冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して25年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

コースを取って勉強しているところ

2021年02月28日 | 生活
さて、私は1月の終わりからあるコースを取って勉強している。
英語に関する勉強だ。思ったよりも授業料が高くてだんなに「それ、取る必要ある?」と言われてしまったが、必要があるかと言われると「ん~~、ないかなー」としか言いようがない。
10年ちょっと前に高校の卒業コースというのを取っていた。必要な単位数を取り最後にBC州がおこなっている試験も受けてパスすればBC州の高校を卒業したという証書がもらえる。取りたいコースが丁度いい時間帯でなかったりして、なんにも取れない時期があったりしたため、高校2年生の英語の授業から始めたっていうのに修了まで4年くらいかけてやっとこ終わらせた。私が通った学区では6月に卒業式も開いてくれて、私は人生において初めてガウンと帽子(海外の卒業生がつけるアレね)をつけて式に臨んだ。
今回取っているコースも、こうした卒業コースを始めとするいろんなコース、たとえば医療クリニック受付、幼児教育の先生なんかの養成コースをおこなっている機関で提供されている。ここで提供するコースは値段も結構高いのだけど、内容もがっつりしていて課題や宿題も多く、真面目に取り組まなかったり成績が芳しくないと落第してしまう。

私が今とっているコースは4月初めまで続く。生徒数は6人とかなりこじんまりしている。それほど人気が高くないコースなんだろうなぁ。コロナのご時世なので授業はすべてZoomだ。ただ初日だけは学校に行ってオリエンテーションと授業のさわりを受けた。その日はみんなマスクをして、次の日(授業は毎週火・水・木)になってZoomでマスクなしの顔を見ることが出来た。
Zoomはそれまでに2回くらいやったことがある程度、しかもそのときはセミナー聴講でこっちはマイクも映像もオフしており聞いているだけだったから、今回使いこなせるか心配だったけど。まずはバックグラウンドをなんとかせねばと思い、娘に助けてもらって設定した。今回PCを使ってZoomを見ているがそのバックには生活感あふれる棚などががっつり入っちゃうので。私が「なんか風景がいいかな・・嵐の風景とかいいかも?」などと冗談を言ったら、娘は「え?!嵐?」と、昨年末で活動休止したあのアイドル5人組グループの方の画像を探し始めた。「いや、そっちではなくて!」と私。ほんとに嵐の面々をバックに従えてZoomに登場したら「あの、後ろになんかたくさん人がいますけど?背後霊?」的雰囲気になりそうでやめておいた(嵐の皆さん、霊扱いしてスミマセン)。結局私のバックグラウンドはビーチの写真になった。
使いながら「あれ?これはどうやるの?」とかうろたえ、娘に聞くと「このまえ、やり方見せてあげたでしょ」とか言われる始末。そんなの覚えてないよ!とまた教えてもらい。そんなこんなでなんとかやってます。

さて。コースを受けていて自分の性格とか考え方にも改めて意識が向いた。私は心配性で「こんなことになったらどうしよう」とか起きる前から心配してしまう性質であるが、そのことが改めてはっきり目の前に提示された感じがした。また気が小さい(これは書道でもなんか字が小さくなっちゃう傾向からもわかっていたけど)とか、人からどう見られるかを気にするというような性格についても改めて気づかされた。なんか小さい人間だなぁ、私。こうした点はもちろん前からわかっていたけど、今回のコースの中でクラスメートや先生と話していたときに「うーん、私ってそうだよなぁ」と改めて気づかされた。それでがっくりさせられたのだった。英語に関する勉強のはずなのに、自分の性格について考えさせられることになろうとは思ってもみなかったよ。

ところで、Zoomの授業。対面とは違ってなんとなくやりづらい点もある。どこをみていたらいいのか困るときとかあるんですけど、そういうのって私だけ?
でもいい点も多い。何を着ていくか悩む必要なし。とりあえず上半身がまともならOK。通学する時間が必要ないというのがもっとも楽な点だ。学校に行くとなると車で20分かかる場所なので、6時半から始まるなら6時くらいには家を出たい。だけどZoomでなら6時半ギリギリまで家事ができる。そして車の運転をしなくていいのも楽だ。大雨または雪なんてことになったとしても安心だしね。あとちょっと具合が悪いなぁってときも通学するとなると「無理だー」と思うが、Zoomでならなんとかできそうということもある。
ちょっと前まではこうしてZoomのみで授業を受けるだとか考えたこともなかったけど、これがだんだん普通になってきている。いつまでこういうことが続くのかなぁ。まだまだずっとだったりして?

