歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

ネルソンマンデラの死を騒ぐマスゴミだが、アフリカの重要な歴史に関しては隠蔽している。

2013年12月09日 22時37分25秒 | 日記

実は、アフリカではとんでもない文化が発生している。

それが「ウガリ」である。こんなものはアフリカには無かった。

この「ウガリ」が故郷の味になったと聞いて悪魔の手先ユダヤ・フリーメーソンは狂喜しているだろう。

今でこそアフリカでとうもろこしを生産するようになったが、その前には、アフリカは独自に穀物を生産していた。

この辺がNHKの大人のドリルで平気で大嘘をほざくNHKの論説員とほざく詐欺物体がバカ面を下げて知ったかぶりをする。

「世界の穀物は42億7千万トンで、これで家畜とか色々飼っているなど生活しているんですよ。」

馬鹿!この低能のNHK!犬あっち意K。バカ面の女を足蹴にするのがなによりも楽しい馬鹿野郎がバカ面を下げて「ふぅ~ん」だって。

実は、この番組は2010年にあった。それで言うんだが、まず高い給料をかっさらっているNHKの論説委員という詐欺師のほざく数値は2006年ベースの穀物のみの収穫量で、これは市場ベースの換算量である。本当にそれだけ採れたかは知らない。実は統計で残っている収穫量は、政府や市場、税務署何かに申告した情報からの推定値であり、実際に採れている量ではないのだ。

またNHKは穀物以外の主要食物を知らないのか?芋類である。これがジャガイモ4億トン、さつまいも3億5千万トン、里芋2億トンなどなどである。この他に、キャッサバ・マニオクなどの芋類もあるが市場に出ておらず、また地中茎なので収穫量が分からない。例えば大和芋で自生している分は今の科学技術でも分からない。

実は宇宙のスパイ衛星は基地の情報よりも、自然の状態を把握するのに使われており、実際に採れた穀物をはじめとした産物の量を把握するのに効力を発する。この衛星が撮った写真フィルムは、どでかいもので、それに光源透かして、フィルタをかけて写真を印画する。それでその場の光の球種雨量が分かり、土壌、水源、植生などが分かるのである。

実は、もっと多くの穀物は採られていることははっ切りしている。しかし、この糞解説委員的なNHKの糞は、その穀物の生産をしている場所を言わない。今穀物はアメリカ・カナダ・オーストラリア・ヨーロッパ一円、東南アジアである。驚いたことに、メキシコなどの場所には生産されていない。何故か?

FTAをやったために1970年代メキシコの農業生産は壊滅した。同じ事はベネズエラやコロンビアなどでも同じだ。それで飢餓が発生した。これはヨーロッパやアメリカの為に農業が壊滅させられた結果の中南米の飢餓である。だがアフリカのことを声高に言うマスゴミも中南米の食糧危機を言わない。それは連中が悪党とグルだということだ。

さて、今アフリカでの食料生産は実に細々としたものだ。そうしたのはユダヤ・フリーメーソンによる。まず1970~1980年代戦争の輸出、1980~1990エイズの輸出、1990~2000バッタの大量発生。

一方で、様々な穀物生産の畑を潰して行った。この辺はTF2の「食糧危機は作られる」にもあるが、アフリカは第二次世界大戦後しばらく自発的な生産が可能だった。それを徐々にダメにしていって、飢餓の国にしたのである。

何よりも酷いのは、1980年代の飢餓の時にライブエイドとUSAforAFRICAが莫大な儲けで棋譜をしたもので、ユニセフ、WFP、などの国連期間が飢餓を作り出したユダヤフリーメーソンのお得意様となったんだ。

実はアフリカは、自分で耕作し、昔からある長期保存のできる方法を使っていた。それをダメにしたのがユダヤフリーメーソンであり、アメリカ・イギリス・フランスのフリーメーソン国家である。

