冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して18年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

再びイギリスの思い出

2017年02月28日 | 思い出
この前、イギリスの食事について書いていたら他にも思い出したことがあるので、付記。

なぜかイギリス滞在中、おじさんに気に入られていた。
ホームステイ先のご主人の妹さんがたまに遊びに来ていたのだが、そのご主人がなぜか私を気に入っていて私のことを可愛いいい子だとよく言ってくれていた。
みんなで写真を撮ろうということになったらしっかり隣に並んでいたし、ハグやらして親愛の気持ちを示してくれていた。
いやらしいかんじはなかったので、周りも「おきにいりなのね」と微笑ましく見ていたし私も「気持ち悪!」と思うことももちろんなかった。
ただ、なんで気に入っているのかな?と不思議ではあったけど。おそらく、東洋の小娘がイギリス人とは雰囲気が違ってたからなんだろう。

あとは、ステイ先のご主人の同僚という人がなぜか私のことを気に入った、といってきた。ご主人が具合を悪くしていたころで奥さんも一緒に病院に行ったりなど留守のことがあった。そこのうちの電話も出られたら出ていいと言われていたので、ある日電話をとったら、同僚だという人からだった。今留守だから・・なんてことを話しただけなんだけど、後日、ご主人にその同僚さんが「あの時の電話の声が素敵で、ぜひ会いたい」と言ってきたんだそうだ。
え?私の声が?!とびっくりしたけど、更にビックリだったのがその同僚さんは50代(独身)。いやいやお会いしたいと言われてもと困惑。
そこのうちの娘さんも遊びに来た時にその話を聞いて、「えー、20代前半の女の子に50代前半の男性・・・ちょっとどうなのー?」と言っていたから、まぁふつうそう思うわな。
その同僚さんはその後、ここのうちにもちょっと来たりしたので、私も一言二言お話し、「おつきあいしていただけませんか」という話もされたのですが・・・
いやいや、それはちょっと。ってことで、ご主人を通して「お気持ちはありがたいですが・・・」とお断りしてもらった。

おじさんには気に入られていたが、学校に来ているような若い人にはさっぱりもてなかった私。
そこに来ていた学生たちはみんな留学生で、スペイン、フランス、台湾、マレーシア、中東の諸国、ブラジルなどいろいろ。当然だが、カナダやアメリカ人はいない(英語母国語の人が来る必要はないからね)。
中東の人とかすごいお金持ちの子息なんかが来ていたようだ。スペインとかから来ている人もやっぱり裕福な家庭の子どもだ。そういう裕福な家庭の子しか来られないんだよ、OL時代の貯金とかで来るのは日本人位なもんだよ、とそこで知り合った日本人の女性が言っていた。

いちおう学校にも通い、ホームステイもしたりしたけど、なにしてたのかなぁ、と今になってみると思う。
勉強すごく頑張りました、ってこともなかったし。よくつるんでたのは日本人の子ばっかりだったし。だから英語が対して上達しなかったのね・・・
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

歌の背景には

2014年08月17日 | 思い出
世には様々な歌があらねど、そのうち私の耳に入るものは数知れていて、あとになってから昔の曲を聞いて「ああ、なんでこの歌が歌われていたころには、私はこの良さに気付かなかったんだろう」などと、述懐することもある。
そんな曲を聞くたびに、なんとなく後悔の念のようなものが押し寄せてきたりする。

そしてまた、昔好きでよく聞いた曲をなんかの拍子に最近になって聞いたりすると、それはまたいろんな背景を伴ってくる。
単純に、メロディが好き、歌詞が好き、などといった感覚的な部分を刺激する、お気に入り曲もたくさんある。
そういう曲の場合、「ああ、やっぱりいいなぁ!」と改めて、嬉しくなってくる。

またその曲を聞いていたころの自分自身の状況だとか、そのときの感情だとかが、曲と一緒に思い出されて、追体験している気分になるときもある。
例えば、私がイギリスに短期留学していた時、スティングのアルバム「The Soul Cage」を持って行っててよく聞いたものだ。冬の陰鬱な色をした海を(ロンドンではなくて南の海の近くの町に滞在していた)眺めながら、そのCDを聞いた、暗い色の海と同じくらい暗い気持ちになっていたあのときの心情がセットになっている。
だから、いまもあのCDを聞くとその時の気持ちがよみがえる。

