宮城の春夏秋冬

日々の事や私の趣味の事などを綴ります。
独り言なので異論もあるかとは存じますが宥恕賜りたく存じます。m(__)m

1stDXのQSLカード

2015年06月23日 | ホビー系

写真:父の日プレゼント

息子と娘からの父の日プレゼント。
やはり今年も日本酒でした。
結構な銘柄です。
張り込んでくれましたネ。
(*^.^*)エヘッ

息子夫婦は静岡勤務なので送ってくれたのですが、娘夫婦は持参してくれたのです。
と言う事で、わが家で酒盛りと言う事に成ったのです。
私は日本酒党なのですが、婿殿はウイスキーを飲みたがったので4分の一ほど残っていた“鶴”を預けたら綺麗に空にしてくれちゃいました。
(^^;)
もう少し飲もうと言う事で“響”も開けて、この日は十二分に楽しんだのでした。






写真:QSLカード その1

従免を取ってから一年ほどして、1967年7月に開局。
それから既に48年。
アマチュア無線とは長い付き合いと成りました。
(^^)v

さて、これが私の1stDXです。
開局して一か月ほど経った頃の事でした。
21MCで(当時はMHzでは無くMCでした)日本語をしゃべって下さる米国の局が居たのでした。
それがW6NNJさんでした。
当時の私にとって10Wでオーバーシーなどは夢だったのですが、日本語をしゃべって下さっている事で意を決して叫んだのでした。
今でも覚えていますが、私のコールを返してくれた時は嬉しかったものです。
短いQSOを終えた後は暫く放心状態(おおげさ!)だった事を思い出します。
(^^;)
たったの10Wでもアメリカに飛ぶと言う事が判ってからは、DXが聞こえていれば叫び回っていたのでした。
(*^^)v
この当時のアンテナは10mほどに上げた“ZLスペシャル”でした。
300ΩのTVフィーダーで作り、竹ざおで組んだ骨組みに沿わせた2エレのアンテナでした。
当時のログを見てみるとW6NNJさんとの初DXの後は、怖いもの知らずにそこらじゅうを呼んでいたようです。
f(^^;)

当時の私のログ帳はQSOに至らなかった局名も記入していたので、見返しているうちに当時の様子を思い出したのでした。
しかし、この“ZLスペシャル”は良く働いてくれていたようです。

DXを追いかけはじめるとアンテナの重要性を感じます。
と言う事で、それからは“シングルループ”、“5Aスペシャル”、“3エレ・ツーバンダー”、“キュビカルクワッド”等を経て、最終的に28MHzモノバンドの“スイスクワッド”に辿り着いたのでした。
このSQは飛びました!
上級局の100Wに混ざって、順番は遅いもののなんとかDXをゲットできたのでした。

唯…。
やたらにエレメントが切れてしまいます。
数年間は我慢して使ったのですが、既に上級局に成っていたこともあり、最終的には遂にメンテの楽な3エレトライバンダーに落ち着いたのでした。






写真:QSLカード その2

これは一番最近入手した“5Z0L:ケニヤ”QSLカードです。
6月1日にSASEをだして6月20日に到着したのですから、非常にスピーディに発行してくれたのでした。
聞く所によるとこのチームは“9Q0HQ:DRコンゴ”と同じグループなのだそうですが、そう言えば9QのQSLカードも3週間弱ほどで帰って来たのを思い出しました。

他のSASEもこんな風にスピーディに帰って来てくれるといいのですが、大体3ヵ月から6ヵ月は待たされるのが多いですね。
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