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コーヒーを飲み歩く1

2021年02月24日 | 生活
息子のバイオリンレッスンがいままで火曜日夕方だったのだが、少し前から土曜日の午前中に変わった。バイトを始めた関係で火曜日夕方に行くのが難しくなったためだ。
土曜日の9時半から30分、その周辺で時間つぶしをする。以前は車の中で待っていたこともあるし、歩いてすぐのところにある図書館に行くこともあった。しかし図書館は10時から開くので土曜日にレッスンが移ってからは行くことはできなくなった。

今までは夕方だったから考えもしなかったが、朝なんだからコーヒーを買ってみるってのもいいなと思いついた。
時間は30分しかないので(車で移動しようという気はさらさらないので歩きでという前提)、近場しか行けない。
レッスンのある教室はヘイスティングスという大きな通りに面している。周辺はたくさんの店があるが、歩いていける範囲でのカフェはいくつあるんだろう。
まずはFior di Latte(通称FDLカフェ)という店へ。ここは以前にも何回か行ったことがあるが、ペストリーとかパンとかしか買ったことがなかった。もともとそれが目当てでこの店に買いに行ったわけなので。コーヒーは買ったことなかったなぁと思い、ミディアムサイズのカフェラテを買ってみた(あともちろんペストリーも一緒に買った。美味しいんだもん)。出てきたものを見てまず思ったのは「小さいな!」。スモールと間違ってない?と思ったほど。払った金額はミディアムの料金だったし向こうが私の注文を間違ったわけでは(多分)ない。えー、これで4ドル25セントって高くない?と、ぼったくられた気分になった。お味は普通・・・まずくはないが特別美味しいというわけでもない。次回は違うものをオーダーしてみようと思った。

次に行ってみたのはJJビーン。バンクーバーを拠点とするこのコーヒー屋さん、いまはノースバンクーバーやポートムーディー、バーナビーなんかにも店舗を広げている。もう何年も前のことだがバンクーバーへ取材で出かけたときに、JJビーンのコーヒーを買ったことがあり「おいしいじゃん!」とかなり気に入ったのだが、だんだんと「それほどでもないか」と思うようになってきた。それは私の舌の問題とか好みの変化なのかどうかは分からない。いままで近くには店舗がなかったのでしばらく行くこともなかったのだが、ヘイスティングスにも出来たんなら行ってみましょう~となった。角地にありゆったりとして明るい店内は雰囲気抜群だ。でもやっぱり混んでるなぁ。バリスタさんはすごい勢いでコーヒーを作っていた。今回はミディアムサイズのアメリカーノを頼んでみた。ちなみにミディアムサイズはたいてい350mlくらいである。アメリカーノはエスプレッソをお湯で割ったもので、スターバックスなんかだとたまにやたら薄い時がある。果たしてJJは・・?出てきたときにまず量が少なめで「えー?!」と思った(350mlとは思えん!)。もっと入れてくださいよ~~。しかしこういうときに「もう少し入れてよ~」なんて頼んだら、お湯を入れられるだけで薄くなるので諦める。
紙コップにはめられた蓋が、赤ちゃん用のマグカップの飲み口?って思うような形で飲みにくい。熱い飲み物にこれはどうなの?! さらにこの蓋がちゃちな作りで、歩いていると振動でコーヒーが飛び出したり漏れたりして、さあ大変。なんなのこれは?!と憤りながら飲んでみたらやっぱり薄くて、きーーーっ(怒)となった。今度は普通のドリップコーヒーにしよう。そのほうが安いし。