ただいま、ドはまり中のロバート・パーマーの曲はいろいろな気分を呼び起こすのでここで書ききれないが、なかでも「Riptide」を聞くと、この曲を初めて聞いた高校生くらいの頃の気分がよみがえる。この曲を聞いて「いいなぁ」と思ったこと、ノスタルジックな気分に浸ったこと(実際、これは実にノスタルジックな曲調なんである)、一生懸命洋楽を聞いていて、よく分らない英語を一生懸命聞きとろうとしていたころの自分とか。

こうした曲を聞いているとなんだか涙が出てくる。まぁ、たいしたことでもないんだけど、私の人生もいろいろあったもんだ、とか考えちゃったり、後悔の念だったり、いろいろだ。

ティーンエイジャーの頃は、洋楽にはまっていたが、年取ってきたら日本のアーティストにもっと惹かれるようになってきている。おそらく日本を離れているせいもあるのかもしれない。
5,6年前からファンになっているのは福山雅治さんだが、昔は単に格好いい人、くらいしか思っていなかった。あるとき、彼がファンから受けた質問で「ひとはなぜ生きるのか」に対して、「自分を産んでくれた人、先祖のために生きている」といった答えを聞き、「うんうん、そうなんだろうね・・・」とそれがコトリと私の心のなかにはまったわけである。
歌を聞けば、日本とか日本人とか、私にとっていまのところ、「ふるさとは遠くにあって思うもの」という心持ちにぴたりと合うようなものなのも、良いのである。
ただし、なぜか聞いていても涙は出ない。

特になにかの想い出とセットになっているわけではないのに、聞いているとなんだか泣けちゃうのは、中島みゆき。曲なのか、歌詞なのか、その声や歌い方なのか。
聞いているとなんか涙が出ちゃうんだな。
理由はよく分らない。なんか疲れているときなんてテキメンだ。
疲れている、というのは肉体的に、というより精神的に、というとき、慰められているような、励まされているような気持になる。歌詞の内容に限らず、で。

歌の背景にはいろんなものがある。
それはひとそれぞれ違うもので、だからこの世にはたくさんのたくさんの歌や曲があるんだ。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

我が家にいた犬

2012年05月06日 | 思い出
うちには今オスのポメラニアンがいる。
昔、他の犬が短期間いたことがある。
それはこちらに移ってきて間もないころ。

だんなの友人家族が住んでいる家には白いジャーマンシェパードがいた。SPCAという動物愛護団体が保護した犬を里親に譲ってくれるのだが(有料)、そこから引き取ってきたのだという。推定年齢5歳のメス。
白いシェパードなんで見たことがなかったのでほんとにシェパード?と不思議だった。アルビノなのかしら、とも思ったがそういう場合は鼻のところがピンクっぽいとかもう少し色素が薄い感じなんだろうけど、この犬は鼻は黒いし、それっぽくはない感じだ。
それにしても白だとやっぱりシェパードっぽく見えない。シェパードとはいえ何か他の犬種も入っているんだろうと思った。SPCAにくる犬とかだと前歴がよく分からないことも多いし。

この犬はガタイは大きいが実に気性は穏やかで控えめでこっそりと生きている感じだった。あまり感情表現は豊かではなくて、喜んでいるのかどうかなんかが分かりにくいが、吠えたこともなく(少なくとも私は聞いたことがない)本当に飼いやすい犬だったと思う。

私たちが家を購入して引越ししたらその友人夫婦が「犬、飼わない?」と聞いてきた。そのころその家庭には生後半年くらいの赤ちゃんがいた。奥さんが「赤ちゃんが床をハイハイするようになったら犬がうろうろしていると毛が落ちていたりして衛生的ではない」のを心配して犬をどうにかしたくなったそうだ。
そこに私たちが新しい住居に移ったのでちょうどよかったというわけ。
私たちとしては無料で犬がもらえてなにもかもついてきたので特に問題なく引き取ってきた。

