
「海上風静」は昭和2年の勅題だそうです。
竹内栖鳳については本ブログの第二作目です。
海上風静 伝竹内栖鳳筆
絹装軸絹本着色二重箱太巻共箱 画サイズ縦442*横571

本作品は海と松を題材とした栖鳳の代表的題材の一つ。松の描き方は代表作に通じるものがあります。

参考作品「海浜風光」と画風が同じす。
松の幹が弱々しく感じられるが、簡素化を追求した栖鳳独特の描き方です。出品当時もあまりの簡略化に賛否両論があったようです。
栖鳳の晩年の作は描く主題以外は要素を極限まで省略するとともに、筆運びさえ省エネし絶妙のタッチで描ききることです。さらには落款、印章までも表現の要素になりきるところです。
真贋は別としてその辺はしっかりとした作品です。真作と断定できないのは「西鳳」の印章に確信が持てないためです。印に新旧、絹と紙など印章は比較してもはっきりしないことも多々ありますが・・思文閣発刊「和の美」第456号 作品ナンバー第8「友蛙」参照

竹内栖鳳:元治元年生まれ、昭和17年没(1864年~1942年)。名は恒吉。初め棲鳳と号していた。京都出身で幸野楳嶺に四条派を学び、その上に立って明治の新時代的表現を行って新画風を作り、「絵になる最初」、「あれ夕立に」を出世作として、「雨斎」によって確固とした地位を固めた。帝室技芸員、帝国美術院会員,京都市立美術学校教授となって関西日本画壇の指導者となり、文化勲章を受けた。
竹内栖鳳については本ブログの第二作目です。
海上風静 伝竹内栖鳳筆
絹装軸絹本着色二重箱太巻共箱 画サイズ縦442*横571

本作品は海と松を題材とした栖鳳の代表的題材の一つ。松の描き方は代表作に通じるものがあります。

参考作品「海浜風光」と画風が同じす。
松の幹が弱々しく感じられるが、簡素化を追求した栖鳳独特の描き方です。出品当時もあまりの簡略化に賛否両論があったようです。
栖鳳の晩年の作は描く主題以外は要素を極限まで省略するとともに、筆運びさえ省エネし絶妙のタッチで描ききることです。さらには落款、印章までも表現の要素になりきるところです。
真贋は別としてその辺はしっかりとした作品です。真作と断定できないのは「西鳳」の印章に確信が持てないためです。印に新旧、絹と紙など印章は比較してもはっきりしないことも多々ありますが・・思文閣発刊「和の美」第456号 作品ナンバー第8「友蛙」参照


竹内栖鳳:元治元年生まれ、昭和17年没(1864年~1942年)。名は恒吉。初め棲鳳と号していた。京都出身で幸野楳嶺に四条派を学び、その上に立って明治の新時代的表現を行って新画風を作り、「絵になる最初」、「あれ夕立に」を出世作として、「雨斎」によって確固とした地位を固めた。帝室技芸員、帝国美術院会員,京都市立美術学校教授となって関西日本画壇の指導者となり、文化勲章を受けた。
何てユニークなんでしょう!
是非とも、詳細をブログで、しかも、背面も詳しくお願いします。我が儘ばかりいってスミマセン。