夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

立美人図 岡本大更筆 大正10年(1921年)頃

2019-08-30 00:01:00 | 掛け軸
母に遺品にハンドバックが大量にありましたが、長らく放っておいたのでほとんどがカビなどがあり処分しました。いくつか使えそうな品物は皮の修理店にてクリーニングしてもらいました。



珍しい? 象の皮のハンドバック。今では動物愛護の観点から総すかんでしょうね。なんと桐箱に収まっています。



あとは大したものはないのですが、使用感のないハンドバックはクリーニングしておきました。



シミなども思いのほかきれいになりました。



さてハンドバックを紹介したので、本日は美人画の紹介です。なお明日は郷里で母の一周忌ですので本日から帰省します。

立美人図 岡本大更筆 大正10年(1921年)頃
絹本着色軸装 軸先蒔絵 誂箱 
全体サイズ:縦1930*横565 画サイズ:縦1290*横415

 

本ブログでいくつかの「岡本大更」の作品を紹介していますので、詳細はそちらのブログに記事を参考にしてください。



岡本大更の略歴は下記のとおりです。

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岡本大更(たいこう):日本画家。三重県生。名は直道。明治12年(1879)9月14日、名張郡滝之原村(現・名張市滝之原)で、父・多吉、母・まさの二男として生まれています。

明治12年三重県名張市滝大更8歳の時、一家を上げて上京。神童とうたわれた大更の美人画の境地をきりひらいた作風は当時「近代的な浮世絵」と激賞されたそうです。



若い頃は貧しさのため師につかず、独学にて文部省美術展覧会などで入選を重ね、美人画の大家(近代的な浮世絵師)になっています。明治・大正・昭和初期に大阪画壇をリードした画家のひとりです。



大更は、若くして名張の地を離れたため、伊賀地方では全く忘れ去られた存在となってるようです。

第八・九回文展、第一回院展に入選。人物画を得意とします。また音楽・演劇を好む。戦争が激しくなった同19年(1944)、後妻の郷里、香川県豊島に疎開しています。

翌20年12月、疎開先で死去、満66歳でした。主に大阪に住していました。



*妻の妹だった更園(こうえん・本名、星野延子)は、20歳で義兄大更の私塾「更彩画塾」で、日本画の手ほどきを受け、2年後の大正5年(1916)の文部省美術展覧会で初出品初入選に輝きました。のちに上京し、鏑木清方の門を叩き、女流画家として活躍しました。更園の作品も本ブログにて紹介されています。



上記写真:左から岡本更園、吉岡(木谷)千種、島成園、松本華羊(「女性画家の大家展」より)

*大更の長男・富久馬は更生(こうせい)と号して、京都絵画専門学校を卒業後、土田麦僊に師事し、大阪美術展覧会
などに出品しました。戦後、当時の名張町で「桔梗ヶ丘学園」が開校されるや、日本画講師に就任し、名張地方の画家仲間で結成した「コンパル画会」に参画するなど活躍しましたが、昭和55年(1980)、74歳で没しています。

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本作品の表具は天地の長さが不自然です。天地交換で処置しようと思っています。



詳しくは「日本画家岡本大更―その画業と更生・更園(山田 一生著, 編集)」という画集がありますので参考にするといいでしょう。



さて鏑木清方、上村松園、島成園、池田焦園、伊東深水らは高値の美人画の作品ですが、本ブログで紹介している三木翆山、木谷千種、岡本大更らはまだ手頃な値段で入手できる美人画家の作品が市場にたくさんあるようです。



有名画家らの作品を愉しむには複製画や版画、シルククリーンなど多々ありますが、肉筆画1点でそれら1000点にも相当する魅力があるものです。蒐集は著名な画家ではなくてもマイナーな画家の肉筆画にすべきというの私の考えです。


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