我が家の玄関からリビングルームまで狭い廊下がほんのちょっとある。そこがビニールっぽい床なのだがなぜかそのシェパードはそこがうまく歩けない。いきなり初日そこでビビリ、緊張して慌てて走りぬけようとして滑って転んだ。大きい体だからころぶとビックリだ!!
わー、大丈夫???どきどき・・・怪我をすることはなかったが、それ以来その床の部分を歩くたびびくびくしながら滑りながらなので、犬が通るときはタオルを引いたりしてみた(でもそれもまたすべるのを発見してラグにしてみたり・・・)
それにしてもなんであそこですべるのか不可解なままなぞは解けなかった。今の犬はぜんぜん平気で歩いているんだが。

この犬はあまり人に対してなつくほうではなくて甘えてくることもあまりなかった。夜は1人(1匹?)で下のリビングの自分専用(として自分で勝手に決めた)ソファに寝ていて決して上の階の寝室には来ない。
散歩に行くとなると喜んでいた。広い野原でリードを放してもきちんと戻ってくる。
(犬はそんなもんだと勝手に思い込んでいただんなは今の犬が来て間もないころリードを放したらそのあと捕まえられなくて大変な思いをした)

あるとき戻ってきたシェパードは足を引きずっていた。足をくじいたのかな、と思って医者に連れて行った。
友人が進めてくれたところだったが私たちとはなんだか合わない感じがした。
その医者はじん帯だかどっかだか(忘れた)をいためたのでしょう、少し安静にしていれば治ります、といった。
実際、そのうち足はなんともないように見えた。
しばらくしてまた足を引きずっている。やっぱりなんか悪いんだ・・・と思って違う医者にいった。すごく感じのいい医者だったが、足を痛めただけだからそのうち治るでしょうとのことだった。
またよくなるがまた悪くなり、更に痩せてきた気がする、しっかりえさは食べているのに??

近所の人に聞いた医者に今度は連れて行って、そこでやっと「レントゲンを取りましょう」といわれた。
その結果、足の骨にがんがあるという診断を受けた。もう体のあちこちに転移しているとのことでもはや延命治療くらいしかすることはない、とのこと。
うちにきてから半年くらいしかたっていないこの犬は安楽死させられた。

半年くらいの付き合いだったがいなくなってしまうと無性にさびしい。
ペットというものはいつも自分より先に亡くなってしまうものだから失ったときの辛さがいつか来る、だからかいたくないという人の気持ちもよく分かる。
それでも飼ってしまう。そして飼うとなったら責任を持って飼ってあげたい。それだから自分が変える条件をきちんと見極めそれにあったコを迎えなくてはなぁ、と常々思う。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

歌は思い出をひきおこす

2012年04月01日 | 思い出
懐かしい歌が聞こえてくる。
ただ、あああのころはやったね~なつかしいね~と感慨にふけるだけのときもあれば、曲によってはその歌を聴いていたときの自分の状況やらを思い出したりして、胸が痛くなったり、そのころの自分の心境を落ち着いて眺めなおしたり。
歌はそのときの時代性をうつすし、個人の思い出をひきおこすきっかけにもなる。

たとえば。
小学校6年生、私はラジオを聴きながら宿題をやっていた。そのころいわゆるニューミュージックと呼ばれていた曲をよく聞いたものだ。ユーミンとか。ちなみに中島みゆきさんがひそかに好きだったが、そのころは「暗い」とか思われていて、そういうのを聞いている私も暗いと思われるのが怖くて人には言えずにいたことも思い出す。
オフコースの「さよなら」を聞くと浮かんでくる情景がある。
そのとき好きだった男の子は、ほかの女の子が好きだった。でもその女の子はその男の子のことなんとも思っていなくて。男の子はそのことを私にいい(つまり私が彼を好きであったことには気づいていないわけで)、「さよなら」の曲が自分の心境にぴったりだ・・とか言う。それを聞いている私のちょっと切ない気持ちが、この曲を聞くとよみがえる、大昔のことなのにね。