また「コーヒーを買ってみた」リポートを不定期に書いてみようと思ってます。
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記憶の悪さと夢の話

2021年02月21日 | 生活
私は記憶力が非常に低い。
妹と学生時代の話をすると「どうしてそんなに覚えているんだ?!」と驚くことが多い。すると「いや、そっちが忘れすぎ」と言われる。学生時代の話で特に覚えていないのが先生の話だったりするのは、先生がどんな人とかに興味がなかったからだと私は考察している。妹が「あなたの担任の先生は確か他の先生とバンド組んでた」とかいうのだが、「ほへー、全然知らなかったなぁ」と私。「興味なさすぎでしょ・・・」と妹。
数年前に中学時代の同級生とプチ同窓会があり、10人くらいも集まればものすごくよく覚えている人というのが何人かはいるものだ。そういう人たちは記憶しているだけでなく、当時私が知らなかったこともよく知っている。つまり私は記憶も悪いがかなりぼんやりと生きてきたってことがわかる。ぼんやりしているのはいまも変わらず。そういえば昔、妹から「心ここにあらずといった感じで歩いている」とよく言われた。本人は「心ここにあらず」なんて状態で歩いているとは全く思っていないのだが。

ところでこの間息子と夢の話になった。私の場合、夢というのはこんなことした、あんなこと言ったなどと場面場面でとぎれとぎれに覚えているのだが、話はつながっておらず唐突に場面が変わったり話が変わったりする。しかも起きてからトイレなんかに行ったらすっかり忘れてしまい、夢見たっけなぁってことしか覚えてないことが多い。
以前よく見た夢は、追われている夢である。誰に何で追われているのかはわからないんだけど、私は誰かに追われている。そして身を隠しているんだけど「見つかったらどうしよう」とドキドキしているというもの。出てくる場所は知らないところばかりであるし、ディテールは覚えてないのだが、不安を感じているその気持ちだけはよく覚えているのだ。そういえばそういう夢は最近は見てないなぁ。

息子は私が見た夢を話したことを今でも覚えているという。随分前のことなんだが。それが「車の後部座席にいきなり裸の人2人(知らない人)が乗り込んできて、『オロオロオロオロ・・』と言った」というもの。この「オロオロオロオロ」は当時、息子がふざけてその言葉をよく言っていたため夢に出てきたんだと思う。文字にすると別に面白くないが言葉に出してみるとその言い方がインパクトがあって面白いのである。
それを聞いて私、大爆笑。そんな夢を見たこともそれを息子に話したことも、まったく覚えてない。息子がいまだ忘れられないのは怖いと思ったからなんだそうで、幼き息子にトラウマを与えていたというのに私は全然覚えてないのが申し訳ないような気持ちだ。
それで「車を運転しているときもロックはしておいたほうがいいってことだね。ありそうな話でもあるじゃん」というと、「いや、裸のひとが入ってきて『オロオロ』とかいうなんて、まずあり得ないから」と息子。たしかにそうだね!

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夜のドライブ

2021年02月18日 | 子ども・家族
私自身は車の運転が特に好きではない。やらないといけないので運転しているという感じであり、基本的にスーパーなどへ買い物のためと、子どもを学校などにつれていくために運転している。今では娘も自分で運転するようになったし、自分の車も持っている(すごい中古だけど)ので私がどこかへ連れて行く必要はなくなった。息子も運転免許取得への途上にあるが、まだひとりで運転はできない状態なのでどうしても私かだんなが同乗する必要がある。

息子は数年前に鬱になったりADHDだと診断されたりと、なかなかに激動の日々を送った。いまは随分と落ち着いてきている。あの頃は彼とほとんど会話が成り立たなかったが今は会話できるようになったもんね。でも鬱傾向になりやすいのは変わらずで、息子の場合ドライブをするのが気持ちを落ち着ける方法の一つらしい。先にも書いたとおり、大人の同乗が必要であり、最近夜に仕事をしているだんなの代わりに私が同乗することが増えている。仕事に連れて行くときも行きは息子が運転し帰りは私が運転して帰ってくる・・とか。

