ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

交流

2011-02-11 12:54:57 | 四国の道を考える会
 高知県室戸市の最御崎寺で開催された「四国の道を考える会」。続いて徳島県の宍喰町で開催されることになったのです。今でもお付き合いがあるK氏が大会委員長を勤めてくれました。大先輩なのですが、元気に地域活動を続けておられます。

 「四国の道を考える会」の運動が、10年以上も継続され広域活動として今も継続されている原因のひとつに、この相互開催システムがあるように思います。これからも高知県側と徳島県側が交互に連携を取りながら開催を続けていくのです。


 宍喰大会の開催場所は宍喰小学校体育館
 日時は平成12年(2000年)3月25日14時でした。



 この大会。今から考えても企画のしっかりした大会でした。時間をかけて準備をしてくれました。徳島県の南部地域の将来像をかなり具体的に観光を中心に提案をしておりました。安芸市のY氏が高知県側のパネラーとしてがんばって発言をしていた記憶があります。

 この大会における私の役割は、総合司会でした。
 前日に会場入りをしてホテルに入ると、まあ広い部屋を準備してくれていたのを覚えています。
 大会が始まってからのことです。徳島県のH県議会議員が若者を連れて司会席にきたのです。「こんど衆議員選挙に立候補するGさんです。挨拶をさせてくださいませんか。」
 この若者。いまはテレビにも良く出てくる代議士さんとなっています。
 論客としても名を馳せている方です。懐かしいですね。

 この時の私の姿といえば、笠と白装束で、お遍路さんの格好でしたね。実行委員会から是非にといわれて着ていたのですが、北川村から参加していた建設課の課長氏が目を見張っていたのを覚えています。可笑しかったですねえ。

 あのときの装束、死に装束が、それ以降の私の活動を決めてしまったようです。
 「死ぬまでやりなさい。」なのです。

 パンフレットを見ると第4回となっています。これは私にとっての事前活動も入っている回数設定ですね。これはこれで好いと思います。誰彼なく道路整備促進に向けて活動をしているのですから、それぞれに評価するべきです。

 私が考える第一回大会と第二回大会の間には1年4ヶ月間程時間がたっています。それは前年の平成11年9月(1999)に安芸市の有志が企画をして、安芸市から高知市内まで、歩いくれたのです。歩くことでメッセージを伝える。面白い試みでした。
 「四国の道を考える会」は、組織としては曖昧模糊としている様に考える方がいます。

それはそれで仕方がないと思いますが、まあ目的は道路整備に向けて活動すること、地域活性化に向けた提案をし元気な地域にすることだけなのです。組織を含めた手段等は自由なのです。

 次は北川大会の話です。