返す返すもコズミックフロントの「天文将軍吉宗」を見逃した事だ。
伊能忠敬の情報は多く得られるが、天文将軍吉宗の情報は貴重だ。
この天文将軍吉宗の天文は「裸眼観測」で、実際「渋川春海の渾天儀」はライフルのピープサイト(覗き窓)で目的の星を中央に置いて、その時の方位の角度を観測するものです。
この天文儀、往々にして使われましたが、これ以上にと言うか、これを100倍する観測精度を持つものがケプラーの師であるティコブラーエの観測設備でした。
それはどんなものかというと「渋川春海の渾天儀」は1m程度の大きさですが、20mぐらい大きいもので、円形の削られた、石があって、そこに角度が刻まれており、狙う星と、それに狙いを付ける覗き窓と、自分の目の位置を合わせて、それで計測するというものです。
単純に江戸時代の日本の20倍の精度が取れます。
ティコブラーエの称号として「ガリレオの屈折望遠鏡が出来る前の最高の天文学者」と言うものでオランダのヤンセンが作る前に出来た最高の努力を払ったものでした。
これは小学校の頃の天文学者の伝記のなかにあったと覚えています。
こう言う状態を何故かコズミックフロントでは見せていないのです。(見逃したのかな?)
でも、そういうことを考えるとイギリスのストーンヘンジが古代の天文観測装置ってのも分からないでもない、でもないか…。
ティコブラーエの観測設備はキチンと円形に石が削られており、目盛りも綺麗に幾何的に刻まれており、それはそれは立派な観測設備でした。
ガリレオの使っていた望遠鏡は50cmの長さ直径は4cmから5cm程度です。
観測精度を上げる為には装置をでかくするという系譜はティコブラーエの装置と日本の「渋川春海の渾天儀」を見れば想像できます。
しかし、これを探している最中で、発見したのが「天文教育普及研究会」(http://tenkyo.net/)でして、ナカナカしっかりしたHPです。
私は江戸時代の天文だけを抜き出しましたが、全般的な天文教育が提示されており、立派な教育サイトです。
このHPを読まれた方は拡散下さい。
これで日本の天文の歴史で、刮目すべき内容は、天文は陰陽道に通じ、陰陽道のトップは陰陽頭で、陰陽助、陰陽允、陰陽大属、陰陽少属と続いて陰陽師が来るのです。
陰陽師は6名が任命されるのですが、それ以上の位は一人だけです。
つまり、陰陽師は、実働部隊と考えられます。
この他、陰陽博士:一名:陰陽道を教える教師、陰陽生:10名:陰陽道を学ぶ学生、歴博士:1名:暦を作り、暦生等を教える、歴生:10名:歴を学ぶ、天文博士:天文気色を見て異変があれば報告。天文生等を教える、天文生:10名:天文気色を習い、観測する、と此処までは良いのだが、この次が凄い。
漏刻博士:2名:水時計で時を知らせる管理をする。という役職である。
これは昔NHKのウルトラアイか何かの科学番組で実際に実験をしていた。
実は奈良時代から平安時代にかけて、時刻計測に水時計を使っていたらしいのである。
そして、実験歴史学の手法で、銅板を、板に開けた穴を通して、調整をして、水時計の精度を上げる事をすると、実に数秒の誤差で、計測できたのである。
この時代でも、この様な時間を正確に計れたと言う実像をNHKは見せたのに、今見せないんだなぁ〜。
アーカイブが泣いているぜ。
この資料を見て、昔の情報を思い出した。
頭の悪い糞馬鹿文化系大学出のクソ左翼は、こんな素晴らしい日本の朝廷の組織を知らず、クソバカで見当違いな寝言をほざいている。
日本の偉人のお陰で、立派な祖国の立派な足跡を辿れます。
これを祖国を誇れる国の人間として、共有したいです。
ああ、誇れない隣獄とは、根底から違いますが…。
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