昼間は学校や仕事があるので時間が取れないから夜にドライブに行く。夜は道もすいているというのも良い点である。この間、昼間と夜と1日に2回ドライブに付き合うことになった。息子のお気に入りルートを昼、夜と走ったのだが、土曜日の昼間は道が混んでいてしょっちゅう止まる必要がありスムーズにいかない。ただ、夜には閉まっているお店が開いている様子を見れたり、暗闇にぽつんと沈んでいた一軒家が、昼間見たら外壁が黄色と黒の横縞模様でびっくりしたとか、夜と昼との姿の違いを見れるのは面白かった。あと、夜はスピード出している車とか、たまにフラフラしている車がいたりとか、野生動物が道に出てくるとか危険も潜んでいるので、違った意味で注意が必要である。

息子が気に入っているルートは、バーネットハイウェイという道を走っていく。ハイウェイといっても高速道路ではない。こちらでは大きな通りで制限速度が70~80キロくらいの道路にハイウェイと名前がつけられていることが多い。このバーネットは海岸線沿いの道で、信号も少なく夜など信号待ちすることもほとんどない気持ちよく走れる道路の一つだ。たまに海(といっても外洋ではなく入り江)がちらりと見えたり、向こう側の土地に建つ家などの明かりが見えたりするのもなかなか風情がある。ラッシュ時には混むが夜は空いていてスイスイ行けるのも良い。たしかにこの道路を走るのが好きなのは分かる気がする。
そして、ポートムーディー市、コキットラム市、ポートコキットラム市を駆け抜けていき、橋を渡ってピットメドウ市、はてにはメープルリッジ市まで行くというのが最長コースとなる。走行距離にして片道約35キロ。この前、その最長記録を更新してメープルリッジの端っこまでいってしまった。このまま行くとミッションにいっちゃう!とさすがにUターンさせた(ここからバイパスがあり、一気に戻れる)。
バーネットハイウェイのあとの道中は大小のショッピングモールが次々と現れ、背後に去っていく。いくつものティムホートンズ(ドーナツとコーヒーのチェーン店・あちこちにある)、マクドナルドなどのファーストフードの店やガソリンスタンドも通り過ぎていく。
私は夜に走るなら都市のほうが好きだ。郊外のなんにもないところだと昼間なら景色を楽しめるけど、夜は真っ暗でほんとになにも見えない。ただただ暗闇が広がっている。見えない恐怖っていうのも感じる。
都市の夜といえば、息子のお気に入りルートの中にあるわけではないが、私のお気に入りの一つの風景がある。しばらく薄暗い中を走ったあと、いきなり目の前に高層ビルがいくつも林立して目に飛び込んでくる風景だ。高層ビルはほとんどが住居用マンションでありそこに灯りが灯っているのを見ると、あのひとつひとつでさまざまな生活が営まれているんだなぁなんて考える。

運転はずっと息子が担当し、私は横に座っているだけだ。別にそれはいいのだが、気になる点が一つ(スピードを出しすぎるとか運転技術の点では言いたいことが山ほどあるがそれはおいといて)。
自分のiphoneを使ってスポティファイで音楽を流しているのだが、曲の途中ですぐ次の曲に変えるというのを繰り返すのである。電話を車のスピーカーと連動させており、ハンドルの横にあるボタンでボリューム調整やら早送り等ができるようになっているので、電話を触らず手軽にできちゃうわけ。私の父がひとりでテレビを見ているとき、CMになるとチャンネルをちょこちょこ変えたりするのと似ている。父の場合、誰かが一緒に見ているときにはそれはしないので気にならないのだけど、車の中では私も一緒に音楽を聞いているので地味にイラッとする。別に聞きたくて聞いているわけではないが、それしか流れていないので一緒に聞いている形になるわけで、それをブツッといきなり切られて次の曲になって、またブツッと切られて・・てなことを繰り返されるのがちょっとイヤである。1曲全部通して聞けるときが少ないのだ。
ただ最近気がついたのだが、息子の気持ちがかなり沈みがちなときはこれをほとんどせず流しっぱなしにする傾向があるということ。ちょこちょこ曲を変えるときのほうが気分は安定しているような気がする。