ラジオは中学、高校、短大と進学していっても私の友だった。たいてい聞くのは夜から深夜。ラジオのいい点は、自分だけで聞けること。テレビだと居間とかキッチンにあって家族も見ていたりして自分の好きなものばかりを見ているわけにもいかない。その点、ラジオなら自分の部屋に持ち込んで自分だけで独占できる。
それに画像がない分、「ながら」がしやすい。編み物しながら耳はラジオに、とか。勉強しながら聞いたり、とか。(これは結構勉強の妨げになったかもしれないが・・・)
深夜放送など、自分だけが起きているような気分になって、この暗い静かな夜にラジオを通して外とつながっているようなそんなイメージをいだいた。

イギリスに短期で英語を勉強しに行ったとき、スティングのCDをよく聞いていた。
重々しい感じの音で始まるこのCDが、冬の海をみながら聞くのにマッチしていた。
私が滞在したのは海に近い町で、夏にはビーチも人でにぎわうところだが、私がいたのは秋から春。冬の暗い海はひと気もあまりなくて風が冷たく吹いていた。
イギリスにあこがれていってみると何かがかわるかも、などと考えていたが、何も変わることはなく、刺激をもらうでもなく、なんとなく学校に通っていて。
イギリスになにしにきたんだっけ~とぼんやり考えながら海辺の散歩道にあるベンチに腰かけて、CDをきいた。
いまもそのCDを聞くと、あのときの暗い海の色、冷たい風、自分が来た道と進む道が見えない気分がよみがえる。
でも苦い気持ちにはもうならない。なつかしく、そんなこともあったね、と思いながら聞き返す。

私と同世代のミュージシャンの作り出す歌を聞くと、世代が近いせいか心情的に共感する部分が多い。
思い出を歌った歌ならば、自分も昔そんな気持ちになったっけ、と共感する。

思い出はよいことだけ覚えていればいい、と誰かが言ったのを思い出す。
これから生きてくなかで、私はよいことを思い起こす歌を心に蓄積していきたい。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

春・・・受験のことを思い出す

2012年03月27日 | 思い出
もう受験シーズンは終わり、皆さん進路も決まって新生活というころだろう。
ちなみにカナダは小学校から高校まで義務教育で(つまり公立校に通う限り授業料は無料)、受験はない。
私立校に行ったとしても受験は基本的にない。
だから申し込みをきちんとしておきさえすれば、学区内の学校に通えるようになるのである。
大学も受験というものはなく、高校のときの成績で入れるかどうかが決まるようである。

そんなわけで受験勉強とは無縁のこちらの学生、だが、大学など行きたい道があるならばそれに向かって高校の1年くらいからぼちぼち準備をしておかないといけない。日々の勉強の成果が合否にかかわるとあっては、あまりのんびりもしていられないだろう。
段取りがいい子は早くから単位を着実に取得して、奨学金のことを調べたりと賢くやっているようだ。
えらいなぁ。

私は日本で学生だったので受験もそれなりに通過してきた。
最初は高校受験。私が小さかったときはまだ小学校や中学校を受験するという人はほとんどいなかった。
小学校を出ると中学校にそのまま入り、大体のクラスメイトがみんな同じ学校に入るので、卒業したとはいってもあまり実感がない感じ。ただ制服になったとか、部活があるとか、の違い。小学校の卒業式でまったく悲しいとも思わなかった。

中学3年で高校受験をしたが大体自分の成績で狙えるところを受けたので無事合格。当時の千葉は県立校のほうが偏差値が高いことが多かったのだけど、最近は私立のほうがめっきり人気みたいなのはちょっとさびしい。
で、私は県立校に通い、バス→電車→バスという通学をしていた。ここの制服は男子は学ラン(私好み・・)で女子はやや明るめの紺のブレザー(夏はベスト)とスカート。ネクタイなどはなく、なぜかシャツは白で襟があれば何でもいいということになっていた。

