歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

文豪の味手帳の再放送が見れた。そこで思う、鬼平に無い江戸、それは音・技・光・金である。

2013年12月24日 21時13分16秒 | 日記

これは毎度この手のネタを書くのは石川英輔さんの本で、その中には物売りの台詞や口調声色が独特である。その影を残しているのが「藪蕎麦」である。

鼻にかかった声で「八番さぁ~ん、盛り、3、濃い目でぇ~」と歌うように言うのである。この物売りの言葉は、今はもう無いのだが、レコードが無い前の時代には、何も音楽が響かない世界でふと遠くから、徐々に近づいてくる物売りの声は、焼き芋やラーメンのチャルメラ、豆腐屋のラッパなどの風物詩である。

だが、この何かにつけて生み出される節回しは、何時誰が考えたのか?分からないが、音楽が無いからこそ、自由自在に作られ、そして、人の耳を捕まえるために使われた。

また、風鈴は、何も言わずとも、その音色で人々を魅了した。この音の無い世界だからこそ、音に飢えている人々は何気に出来た音を好んだのだろう。

文豪文豪と池波正太郎先生と、拝んでいるようだが、正直、辟易する事もある。先ずもって、その捕縛である。

捕物というと、鬼平では刀を振り回すチャンチャンバラバラである。だが鬼平の捕縛は違っていたらしい。先ずもって刀を振り回す意味が無い。相手が刀を振り回す時鍔迫り合いをやたらしたがるのだが、鬼平も1975年の奴は、立会いも違っていた。気に入ったのは、刀の柄を握っている両手に、自分の柄を当てる仕草である。

実は、この刀の柄を抑えるというのは武道の基本で、刀の切っ先を追う馬鹿な立会いとは違うのである。この柄を抑える技は相手の間合いに入る技で、遠くに離れれば離れるほど切られやすくなる、だから刀を抜こうとする相手には、半歩先の所まで近寄って刀を抑えるのである。あるいは刀を持とうとする手を抑える。このシーンを作る演出が殆ど無い。

この動きは中国部術に凝った「セイバーキャッツ」でも、手や足の動きをはじめとして、よく描いてある。

また1975年の鬼平では、刀を振り下ろした右側に立って、その相手の動きを抑える動きも見える。これは立会い的には派手ではないのだが、実によくやる手である。

大体、刀に刀で立ち合うのは非常に馬鹿げている。切っ先に切っ先では歯が折れてしまう。それよりも十手の元の形である兜割りの方が効果的だった。兜割りは戦国時代からの武器で、何て事は無い、鉄棒をちょっと鍛えた程度のもので、長い十手のようなものだった。

刀で斬りかかる者には、これを使って刀を受けると、兜割りではなく刀割りとなり、一発で折れる。刀は平べったいし固いので、重さのある鉄の塊を打ち付ければ簡単に折れるのである。また、当時の武士は、使い手となると「刀割り」が出来た。

今でも藤岡弘とか滝田栄などの剣豪は、造作もなく切りつける馬鹿の刀を折れる。

江戸時代の捕縛の玄人技は、色々と見れば見るほど聞けば聞くほどに凄いものだ。大体において、鬼平で無いのは下手人を縄で縛る技である。岡っ引きや下っ匹、同心や与力の犯人捕縛は凄く、一巻の荒縄で十人は縛れるというもので、その伝統は、実は東京の捕縛術の保存会(主に警察官とか元警察官がやっている)に残っている。また、よく馬鹿が下手な拷問をするが、火付け盗賊改め方では算盤攻めや竹刀で叩くやり方をやっていない。

火付け盗賊改め方は「海老攻め」だけで下手人を100%吐かせるのである。大体半日で賊は白状したのである。それは「海老攻め」のキツさから、どんな悪党も必ず吐いたのだそうだ。これは「縛り攻め」で、一見大したことの無いように見えるが、これが骨身にしみる苦しさなのだそうだ。それでいて体は、何て事はないのである。この「海老攻め」は鬼平では一回も見た事が無い。

また、この間の鬼平を見ると彦十が蕎麦屋で一杯引っ掛けながら、見張りをしていた。蕎麦はザルが頼んであった。それに鬼平がやってきて、また銚子を頼むのだ。そして鬼平が先に引き上げ彦十が暫くして出て行こうとする時に店主が「お代を」と手を出した。そこで彦十が銭を出して払うのだが、一体幾ら払ったか?蕎麦は16文。四文銭四枚が相場で、これが200年間続いた。となると蕎麦だけで32文四文銭8枚である。更には銚子だが、これが面倒である。実は蕎麦に比べると米代は結構変動し、その相場が安定しない。蕎麦の倍はしただろう。大雑把に32文とすると、合計96文となる。

当時一両が4000文から6000文だったのだが、一両=四分、一分=四銖である。となると4000文では一銖=250文、6000文では一銖=375文となる。となると、4文銭で24枚を払うのか?残念。1匁銀で払うのである。だが、その一匁と言う通貨は殆ど一般的では無い。特に江戸では。

