2011.12.30
いよいよ、32年振りの故郷だ。と言っても、
物心ついて1年以上も住んでいればもっと感慨深いだろうが。

漁師の船に乗せてもらって島に渡っていた時、
おじいちゃんが昔は海賊が出てよく襲われたと言っていた。
そのために船でおかゆを炊いておき、
近づいたらそのおかゆを海賊にかけるんだという。
お湯と違って体にまとわりつくから、おかゆの威力は強いんだ。
という話を聞いたのを思い出した。
小学生前の話だ。よく覚えていたもんだ、印象に残ったんだろう。
船べりに座り、手を海につけて波を切っていると、
サメに手を食われるよ、と脅かされたことも思い出す。
怖がりの僕はあわてて手を引っ込めたが、
実際にそのあと、すごい偶然だと思うが小さなサメがいたことがあった。
あれからいつも、サメがいるんじゃないかと思うようになり、
底の見えない深い海が怖くてしょうがない。
四国に渡るには3つの橋のルートがある。
明石大橋、なると大橋の淡路島ルート。
昔の宇高連絡船に近い瀬戸大橋ルート。
そして、広島、愛媛の瀬戸内海の小島をつないだ
しまなみ海道ルート。
私の故郷は一つ西にずれてしまって、ルートに入らなかった。
海賊の島とおじいちゃんに聞いた、お隣の大三島がルートに入った。
この辺りは無人島が多く、大きくなったら自分の島を持ちたいな。
なんて思っていたものだ。乗せてもらった船で無人島が見えると、
あの島には小さな砂浜があるから、あれがいい。
あの岩の端に家を建てて、浜まで階段をつけてなんて空想したものだ。
実際あの頃、俳優の森重久弥が瀬戸内海の無人島を買っていると聞き
あこがれたものだ。

港が見えたが面影もない。しかし、気持ちは感慨で一杯だ。
島に着いたが全く分からない、フェリー乗り場のおばさんに
お年寄りなんで知ってるかと叔父さんの名前を言った。
やっぱり想像通り知っていた。
わりと大きな島だが、名前を言えばわかると思った。

らしきあたりまで車で行ったが、わからない。
できるだけ古いお家の数人に聞いて何とかたどり着いた。
何度呼んでもおばさんは出てこず、テレビの音が聞こえるので
遠慮なく家の中に入るとおばさんはこたつの中にいた。
「お茶も出せないよ」というおばさん。
日本中にこんな一人暮らしのお年寄りがいっぱいいるのだろう。
お正月まで子供さんは帰ってこないようだ。

実はこの叔父さんの家の前まで、入江、海だったんだよね。
32年前に来た時、ちょうど埋め立てられつつあったけど、
まだ、昔のままの姿だった。
叔父さんは数少ない船大工で、ちょうど最後の船だと言って
ほぼ完成間近の船を作っているところだった。
それが今では入江の中に、広い道が走り、きれいな家が建っている。
わずかに面影がある、家の前の水路。
そう、僕は小さい頃ここに落ちたんだ。
そういえば僕は良く船から落ちたりしていたな。
今でも海にブクブクと沈んで行っている自分をおぼえている。

叔父さんのお参りをして、叔母さんと話をして、
夏休みに帰っていつも泳いでいたなつかしい外浜海岸に行って見た。
昔は沖合に飛び込み台があったな。
この海は藻が生えていてその中に入ると藻が体にあたって気持ち悪かった。


叔父さんの家の前の入江では、今では天然記念物の兜ガニがたくさんいたな。
気持ち悪いカニだった。

四国に渡るのに島の南、木江港に向かった。
ここはみかんの島、僕の小さい頃はたくさん送ってくれて
毎日のように1日20個ぐらい食べた記憶がある。
お蔭で今でも、指で触っただけでおいしいミカンがわかる。
スーパーでばら売りだとおいしいミカンだけを10個ぐらい選べるので便利だ。
中々バラ売りがないのがねぇ。



海賊を撃退したという弓張岩や
途中、クマさんこと篠原勝之さんの鉄のオブジェがあった。
ふれあい郷土館は船の形をした建物だ。


木江港に着くと四国の今治に渡るフェリーは18:45の出航だ。
あまりにも遅いし、今治まで1時間以上かかる。
そこから実家まで山道を3時間ほどかかる。
15:20出航の大三島、宮浦港行のフェリーがある
高くつくが大三島からしまなみ海道大橋に入って行こう。
そういえば朝から何も食べていない。
釣りをしているオジサンに開いてるかわからないけど1件だけある
食堂を教えてもらった。

木造4階建て、めずらしいよね。
帰ってくるとオジサン、入れ食いで連れていた。
売るほど晩のおかずが連れてしまった。
そういえば32年前、叔父さんに釣った魚をすぐさばいてもらって
食べたけどおいしかったよな。