問題は大学受験である。もともと怠け者で努力をしないたちだったので、当然受験勉強は怠りがち。
夏期講習を受けたものの、一緒に通っていた友人がそのときハーレクインロマンスにはまっていていろいろ持っており、それを貸してくれたのだ。
講習が終わるとそのハーレクインロマンスのことで熱く語り合っていた私たち(バカですね)
冬になってもだらだらしていて勉強もしっかりせず、当然受けたところはことごとく落ちた。
大学2校、短大2校、全部だめ。
短大の1つでは補欠に引っかかったが欠員が出なかったため結局入れなかった。
合格発表の日、「なかった・・・」と(勉強してなかった自分を棚に上げて)がっかりしながら家に電話して伝える。
母は「仕方ないじゃん、勉強してなかったもんね」と冷たく一言。
いや、そうなんだけど、ほんとなんだけど、ちょっとグサリ・・・
とぼとぼと悲しい気分で家路に向かったことをよく覚えている。

結局、2次募集をしていた短大の試験を受けて受かり春からそこに通うことになった。
浪人をするという選択肢もあったけど、私のことだから結局また勉強しないだろうから無駄だなぁ、と判断した。そしてこの判断は正しかったと思う。

不思議なことに、学生でなくなってからのほうが、勉強をする気になってくるもので、カナダに来て高校卒業コースを取って修了したり、会計のコースを取ってみたりしている。
カナダは高校や大学を卒業した後でも、このようにやり直しのチャンスが比較的容易に可能なのでその点はいいな、と思うのである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ニューヨーク(貧乏旅行)2

2012年02月21日 | 思い出
食事はそれなりに楽しんだ。
ベーグルが有名らしいし、ってことで食べてみたり(もっちり硬いというのが第一印象)、プレッツェルも食べてみた(塩辛くて硬くて・・という記憶しか残ってない)
中華街にも行って中華料理を食べたり、ステーキの店にも行った。そういえばステーキの店ではウエイトレスさんがとてもフレンドリーで私が日本人と知ると「私の友人に日本人がいるのよ~」とあれこれおしゃべり。
はっきりいってステーキは大きいが硬いだけ、でいまひとつだったが。
食事が終わりお会計も済ませてチップももちろん置いて出て行くと、後ろからウエイトレスさんが追いかけて出てきた。
「ちょっとまって!!私へのチップがこれだけってどういうこと?私のサービス悪かったのかしら?!」とまくしたて、こんなことをされたのはだんなですら初めてだったとかで(私はチップを払うこと自体がまだ慣れてないって感じだったし)面食らってしまい思わず5ドル紙幣を渡してしまった。
あとで「アメリカ人はすごいねーー」と感心しまくった。
さすがにこれはやりすぎとは思うけど。

タイムズスクエアにはミュージカルや劇の当日券を安く売るブースがあり、「ミスサイゴン」のチケットを買って見にいった。ミュージカルを見るのは以前ロンドンで「オペラ座の怪人」を見たことが1回あったきりだ。(実はそれより前にロンドンで子供向け「チャーリーとチョコレート工場」のミュージカルを見たのだが、英語が分からずちんぷんかんぷんだったので内容については記憶に残っていない)
オペラ座の怪人も良かったが、ミスサイゴンはもっと迫力があってすごく良かった。エネルギッシュで感動的でミュージカルって面白いじゃんって思ったものだ。
その割にはその後そんなに見てませんが(日本で「キャッツ」を見ただけ)

まただんなが選んだ2人劇を見に行ったが、英語が分からず何をやっているんだかわけわからず。
私がわかったのはどうやらクリストファー・プラマーが出ているらしいことのみ(パンフレットに書いてあったから)
この俳優さんはそういえば「サウンドオブミュージック」の大佐役だったよなー、短大のときにヒアリングのクラスでこの映画をテキストに使っていてなんども見たのである。クラスメイトが「大佐役の人がかっこいい」とかいってたっけ。しかし舞台の上のその人は遠くてよく顔が見えず、その本人かどうかも確認ができない。なにしろ映画の頃よりもふけているから余計に難しい。
そんなことを考えてみていて、肝心の劇の内容は全く分からぬまま劇場を後にした。

