東北関東大震災の義援金
東北関東大震災の義援金を受け付けています。
3月11日に発生した東北関東大震災の義援金を受け付けています。
この義援金は、日本赤十字社から被災された方々に届けられます。
日本赤十字社大多喜町分区では、募金箱を設置しました。
設置場所は、老人福祉センター、役場、各出張所です。
お問い合わせ
健康福祉課 82-2111(241)
日本赤十字社大多喜町分区 82-4969
旭市ホームページより
【災害ボランティアの受付】
旭市災害ボランティアセンター
電話:0479-57-5115
旭市役所では義援金の受付もされています。
【東北地方太平洋沖地震による旭市災害義援金について】
平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に対し、多くの皆様から物資等のご支援をいただきありがとうございます。旭市では現在被災された方への支援などを目的に義援金を受け付けています。
【義援金の受入方法】
1 振込みの場合
・金融機関名:千葉銀行 旭支店
・預金種目:普通預金
・口座番号:3483907
・口座名義:旭市災害義援金(アサヒシサイガイギエンキン)
※下記の金融機関本店・支店の窓口での振込手数料は無料となります。但し、窓口以外(ATM等)での振込および他の金融機関からの振込手数料は振込人のご負担となります。
千葉銀行・銚子信用金庫・京葉銀行 (順不同)
2 現金書留の場合(書留料金は有料です)
・送付先
郵便番号 289-2595
千葉県旭市二の1920番地
旭市会計課(旭市災害義援金)
・郵便物の種類
現金書留
3 ご持参いただける場合
旭市役所 会計課
電話:0479-62-5335
※悪質な詐欺にご注意を!
市の関係者が個人や企業・団体に個別に義援金を呼びかけることはありません。
電話や訪問等により個別に寄付金や義援金を求めてきた場合には、十分注意してください。
画像は、千葉市中央区中央港にある千葉県福祉センター1階市民ボランティア事務所の貼り紙です。
内容は以下のとおりです。
旭市災害VC(ボランティアセンター)
受付 9:00~12:00
活動 9:00~16:00
集合 飯岡福祉センター
旭市横根3250番地
0479-57-5115
持ち物
汚れても良い服
長靴、皮手袋(軍手不可)
あれば、スコップ、バール、ハンマー
内容
ガレキ撤去
家財道具運び出し
3月16日 11:00現在
97名のボランティア
13件のニーズに対応している
ちなみにホワイトボードに書かれた情報でした。
浦安市の状況もかかれていましたが、時間がなく説明を聞かず写真も撮れませんでした。
私は、今は現地に行けそうにありませんが、省エネ(これを書いたらパソコンも電源を落としますね)、義援金を送る、買占めは絶対しない等、国民全員でこの国難を乗り切れるよう努力します。
大多喜町では現地にボランティア活動に向かわれるとか。心強いです。ありがとうございます。受付が9時なので、朝の出発がとても早いようですが、よろしくお願いします。そして怪我などされませんよう、お祈りいたします。
買い占めが買い占めを呼び、手持ちがあることで皆、心の安寧を図っているのかもしれません。思うに、被害の大小を問わず多く(殆ど)の人にメンタル的なフォローが必要なのかもしれません。(私たちを含めて。)
それは、政府やマスコミ等の責務なのかもしれませんが。
明後日に備え、グローブと円匙(スコップ)を用意しました。なにか、誰かの役に立ちたいとか、救いたいといった崇高な意識が働いた訳でなく、かといって虚栄心からでもなく、そうする事で自分自身のバランスを保とうとしているのかもしれません。無理せず、足手まといにならぬよう行ってきます。
地域の皆さんが動かれているとのこと。連携して動かれるのは、凄い事だと思います。
そして、昨日の毎日新聞にいすみ市の「かさや」さんの被災地に向けた弁当の事が掲載されていました。
いすみ鉄道やムーミン列車応援団の方たちも動かれたんですよね。
なんだか力強い地域だなと感じました。
1970年7月。大多喜町でも集中豪雨で多くの被害が発生しました。集団で下校する道中、友達の家が土砂に埋まっていたのを目の前で見た時の恐ろしさは忘れられません。
佐藤栄作・当時の内閣総理大臣が災害現地視察され、日本中の方から支援を受けました。
その時のことを忘れない町、ありがとうございます。出身者として感謝します。
---本日の千葉日報より---
http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/local_kiji.php?i=nesp1300516904
連休返上で手助けへ
大多喜町職員有志、旭で「恩返し」
2011年03月19日15時41分[県東エリア]
大多喜町の職員有志は、きょう19日からの3連休中、県内でも地震と津波被害が大きい旭市に入り、復興作業を手伝う。延べ86人がボランティアとして参加する。
同町は1970年7月、死者2人、家屋全半壊57戸などを記録した集中豪雨災害に見舞われ、全国から人的、物的支援を受けた経験がある。「今回の地震では身近な所にも被害が出ている。恩返しをしよう」と決まったという。
総務課によると、参加は任意。16日夕に各課長を通じて募集したところ、若手からベテランまで予想以上の賛同者が集まった。女性職員も手を挙げた。参加するのは19日43人、20日23人、21日20人。3日連続の参加者もいる。
被災地では、ボランティア組織の指示に従い、数人のグループに分かれて被災家屋内の泥の清掃や使えなくなった家具の撤去作業を行う。3日とも日帰りで出向く。
報告者 NPO防災千葉会員 松尾 弘道様
以下 http://www.bosai-tiba.jp/houkoku/ootaki/ootakihoukoku.html
より、一部抜粋させていただきました。
昭和45年(1970年)7月1日千葉県南部をおそった豪雨は戦後では県内で最も規模の大きい土砂災害、水害を引き起こした。房総山地の中心部に位置する大多喜町では住家が土砂で押しつぶされ多くの死傷者が出た。また鉄道・道路が土砂崩れで寸断、電気・鉄道・電話が途絶えて、学校などに泊まることを余儀なくされた800人余の小中高生や1週間ほど陸の孤島となった集落の人たちはかってないほどの厳しい体験をした。
それから40年近く時が過ぎ、当時を知る人もだんだん少なくなってきている。この時期にもう一度当時を思い起こし、次の世代にこの災害の経験を伝え、これからの防災対策に役立ててゆくことが大切だと考え、出前授業を行った。
http://www.bosai-tiba.jp/houkoku/ootaki/ootakihoukoku.html
本日、旭市飯岡地域の災害ボランティアに参加させていただきました。
漫画家の ちばてつや先生が子供の頃に過ごされたとの事で、矢吹丈と力石徹の石像がありましたが、もの悲しく写りました。ただただ、現実の景色を受容出来ませんでした。
当地では、消防団の方たちと消防設備の復旧作業のお手伝いをさせていただきました。
また、災害ボランティアに行くかもしれません。行けなかったとしても、復興された港町の景色をいつか見に行こうと思っています。
多くの方たちが活動に参加されていましたが、大多喜チームの皆さんとも受け付け時にお会いする事が出来ました。
海森さんが「うぇるかむ大多喜」にスレッドを立ててくださった事により、旭市飯岡地域について気付かせていただき、災害ボランティアに参加させていただく事が出来ました。ありがとうございます。
しかし、災害ボランティアに参加した事で、全てが帰結する訳でなく、今後についても気になってしまいます。