池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

空間の歴史(26)

2024-04-15 12:30:15 | 日記

そこまで思い至ったとき、おかしなことに気がついた。

あの紳士と出会ったときの記憶である。そこに東京芸術劇場はなかった。すっぽりと抜け落ちている。どう思い返してみても、私は、だだっ広い素通しの公園の中でひどい挫折感を味わっていた自分の姿しか浮かばない。

これはどういうことだろう。

記憶違いか? 頭が混乱しているのか?

過去の事実を自分の都合の良いように改ざんして覚えてしまうのは、珍しいことではない。しかし、芸術劇場をわざわざ記憶から消してしまうことで私がどんな利益を得られるというのだろう。

腑に落ちないまま公園の周囲を歩き始めた。すると、耳の奥でかすかにエコーが聞こえた。以前、紳士が私の実父ではないかと閃いたのと同じ現象だ。とすると、潜在意識だか深層心理だか知らないが、心が何かを知らせるサインである。それが何であるかはわからない。この前のときの同じように、ふとした機会で思いつくのだろう。

その日は、そんなことを考えながら再び丸ノ内線に乗り、四谷の自宅へ戻った。

それから一ヶ月、私は事業計画のとりまとめに奔走し、なんとか完成までこぎ着けた。そのための人事異動も終わり、ほっとしたところで、かすかにエコーを感じるようになった。いや、今までも聞こえてはいたのかもしれない。忙しさの中で気がつかなかっただけなのだろう。

次の週末、私は再び池袋西口公園広場に立っていた。東京芸術劇場をしばらく眺めていたが、やはり記憶の齟齬は解消できない。足音は、この日も耳の奥で響いた。いつかのように息苦しくなり、顔が火照った。

そして、気がついた、オレはもう一つ大きな人生の宿題を抱えたままであることを。

それは、息子の存在であった。


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