ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

選挙

2011-02-17 16:52:30 | 木の記憶
 今日は森林鉄道に係わる、変わった記憶です。
 今年は選挙の年なのですが、森林鉄道が走っていた時代にも当然選挙もありました。

 北川村の古老の記憶を紹介します。
 その方は現在83歳。昭和3年生まれです。役場にお勤めの公務員だったのです。
 彼の記憶です。

 かつての北川村の投票所は7ヶ所。野友に小島。島・安倉・木積に久木、そして竹屋敷にありました。私が面白いと思ったのは当時の行政の出張にかかわる話です。

 現在だと車で10数分でしょう。和田地区でも一泊出張なのです。そして竹屋敷は2泊地区だったのです。竹屋敷にしても現在では車で1時間ぐらいかな。
 森林鉄道が1日1往復しかなかったのですから、そうした事になっていたのです。
 今のようにマイクで喋りながら流していくなどという事は無かったのです。
 

 選挙があると投票日前日にそれらの場所に前泊をしないと投票開始時間に間に合わないのです。そして投票が終わると、投票箱を借り受けたトロッコに乗せて役場まで暗闇の中を運んだというのです。

 あまり古い話でもないのです。昭和35~36年ごろ迄の話です。
 森林鉄道以外には交通手段のなかった頃の話です。




 現在の投票所は5ヶ所。久木と竹屋敷の投票所はなくなってしまいました。過疎による住民の減少が原因です。北川村の北端地区に住民がいなくなってしまったのです。限界集落となってしまいました。

 かつて森林資源が豊かで多くの作業員を抱えていた時代の話です。
 そしてダム建設を目的として森林鉄道が撤去され、道路が建設されると住みやすい場所を求めて、山間の住民は転居し、そして・・・。

 便利になった道路を使っての移転が行われました。
 利便性が向上すればするほど、人口流出に歯止めがかからなかったのです。
 そしてダム建設に係わる保証金を得た方々も地域外に出て行ったのです。
 集落がなくなれば、当然ですが投票場所はなくなります。

 かつては山間部にも住民が生活できる経済的な保証があったことになり、現在ではそれがなくなっているということになります。