これでストレス発散に多少でも役に立っているのならばいいのである。
そのうちに息子もひとりで運転できる日が来るだろう。そうなれば自分ひとりでドライブに行くだろう。ひとりで運転させるのが怖い気もするけどそれも通っていかなくちゃいけない道だし。
そして私が夜のドライブに駆り出されるのもあと少しのことだ、と思えばなんとなく寂しくもあったりするのも確かだ。
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雪!

2021年02月16日 | 生活
2月半ば、バレンタインの前日に雪が降った。この冬まとまった雪が降ったのはこれが初めて。珍しいことである。12月に少し降ったもののすぐに溶けて無くなってしまった。大抵12月終わり頃か1月には5センチ位積もるような雪が降るし、そして大抵1回は積雪10センチ以上になるという事態が起きる。冬の間に絶対というほど雪は降るのだが、もっと寒い地域だとずっと積もったままのところにまた降り、雪が残っている状態が長く続くのに比べればそういう期間が短い。だからかここらへんに住む人達は雪にあまり慣れないのである。私は日本では、ここよりもさらに雪が降らない地域に住んでいたので、雪は恐怖の対象でしかない。日本でたまに雪が降っても雪合戦したり、雪だるま作ったり楽しかったけど(子供の頃だったからなんだけど)、運転をしなくて良かったから怖い思いをすることがなかったわけである。だからここでは何が怖いって雪の日の運転ですよ。家の中で暖かくして白い外の世界を眺めているとか、木々に積もった雪を「きれいだね~」などと言いながら散歩するとかしている限りは雪もいいものだと思えるわけだし。

金曜日の夜、寝る頃には降ってなかったが、土曜日の朝起きて外を見たら真っ白になっていた。あわわ・・予報通り降ったかー。そしてまた降り始めた。ときに大粒になったり小降りになったりしている。土曜日の朝といえば息子のバイオリンがある。連れていけるかなというか息子が運転するっていうだろうからそっちのほうが心配だったり。
なるべくバス通りを選んで進むことにした。バス通りだと早めに除雪も進んでるし、車の通りが多いところのほうが道路がよりクリアだろうから。途中、息子の運転マナーに恐ろしいと思うことがあり(詳細は省く)。仮に彼女(いないけど)を隣に乗せてこんな運転したら即刻別れを切り出されるぞ、と私は思った。
教室には屋根付きの駐車場があるがその出入り口は裏道に面している。裏道は車の通りが少ないので雪が結構残っている。帰りは来た道とは逆の方から出て大きい通りに出ようと思ったのだが、その大きい通りと交差する辺りで一時停止サインがあるから止まるわけである。そうしたら「あ、スタックした」と息子。前に進めなくなった。気がついてなかったがこの道、すこーしだけ上り坂になっていた。その傾斜度はとてもゆるく、坂というほどのものでもない。でも雪が残っている中、スタックするには十分だったみたいだ。そこでゆるゆるとバックして再挑戦っていうのを3回位繰り返してようやく脱出。

帰り道、事故を起こした車を発見。おそらく右折か左折かしようとした車と直進の車がぶつかったみたい。雪でスリップしたとか止まりきれなかったとかだろう。ただ大きな損傷が出ている様子ではなかったからまだ良かったほうかも。
その後、車の通りが多い道を選んで走っていたら、1台の車が中央分離帯に乗り上げていたのをみた。その横にはパトカーが。おそらくスピード出しすぎてコントロールがきかなくなり滑って乗り上げたかな。これは他の人を巻き込んでないだけ良かったかもなぁ。それに分離帯があるところでまだ良かった。ないところだったら反対車線に入っちゃって対向車とゴツンってこともあり得るから。

