
秋田出身の小生をよほどの酒好きと思ってか、ときおり日本酒を頂きます。ストック用の冷蔵庫が満杯になります。勿体ないので、日本酒を少々嗜みます。結構、旨いものです。量はそれほど飲みませんが、どうもやっぱり日本酒好きなようです。酒の中で日本酒が一番美味しいし、これほど日本料理に最適なものはないと思っています。

写真に写っているグラスもれっきとした骨董品です。100円ショップで売っている品物のように見えますが、古いものです。プラスチック製ではなく、古いガラス製品です。手に持つ柄の部分が割れて折れたので、修理してあります。小生はなんでも修理するので、壊れて捨てることはほとんどありません。自分で金繕いで修理することができるので、わりと高価なものも普段使いにしています。ただし、このグラスは500円?程度です。

本日の作品はどうみても失敗作のように見えますが、とても面白いので一輪挿しや徳利に使用しています。
蛙図清朝染付徳利
口径33*胴径角60*高さ175
草花紋様と蛙の紋様が楽しめます。

本作品の致命的な欠陥は釉薬が剥がれている?というより掛っていない状態で焼かれたようになっている点です。

普通なら出荷前に壊されて出荷しないのが普通ですが、考えられるのは素人が製作した作品か、清朝末期のことで官窯の統括が薄れた頃の民間の窯で安易に出荷されたかということなどが考えれれます。

素人の製作した最近の作品とは思えないように判断しました。これは染付の絵の洒脱さからの判断と勘によります。

陶磁器の焼いた後の失敗作はよくその姿、形の面白さから重宝されることが多いのですが、それは日本人特有の感性によるところです。

本作品はその絵の洒脱さ、微笑ましさから優品と私は判断しました。蛙の図柄は前に投稿しました「夏炉冬扇 伊藤弥太筆」の作品を思い起こさせます。

一輪挿しでもいいし、徳利でもいいし、これはまさしく日本人の感性にぴったりとする作品です。ちなみにこの徳利は3000円程度で購入しました。安いからといって侮ってはいけませんよ

出来損ないを味のあるものとして評価して尊重する価値観は日本特有のものといえます。陶磁器において窯での焼成中に変形したもの、意図的にそうした織部など・・。そのような美的センスをもっと磨く必要がありますが、今のパソコン、携帯世代にはこのような感性を磨く機会があるのでしょうか?

写真に写っているグラスもれっきとした骨董品です。100円ショップで売っている品物のように見えますが、古いものです。プラスチック製ではなく、古いガラス製品です。手に持つ柄の部分が割れて折れたので、修理してあります。小生はなんでも修理するので、壊れて捨てることはほとんどありません。自分で金繕いで修理することができるので、わりと高価なものも普段使いにしています。ただし、このグラスは500円?程度です。

本日の作品はどうみても失敗作のように見えますが、とても面白いので一輪挿しや徳利に使用しています。
蛙図清朝染付徳利
口径33*胴径角60*高さ175
草花紋様と蛙の紋様が楽しめます。

本作品の致命的な欠陥は釉薬が剥がれている?というより掛っていない状態で焼かれたようになっている点です。

普通なら出荷前に壊されて出荷しないのが普通ですが、考えられるのは素人が製作した作品か、清朝末期のことで官窯の統括が薄れた頃の民間の窯で安易に出荷されたかということなどが考えれれます。

素人の製作した最近の作品とは思えないように判断しました。これは染付の絵の洒脱さからの判断と勘によります。

陶磁器の焼いた後の失敗作はよくその姿、形の面白さから重宝されることが多いのですが、それは日本人特有の感性によるところです。

本作品はその絵の洒脱さ、微笑ましさから優品と私は判断しました。蛙の図柄は前に投稿しました「夏炉冬扇 伊藤弥太筆」の作品を思い起こさせます。

一輪挿しでもいいし、徳利でもいいし、これはまさしく日本人の感性にぴったりとする作品です。ちなみにこの徳利は3000円程度で購入しました。安いからといって侮ってはいけませんよ


出来損ないを味のあるものとして評価して尊重する価値観は日本特有のものといえます。陶磁器において窯での焼成中に変形したもの、意図的にそうした織部など・・。そのような美的センスをもっと磨く必要がありますが、今のパソコン、携帯世代にはこのような感性を磨く機会があるのでしょうか?
金繕いができるとはすごいなぁー。
当方では解りにくい作品のひとつです。分かりやすくて、解りにくというべきかな? 製作場所、製作時期はつかみにくい作品ですし、評価は分かれる作品です。
金繕いは実に簡単です。下地処理さえしっかりしていれば・・
整った形、蛙と草花の絵の慣れた筆の良さや染付の色の味わいもさることながら、このような釉切れはどうして起きるものか・・・ 窯の中で飛んだというより掛けそこねたように見えますが、こう掛けそこねるとは、どういう状況だったのでしょうか。想像がかきたてられる、不思議な現象です。茶人が好みそうな偶然の成せる作ですね。
色んな目線で物を見ていると物が訴えてきます!
私は花瓶ではない!徳利ではない!
他の使い道や生き方もあるんだ!と言っています。
もの言わぬ物にもの言わす物つくり。
生かす術を身につけたいと心から思う今日この頃です。