入浴を終え、ベッドに入る前に、パソコンのメールボックスをチェックした。新着メールの一番上に、静岡の建築設計事務所からのものがある。開いて添付書類を表示し、記載された改築の概要と仮見積もりに軽く目を通した。
見積もりを依頼したのは一ヶ月ほど前だ。南池袋の実家は売却を決めているが、下田海岸にある母親名義の家は、リフォームして残しておきたいと考えていたからだ。まだ決定したわけではないが、できれば、母を施設から出して二人で一緒に暮らしたいと思っている。
母が育ったのは三島市内だ。不動産などを扱う裕福な一家で、下田に別邸を持っていた。母親は、小さい頃からこの下田の家が大好きで、遺産相続の時、特に頼んでこの家を自分の名義にしてもらったらしい。
理恵自身も、この家にはたくさんの思い出がある。今でもよく覚えているのは、夏休みのことだ。
理恵は、小学校の高学年から、毎年夏休みは夏期講習に通っていた。前期が二週間。それからお盆休みが一週間あるので、その間に学校の宿題を片づける。さらに後期講習が一週間ある。これらの日程をすべて終えると、新学期まで一週間程度しか残っていない。その間に、母が下田の家に連れていってくれるのだ。
家の近くには、地元の人しか来ないような小さな海水浴場があり、そこで同年代の子供たちと泳いだり、磯で遊んだり、夜には子供会と称して浜で花火をやったり、楽しい思い出が今でも頭に詰まっている。そこで親しくなった数人とは、大人になってからも付き合いがあった。
今では空き家になっているこの思い出深い家屋を恒例の母と自分が使えるようにし、母の終の棲家にしたいというのが理恵の願いだった。周囲の集落にはまだ知り合いが残っているし、何より、母はこの土地を喜んでくれるはずだ。言葉は失っても、風景の記憶は残っているはずだから。それに、ここに住むことで理恵も精神的に安定するかもしれない。元気になれば、地元の子供たちに英語を教えるとか、翻訳やガイドをやるとか、田舎でも充実した日々を送ることができるだろう。
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