とはいえある程度時間が経てば、車の往来によって雪が道路の横に動かされていったり、除雪が進んでいったりして、それほど怖くなくなるのだ。ただ、車の通りが多くないところはいつまで経っても雪が退けられず(こういう道は除雪も来ない)、気温が下がって残った雪が凍ってきちゃったりして、そういう部分は怖いままというか恐怖が水増しである。
土曜日も午後には雪がほぼ止み、主要道路は雪の影響が残っていない状態となったし、雪も溶けてきているところがあった。
日曜日(バレンタインデー)はまた雪が降り始めたけど、大雪というような降り方ではなかった。うちから近い山には早速ソリ遊びをしにいった人たちがたくさんいたようだけど、それも土曜日だけだったかな。
そして月曜日、この日は祝日だが雨に変わっていったのでこれで雪による影響も心配することはなくなったといえそう。
このまま雪に降られることなく春になっていくといいなー。


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今日も何事もなく

2021年02月15日 | 生活
ここのところ私は夜寝る前に、今日も何事もなく終わりました、ありがとうございます。と心のなかでつぶやく。
そしてお祈りのようなことを1つ2つ付け加える。

洗濯、掃除、ごはん作り、食料品と日用品の買い物、子供の送り迎え、そんなことをして毎日過ごしている。それとあわせてちょっと仕事と勉強もしているけど(ほんの少しの時間だけど)。
ま、日々同じようなことを繰り返しているわけだ。なにもドラマチックなことは起きない。
そんなわびしい日々の中でも、「今日はなんと佳い日でしょう!神様、ありがとうございます!」といいたくなるような、きらめく瞬間がくることもある。そんな日を待ちながら日々同じことを繰り返して生きていくのだ。

考えてみると何事もないというのは何よりなんではなかろうか。ドラマチックなことが起きるっていったって、事故に遭うとか、手術をしなくちゃいけないとか、病気になるとか、警察沙汰に巻き込まれるとか、そういうことが起きるのはあまり歓迎できないことである。そういうことがなく平穏にいつもと同じように過ぎたなら、それは何より何より・・ということかもしれない。

ところでいきなり話題は違うが、バレンタインであった。
子供が大きくなってからはまったく関係ない行事になってしまい、「ああ、そういえばバレンタインだった~」という感じだ。
息子に「日本では女の子が男の子にチョコをあげる日なんだよ」というと「男の子が女の子にあげるっていうのは?」と言ったので「それはない」というと、「わー、その時期に日本に行きたいな~」と笑っていた(チョコが好きなわけではないが女の子からもらえるという点がうらやましいらしい)。日本にいたからといって無条件に女の子からチョコを貰えるというわけではないけどな。
こちらではどちらかというと男性から女性に花束やチョコなどを贈る日である。カップルで贈り合う(それでも女性から男性に花束をってことはなくちょっとしたギフトをあげるとか)ということもあるけど、比重としては男性から女性にということが多い。
だからこちらの感覚からすると、日本のバレンタインは不思議なものに映るようだ(クリスマスも同様)。
でもねー、日本だとバレンタイン商戦でデパートに高級チョコが並んだりして、それはそれで買ってみたいな~と私は思う。
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ウクレレ

2021年02月11日 | 生活
我が家には弦楽器がいくつかある。バイオリン、アコースティックギター、エレクトリックギター。すべて息子のものである(しかしたいして上手くはない)。エレキはアンプ付きで息子が自分の友人から中古で買ったものだが他のは親が資金提供しておる。
楽譜も読めなくて何の楽器も出来ず音痴の私だが、なにかやってみたいといきなり思った。そこで比較的習得が楽な方だといわれているウクレレにトライしてみることにした。値段も安価だし。息子はウクレレが我が家に加われば自分も弾けるから楽しみだという。「それにお母さんと一緒になんか弾けるかな?」などとかわいいことを言ってくれるが、それはかなり先のこと(またはその日は来ない?)だと断言できる。

