PEKOのTea Time

PEKOこと山崎浩子のブログです。
新体操の選手と同姓同名ですが、全くの別人です。

ニスモフェスティバルに行ってきました!

2008-12-01 19:32:29 | 
前日に急にニスモフェスティバルに
行くことになり、お約束のあった、
お客さまに断りの電話を・・。
突然会社を休みにしたので、
もし、いらした方がいたら、
大変申し訳ありませんでした。

日曜日の朝は渋滞もなくスイスイでした。
例年に比べると、日産車があまり走っていないような・・。
「スカイラインとかZも見ないなー」と思ってました。
でも、近づくにつれて日産の車ばかり。あたりまえですが。
今回は出発の時間が少々遅かったので、時間がずれていたのかも。
サーキットの入り口周辺2キロくらいは渋滞でした。
さすが、ニスモフェスティバル。
昨日の来場者は約4万人とのこと。
本当に朝から雲ひとつない、良いお天気でした。
3月に富士でイベントがあった時のように、富士山がきれいでした。

駐車場は遠い場所しか空いていなくて、せっせと歩いてピットへ。
寒いと思って着込んでいたら、汗だくに・・・。
到着するや、いなや「あ、ブルースさんだ!」と岩瀬がダッシュ。
2Fの廊下で難波さん、ブルースさん、柿本さんなどが勢ぞろい。
下から呼んで話をしていましたが、見かねて柿本さんが、
迎えに来てくださいました。偉い方にご足労をおかけし恐縮です・・。
パスを持っていなかったので、皆さんがいるようなVIPの
場所には入れなかったのです。

今回の目当ては「日産海外参戦50周年記念」イベント。
ラリーカーは「富士号」「さくら号」をはじめ、
PA10、240Z、、KP711、410ブルーバード、
パルサーGTI-R、240RSなどが展示されていました。
他にもあったのかも知れないのですが・・すみません。
50周年記念イベントはグランドスタンド裏で開催。
移動をしたら、すぐにイベント開始の雰囲気で、
あまりゆっくりと見たり、写真を撮ったりする時間がなかったのです。
今回は記念にと富士号のドライバー「難波靖冶」さんと、
オーストラリアから来日した「ブルース・ウイルキンソン」さんに、
色紙にサインをいただきました。
お二人が揃うことは、近い将来にはもうないのかも・・・。
大変貴重なものなので、額に入れて飾っておこうかと思います。



車のパレード・ランのためにラリーカーにエンジンがかかる・・。
数台は走れないようで、そのまま展示されてました。
トークショーが開催されないで車だけ行ってしまうの??
と不安になりましたが、ほどなくしてトークショーが開催。
難波さんとブルースさんは、50年前と同じ衣装だそう。
それが着れるということがすごいし、そのままきれいに保管を
されているのも本当に不思議でした。
ブルースさんは他にも、当時のオーストラリアラリーに
ダットサンが優勝というカラーの印刷物もお持ちでした。
考えてみれば、日本車が初めて海外参戦をし、しかも完走、
その上、クラス優勝とは、すごいものです。
50年前と言えば1958年、昭和33年。
ヤマザキだって生まれてもいない。

難波さんのお話では、オーストラリアに車を持って行き、
まず聞かれたことは「日本で本当に作った車なのか??」と。
「ガラスはどこで作った、バッテリーは??」と質問攻めだったそう。
「全部日本製」と言うと、周りの外人は非常に驚いていたとのこと。
その頃は、まだ日本車は輸出もされていなかったでしょうし、
ある意味、日本車に対するカルチャーショックがあったのかも。
その時代に、ラリーに参戦してオーストラリアを1周し、
完走するというのは、本当にすごいことだったのだと思います。
何よりもすごいのは、改造した部分がほとんどないこと。
燃料タンクだけは交換しないとダメだったそうですが・・。
丈夫な日本車・・だったのでしょう。

2枚目の写真は難波さんとブルースさんです。
ブルースさんは夜の飛行機でオーストラリアへ帰国されました!
また他の写真は別な機会にアップしたいと思います。


コメント (3)
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