寒いなか散歩したセントラルパークで灰色のリスを見かけては喜んで写真を撮ったが、今カナダで同じ種類のリスを日常的に見るので珍しくもなんとも無くなった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ニューヨーク(貧乏旅行)1

2012年02月20日 | 思い出
ふっと思い出した昔の昔のニューヨーク滞在。ほんの3日ばかりだったが。
それは結婚前、だんながカナダの実家にクリスマス休暇で帰ってその帰路にニューヨークで私と待ち合わせて旅行したのである。

ニューヨークは初めて(そしてそれ以後もいってないから最初で最後かも)
季節は冬で観光に向いているとはとてもいえなかった。とにかく寒くて。
東部の冬は厳しいことは聞いていたがほんとにほんとだった。
雪は少し残っていたくらいだったが朝方など歩道が凍っているところがあったりして気をつけないといけない。
行きの飛行機もものすごく空いていたもんなぁ。今は無き(というかどっかに買収されたと記憶する)ノースウエスト航空。
食事も美味しくなくてサービスも特筆すべきことはないって感じだったけど、マイルがたまりやすかったので使っていた。(あと、比較的安かったんで)
すごく空いていたおかげで窓際の3席を1人占めできた。他の列も同様でみんなゆったり。

ニューヨークで泊まった宿はだんなが予約してくれていたが、入り口にあったポスターを貼ってあるガラスケースが叩かれたのだかバリバリっとヒビが入っていた。「大丈夫なのかいな・・?」と不安になる。部屋のテレビが鎖につながれている。盗難防止らしい。大丈夫なのかーー?!
結局、滞在中何のトラブルも無かったのだが。
タイムズスクエアに近く観光には便利だったが、確かにちょっと気をつけてないといかんかな、という雰囲気はしていた。

だんなの希望で国連本部へ。
私はそれほど興味なかったが、こういうところへ訪れるのも一生に一度かもしれないし。よくテレビなんかでもみる会議室(大きい)を見たりしてなんとなく感動する。思ったより楽しかった。
私の希望でティファニーへ。いっただけで買い物はせず。そんなところが貧乏性・・
なぜかはいってみたハーレーダビッドソンのレストラン。アメリカンなハンバーガーをガッツリ(もっともだんなが住んでいた下北沢にはかなり本格的な(?)アメリカンなレストランがありそこでおんなじようなものを食べたことがあるので感動はあまりなし)

やっぱニューヨークきたなら行ってみなきゃと、自由の女神。今は入れなくなったらしいが、一番上のほうまで上がっていくことができた。けど、私は高いのと螺旋階段がイヤであがらなかった。のちのちまで弱虫といわれ続けました・・・・・
エンパイアステートビルにあがったが展望デッキが外で寒かった・・景色どころじゃないっす。
そして今は無き世界貿易ビルも行った。高速エレベーターで一気に上まで上がり、きれいな夜景を見た。

短い滞在だったけどなかなかいろいろなことをしたんだなぁ、と書き始めたら気がついた。
続きはまた明日。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

紅茶とイギリス

2012年01月20日 | 思い出
私は一日に日本茶とコーヒーとを1杯ずつ、紅茶を2杯くらい飲む。
もちろんその数は日によって変わるが、大体いつもこれくらいの量を飲む感じである。

紅茶といえばイギリスを思い出す。イギリス人は紅茶をよく飲むといわれているがその通りで、北米人がお茶するときはコーヒーだがイギリス人は紅茶を飲む。

私がイギリスに短期留学していたのはもう20年以上前、ちょうど湾岸戦争が起きた頃だ。
私は老夫婦2人が住む家庭にホームステイしていた。私の滞在中にそのうちのだんなさんが亡くなるという悲しい経験もした。
この家庭では、朝はトーストと紅茶。日中はどうか分からない(私は大抵出掛けてたので)。夜は食事のときは水を飲むが、それからしばらくするとお茶の時間になって「Cup of tea!」と2回の部屋にいた私を奥さんが呼んでくれた。そしてビスケットなんかをかじりながらお茶を頂く。この頃読んだ本(ハーレクインみたいなのだった・・)に、お茶飲む?って感じで「Care for cuppa?」というような表現があった。CuppaはCup ofを続けていうとこんな発音になる。Teaがなくてもこれで紅茶を飲むってことを意味してるんだなー、アメリカだったらコーヒーだろうけど・・。

