
ここ数日に間に2件の掛け軸等、骨董品の購入に関する問い合わせがありました。いずれも親が収集した作品を亡くなったので売却したいということです。なかなか思うように売れないということらしいです。
親が集めたものをやみくもに金銭に換えるという根性が気に入りませんね。今は掛け軸など骨董品を売ろうとしたら二束三文です。なんでも鑑定団などを観て妄想を抱かないことです。なるべく高く売りたいのでしょうが、買値と違って売る値段は安いのです。考えれば当たり前で業者は買ったら買う人を見つけなくてはいけないのですが、買う人が少ないのです。
骨董趣味はあくまでも酔狂です。金銭に換算すると楽しんだ分を差し引かなくてはなりません。
さて本日は売りたいという作品にもあった秋田出身の画家の平福穂庵の作品です。
自由奔放の筆運びで天才肌の画家・・平福穂庵。熟年期には四条派の影響からか、着色のきちんとした作品を描きました。自由奔放な筆運びか、鮮やかな彩色かどちらの画風が好きかは賛否の分かれるところです。
本日の作品は歌舞伎の暫を描いた作品です。
暫図 平福穂庵筆
絹本水墨着色軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦1900*横520 画サイズ:縦970*横400

きちんとした作風と自由奔放な筆運びとの中間期のような作品です。

落款から判断すると本ブログに投稿しました下記の作品と同時期かと思われます。
田楽 平福穂庵筆紙本水墨淡彩絹装欄間額 画サイズ:縦295*横680
本作品の落款と印章は下記の写真のとおりです。

さてこの作品の構図に不自然さを感じるでしょう。牡丹の花が人より大きく描かれいます。調べてみると下記のようの角館押し絵というものがあり、平福人形という歌舞伎人形の創始者が平福穂庵ということのようです。
角館押絵:幕末から明治にかけて、画人武村文海が作った歌舞伎人形をお祭りの山に飾るようになりました。その弟子の平福穂庵がさらに歌舞伎人形を華美にし「平福人形」といわれる歌舞伎人形の創始者となるのです。それと同時に押絵の下絵や面相を描いたといわれ、押絵も作ったともいわれています。

角館は平賀源内とも小野田直武をとうしてゆかりの地であり、平福父子の出身地でもあり、いろんアイデアマンと関連のある地のようです。

平福穂庵:弘化元年生まれ、明治23年没(1844年~1890年)。秋田県角館出身。名は芸、俗称順蔵。当初は文池と号し、後に穂庵と改めた。画を武村文海に学び、筆力敏捷にして、ついに一格の妙趣をなし、動物画に長ず。百穂はその子。「乳虎図」(河原家蔵)は代表作。17歳で京都に上り修業、元治元年に帰る。明治23年秋田勧業博覧会で「乞食図」が一等。明治19年に東京に出て、各種展覧会に出品、大活躍する。系統は四条派で、門下に寺崎廣業ほか10人以上に及ぶ。
参考までに四条派の影響が顕著な作品を下記に投稿しておきます。
雪中鴛鴦図 平福穂庵筆
紙本水墨着色軸装鳥谷幡山鑑定箱
全体サイズ:縦2255*横662 画サイズ:縦1258*横507
慶応3年(1867年 明治元年前年)仲夏の作。鑑定は昭和15年((1940年)。
飾り花入れは田村耕一作の「面取ほたるぶくろ文花入」

田村耕一の作品はまた後日・・。

絵もまた酔狂です。酒好きの平福穂庵は京都で遊び呆けている父を迎えに行って一緒に遊んだそうです・・、ミイラ取りがミイラ・・・、酔狂な画家の一人です。
親が集めたものをやみくもに金銭に換えるという根性が気に入りませんね。今は掛け軸など骨董品を売ろうとしたら二束三文です。なんでも鑑定団などを観て妄想を抱かないことです。なるべく高く売りたいのでしょうが、買値と違って売る値段は安いのです。考えれば当たり前で業者は買ったら買う人を見つけなくてはいけないのですが、買う人が少ないのです。
骨董趣味はあくまでも酔狂です。金銭に換算すると楽しんだ分を差し引かなくてはなりません。
さて本日は売りたいという作品にもあった秋田出身の画家の平福穂庵の作品です。
自由奔放の筆運びで天才肌の画家・・平福穂庵。熟年期には四条派の影響からか、着色のきちんとした作品を描きました。自由奔放な筆運びか、鮮やかな彩色かどちらの画風が好きかは賛否の分かれるところです。
本日の作品は歌舞伎の暫を描いた作品です。
暫図 平福穂庵筆
絹本水墨着色軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦1900*横520 画サイズ:縦970*横400

きちんとした作風と自由奔放な筆運びとの中間期のような作品です。

落款から判断すると本ブログに投稿しました下記の作品と同時期かと思われます。
田楽 平福穂庵筆紙本水墨淡彩絹装欄間額 画サイズ:縦295*横680
本作品の落款と印章は下記の写真のとおりです。


さてこの作品の構図に不自然さを感じるでしょう。牡丹の花が人より大きく描かれいます。調べてみると下記のようの角館押し絵というものがあり、平福人形という歌舞伎人形の創始者が平福穂庵ということのようです。
角館押絵:幕末から明治にかけて、画人武村文海が作った歌舞伎人形をお祭りの山に飾るようになりました。その弟子の平福穂庵がさらに歌舞伎人形を華美にし「平福人形」といわれる歌舞伎人形の創始者となるのです。それと同時に押絵の下絵や面相を描いたといわれ、押絵も作ったともいわれています。

角館は平賀源内とも小野田直武をとうしてゆかりの地であり、平福父子の出身地でもあり、いろんアイデアマンと関連のある地のようです。

平福穂庵:弘化元年生まれ、明治23年没(1844年~1890年)。秋田県角館出身。名は芸、俗称順蔵。当初は文池と号し、後に穂庵と改めた。画を武村文海に学び、筆力敏捷にして、ついに一格の妙趣をなし、動物画に長ず。百穂はその子。「乳虎図」(河原家蔵)は代表作。17歳で京都に上り修業、元治元年に帰る。明治23年秋田勧業博覧会で「乞食図」が一等。明治19年に東京に出て、各種展覧会に出品、大活躍する。系統は四条派で、門下に寺崎廣業ほか10人以上に及ぶ。
参考までに四条派の影響が顕著な作品を下記に投稿しておきます。
雪中鴛鴦図 平福穂庵筆
紙本水墨着色軸装鳥谷幡山鑑定箱
全体サイズ:縦2255*横662 画サイズ:縦1258*横507
慶応3年(1867年 明治元年前年)仲夏の作。鑑定は昭和15年((1940年)。
飾り花入れは田村耕一作の「面取ほたるぶくろ文花入」

田村耕一の作品はまた後日・・。

絵もまた酔狂です。酒好きの平福穂庵は京都で遊び呆けている父を迎えに行って一緒に遊んだそうです・・、ミイラ取りがミイラ・・・、酔狂な画家の一人です。