そういうと「不便じゃないか?」と言うだろう。そう「不便」なのだ。だが、それでやっていた。何故か?両替は3%から5%の手数料がかかる。挿し銭と言うアニメ「一休さん」や大河ドラマ「平清盛」で見られる文銭の中心の穴に綱を通したものである。この挿し銭は百文で流通しているが、挿されているのは97枚である。それは挿し銭の「手数料」なのである。この時期、銭は銭、銀は銀、金は金の相場があり、それらは独立した相場となっており、その交換は往々にして手数料リスクを発生させるので銭匁勘定(せんめかんじょう)なる決算法が採られていた。それは要するに「つけ払い」なのである。

通常この時代一見さんは京都以外でも忌避された。顔が証文となる「常連」しか日常品の買い物は出来ず、そうでないと3%から5%の通貨リスクを込めて払うのだ。彦十もその類で、結局高い払いものをすることとなる。その払うのも銭がジャラジャラとなってしまうのが現状だ。彦十は、そんな事を分かっていて、予め銀貨を用意していたのだろうと思うのが常道だろう。

だが、それを演出家は分かっていたのか?と思ってしまう。

実は江戸時代の生活を見るには経済の話を見るのが一番で、それを一番やっているのは日銀である。藩札や三貨制度、世界最初の紙幣:山田葉書などの研究は、江戸時代のファンの濃い知識として、まぁ池波正太郎を神扱いしている面々ではない、純粋なファンが見ているだろう。

また、これら世界の見る際に結構重要なのは池上彰や森永卓郎などの経済音痴が「金融機関」とほざいている「両替商」ではなく、一番の庶民金融である「質屋」である。実際幕末や飢饉の折に当座の費用を用立てたのは400年に渡る質屋の歴史で、金にまつわる「博物館」なのである。

質屋は、よほど儲かるらしく、質流れ品で、金に換えた質草が多かったのに、まだ残している骨董品が結構残っている。

そして日銀の日本の金融研究でも、結構、この「在野の金融研究者」として「質屋」などが残している藩札などが役に立ったみたいだ。何しろ、ナカナカ身代が倒れないで延々と続いている長崎で言うと銭屋や佐賀・博多の真子質店など、他にも佐賀のガージュなんかも古そうだ。

そんな現役で過去の流れを背負っている質屋は歴史の生きた証人であり、世知辛い世間の中のもっとも渋い連中だろうが、博物学的資産は結構持っている。好事家の主がいると、家の者にとっては災難だろうが、結構博物学的貢献をするものだ。あまり「変わり者」を苛めるもんじゃないですよ。

さて文豪の味手帳では、派手な者ばかり扱っており、その点では雁屋哲の美味しんぼの「海原雄山」ほどの達見もない。

私は蕗やツワ、ヒトデの卵やワラスボ、ムツゴロウなどの古臭い食べ物を皆どう思って食っていたのか?ウチの母親は「黍餅は、餅黍をついたものだけど、食いたくなかった」と言う。やっぱり米なのだ。だが立川談志の母親と違って「お米さえあれば何にも要らないね」なんて可愛い事は言わない。「米だけなんて、そんなに食えるもんかい!御菜か漬物でも無いと」と、まったく「贅沢な婆ぁだ!」と思う。

農家の子供なんて結構グルメなのだ。

それからすると江戸時代の三大飢饉が何故発生したのか?は実に奇妙な話である。

江戸時代には海では山ほど魚がいた。川には鰻、蜆、鮒、ザリガニ、田鰻、豊年海老など幾らも食い物があった。鰻は採りきれず、蜆も同じく、カエルもいたし、タガメも食えた。カブトムシもクワガタムシもイナゴもカナブンも食える。

それからすると、食文化として食えると知らないか、かつて食っていたのに忘れて食えるモノがあるのに食わずに死んだのでは?と思える。

よく「美味しんぼ」の中で詠われる「人類共通の財産としての食文化」と言うのだが頭の悪いゲスで低能な馬鹿文科系大学出のクズ野郎。特に島耕作のようなレイプ魔は鼻先で笑うだろう。

だが「食文化」は「命がけの文化」で低能な誤魔化しのゴキブリ「島耕作」には無縁の世界なのだ。

「食文化」は「豚を目の前に餓死するムスリム」と同じで「食べても良い」と「食べられる」と言うものの違いもある。今は毒とされるモノも食べていた。例えば彼岸花やどんぐりである。これらは水晒しを延々とするもので「苔桃」の灰でのアク取りと同じで、延々と下処理をする。こんな事をして昔は食べていたのだ。

私は福山雅治が2日連続でコンサートを開いた稲佐山に山と生える百合の花の多さを見て、これは防人の「栽培種」なのだろうと思う。そう、百合根は1600年前の防人が命がけの国防をやっていた頃の極僅かな炭水化物だ。里芋も珍しいこの頃、百合根は日本在来種の栗や柿などと同様重要な作物だった。百合根は、御菜の僅かな一品ではなく、重要な主食の一分だったのだ。

って事で、福山雅治くん。実家に帰った時、淵神社(福山雅治が色々お世話になっただろう神社)に生えている百合を見て、これを食った昔の人を思いながらさだまさしを越える「防人の歌」って感じの歌を作ってはどうでしょうか?

因みに淵神社はロープウェイの発車場ともなっているが、立派に大きな神社で、管区に福山雅治の家があるので、観光スポットとして、結構「穴場」です。

淵神社も「福山雅治も持っているかもしれないお守り」なんてフレーズで儲けては?と思う昨今です。とりとめもなく終わりです。