 コンサートが始まると、妻はペンライトを持った。
立ち上がることはなかったが、SMAPの歌声に耳を傾けコンサートを楽しんでいる。
そして、疲れて夫の膝に頭を載せた。
ときどき夫と席を交代して、夫の膝に載せる頭の位置を変えている。

 ふと見ると、妻は立っていた。
歌に合わせ、ペンライトと体ををリズミカルに動かしている。
それは、以前からコンサートを楽しんできたことがはっきりと分かる動きです。
そんな妻の体を、夫が支えていた。

 ご病気は不幸なことであったが、
夫の愛に包まれている妻の姿は、幸せに私の心に焼きついた。

 ペンライトを振っていた妻は5分ほどして座席に座り、また夫の膝に頭を載せた。

 何気なく見たとき、いつの間にかご夫婦はいなくなっていた。

トロッコでSMAPのメンバーが目の前に来たとき、
私はあの方に見せたかったと残念でならなかった。

 あの方は今、どうしているかしら。