夜噺骨董談義

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贋作考 (月下)猛虎之図 大橋翠石筆 その12

2023-10-16 00:01:00 | 掛け軸
ちょっと出来の良い大橋翠石の作品があったので入手してみました。作品の出所が初期の頃に多くの作品を描いた岐阜だったことも入手の動機のひとつです。



贋作考 (月下)猛虎之図 大橋翠石筆 その12
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 共箱 
全体サイズ:横700*縦1920 画サイズ:横500*縦1230

 

大橋翠石の最盛期に描かれたとされる「須磨様式」と称せられる作品は技法が高度すぎて贋作はその技法を倣うのが難しいようで、真贋の判断は容易であるとされているようです。よって「須磨様式」以降の作品の贋作は数が少ないようです。

ただし、初期の落款が「点翠石」と称せられる作品群は、模倣しやすいためか多くの作品の贋作が存在するようです。なお大橋翠石は「点翠石」を境にして結核治療のため、住居を岐阜の大垣から神戸に移住しています。



「点翠石」の贋作のほとんどは俗っぽい作風なので判別できますが、中にはかなり出来の良い贋作が存在しているので当方でも頭を痛めることになります。

「点翠石」から「須磨様式への移行期」の作風が危ない・・・。



さて本作品では、一見この作品の描き方に違和感はあまり感じらません。



おとなしいそうな虎?で「猛虎」と称するのは躊躇しますね。



青年期から初期 かけての大橋翠石の作風は「南画画法によって虎の縞で形を作り描いている(輪郭線を描かない)。毛書きは白黒で描かれているために全体には薄く白っぽく見える。背景がない。」とされ、さらに須磨様式への移行期では中間期 と称され「墨で縞を描くのは変わらないが、地肌に黄色と金で毛書きをし、腹の部分は胡粉で白い毛書きがされてる。全体には黄色っぽく見える。背景は少ない。」という特徴とされています。 



この頃に大橋翠石は数多くの賞を受賞し、描ききれないほど多くの制作依頼があったとされます。岐阜には多くの作品が遺されたと推定されています。



この後に結核を患い、須磨に移住することになります。さらには右手を神経痛を患い左手で描くなど、苦難を経て晩年に多くの傑作を描くことになります。



時代は戦争の時代へ突入し、「千里を帰る」虎の作品は重宝されましたが、超絶技法と高齢から新規製作作品の減少により需要が追い付かず、大橋翠石の作品の画価は大いに高まったようです。



このような描き方は点翠石の後の可能性もあり、落款の書体と作風が合わない可能性が考えられるということです。



模写の可能性があります。落款と作行きが合わない可能性も含めて検討する必要がありますね。




愛嬌のある若い虎・・???



徐々に毛の表現が緻密になってきます。



腹の部分は胡粉で白い毛書きがされ始めています。



ところで基本的に滅多に大橋翠石は虎の爪を描ないそうです。本作品は描いたように見えましたが、よく見ると毛までのようです。この点では判断がつきません。



ちなみに本作品中の落款が「点石翠石」(「石」字の第四画上部に点が付されている)であることから1910年(明治43年)夏までに描いた作品に分類されます。 

*「点翠石」の書体はバランスを保つために「点」を打ったとされています。



当方の所蔵作品での箱裏の字体の比較です。



「点翠石」時代の参考作品には下記のような作品があります。



本作品中の共箱や作品の書体、印章は下記の写真の通りです。

   

箱書の題字は時代の差があるが、違和感はない。



さらに当方の所蔵作品で真蹟とされる「正面の虎」の箱書と比較してみました。違和感は全くありませんが・・・。



疑念を払拭できないのは作行きもさることながら印章の印影ですね。下の写真の左が本作品の落款と印章ですが、当方の他の所蔵作品にもひと作品だけ同じ印影の作品があるが、他の作品と少し違います。そこで図集の作品の落款と印影(下記写真:中央と右)と比較しておきました。どこが違うか分かりますか?

この印は贋作に多い印章のひとつのようです。


  

前述の同じ印影の印章が押印されている作品との比較です。

月下猛虎図 大橋翠石筆 明治40年代(1907年)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 誂箱 
全体サイズ:横635*縦1945 画サイズ:横510*縦1250
分類A.青年期から初期 :1910年(明治43年)夏まで  ~46歳



少なくても同一人物による、同一時期の作品と考えていいでしょう。



拡大してみると他の贋作に比してはよく描かれています。耳のなどの描き方も墨の筆の運びが上手です。



一般的な贋作は毛の描き方が一方向なのに対して上手く描いています。



落款と印章も同一ですね。

 

残念ながら本日の作品が贋作なら両方の作品が贋作となりますね。今後の検証が必要でしょうが、現段階では真作とは言い切れないとするしかありません。

なお2017年にはロシア外遊中の安倍晋三首相が、モスクワの大統領府でのプーチン大統領との会談に際して、大橋翠石の虎を描いた作品を贈呈しています。

さて検証するなら徹底して行うのが当方の信条・・。下記の作品を参考のためインターネットオークションにて競り合ったのですが、落札できなかった作品です。

参考作品解説                
(月下)猛虎之図 大橋翠石筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 共箱 東京美術倶楽部鑑定書付 
全体サイズ:横647*縦2028 画サイズ:横504*縦1278



東京美術倶楽部の鑑定書もあり、インターネットでの落札金額は35万円ですが、須磨様式前の大橋翠石としては例外的に高価でした。



結核のため須磨に移住して、改めて「生」の字を用いた落款を記している頃の作品です。



前述の作品が真作ならその少し後の作となります。



青年期から初期 (本日の作品など前述の2作品がこの時期の後期にあたる)
南画画法によって虎の縞で形を作り描いている。(輪郭線を描かない)毛書きは白黒で描かれているために全体には薄く白っぽく見える。背景がない。 

中間期(この参考作品の頃 須磨様式の直前) 
墨で縞を描くのは変わらないが、地肌に黄色と金で毛書きをし腹の部分は胡粉で白い毛書きがされてる。全体には黄色っぽく見える。背景は少ない。 



本日紹介した作品はこの参考作品に非常に近い時期と推定され、その点からは本日の作品に違和感は全くない。



参考作品の印章は当然ながら真印と印影が一致します。



ともかく手元に数点(少なくても10点以上)以上の作品がないとこのような検証は難しいのでしょう。道のりは長い・・・。







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