3段になった皿にお菓子がいろいろ並ぶ豪勢なアフターヌーンティーなどという洒落たお茶の時間は一般的にはみんなやっていなくて、紅茶もティーバッグが主流。でも何故か日本で飲むミルクティーより美味しく感じたのは雰囲気だったのかなぁ。

その頃に比べれば今はイギリス人も随分コーヒーを飲むようになったんじゃないかと思うけど、まだまだ紅茶が一番消費されているのは変わらないみたい。
北米のダイナー(安めの食堂)に入れば、何もいわなくてもウェイトレスさんがコーヒーを運んでくる感じなのと対照的。

私のイギリスの滞在で思い出すのは、フィッシュアンドチップス。そしてトルコ人経営の店で買ったケバブ。
ホームステイ先の奥さんはたまにだんなさんに仕事の帰りにチップスを買ってきてとたのんで夕食のサイドディッシュにしていた。チップスはフライドポテトのこと。家のすぐ近くにフィッシュアンドチップスの店があって、チップスだけでも買える。これが気に入ってたまに自分でチップスだけ買って食べたことがある。

実はイギリス滞在に関しては暗い思い出ばかり残っている。
夏のいい時期に訪れてないからか、天気が悪い、寒いという記憶。
日本人の友達とバス停でバスを待っていたら、通りすがりの車に乗っていた若い男グループから生卵を投げつけられたこと。
ファーストフード店で店員が私だけ飛ばして他の人に対応し続けたこと。
海沿いの町だったのだが、冬の暗い色の海を見ながら散歩していたときのこと。
物静かで陰気な雰囲気の町を歩く人々の姿。
だから今でもイギリスには暗いイメージばかりが浮かぶ。

明るい楽しい思い出は旅行したときのことばかりだ。
ロンドンに行って友達と会ったり、チャイナタウンで食事したこと。
お城が多いイギリスでお城ツアーにいった時。
湖水地方の美しい景色。
ニューキャッスルにいるペンフレンドを訪ねたときに、連れて行ってもらったローマ時代のヘイドリアンウォールやパブやショッピングモールやお城。
滞在しているときは生活しているからやっぱり楽しみが限られちゃうのかもしれない。

そんなわけで、イギリスはまた訪れたいとあまり思わない。
ペンフレンドをまた訪ねるとか、スコットランドに行ってみるならいいなぁ、とは思うがロンドンに行きたいわ、とも思わない。
思い出のせいだけではなく、食べ物もネックなんだよね。イギリスの食べ物が懐かしくなるってないもの。
その点からすると、以前すんでいたシンガポールはまた行きたいなぁって思う。食べ物が美味しいので。
結局、私って食欲なんですね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

好意のサイン

2011年11月19日 | 思い出
何年か前、子どもたちのスケートレッスンに付き添っていったときのこと。
あるインストラクターが私のほうをじっと見ている。「なんか文句あるんかい?!」とか思ってこっちも見返すと、やっぱりじっと見ている。
なんとなく興味があるんだな、という一種の好意のサインがその表情からは見て取れた。いちおう、年を取っていろいろ経験してきてますんで、私くらいの年齢の人は誰だって、そういうのは分かるものである。
しかし、分からないのはこんなオバサンを興味を持ってみていることの意味である。
インストラクターは、20歳そこそこの若者ばかりで高校でたてってくらいの子もいる。そんな若い子がオバサンに興味を持つっていうのはありえない。
ま、そんなことは一瞬のこと。すぐにすぎて、あんなこともあったなぁ、くらいになっている。

そこで思い出したのは、むかしちょこっとだけ付き合ったことのある男性のことだ。
その人は、最初のうち私と話しているときにとても興味を持っていると物語っているような表情をしていた。
だから私も好意をもたれているな、と認識できて嬉しかったわけである。
それがだんだんと私に飽きてきたらしい。
そうなると一気に私に対する態度が変わった。