初心者向けのレッスン動画もいろいろとあるが、わかりやすそうなものを選び早速トライ。
ギターに比べて小さいし弦も少ないし、難しくないよと息子は言うが、それはギターを弾く人だから言えるセリフだ。私は予想通り大苦戦している。息子が弾くとウクレレっぽい音になるのに対し、私が出す音があんまりにも違いすぎて笑えてくる。
弾くにあたってまず最初に息子が私の指を見て「爪が長すぎる」という。ほほう、たしかにそうかも知れない。



そこで爪を切ってみた。



まだちょっと・・とくに人差し指が・・・と息子。でもこれ以上切ると深爪になるー。私は深爪状態にしたことはないのでとても無理。
すこしずつ短くしていって慣らしていくしかないかも。爪やすりも使ったほうがいいのだろうけど、私は爪やすりでギリギリやるのが苦手で、神経が一気に逆立つ(他人がやっているのも見ていられない)。なのでギリギリとやらずにそーーっとこする感じでやるのであまり進まない。

でもまぁ爪だけのせいではもちろんないのだな。コードがなかなか覚えられない、1つのコードから別のコードへの進行がスムーズにいかない。FとかGmとか超苦手。毎日のように「Fが~~」と苦しんでいるのでした(基本的なコードですらこんな感じなので上達度については推して知るべし)。
かといって血がにじむほど練習はしていないというだらけたペースでやっているので、いつになったらまともに弾けるようになるか・・・そんな日は来なかったりして?

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息子のバイト先

2021年02月07日 | 子ども・家族
息子は昨年11月末から新しいバイト先で働き始めている。今の勤務時間は週4~5日30時間くらい。職業訓練のコースを週4日取っているが、本来なら8時から3時まで学校に行くというスケジュールだったところ、コロナの影響でオンライン授業を組み合わせたりクラスの人数を少なくするために午前と午後に分けたりしたので、学校の時間が短く午前中で終わるようになっている。だからこれだけバイトにも行けるのである。

デリバリー専門の食べ物屋さんで皿洗い及び終わりの片付けや掃除をしている。私は入ったことはないので中がどんな風になっているか全くわからないが、10人くらい人が働いているときもあるそうな。結構たくさんでやっているのね。
息子が初めて入ったときにまず聞かれたことが「きみ、踊れる?」だったことは前にも書いたが、この職場では常に音楽が流れていて踊ったりしながら作業している人もいるそうだ。陽気な雰囲気はブラジル出身のオーナーの影響だろうか。
このオーナーに関しては我が家では「ゲイなのでは?」とうわさしているのだが、息子によると多分そうらしいということだ。ブラジルで結婚して息子もいるが(うちの息子より年上だけど、オーナー自身は私より年下)、離婚して単身カナダに来たという。結婚したんならゲイではないのでは?と思うが、後になって自分の本来のセクシャリティに気づいたパターンらしい。
私は会ったことはないが、息子の話からすると優しい感じの人っぽい。話しかけてくるときに「これこれやってくれる?ベイビー」と”ベイビー”をつけるとのこと(ロックンローラーではない)。それは息子が職場で一番年下だからだったりする?と聞いたら「いや、誰に対しても」とのこと。話を聞いてる限りなかなかおもしろそうな個性の持ち主だ。

たまに食べ物をもたしてくれるのだが、ここのはちょっとニンニクがききすぎているのが多くて・・・。今までいただいたものの中ではにんじんのポタージュとチリはおいしかったんだけど、それ以外はちょっと辛すぎかニンニクが強すぎ(匂いからしてすでに強烈)で「・・・やめておく」ということになる。
ただここの食べ物はどれもヘルシーな食材で作られているのは確かだ。この前ちょっと味見したのは、ケールが入ったラップだった。ケールは苦い(青汁に使われている)のであまり好きではないけど、他の具材と合わさって食べやすくなっていた。ヘルシーなケールをこれなら問題なく食べられる。使われている調味料がちょっと辛かったので、残念ながら一度にたくさんは食べたくないけど・・・

