夜噺骨董談義

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恵比寿様は大国主命の長男 福寿恵比寿尊像 平野富山作 その6

2024-09-07 00:01:00 | 彫刻
平櫛田中や平野富山の作品においては大黒様の作品が圧倒的に多く、よく対となっている恵比寿様の作品は非常に少ないようです。



恵比寿様とは「恵比寿伊邪那岐命・伊邪那美命の間に生まれた子供「蛭子」(ヒルコ)、もしくは大国主神の息子である「事代主神」(コトシロヌシ)などを祀ったもの」とされ、古くは「大漁追福」の漁業の神であったそうです。

時代と共にしだいに福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神とされ、七福神の中では唯一日本由来の神です。図像としては、狩衣、指貫、風折烏帽子の姿で、右手に釣り竿、左手にタイをかかえていますが、本作品では珍しく頭上に鯛を持ち上げています。
 


恵比寿様は大国主命の長男 福寿恵比寿尊像 平野富山作 その6
誂ひとみ箱
本体:幅120*奥行115*高さ245



作者の平野富山については本ブログで幾度も紹介していますが、平野富山の例歴は下記のとおりです。

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平野富山:明治44(1911)年3月7日、静岡県清水市に生まれる。本名富三。

清水市立江尻高等小学校を卒業して昭和3(1928)年に彫刻家を志して上京、池野哲仙に師事する。同16年より斎藤素巌に師事。翌17年第5回新文展に「女」で初入選。この頃から昭和50年代初めまで「敬吉」の号を用いる。

同18年第6回新文展に「想姿」を出品したのち一時官展への出品がとだえるが、戦後の同24年第5回日展に「若者」を出品以後は一貫して日展に出品を続けた。同31年第12回日展に「若人」を出品して特選となり、同34年第2回新日展出品作「裸婦」で再び特選を受賞。同38年日展会員、同57年同評議員となった。日展審査員をしばしば務めたほか、同33年より日彫展にも出品を始め、同37年には第58回太平洋展に「習作T」「現」を初出品して文部大臣賞を受け、同年会員に推挙された。

団体展出品作は塑像が多く、ブロンズ像を中心に制作したが、彩色木彫も行ない、昭和33年には平櫛田中作「鏡獅子」の彩色を担当。同60年静岡駿府博物館で「平野富山彩色木彫回顧展」が開催された。

裸婦像を得意とし、若く張りのある肉体をなめらかなモデリングでとらえる。ポーズによって「流星」「かたらい」等、自然物や抽象的概念を暗示する甘美な作風を示した。能や舞、女性像、動物をモチーフにした木彫り彫刻作品に日本画に使われる光沢のある顔料を用いて衣装や装飾を描く「彩色木彫」の第一人者として高く評価されています。また、平櫛田中が制作した作品のほとんどの彩色を担当しています。享年78。

*平野は同じモデルの作品を40~50体作ったとされますが、完璧なコンディションで残っているものは現在は少ないとされています。

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恵比寿様と大黒様は、持ち物で見分けると分かりやすいですね。 恵比寿様は釣竿を持って鯛を抱えていることが多く、大黒様は袋を背負って打ち出の小槌を持っています。 基本的に恵比寿様は漁業の神、大黒様は農業の神とされます。



また恵比寿様は商業の神様です。そのため商売繁盛のご利益があるといわれています。ちなみに恵比寿様は幼少期から足腰が弱く、あまり激しく動くことができませんでした。

芦船に乗って海上に流されてしまったところ、漂着したところが西宮であり、そこで神様になったといわれています。足腰が弱かった恵比寿様は、あまり足を使わない釣りを軸にして生活を行いました。

釣りで取れる魚の量は、限られています。一方、網を使って漁をすれば、大量の魚を手に入れることができます。しかし、恵比寿様はそれを行いませんでした。そのことが暴利をむさぼらない清い姿として人気を集め、知名度を飛躍的に伸ばした要因となったと言われています。

恵比寿様には大漁追福のご利益があるともいわれています。漁師にとっては、縁が深い神様であるといえるでしょう。一方で大黒様には、五穀豊穣のご利益があるともいわれています。

ただ恵比寿様は大国主命の長男とされているので、恵比寿様にも五穀豊穣のご利益があると考えられているのです。

このように恵比寿様は漁師だけでなく、農家にとってもご利益をもたらしてくれるとされ、多くの商売人にとってありがたい存在となっています。



大黒様(大黒天)と一緒に祀られることが多く、その理由についてはいろいろな説があります。一つが恵比寿様は大国主命の長男であるから、大黒様と一緒に祀られているという説です。ちなみに大国主命は大黒様と同一の存在として扱われています。そのため、大国主命の長男ということは、大黒様の長男に近しい扱いということです。あくまでも一説ですが、大黒様と対になっているのにはこのような理由からだと言われています。なお大黒様には、縁結びのご利益もあります。 

なお前述のように、恵比寿様は七福神の中で、唯一の日本の神様ですが、大黒様は元々ヒンドゥーの神様であり、その他の神様もルーツがそれぞれ異なりますが、日本古来の神様ではありません。



恵比寿様は日本の神社やお寺の多くで祀られています。恵比寿様が祀られている代表的な神社やお寺には「最教寺」、「成田山川越別院」、「十日恵比須神社」、「向善寺」などがあります・



本作品は色は褪せているものの、彫りや彩色は見事な作品です。



顔の表情から真作と判断しています。



極彩色の彫刻は完璧な状態で遺っているものは非常に数が少ないとされます。特に神様にちなんだ作品は長く飾られていることが多いからでしょう。



平野富山は昭和17年第5回新文展に「女」で初入選しており、この頃から昭和50年代初めまで「敬吉」の号を用いていますので、この作品には刻銘で「敬吉」とあることから昭和50年代までの作と推定されます。



当方の他の所蔵作品でる平櫛田中の恵比寿像と並べてみました。この作品の彩色は平野富吉による可能性があります。



愉しめや木彫の世界・・・。












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