故郷、さようなら。さあ、ぶっとばして妻の実家へ。
いよいよ、32年振りの故郷だ。と言っても、
物心ついて1年以上も住んでいればもっと感慨深いだろうが。

漁師の船に乗せてもらって島に渡っていた時、
おじいちゃんが昔は海賊が出てよく襲われたと言っていた。
そのために船でおかゆを炊いておき、
近づいたらそのおかゆを海賊にかけるんだという。
お湯と違って体にまとわりつくから、おかゆの威力は強いんだ。
という話を聞いたのを思い出した。
小学生前の話だ。よく覚えていたもんだ、印象に残ったんだろう。
船べりに座り、手を海につけて波を切っていると、
サメに手を食われるよ、と脅かされたことも思い出す。
怖がりの僕はあわてて手を引っ込めたが、
実際にそのあと、すごい偶然だと思うが小さなサメがいたことがあった。
あれからいつも、サメがいるんじゃないかと思うようになり、
底の見えない深い海が怖くてしょうがない。
四国に渡るには3つの橋のルートがある。
明石大橋、なると大橋の淡路島ルート。
昔の宇高連絡船に近い瀬戸大橋ルート。
そして、広島、愛媛の瀬戸内海の小島をつないだ
しまなみ海道ルート。
私の故郷は一つ西にずれてしまって、ルートに入らなかった。
海賊の島とおじいちゃんに聞いた、お隣の大三島がルートに入った。
この辺りは無人島が多く、大きくなったら自分の島を持ちたいな。
なんて思っていたものだ。乗せてもらった船で無人島が見えると、
あの島には小さな砂浜があるから、あれがいい。
あの岩の端に家を建てて、浜まで階段をつけてなんて空想したものだ。
実際あの頃、俳優の森重久弥が瀬戸内海の無人島を買っていると聞き
あこがれたものだ。

港が見えたが面影もない。しかし、気持ちは感慨で一杯だ。
島に着いたが全く分からない、フェリー乗り場のおばさんに
お年寄りなんで知ってるかと叔父さんの名前を言った。
やっぱり想像通り知っていた。
わりと大きな島だが、名前を言えばわかると思った。

らしきあたりまで車で行ったが、わからない。
できるだけ古いお家の数人に聞いて何とかたどり着いた。
何度呼んでもおばさんは出てこず、テレビの音が聞こえるので
遠慮なく家の中に入るとおばさんはこたつの中にいた。
「お茶も出せないよ」というおばさん。
日本中にこんな一人暮らしのお年寄りがいっぱいいるのだろう。
お正月まで子供さんは帰ってこないようだ。

実はこの叔父さんの家の前まで、入江、海だったんだよね。
32年前に来た時、ちょうど埋め立てられつつあったけど、
まだ、昔のままの姿だった。
叔父さんは数少ない船大工で、ちょうど最後の船だと言って
ほぼ完成間近の船を作っているところだった。
それが今では入江の中に、広い道が走り、きれいな家が建っている。
わずかに面影がある、家の前の水路。
そう、僕は小さい頃ここに落ちたんだ。
そういえば僕は良く船から落ちたりしていたな。
今でも海にブクブクと沈んで行っている自分をおぼえている。

叔父さんのお参りをして、叔母さんと話をして、
夏休みに帰っていつも泳いでいたなつかしい外浜海岸に行って見た。
昔は沖合に飛び込み台があったな。
この海は藻が生えていてその中に入ると藻が体にあたって気持ち悪かった。


叔父さんの家の前の入江では、今では天然記念物の兜ガニがたくさんいたな。
気持ち悪いカニだった。

四国に渡るのに島の南、木江港に向かった。
ここはみかんの島、僕の小さい頃はたくさん送ってくれて
毎日のように1日20個ぐらい食べた記憶がある。
お蔭で今でも、指で触っただけでおいしいミカンがわかる。
スーパーでばら売りだとおいしいミカンだけを10個ぐらい選べるので便利だ。
中々バラ売りがないのがねぇ。





海賊を撃退したという弓張岩や
途中、クマさんこと篠原勝之さんの鉄のオブジェがあった。
ふれあい郷土館は船の形をした建物だ。


木江港に着くと四国の今治に渡るフェリーは18:45の出航だ。
あまりにも遅いし、今治まで1時間以上かかる。
そこから実家まで山道を3時間ほどかかる。
15:20出航の大三島、宮浦港行のフェリーがある
高くつくが大三島からしまなみ海道大橋に入って行こう。
そういえば朝から何も食べていない。
釣りをしているオジサンに開いてるかわからないけど1件だけある
食堂を教えてもらった。



帰ってくるとオジサン、入れ食いで連れていた。
売るほど晩のおかずが連れてしまった。
そういえば32年前、叔父さんに釣った魚をすぐさばいてもらって
食べたけどおいしかったよな。

故郷、さようなら。さあ、ぶっとばして妻の実家へ。