ほぼ同じ頃、ビンビサーラ王も統治を皇太子に手渡した。
少し前から、デーヴァダッタは、移譲を確実にするため、国王を殺害するようにそそのかしていた。
アジャータサットゥは、ブッダが入滅する8年前に、父親を少しずつ餓死させていくというかたちで、このアイデアを実行した。
その後、彼は良心の呵責に苛まれたとき、大勢の従者を連れてブッダの許へ行き、現世でどのような報いがあるのかを質問し、教団のメンバーになったと伝えられている(注1)。このときに国王がブッダに礼拝する様子は、バラハット仏舎利塔のレリーフの主題の1つとなっている。いつもの通り、ブッダ自身は描かれず、足跡だけが示されてる。
注1:このときの会話は有名な「沙門果経」としてまとめられており、この全文を私は”Dialogues of Buddha”というタイトルで訳した。
対話が終わると、国王は、ブッダを自分の未来の案内役だと公言し、彼が父親を殺害した時に感じた自責の念について触れたと言われている。しかし、また、彼は改宗しなかったということも明確に述べられている。
彼が感銘を受けた後も、実際にブッダの教えにしたがい続けた証拠はない。我々が知るかぎり、彼は、倫理的な事柄を話し合うために、ふたたびブッダや教団のメンバーに会ったことはない。また、ブッダが生きている間、彼が教団に寄進したという話も聞かない。
少し前から、デーヴァダッタは、移譲を確実にするため、国王を殺害するようにそそのかしていた。
アジャータサットゥは、ブッダが入滅する8年前に、父親を少しずつ餓死させていくというかたちで、このアイデアを実行した。
その後、彼は良心の呵責に苛まれたとき、大勢の従者を連れてブッダの許へ行き、現世でどのような報いがあるのかを質問し、教団のメンバーになったと伝えられている(注1)。このときに国王がブッダに礼拝する様子は、バラハット仏舎利塔のレリーフの主題の1つとなっている。いつもの通り、ブッダ自身は描かれず、足跡だけが示されてる。
注1:このときの会話は有名な「沙門果経」としてまとめられており、この全文を私は”Dialogues of Buddha”というタイトルで訳した。
対話が終わると、国王は、ブッダを自分の未来の案内役だと公言し、彼が父親を殺害した時に感じた自責の念について触れたと言われている。しかし、また、彼は改宗しなかったということも明確に述べられている。
彼が感銘を受けた後も、実際にブッダの教えにしたがい続けた証拠はない。我々が知るかぎり、彼は、倫理的な事柄を話し合うために、ふたたびブッダや教団のメンバーに会ったことはない。また、ブッダが生きている間、彼が教団に寄進したという話も聞かない。
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