バッタの大量発生は、北部アフリカで10年に分かって発生した。これでは農業を続けようとは思わない。だが、このバッタの発生は大量発生するように仕向けたのでは?と思われている。北部アフリカは巨大な穀倉だった。それが放棄されたのだ。これを称して何というか?そう、陰謀である。

今年初頭ガーナで暴動が起きた、食べ物が無いからだ。何故か、食べ物を作る所がガーナ・コートジボアール・ベナンには無いのだ。だからゾマホンが怒っているのだ。

また今フランス軍が投入されたマリだが、マリも戦争が好きで好きでしょうがないほどでもない。でも平和に暮らす方程式を失っている。そして、イギリスフランスアメリカ相手に竹中平蔵の利口を通す農作物と言えば麻薬しかあるまい。非常に合理的にね。だから1960年代から1990年代、いや今もアメリカは中南米の麻薬に攻撃されている。これは裏の農業攻撃である。

南アフリカは、アフリカーナがアイデンティティを保っていたおかげで小麦の産地であった。つまり食料自給の意志はあったのだ。

しかし、まだまだ、悪の手先フリーメーソンが仕掛けた中南米・アフリカの飢餓化は、今後またユニセフやWFPの悪の手先の銭儲けが続くのだ。

私はまず水!とにかく食事!そしてうんことしっこを有効活用。もっと我々の力は必要なのでは?と思う。日本人はアフリカをフリーメーソンの様にチョングソ虫獄のように使い捨てる気は無い。竹中平蔵やふざけた諭吉、島耕作は別だろうがね。


PV751感謝!関係ないけど勘三郎について。

2013年12月09日 21時39分39秒 | 日記

追悼ビデオも2つ目です。フジもこんな番組ばかりならいいのに。としみじみ思う。

勘三郎さんは官九郎の時に嘉穂劇場をはじめとした地方の歌舞伎座に公演をして回ったとか。

これがなかなかできることではない。こんなことを下から寿命を縮めたんだな?と思わざるを得ない。

海外の公演もきつかっただろうが、地方回りも結構きつい。それは交通の便の悪さである。これが結構体力を消耗する。それが疲労として蓄積するのである。

また番組内で七之介が言っていた通り。空調が完備していない所での歌舞伎は大汗をかく大仕事なのである。

若村麻由美の夜桜お七で、当時の歌舞伎などの小屋の様子を反映していた。夏は、太陽に晒されている小屋の中で暗い中出し物がやるのだ。しかも蝋燭の光である。殆ど見えないなかで、汗をかきながら、朝から夜まで見るのである。

時代劇が糞になったのは、そういった過去の現実を無視している。御都合主義の、馬鹿文系である。また同じ事は歌舞伎の関係者も同じではないか?私は歌舞伎関係者を狙った江戸時代文化クイズをやりたいくらいだ。

実際、薪能とかは、本当に良く見えるのだが、歌舞伎は殆ど見えていなかった。思うに、歌舞伎絵を見てイメージしながら見ていたのではないか?となれば夢幻の舞台に命をかけていたのでは?

何故、露天でやらなかったのか?と思うのだが、本当に歌舞伎は江戸時代1960年代のアングラ劇団並の濃さを持っていたのだ。ってアングラ劇団って分からない人も多いか?まぁ暗くて暗くてしょうがない中演劇をやるという劇団だ。

それでもまだライトの光があって明るかった。アングラ劇を見ていた人は、歌舞伎がアレより暗いと分かっている分マシだろう。

さて映画勘三郎があるらしいが私は勘三郎が勘九郎の時に、二人の子供(勘三郎・七之介)と鬼退治の演目をやるときの大忙しのドキュメンタリーを何時も思い出す。この時カメラが密着しており、それには今の勘九郎・七の介が疲労困憊なのがありありと出ていた。七の介はぐずっていた。

勘九郎はその時イライラしていたのだが、化粧をしている時に今の勘九郎がテレビカメラに向かってピースサインをしたのが癇に障ったのだろう。激怒しピシャリと叩いた。その時の勘九郎泣き方の凄いこと凄いこと。もう騒ぎたかったのだろう。大声で泣いて泣いて仕方なかった。

