夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

忘れさられた画家ーその13 武者絵 浮田一恵筆

2011-01-14 06:14:21 | 掛け軸
武者絵 浮田一恵筆
紙本着色額装 画サイズ:横312*縦797

今朝のニュースで報道していましたが、若い人が、廉価な美術品(絵など)を購入するのが静かなブームだそうです。 それは「情熱があれば思いはかなう」アメリカの美術収集家(コレクター)夫妻を追ったドキュメンタリー映画「ハーブ&ドロシー」が東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映され、その影響のようです。
好きなものを購入する・・それが真にいいものを選ぶのは重要なことで新しいもの、古いものを問わずに集めることはいいことですね。しかしながら投機目的では決していいものは集りませんし、将来値が上がることは期待しないほうがいいです。すぐにお金に換算する人はあまり好まれませんね・・。

さて、本作品は盛岡にて掛け軸の状態で購入しましたが、痛みがひどいので額装に改装しました。



「一恵斎」の落款、「一恵」の白方印を用いています。

 

武士や馬の描写が見事ですね。




浮田一恵:寛政7年~安政6年(1795年~1859年)、享年65歳。

幕末の画家で京都に生まれる。姓は宇喜多とも書く。名は可為、豊臣を称し、一恵斎、昔男精舎などの号がある。

絵ははじめ田中訥言に学び、当時沈滞していた大和絵の復興に努め、情緒豊な画風の絵を描く。また雪舟や狩野探幽にも私淑していた。

一方、風刺画も描いた。詩文と和歌にも長じた勤皇家でもある。その芸術が花開くのは、1854年(安政元年)頃からであり、新造営の西対屋には中国の画題を描いている。

1858年(安政5年)には安政の大獄によって捕らえられ、翌年、釈放された後京都で没した。歴史画の代表作としては、「子日遊図屏風」や「大堰川三船図屏風」がある。また「妖怪草紙絵巻」は公武合体による和宮降嫁の策謀に憤慨した一恵が風刺的意図を持って制作し、朝廷に献上し公武合体を思いとどめさせようとしたが、安政の獄で捕らえられたために献上が果たせなかったという伝承を持っている。

幕末においては土佐、住吉諸派よりも本格的に大和絵を理解しており、復古大和絵の祖といわれた訥言の後を引き継いだ画家である。


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2 コメント

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なんとまァ (米吉)
2011-01-16 06:42:15
細密な大和絵なのでしょう!
馬のたてがみや甲冑の細部まで見ていると浮田の描いている姿を想像してしまいます。
近寄りがたい状況であることに間違いはないのでしょうが。
ところで、プロフィールの姿が変わりましたね!
こちらはグッと近寄りやすくはなりましたが、はて?どなたが撮影しているのやら・・・。
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大和絵 (夜噺骨董談義)
2011-01-16 21:18:47
大和絵はどこか漫画チックです。
貴族の漫画のような気がしないでもない・・
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