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夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

游鯛図 その3 中村左洲筆 その13

2025-07-11 00:01:00 | 掛け軸
「男の隠れ家」に収納することもあって作品を整理していますが、ついでにとガラクタ揃いの蒐集品の数を数えたら4000点近くになっていました。ブログの投稿数もそれに近い数字になっているようです。どこになにを収納したかをほぼ把握していますが、そろそろ記憶が曖昧になる年齢ですので断捨離を考えなくてはいけないようです。

さて本日紹介する作品は鯛を描いた画家で知られる中村左洲の作品です。中村左洲といえば、 伊勢地方では 「鯛の左洲さん」 として広く親しまれている画家です。 左洲は明治6年(1873)に生まれ、現在の二見町の出身。昭和28年に81歳で没するまで、終生二見の地にあって鯛の絵をはじめとする多くの作品を残しましたが、中村左洲の作品では当方のブログでは「游鯛図」の作品ですと3作品目となる紹介です。



游鯛図 その3 中村左洲筆 その13 
絹本水墨着色軸装 軸先骨 共箱 
全体サイズ:縦1430*横650 画サイズ:縦430*横510



なかなか洒落た表装となっています。最近は住宅事情からも掛け軸の人気が低迷していますが、掛け軸の愉しみのひとつにその表装がありますね。最近の人は表装の布地の知識もないようで、その良し悪しが分かる人が少なくなっていますね。



10歳で父を亡くした中村左洲は、生業の漁業に従事するかたわら、伊勢在住であった四条派の画家磯部百鱗から絵の手ほどきを受けます。当方も私が13歳の頃に父が亡くなっていますでの、中村左洲の苦労が解ります。

明治28年の第4回内国勧業博覧会に出品した「製塩図」が褒状を受け、以後東京で開催される展覧会にも出品するようになりました。大正6年(1917)の第11回文展では、入選した「群れる鯛」 が*御木本幸吉翁の眼にとまり、 買い上げられたという逸話が伝えられています。

*御木本 幸吉:(みきもと こうきち、安政5年1月25日(1858年3月10日) - 1954年(昭和29年)9月21日)。日本の実業家。真珠の養殖とそのブランド化などで富を成した人物である。御木本真珠店(現・ミキモト)創業者。真珠王とも呼ばれた。



左洲が師事した百鱗は、江戸時代後期以降、全国的に流行した四条派の画家でしたから、 左洲の作品も温雅な写実表現を基調とするようになりました。



伊勢では、左洲といえば鯛の専門画家のようにいわれることがあります。 それは、左洲が漁師でもあったこと、 魚類は円山四条派の重要な写生対象であったこと、 鯛の絵は吉祥画として多くの需要があったことなどが主な理由でしょう。



確かに、鯛を描いた作品には終生伊勢の海に親しみ、伊勢志摩の自然と一体化したかのような彼の特質を見ることができます。

小品でありながらも中村左洲の鯛を描いた作品の中でも、本作品は丁寧に描かれた佳作です。



「鯛」を描いた作品の一方で、内宮や外宮、山岳風景を主題とした情趣こまやかな風景作品には画家中村左洲の技量が より強く現れているように思われます。伊勢神宮が近くにあり、皇族や宮司からの依頼や招待が多く、作品を献上することもあったとのことです。



本作品は僅かに2匹の鯛を描いた作品ですが、大きめの作品に負けない迫力がありますね。

当方の他の「游鯛図」の作品には下記の2作品があります。

游鯛図 その1 中村左洲筆 昭和18年初秋
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱
(未測定)全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横(未測定)



游鯛図 その2 中村左洲筆 昭和初期
紙本水墨淡彩軸装 軸先塗 誂箱 
全体サイズ:縦1910*横460 画サイズ:縦1250*横305



*後ろ向きに描かれる鯛の姿は中村左洲の作品の中でも珍しいようです。

本ブログでも紹介していますが、美人画や海浜の風景などにも秀作があり、高い評価を受けています。



本作品は保存状態がかなりいい状態です。



表具もなかなか小粋です。



本作品は保存状態が非常に良好ですが、掛け軸を扱う人によって保存状態の良し悪しが大きく変わるようです。掛軸は慎重に丁寧に扱いましょう。




























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