例えば、外で食事をしているとき。私が料理を取り分けようとしたら「いいよ、やるから」とやってくれてニコニコと話しかけてくれていた。
のに、飽きてきた頃には、私が料理を取り分けようとしているとそれをじっと観察して「あ、エビもきちんといれてよね」などと細かく注意してくる。またその言い方が冷たい、冷たい。
そんなときに他の料理を運んできたサーバーの人が置くところを探して待っているのを見て「ほら、邪魔しているよ」と冷たく言い放った。
この変わりようにはびっくり。
というか、何でここまでいわれなくちゃならないの?と怒りも感じた。
自分は何もしないで座って私のちょっとした動作を観察して批判する態度には「お前は何様だ!」と思ったのである。

しかし飽きられてきていることに感づいていた私は、逆におどおどしてしまい「ごめんなさい・・」と謝っている始末。
もちろん程なくして、わたくし、失恋でございます。
でも、ここまで冷えてしまったら、一緒にくっついていようと努力してももうダメだっただろう、こうなるのが自然の流れだったよな、とは自分でも思った。

私がびっくりしたのは、男性もこういうふうに意地悪なことをするんだという発見である。女性は陰湿なのでこういうことをしそうだけど。
嫌いになったらここまで相手に対して冷たくなれるんだ、ということは、この人は正直な人であるともいえるかもしれない。
好意を持ってくれていたときの態度とは180度くらい大転換していた、だからどうだってわけでもなく、そういう人なんだな、と理解するしかない。

しかしそれからしばらく、男は怖い・・と思ってちょっと恐怖症になった。あんな惨めな思いをするのは辛いもんね。自分がすごく過小評価された気がする。今もまだ思い出すと胸がチクンと痛む、大昔のことなのにさ。

好意のサインを相手に認めるとき、それは嬉しいんだけど、
ああ、その好意が消えていってしまったとき、どれだけ冷たい仕打ちをするんだろう、この人はと考えると怖いではないか。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

デイドリームビリーバー

2011年10月23日 | 思い出
ちょっと前だけど、雑誌に載っていたみうらじゅんさんのコラムでこの曲のことを書いていた。
元々はザ・モンキーズというバンドの曲でそれに日本語歌詞を忌野清志郎がつけたもの。

私にとってモト歌のほうは思い出深い。小6くらいのときにモンキーズがリバイバルブームとなり、私はこの曲を聞いて好きになった。そこから洋楽を聴くようになったきっかけの曲ともいえる。そういえば、モンキーズのテレビショウを夢中になってみていたなぁ。
今もこの曲を聞くと懐かしさで一杯になる。この曲のイントロが始まる前にメンバーがなにやら話している声が入っているのだが、当時全然聞き取れなかったのに数年前に聞き返したときには言っていることがわかったので、ちょっと自分にびっくりした(ヒアリング力が少しついたんだぁ・・と)。
ただいまだに歌詞の意味、とくにサビのとこがよく分からない。

さて日本語歌詞のほうだが、英語歌詞からちょこちょこっとポイントを頂きつつ、夢のようなせつないような内容でいいなぁ、って思う。
「もう今は彼女はどこにもいない」と始まる歌、みうらじゅんさんによると、彼女とは母親のことであるらしい、という。
その視点からみてみると、この歌のせつなさがまたぐっとくるのだ。
いつもそばにいて、いつも自分を信じてくれて味方でいてくれたお母さんはもういない。でも楽しい思い出をありがとう、と歌っているそんな感じ。
そんな風に描かれる親になりたいものだわ。

自分のことを振り返ってみると、やっぱり親がいつも見守ってくれているのを離れていたって感じるものだ。
そんな気持ちを再確認するような、そして小さい頃親に守られて安心してたときの気持ちを思い出すような歌詞に心の中がちょっとチクリとする。
とくに清志郎さんの歌声で聞くと、涙が出ちゃいそうだよ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加