今の勘九郎はそんな記憶が抜けない。本当に、あの子が、あの子がと思うと、まぁ俺も死んだ方がいいんだよな。よし、在日のチョングソと虫獄をまとめてぶち殺して死んでやろう!と決心をしたりしなかったりする今日この頃。

さて、前の地デジの勘三郎の追悼番組では、勘三郎の闘病ばかりだった。この闘病も、本当に、医療ミスといっていなくはない。食道がんをとった時に咽頭部の神経の一部を傷つけたのだ。これが誤嚥を起こす原因となったものだ。つまり喉に指を突っ込むと「おえ」っとなるだろうが、それが、その神経だ。つまり、勘三郎は指を突っ込んでも苦しくないという状況だったのだろう。この手の検査はやるものだが、どうしたものだろう?と思ってしまう。

この件に関しては、ある刑事ドラマのヒロインだった女の人の障害を持った子供もそうだった。彼も誤嚥性肺炎で死亡したようなものだった。(最終的には別の手術で死んだのだが)

闘病闘病と言うのだが、この時病院関係者は本当に陰々滅々としただろう。何故か?失敗の内容は分かりすぎるぐらい分かっているからだVIPである勘三郎をむざむざ死なせたのは、正直賞賛はされない。一方で予後で暴れるなどの無茶な患者であったのは間違い無かった。もっと病気の怖さを知っていればよかったのに?とはおもう。

でも一つ思うのは勘三郎勘三郎と言い過ぎでは?と思う。他にも色々出て、下手は下手なりの芸を見せてはどうかと思う。裾が広がると上の凄さが分かる。そう言う意味でも、詰まらないテレビより、面白いお笑いの演目なんかをやればいいのに?と思う。

思うに歌のサイクルが短すぎて、一般人が定番として学ぶことが難しくなり、民間芸能が消えて行ったのだと思う。歌舞伎はずっと演目が変わらない。だから、長い間かけて稽古をして1つなりとも見せようと、昔の人はして、玄人はだしになろうとして、ある程度出来たのだと思う。

つまり歌舞伎に憧れ真似て、そして、極めていく姿がそこにある。それからすれば、クリス松村や、その他の大人気の無い奴等のアイドルの真似は、よくやっているとは思うが、それが伝統が無いから、評価されないんだな?と思う昨今である。

何もできないと思っている人は、目出度い歌や、踊りなどの、芸をやってみてはどうだろうか?例えば、獅子舞とか、高砂などの謡とかである。それにしても、また学校である。学校では歌舞伎をちょいとかじっている程度だ。毎度実感の無いトリビアで終わっている。歌舞伎を見ても、やっぱりブラック渡辺がもっと悪くしようとしている教育のアラが目立つ。

日本食の地位が上がって行ったが、京文化をはじめとする日本文化はフランスの憧れとなっているが、一方で、紙漉きとか、和服の反物を作る所、日本の火鉢(同で作る上物)螺鈿細工、などなどの技術が葬られていく。無論それを平気なバカ面で意味を理解しないのが馬鹿文科系大学出、ブラック渡辺やレイプ魔島耕作である。

歌舞伎が世界にアピールしているが、一方で歌舞伎を支えている様々な物が消え始めている。布、紙、小物細工、紐、漆塗り、かろうじて宮内庁が関わるものは安定的に存在するが、それ以外は、人間国宝のメダルが質屋に売られている現実を見れば分かるだろう。

日本の漁業・農業はある日、急に死ぬかもしれないとは、当然あるだろうといわれている。それほど裾のが狭いのである。

勘三郎の死は、この手の問題を個人が努力しすぎて、倒れたという良くある結果で、プロジェクトチームを作るアドバイザーが必要なのではないか?そうして、システムとして歌舞伎のスターシステムを今様に改める事こそ歌舞伎会には必要なのではないか?白髪の吉右衛門さんを見てもそう思う昨今である。