そうそう、BC州では2月5日までという期限で、一緒に住んでいる家族以外との集まりを禁止などの規制があったのだが、このたびまたまた延長となった(そうなると思っていたけど)。今度は期限を決めずということだ。これからの状況を見ながら規制内容が増えたり、反対に緩められたりといったことをおこなっていくとか。
このまま規制がしかれたままで春になるんだろうなぁ・・・と思うのであった。

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マクドナルドの呼び方

2021年02月04日 | 生活
よく日本では話題になることだと思うが、マクドナルドの略称が関東ではマック、関西ではマクドというのが一般的ということ。私は関東出身なのでマックと呼んでいる。
そういえばこちらではこういう略称であまり呼ばないよなぁと考えた。日本の人はなんでも略称で呼ぶけど。たとえば、スターバックスをスタバ。この呼び方をしたら息子が「なんかかわいい(笑)」と。こちらの人も略した言い方でいうこともあるけど、略し方がちょっと違うみたいだ。ロンドンドラッグというドラッグストアがあるが、日本人はロンドラと略するが、こっちではそういうのはない。ただ話の流れからその店のことを話しているだろうと分かるときには、ロンドンとだけ言ったりする人もいる。インスタグラムも日本人は略してインスタと呼ぶが、こっちでそれをいうと「?」となる人が多い。人によってはそれまで会話の流れとかから察して「インスタグラム?」と気づいてくれたりするけど。多分いきなりその単語だけ出したら通じないだろう。

さて、マクドナルド。こちらのひとは略称では呼ばないのかな?と思っていた。私自身は聞いたことがないからだ。
だけど、娘や息子に聞いたら友達同士とかではさまざまな呼び名があることがこの度判明。目からウロコな気分になった。
娘は「メック」とか「メックデック」とかいうかな、と言っていた。でも後者の方はあんまり良い響きではないからねと付け加えた。「じゃさ、私は言わないほうがいいかな」と聞いたら、じと~~っと私を見て「うん、そうだね」だって。「メッケディーズ」みたいにいうひともいるよ、とか。どんどん出てくる・・・
息子も娘と同じようなのをあげていたが、「ドンズ」っていうのもあるとか言い出した。もうなんでもありだねーーと私は大爆笑である。ちなみに娘は「ドンズ」は知らないよ~と言っていた。息子周辺だけの言葉か?

実は私が知らないだけでこうした略称はいろいろあるのかもしれない。特に若者同士の間では。
ただ、こうした略称は私世代が我が物顔に使っても通じない可能性とか、ひどいときは「イタイ」人認定になる可能性もあるかもしれない。また、話す相手がとても親しいくだけた間柄ならいいかもしれないけど、そうでもない人とだと通じないということもあるかもしれない。
なかなかおもしろいので略称探しをしてみるのもいいかも、なんて思った。

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倫理です

2021年02月03日 | 日本のこと
NHKでやっている「ここは今から倫理です」というドラマが面白い。
こちらで見れる日本語チャンネルは、民放のドラマやバラエティ等はほとんど見れないものの、NHKの番組は充実している。
第2回目は自由についてのキルケゴールの言葉が印象的だった。「不安は自由のめまいである」。

自由であることは大切なことであるが、自由であるがゆえに不安を覚えるということもこれまた真理。
自由であるということは自分で決断・選択していくことであり、それを目の前に無が広がっているような状態としている。無を前にしてめまいくらくらするような気持ちを表しているのだと、NHKのブログにはこの言葉についての解説が載っていた。
なるほど、そうかもしれないなぁ。自由と不自由は表裏一体。自由であるがゆえに自分はどう行動するかを悩んでしまうということはあるだろう。

ところでこの回の主人公のお母さんが持っている古い映画のDVDのコレクションから、主人公は「雨に唄えば」を取り出して見始める(私はこの映画を通してみたことがないけど、この曲を聞くとどうしても「時計じかけのオレンジ」を思い出してしまう)。そこにお母さんが帰ってきて2人でなんやかやいいながら見ている様子は、ちょっと泣けちゃったぞ。

ここのところ、哲学的言葉に興味を持っているため、このドラマとてもおもしろく感じる。この先も楽しみ。
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